巻第七
「この俺が、確かめてみせよう」
クニクルは突然現れたエニーメを見て、思わず立ち上がった。胡坐のまま振り向いたマリネも、驚いて言葉を失う。
「おおエニーメ。我がモモソ姫の手がかりは」
エニーメは皮製の袖無し外套をはずし、円座の中に割り込んで腰をおろした。背中の長い剣を下ろしつつ話す。
「イガ辺りまでツチクモの影はさすものの、このイオト宮まで至るとは思えぬ。
また、さらわれし奇しき乙女を見た、との話も聞かぬ」
「………なにも手がかりはなかった、と申すか。では誰が我が子を」
「我も、エニーメと同じく思う」
と、マリネの隣に座っていた少女が立ち上がった。小柄だが筋肉質で、幼くも美しい顔立ちである。髪は短く、男姿である。クニクルは顔を赤らめる。
「我はウツシコメ。モノノベの
とエニーメに軽く頭を下げる。エニーメも会釈を返した。
「……ここに至りモノノベの子らは、ツチクモにはあらずなどと言い出す。
エニーメもまた遠くまで行きて、ツチクモの影が見えぬと言うのか。
ならば何者が、なんのゆえで我がモモソ姫を」
「屋つ子」が出した湯を一口飲むと、エニーメは立ち上がる。王や長老連が見守る中、ゆっくりと前へすすみ、やがて驚いた表情の少年の前に立った。
「ツチクモだと言い出したのは、クニクルだ」
少し青ざめつつも、王子は立ち上がった。
「しかり、黒い獣のような影を見た」
「クニクルは、それまでにツチクモを見たことがあるの?」
「そ、それは……」
「ならなにゆえ、モモソ姫がツチクモにさらわれたと言い張る」
「……あくる日に、矢がのこされていたのだと」
父王が助け舟をだした。そう言われることをみこして、後ろ手にかくしていた矢を示した。
「これね。でもこれはまこと、ツチクモの矢かしら」
クニクルは絶句した。ただおびえた目を見開いている。少し意地悪そうに微笑んだエニーメはふりかえり、矢をマリネの方へと投げた。
「返すよ」
マリネは腰を下ろしたまま矢を受け取った。隣のウツシコメが、それを奪って見つめる。
「イガからオハリまで行き、ツチクモの姿を追った。ヒダのさらに奥、人の入らぬ深き森から出て、西へ動きつつあるのは確かなようだ。
されどイガにも姿はないと言う。
ツチクモに見せかけ、姫は他の者がさらったとしか思えぬ」
「他のものとは、誰が? このフトニに仇為すものか?」
「判らぬ。しかし俺はまず、この宮の周りから探りなおす」
「その間に娘はどうなる。すでに日がたつ。何者かは知らぬが」
「いや、何者であれ、尊き
その奇しき力を、なにごとかに使う為にさらったのだから」
遅い夕餉をもらい少し休むと、エニーメはイオト宮から出た。すでに出入り口や宮のあちこちには、火が炊かれている。宮を囲む村から出ると、今夜は曇りがちで月明かりもない。しかしエニーメは、すぐ南に迫る森の中に身を潜めた。
宮の出入り口からさほど遠くない。大木の陰にかくれて門を見張っていると、獣のにおいがする。おどろいてふりかえると、頭上から声をかけられた。
「さて、なにをたくらむ」
見上げると、太い枝に座るずんぐりとした影がある。
「イノメ? いつ来た?」
大猪も闇の中から現れ、鼻をならす。
「オシカルは鼻がきく。日が落ち、闇にまぎれてたどり着いた。
まあ見つかって少し騒ぎにはなったが」
「………なにが目当てだ」
「さあな、当ててみなよ。何をしている」
「とりあえず出入り口は一つ。見張る」
イノメは枝から飛び降りた。
「あれがイオトの宮か。我が母、汝の村を滅ぼしたヤマトのやつばらの」
「今は闘うことはせぬ。国々をまとめる核になろう、その姫さえいれば」
どれぐらいたったろう。イノメはオシカルによりかかり、居眠りしていた。
エニーメが見張っていると、火のたかれた宮の出入り口が開き、影がでてきた。槍をもって立つ眠そうな不寝番に、なにか話している。
