奇妙な注文
「少々ご面倒をお掛けしてしまいますが」
少女が慣れた手つきでキャリーバッグのベルトを外していく。
「まず木型なのですけれど――これで作っていただきたいのですが」
ゴドン、と重い音を立て、作業机に紫檀らしき木型が置かれた。
やっぱり持参だよチクショウと、巧は膝から力が抜けるのを感じた。やはり以前に来た二人の客と同じだ。つまり次の言葉も――。
巧は、再びキャリーバッグに手を伸ばした少女の背に、問いかけた。
「もしかして、デザイン図も持参されてます?」
「まぁ! お話が早くて助かりますわ!」
ふわりと躰を起こした少女は、両手を豊かな胸の前で合わせ、弾んだ声で言った。
すぐにキャリーバッグから靴の絵を取りだし広げる。そしてまた、これまでの客と同じように、使用する革を作業机に並べ始めた。
取りだされた革は三枚あった。スウェードの牛革のような茶色い革と、黄色に染められた
「えぇと、ちょっと触ってみもいいですか?」
「もちろんですわ」
少女は満面の笑みを湛え、鼻歌まじりにキャリーバッグを漁りはじめた。
巧は、まだ何かあるのかよ、と心中で呟きつつ、革に触れた。
ぞくりと、背筋を何かが這っていく。やはり知らない革だ。見た目は既知の革とよく似ているが、手触りはまるで違う。五歳の頃から革に接してきたのに、どれひとつとして記憶にない。
巧はデザイン図に目を滑らせた。
茶色のショートブーツである。ヒール高は六センチ。歩きやすさとデザイン性の狭間にあるギリギリの高さだ。つま先にはW型に切った黄色の飾り革を張るらしい。いわゆる、ウィングチップである。
ただ、奇妙なことに、穴飾りが異常に少ない。
穴飾りはたったふたつ。釣り目のように、涙型の穴がちょこんと並ぶ。踵の縫い合わせを補強するバックステイには、端をギザギザに落とした白い革片を使うらしい。
「鳥……というか、鷲?」
巧は誰ともなく呟いていた。黄色いトゥキャップにつけられた穴飾りが、まさに鳥の嘴にある鼻の穴に見えたのだ。
「えっ?」
という少女の呆けたような声に、巧は慌てて顔をあげた。靴のデザイン画に気を取られて、すぐ傍にいる客の存在を忘れていた。
すぐに他意はないですと口を開きかけ、やめた。
少女は目を丸くしていたが、その紫色の瞳は、子供のように輝いてもいたのだ。
「お分かりになられまして!?」
少女は叫ぶと同時に巧の肩を掴んだ。
「そうですの! この靴は、鷲をイメージしてデザインされていますのよ!」
「わ、わし?」
「そう、尾白鷲ですわ! つま先が嘴、踵が尾羽を模していますの!」
少女の熱っぽい声が、たいして広くもないガレージに反響する。感極まっているのか、それこそ鷲の翼のように両手を広げてくるくる回ってすらいる。
巧は、軽く、引いた。
「え、えっと?」
「――はっ」
と、少女は口を真一文字に結び、顔を背けた。耳まで赤くなっている。
「も、申し訳ありません。つい、その、嬉しくて。取り乱してしまいましたわ」
「いえ、別に構いませんけど――」
巧は気まずさを誤魔化そうと、デザイン図を指でなぞった。
「えと、こ、これ面白い構造ですね。これ、横で編みあげる形なんですね!」
「え、えぇ! そ、そうですの! そこも大事なところでしてよ!」
「分かります! リボンで編み上げるっていうのも可愛いアイデアで――」
リボンだと。
巧はデザイン画を二度見した。
外
「なにかおかしくて? これがそのリボンですわ」
少女は不思議そうに小首を傾げて、リボンと思しき何かをつまんで垂らす。
「たしかに、リボン……か?」
ビロードのような手触りだが、不思議な冷たさがある。妙だ。布や皮に温かみを感じることは多々あるし、高級感の指標になることも多い。
しかし、少女のリボンからは、化学繊維とは異なる生々しい冷気を感じる。この調子で素性の分からない靴材が他にも出てくるのだろう。例えば中材や靴底、ヒール、それだけではすまないかもしれない。
今回は断るべきじゃないか。
湧いて出てきた思いを、首を左右に振って打ち消す。汗をかいて来てもらったんだし今回を最後にしようと決めて、巧は少女に笑いかけた。
「分かりました。じゃあ、ご依頼通りにやってみますね」
「本当に!? 感謝いたしま――と、私ったら! 料金の方を忘れていましたわ」
少女が胸の前でポンと両手を打つのを見て、巧はすぐに気づいた。
「ちょ、ちょっと待って――」
すぱーん、と作業机の上で小気味のいい音がした。
万札である。帯封が巻かれている。厚さはおよそ一センチ。
なんでこの人たちは素人に大金だすかなと、巧はため息交じりに肩を落とした。
「足りませんか? では――」
「違う違う違う! 違いますよ! 多すぎるんですって!」
少女の眉が寄った。訝しげに工房を見渡し、自分の履く靴に目を落とす。
「どこがですの? あなたは、もっと自分の腕を高く売るべきだと思いますけれど」
「素人ですから! 俺は素人ですから!」
巧は握られた手を振り払い、札束を突っ返した。
今回の注文もデザインと材料は客もちである。請求していいと思えるのは工賃くらいでしかない。それにしたって、かかる時間は長くて三日ほどだ。
「ええと――じゃあ、これで、お受けします」
巧は少女が抱きしめる札束から三枚抜いた。それでももらいすぎな気がして不安だ。靴づくりはただの趣味。夏休みの三日は貴重ということにして一日一万円だ。
少女は不満そうではあったが、幸い、それ以上の追及はしてこなかった。
巧はコピー用紙を取りだし作業机に置いた。
「ええと、ここにお名前と、ご連絡先をお願いします」
言いつつ、さすがにコピー用紙はまずかったかと思う。書類棚には祖父が工房で使っていた注文用紙も残っている。しかし趣味の範囲で使う気にはなれない。
流麗にペン先を滑らせていた少女が、ふむ、と鼻を鳴らした。
「連絡先とか、必要ですの?」
「スマホとかでいいですよ。完成は三日後の予定ですけど、遅れることもありますからね。念のためってやつです」
「それが、私、携帯電話の類はもたせてもらえておりませんの」
言葉遣いはキャラかと思っていたが、まさか本当に箱入りお嬢さまなのか。
「まぁでも、ご自宅でも構いませんし」
「家の者にはその、黙っていて……」
「マジですか」「マジですわ」
食い気味に答えた少女は、やけに深刻そうな顔をしていた。
巧は苦笑しつつ、紙に書かれた名前を見た。
「えぇと……りゅう……りゅうなき? はん――」
「ノリコ――
誤読されるのを嫌ったか、範子は間髪いれずに訂正した。少し顎をあげ、右手を差しだしてきた。またしても握手を求められている。
巧は慌てて服で手を拭い、真っ白い手を握りかえした。柔らかく、ほんのり冷たい。手の力が意思を確かめるかのように強まる。
「それでは森村さま。私は必ず三日後に参りますわ。仕上げておいて頂けまして?」
すべすべとした感触に、胸が高鳴る。
範子は嬉しそうに、離れ際に巧の指を撫で、工房を出ていった。
作業机には、デザイン画と、革と、リボンやヒール、それに糸まで残されていた。
「これじゃほとんど組みたて作業じゃん……」
香水の残り香が漂う工房で、巧は一人寂しく呟いた。
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