ノラ猫

暁烏雫月

そうだ、星を見に行こう!

 最近の姿が見えない。いつもなら町にあるポプラの木にもたれかかって空を見てるのに。空がオレンジ色に染まっても、暗くなって星を映すようになっても、ポプラの木から離れないのに。もう一ヶ月も姿を見ていないと流石に心配になるな。


 初めて会ったのは一年前くらいだっけ。町を徘徊していた僕を見つけて抱き上げてくれたのが始まりだったんだ。いつしか僕はの隣に座るようになった。そして、君の紡ぐ物語にそっと耳を傾けるんだ。


「あそこにあるのがはくちょう座のデネブでしょ。あの小さい星座にあるのがこと座のベガで、もう一つの星座がわし座のアルタイル。結べば夏の大三角形! この地域だと星座は見えても天の川までは無理なんだよねぇ。きっと長野県とかだったら、夏の大三角形も天の川も綺麗に見えるんだろうなぁ。満天の星空の下で、星座を見つけながら眠りたい」


 僕には空を見上げても「何かあるな」くらいしかわからない。君に出会うまで、僕の知っている世界は小さくて狭かった。そんな世界なのにあの子は必死に手を空に伸ばすんだ。指で星と星を繋いで星座を作って、その軌跡をなぞる。αアルファせいとかいう星を見つけて「夏の大三角形」やら「春の大曲線」やら、器用に見つけて喜んでいた。


 同じ空を見ているはずなのに、君といると「宇宙」を見ている気分がしたよ。僕は彼女の隣に座って、時折鳴いて相槌を打つ。それが出来れば充分だったのにな。最近はあの子の声も足音も聞いてない。


 あの子がいなくなって初めて、僕は淋しいと思った。今まではどんなに親切にしてくれた人にもこんなこと、思わなかったのに。「あの子になら、飼われてもいいかな」なんてふざけたことも思ったりしたのに。


 いなくなって少し経った頃、淋しさのあまりくだらない想像をした。僕の見た目が猫じゃなくて、あの子と僕が同じ言葉で話す。そんな、叶うことのない想像を。





 想像の中で、僕は空を飛ぶ大きな鳥になるんだ。今まで見たこともないくらい大きくて綺麗な鳥に。そして、背中にあの子を乗っけて、大きな翼を広げて星を目指すんだ。そうだ、数えきれないほどの星がある宇宙そらに向かおう。きっとあの子ははしゃぐんだろうなぁ。


 最初は「夏の星」を巡ろう。あの子の大好きな、赤い星のあるさそり座の近くまで飛んで行こう。アンタレス、だったかな。夏になると見つける度に「さそり座のアンタレス!」って指で示して飛び跳ねてたもんね。


 星を目の前にしたら、星座に近付いたら。あの子はきっと、星座に関する物語を紡いでくれるはずだ。何度も何度も君の隣で飽きるほど聞いた、たくさんの星座の物語。色んな神様とか動物が出てくるお話だ。


 勇者が冒険で殺してしまった生き物の形をした星座。女神の所有物を模した星座。星座に関するお話には色んな神様が出てくる。僕には難しい話でも、あの子がするとおとぎ話のように魅力的な話に聞こえるんだ。神々の悪戯いたずらな話、また聞きたいな。


 地上に戻ったら僕は元の姿に戻って、あの子の隣に座ろうか。君の知る僕は今の姿だから。この姿なら、あの子に撫でてもらえるから。いつもポプラの木に一緒に寄っかかって。時々顔を見合わせて笑い合う。あの子はいつだって優しかった。


 肌寒い日には、隣にいた僕を膝の上に乗せてくれた。あの子の体温が僕の体を暖めてくれた。それでも寒いと思っていたら、あの子は自分の使っていた白いマフラーを僕にわけてくれた。初めて冬に温もりを感じた日々を、僕は忘れないよ。


 そうだ、僕とあの子が空の旅から帰ったら、また膝に乗せてもらおう。あの子の膝の上でくつろぎながら、頭を撫でてもらいながら、星座の話を聞くんだ。同じ物語でいい。あの子の近くで、また話を聞きたい。