やがて不寝番は槍をわたすと頭をさげ、宮の奥へと消えた。しばらくして槍を受け取った人物はそれを土塁に立てかけると、南へと歩き出した。
「起きよイノメ。オシカルを隠せ! 人がくる。道から離れて潜め」
ほどなく小柄でしっかりとした若者が森の中へと入り、南へと過ぎていった。
腰には太刀を吊り、足に「はばき」をつけた旅姿である。荷物はない。
「……やはりな」
エニーメは道に出て、闇に消え行く背中を見つめた。
「あれはヤマトの彦フトニの御子、クニクルだ。行くよ。ただし少し離れて。
彼に気づかれないように、オシカルとあとから来て」
なにか気配を察したのか、時々クニクルは後ろを振り返る。かすかに獣のにおいがするが、珍しいことではない。ともかく朝までには宮に戻らねばならない。
距離をおき、二人と一頭があとをおう。離れているため、目のいいエニーメにもやっと後姿が判る程度だった。一帯は湖水をかこむ盆地の西南端、聖なる山々を西に見る不連続な森の中である。
「かなり歩いたが、ここは?」
「西に見える影は、古きカツラキの
「カツラキ……我らを裏切り、早くからヤマトの狗どもに媚びた奴らか」
エニーメは目をこらした。クニクルの姿はない。横道へそれたらしい。しかしオシカルはその匂いを覚えていた。
「なるほど、賢い猪だ」
と感心するエニーメ。イノメは得意そうだった。ようやく見つけたクニクルは、山の中腹の開けたあたり、寝静まった小さな村から出て来るところだった。
失敬したのか貰ったのか、古びた袋を担いでいる。そのまま山をおり、さらに南へとむかう。
またあとを付け出した二人。ふとエニーメは、胸のあたりに悪寒を感じた。
立ち止まって手をつっこむと、そこにはあの大きな翡翠の玉があった。
「どうした? 急ごう。どこへ向かうつもりだ……」
歩きかけたイノメが立ち止まり、怪訝そうにふりむく。
「なにゆえ、そんなに俺をにらむ」
「? 睨んでなどおらぬ。クニクルを見つめたが」
「誰かに見つめられていた。しかも悪しき心をもって」
と周囲を見回すが、無論誰もいない。獣も鳥すら。ともかく荷物をもったクニクルを追うことが先立った。
「あの村は?」
「おそらくヤマトのフトニの
その南は、低い山がせまり鬱蒼たる樹海が広がっている。密度の濃い森は南から東へと連なり、大きな半島を覆い隠している。
東はさらに険しい山となって、イガを越えてオハリなどへとつながる。
漆黒に近い森の中を一人行くクニクルはさすがに不安なのか、時々立ち止まり周囲を見回す。やがて小さな川を遡った谷の先に明かりを見つけたときは、泣き出しそうになった。
かなり歩いて疲れていたが、足は駆け出していた。
谷川のほとり、少し開けたあたりにその
仄かな明かりはその煙だしの穴からもれていた。
クニクルは袋を背負い、出入り口の筵をあけて中にはいった。蓑をかぶった異国風の老人は、火の番をしていた。顔をあげ、嬉しそうに言う。
「おお、クニクル」
「食べ物をもってきた。朝までには戻らねばならぬ」
その声に、一番奥の木製の台上で熊の毛皮をかぶって眠っていた少女が、眠そうに目をさました。
クニクルは粗末な袋をおろし、嬉しそうに実の妹に歩みよった。
「モモソ姫、かわりはないか」
「……またしばし、恐ろしい夢を見る。闇の中に、飲み込まれる夢」
「どうだクニクルよ。王はさぞや悲しみ、姫を探しておろう」
「
されどなにが起こるかはわからぬが、しばらくはここにて潜むしかない。恐ろしき事が、過ぎ去るまで。
このままでは姫が、悪しきなにものかに取り付かれ、命が危ない」
「まこと王の御心もわかる。国々を一つにまとめ
さもなくばもろもの国つ神、悪しき魂が騒ぎ立て……」
蓑をかぶり、白い髭をたらした老人はなにかに気づき、身構えた。出入り口の筵が動き、長身の女が顔をだす。老人はすわったままの姿勢で後ろに飛び、囲炉裏の炎を飛び越して兄妹のところへ着地した。
