ブートレッグス~裏切りの魔女~

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魔女の靴

風変わりな客

 森村もりむらたくみの元に訪れた三人目の客もまた、風変わりな少女だった。

 八月に入ったばかりだというのに、ほぼ黒一色の服――いわゆるゴシック系といわれる服に身を包む少女である。歳は巧と同じく高校生くらいか。


 ゴシック&ロリータにしては甘さの足らない服装も相まって、ヨーロッパの街中にいれば、お嬢さまに見えなくもない。しかし、日本の住宅街に佇んでいるため、絶望的に浮いている。


 少女は気の毒になるほど白い肌をしていて、日傘の下で額に茶色い髪を張りつかせ、なにやら大きな、モノクロームチェックの、革の、キャリーバッグを引いていた。

 少女が踵を鳴らした。靴先から覗く黒いネイルの塗られたつま先が巧を見ていた。


「このあたりに、森村靴房というお店がありまして?」


 ロリータ成分はここにいた。少女はよそゆき用に声を作っているのか、妙に甘ったるい音色をしている。変わった言葉遣いも手伝って、巧は思わず少女の足元に視線を落とした。すぐに直感する。

 ここ一カ月の間にきた二人の奇妙な客は、少女の関係者である、と。


 その少女は、巧が作った靴を履いていた。

 ゴス系ファッションにはまったくかみ合わない、黒いオープントゥのブーティだ。ヒールの高さは十センチで、革は黒の起毛革スエードである。


 巧がその靴をフリマアプリで出品したのは春先で、夏を想定していなかった。ブーティの丈では踝が隠れるし、起毛革は見た目にも温かい。せめて初夏まで履けるようにとつま先を開きはしたものの、ゴシック系に合わせるという発想はなかった。


 少女が最初の靴の購入者だと理解してしまえば、予想もつく。少女はこれまでの客二人と同じように、とてつもなく奇妙な注文をしに来たのだろう。

 予想通りと言うべきか、少女は一歩踏みだし、黒い靴を自慢げに見せた。


「こんな靴を作っているお店なのだけれど、ご存じないかしら?」


 うれしいような、こわいような。

 巧は動揺し、思わず、少女の肩越しに自宅ガレージに目をやった。

 注文靴ビスポーク専門の靴職人だった祖父が遺した家で、開かないシャッターの奥が靴工房になっている。もっとも祖父はすでに亡くなり、いまは巧が趣味で使っているだけだ。

 少女は巧の目線を追うように覗き込み、口角をわずかにあげた。


「あそこが、森村靴巧房さまですの?」

「えっと、まぁ、そうだと思うんですけど、ねぇ?」


 なにが「ねぇ」なんだと、巧は自分で思った。

 微笑を浮かべた少女は、キャリーバッグから手を離すことなく、日傘を肩と首の間にはさんで、「ありがとう」と、左手を巧に差しだした。


 なぜ握手を求められるのか。

 浮かんだ疑問をよそに置き、その生白く小さな手を握る。

 瞬間、ぞわぞわと背中で何かが這い回ったような気がした。少女の手は酷く冷たくなっていたが、羊の革ケープスキンのように滑らかで、やわらかく、しっとりとしていた。


 ごくり、と巧は生唾を飲み込んだ。女性の手を握るのさえ初めての体験である。

 握手として何度か揺する。いつ離せばいいのか。離すのが惜しいと思う。

 予想外の反応が、もうひとつ。

 眉を寄せた少女は、キャリーバッグから手を離し、両手で握りなおしたのだ。しかもマッサージでもするかのように、巧の手を揉みはじめた。


 ――な、なに? この子。


 心中穏やかでいられるはずもない。けれど振り払うのも失礼な気がするし、かといってされるがままにしていて近所の奥様方に目撃されれば、からかいの種になる。

 ふいに少女が顔をあげた。呆けたように唇を震わせ、白い頬に紅を差す。


「あ、あ、あなたが、森村、巧、さま、なの、ですか?」

「えと、そうですけど……どんな御用ですか?」


 平静を装い、すっとぼけてみる。靴工房に来る理由なんてひとつしかないのに。

 少女は靴の注文にきたのだ。そしておそらく、意味不明な注文をするのだ。きっとキャリーバッグの中身はアレに――。


「あなたさまが!」


 少女の弾むような声に、巧は思考を中断された。

 と同時に、躰に柔らかな感触がぶつかってきた。


「森村さまなのですね!?」


 少女の細腕は思いのほか力強かった。潮騒の香りを認識し、巧の思考は停止した。

 カタリと落ちた黒い日傘が、焼けたアスファルトに陰を作った。



 巧はシャッター端の鉄扉を開き、少女を工房に招き入れた。

 これで三人目の客で――巧が初めて販売したブーティを履いているのだから、ある意味で第ゼロ番目の客でもある。

 真っ暗で狭苦しいガレージに少女の呟きが響く。


「木と、革と、なにかしら? ワックスだけじゃなくて……不思議な香り」

「ちょっと待ってくださいね、いま、電気つけますんで」


 巧は苦笑しながらトグルスイッチを押しあげた。

 パチン、と小さな音がして、白熱電球と同じ淡い橙色が灯る。


 少女は工房の端から端まで眺めて、「すごい……」と、声を漏らした。酔っているかのような浮ついた足取りで、壁棚に並べられた靴の木型ラストに手を伸ばす。しかし細い指先は触れる寸前、怯えたように引っ込んだ。

 少女はくるりと踵を回し、作業机につけられた、飴色の、木の万力に目を止めた。


「ここの木型も、全部、森村さまが?」

「えっと、その、自分のならやるんですけどね。いまは木型はやってないんです」

「そう、ですか……少し残念」


 少女は拗ねたように口をすぼめ、伸ばした指で万力をなぞった。白い指先と、深く輝く飴色の木目とのコントラストは、まるでバロック絵画のようだった。


「あー、えっと、実は靴づくりも趣味でやってるだけでして、じいちゃ――祖父の残した型を使ってるだけなんです。そのブーティも祖父が遺した型と図が元なんです」


 つい、言い訳していた。木型づくりもできなくはないのだが、労力を考えると他人の足型まではやりたくないのが本音だ。生業にしているわけでもないのに、女性の足に触れるなんて。それに客商売がしたくて始めたわけでもないし、とも思う。

 少女は、出しっぱなしにしていた馬毛のブラシに目を向け、微笑んだ。


「別に恥ずかしがることはありませんわ。あなたの作る靴はとてもいい靴ですもの」

「あ、ありがとうございます」


 靴への賛辞に、巧は頭をさげた。顔に熱を帯びる。

 なにを照れているんだ俺は。

 内心そう思いつつも、にやけてくる。

 

 高校で未だ名前を憶えてくれない担任に褒められるのとは違う。自称友達にいいように時間を使われて述べられる通り一遍の礼とは比べ物にならない。

 懸命に創ったものを褒められるのが、これほど嬉しいとは思わなかった。

 ましてや、最初の靴の買い手に褒められるなんて!


「それで、靴を作って頂きたいのですけれど、よろして?」


 小さく首を傾げた少女が、囁くように言った。

 お褒めの言葉の余韻に浸っていた巧は、慌てて顔をあげた。


「すいません! ちょっと俺、えっと」

「ダメなのかしら?」

「えっ!? いやちがくてその――」


 少女は長い睫毛を瞬かせ、声を殺して笑った。

 躰が火照る。

 森村巧、十六年目に訪れた青い春に思えた。

 

 ――注文が始まるまでは。

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