 今日も空がオレンジ色に染まり始めた。町に不思議なメロディーが流れて、子供たちに時間を知らせる。この時間になると通りに美味しそうな夕食の匂いが満ちてくる。この美味しそうな匂いを嗅ぐのが一番好きだ。


 どこかで魚を焼いている。どこかで誰かが家族のための味噌汁を作っている。料理に使われる調味料の匂いが、僕は大好きだ。素敵な香りに囲まれて、僕は今日もポプラの木の近くに向かうんだ。あの子が来たら誰よりも最初に出迎えよう。


 さっきまで降ってた雨はいつの間にか止んだみたい。でも通りにはまだ水たまりが残ってる。何となく水たまりに近づいて、水面を覗き込んでみた。


 オレンジ色の空を映してるからかな。水たまりも綺麗なオレンジ色に染まってる。僕の頭上を飛んでいくトンボの姿も見えた。さて、僕もご飯を食べに行かなくちゃ。移動しようと思ったら、懐かしい足音が聞こえた。の足音だ。


 足音が聞こえる場所に急いで走る。途中で人に踏まれそうになったりしたけれど、そんなことよりあの子に会いたい。一ヶ月ぶりに、会いたい。きっと、いつものポプラの木の近くにいれば、会えるはずだから――。





 ポプラの木で待っていたら、あの子の声が聞こえてきた。でも、何だか少し違う。知らない笑い声と一緒にあの子の笑い声が聞こえてくる。やがて姿を現したあの子は、知らない誰かと手を繋いでやってきた。


 一目見てわかった。あの子に恋人が出来たんだ。だから、一ヶ月も姿を見せなかったんだ。僕といる時より幸せそうに嬉しそうに笑ってる。そして知らない誰かと一緒に笑いながら、僕に気付かずに去っていった。


 あの子はもう、ここにいる必要がなくなったんだ。星が出ている空の下で、ポプラによっかかっていたあの子。もう、ポプラも僕も必要ないね。あの子は、あの知らない誰かと幸せになるんだ、きっと。


 あの子と話すことが出来たなら。肩を寄せることが出来たなら。夜に冷えた頬包み込むことが出来たなら。僕に、あの知らない誰かと同じことが出来たなら、まだあの子の近くにいられたのかな。そしたらきっと、今までよりもっともっと、仲良しな二人でいられたよね。


 僕は忘れないよ。あの子と過ごした日々。一緒に空を見たこと、星について聞かせてくれたこと。あの子のおかげで、僕も少しだけど星を覚えたんだ。でももう、時間だ。ここにいる必要は、なくなった。この町にとどまる必要はなくなった。


 あの子に出会うまでの僕は、自由に暮らしてたんだ。町から町へ自由に移動して、生きるための場所を決めて。あの子に会って初めて、こんなに長く一つの町にとどまった。それだけだ。だって、僕はノラ猫だから。


 さよならは言わない。ううん、さよならは言えない。あの子はもう、僕のことを覚えていないから。あの子の幸せを僕が壊すわけにはいかないから。心の中で「さよなら」って伝えるね。


 移動は早い方がいい。この町にこれ以上長居したら、あの子に会いたくて仕方なくなるから。夕日が沈もうとしている今移動すれば、次の町に夜中までには着けるはず。


 せっかくだから、いつもより遠くに見える夜空を眺めながら歩こう。移動しながら、あの子のしてくれた星の話を思い出そう。僕は今日、この町を出ていく。それはもう決めたこと。


 新しい町でまた、素敵な誰かに会えるといいな。あの子みたいに色んな話をしてくれる人がいると嬉しい。さぁ、素敵な誰かに出会えると信じて、新しい町へ向かおう。違う誰かとまた、星を見て笑い合えるといいな。


 さよなら。今日までありがとう。この町にもあの子にも、幸せが来ますように。僕は、違う町から君の幸せを願ってるね。どうか次行く町にも、あの子みたいな子がいますように。

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