驚くエニーメを見て、さらに驚いたクニクルは立ち上がる。
「エ、エニーメ?」
エニーメに続き、イノメも入ってきた。十歳ばかりの可憐な少女を見つめ、息を呑んだ。
「きれいな子だね。これが神の妻たる乙女か」
「なにものなりや」
幼いが、しっかりした声だった。すらりとしたモモソ姫は立ち上がり、二人の闖入者を見据える。
「恐れないで。俺はエニーメ。この太いのはイノメ。俺はフトニ王にモモソ姫を探すように頼まれた」
「な……なにゆえここが判った」
「クニクル、あんたの怯えた目が、語っていた。嘘をついている、とね。
ゆえに宮を出るふりをして、あんたを追ってきたんだ」
エニーメは炎に近づき、可憐な姫の幼い顔を見つめた。
「こわがらなくてもいい。深いわけがありそうだね。
やはり、姫とクニクルがたばかったか」
「俺は……その、姫が」
「妾われが話す。兄は妾を助けたいがために、あえて父を裏切ったのだ」
「……父は、姫が恐ろしい夢を見ておびえていることを知る。
そのうえでまだ国々をまとめる大いなる巫女に、
このままでは姫は、何か恐ろしいことが起きて、夢の闇に飲み込まれる」
「夢の闇?」
「恐ろしい闇。やがてそれがこの世をほろぼすの」
歳のわりにしっかりとした聡明な少女は、炎をはさんでエニーメの目をまっすぐ見た。
切れ長の涼しげなまなざしは、高貴さと意思の強さを感じさせた。
物心付いたときから旅に生きていたエニーメは、様々な人と出会った。しかしこれほどの強い意志をもつ少女は、はじめてだった。この少女の秘める力こそが、時にいがみあう国々をまとめるのかも知れない。フトニ王はその悲願達成のために、自分の娘すら犠牲にしようとしているのか。
「みな、我が力を狙う。こんな力、もとめたものではないのに」
「父や人々をたばかり、ツチクモに罪をきせたのも、モモソを悪しき夢から救うためだ。いや、夢ではない。未だ来らざるまこと。姫はそれをあらかじめ見ることが出来る」
「……神奈奇女たるさだめか」
エニーメは悲しげな顔をして、踵をかえした。後ろにいたイノメが驚く。
「もういい。俺はこのまま去る。せいぜい隠れておれ」
とエニーメは筵を上げて出て行った。イノメに続いて兄妹も出てきた。クニクルは驚きつつ長身の背中に声をかける。
「父に、教えぬのか」
立ち止まったが振り向かない。
「ああ。しかしフトニの
あのマリネやカツラキ、誇り高きシキの者まで、王のまわりに纏まりつつある。そしていつか国々は、一つにならねばならぬ。戦いの無き世の為に………」
やっと右肩ごしにふりむいた。寂しげに微笑んでいる。
「神奈奇女として生まれたのも、神のいたずらか。つらいつとめだね」
蓑をかぶった老人もでてきた。そのとき突如、イノメがモモソ姫に飛びついた。姫も周囲の人間も、なにがおきたかわからない。エニーメが振り向くと、すでにイノメは小柄な少女を前に抱え込み、銅剣を抜いていた。
「イノメ、なにを!」
兄は驚倒して立ち尽くすだけである。なにが起きたかも理解していない。
「オシカ~ル!」
叫ぶと森の中から黒っぽい大猪が現れた。凝固していたクニクルは声も出せず、腰を抜かしてしまう。老人は思わず後ずさりして、身構えた。
しかし太い左腕で細い首を固められている少女は、やや苦しげではあるが冷静だった。
「イノメ、どう言うつもりだ」
「この乙女は貰っていく。ヤマトのものに、国々をまとめさせることはない。
いずれこいつらは宮に戻らん。その前に、まことにツチクモに渡してやってもいいかな」
「なにっ!」
「おっと。こちらには乙女がいる。お前さんの腕はよく知っている」
長い鉄剣を抜いて構えたが、さすがに人質をとられていてはどうしようもない。はじめからイノメは、モモソ姫を手にいれるつもりだったか。大猪は鼻息も荒く、主人、いや友人に近づいた。イノメは左手で少女を吊り上げると大猪の背中にのせた。
「おっと、逃げるなよ。このオシカルの牙はするどいぞ」
その時、見守っていた老人は突如蓑を脱ぎ捨てた。そして背中から灰色の大きな羽を広げ、一度大きく羽ばたいて飛び上がる。
「な、なに?」
目の前にしたイノメは、凍りついた。長い刀を構えたまま、エニーメも唖然とする。
鳥老人はすぐに急降下、呆然とするイノメの豊かな胸に、両足を叩きつける。
イノメは銅剣を飛ばし、後方に飛んでひっくり返る。しかし女の肉体は想像以上に丈夫だった。
蹴りをいれた鳥老人も反動で体勢を崩し、斜めに落ちてしまった。
「ハヤクマワシっ!」
と驚いて駆け寄ったのは、クニクルだった。老人は左足を痛めながらも立ち上がった。
「と、歳はとりたくないな。いやそれよりも姫を!」
エニーメが正気に戻って見回すと、イノメが痛そうに起き上がるところだった。その数歩横には、ややぐったりとした姫を背中にのせた大猪が控えている。
「痛たたたたっ。オシカルっ、そいつを逃がすな!」
しかし次の瞬間、皆が驚くような光景か見られた。低くいなないた大猪はゆっくりと歩み、モモソ姫の兄と、湯人たる鳥老人ハヤクマワシがいるあたりで止まった。
あわてて駆け寄ったクニクルが、妹を下ろそうとする。
「
「オ、オシカル。なにゆえ」
イノメは呆然としている。大猪は体ごとふりむき低く悲しげに鼻を鳴らした。
「……そんな。これは、間違ったことなのか。俺の為したことは」
イノメはその場に、腰をおとしてしまう。エニーメも背中に刀をおさめた。
「どうやら、猪のほうが物分りがいいようだな」
「イノメと申したな。俺はハヤクマワシ。
西の方、ツクシに住まう飛ぶ
かくて家も親も失い、俺一人でやっとここ東の方に流れ着いた。死にかけた俺を山で救うてくれたのは、まだ若きフトニの
すこしぐったりしていたモモソ姫は、それでも自分の足で立っていた。やや気の毒そうに、気落ちしたイノメを見つめている。
「俺のような羽の生えた者など、恐ろしがられてなぶり殺しにされてもおかしくない。しかし若きフトニ尊は薬草で癒し、食べ物までくれた。
その王の娘をかどわかすとは心苦しいが、これも姫のためか」
エニーメは、呆然としている女に近づいた。
「イノメ。仇に報いるのはたやすい。しかし仇は仇を、憎しみはまた新たな憎しみを生む。俺は叔母や部族の仇をうつことなく、国々をまとめて戦いを無くす道を選んだ」
悲しげにうなだれているイノメに、大猪が近寄る。ひくく鼻をならし、その大きな頭をすりよせた。イノメは悲しげに微笑み、その太い首を撫でた。
「判ったよ。お前の言うとおりだ……」
太めの女武者は一筋涙をこぼした。意外に純情そうである。エニーメは安堵しつつ、微笑んだ。
黒い森の中をすすむ一団があった。その数は十人足らず。小川や道を通らず、極力人目を避けて尾根などをすすむ。
みな、漆を塗った木製の胴あてなどつけているが、衣も袴もなめした革である。ある者は毛皮の外套をはおり、また髪は一様に汚れて長い。顔には刺青をいれている。彼らを導く男は、長い杖をつきつつ、少しあえいでいる。
「この先だ。奴らは小川をさかのぼりし岸の高台に、室を掘っている」
「さすが、マイクメの
「ウカシコよ、これで次の長はあなたかも知れぬ」
「……オーエカシはなかなか頑なだが」
しばらく行くと、マイクメは立ち止まった。森のむこうにぼんやりと、なだらかな山影が横たわっている。
「あれこそ、我が遠津目に映りし山。目指す姫は近い」
不敵な面構えのウカシコは、嬉しそうに言う。
「そのモモソ姫とやらがまことに神奈奇女ならば、もう美しきムイグルが、
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