巻第三

 東の果に連なる山々が、青みがかった空にくっきりと影となっている。夜明けが近い。人々は夜明け前に活動をはじめ、日が暮れるとねぐらにこもる。

「そろそろ明るい。発つとしよう」

 エニーメはおきだした。最高神である太陽が、人々の活動を支配していた。

 こぶりだが清潔な室むろの前で顔や手足を洗い、身支度をしていると、たらした筵のむこうから声がかかる。

「エニーメ」

 革の袖無し外套をはおり、筵を開けた。王の子供、クニクルだった。

「もう行くのか」

「汝の妹のためだ。探し出せるかは判らぬが、カンナクシメを探してみる」

「父よりの贈り物だ」

 と蔓を編んだ丈夫そうな袋をわたす。なかはヒスイの玉、ガラス質の勾玉とさらに倭文布しずりで出来た小さな袋もある。

 そのなかは、米を一度蒸してからあぶって乾かした、携帯食料だった。先払いの報酬にしては、豪華すぎる。無礼のわびもはいっていよう。

「こんなにか。やはりなかなか豊かな国だな」

 と長い剣を背負い、外へ出た。宿舎としてあてがわれていた室屋は、土を掘り込んで柱一本で支えた昔ながらのものだった。簡単な構造だが丈夫で、夏は涼しく冬は暖かい。

 宮の内部もかなり明るくなり、人々は活動をはじめている。冬は収穫も少なく、道具をつくり機を織り、川魚をとることなどが主たる仕事だった。

 秋までにためこんだ保存食料、作りためた布などを市で交換することもする。

 作業の準備をする女たちも、見慣れぬ格好の大柄な女戦士を珍しそうに見つめた。しかし王子が付き添っていて、誰もあやしまない。

 エニーメとクニクルは土塁と環濠で囲まれた宮の南端、夜通し火をたいて兵が守る門を出た。

 太い門柱に取り付けられた頑丈な木戸は、夜明け前にあけられる。ちょうどその片側が開かれていた。兵士はクニクルを見ると、槍をたてて頭を下げる。

 クニクルは不安げな表情のまま、橋をわたって南へむかう道まで見送った。

 その先は鬱蒼たる森に通じており、さらに南のカツラキや東のミワ、マキムクへと道が続く。

「エニーメ、まことモモソを見つけて連れ戻すつもりか」

「いけないか。おまえの妹だろう。あまり悲しくはなさそうだな。

 まこと……探し出してもいいのだな」

「……連れ戻されても、また神に仕えるだけだ。モモソは嫁ぐこともかなわず、神に身も心も捧げねばならない。そう定められている。

 それになにやら、恐ろしいことに巻き込まれそうだとも言うていた」

「いずこもかわらぬカンナクシメの定めとは言え、辛くあわれなものだ。神はなにゆえ、そんな乙女をこの世に作られたのかしら。

 きっと、神の声を聞かせる為のみ、ではなかろう」

「どうして、モモソ姫を見つけられるのか」

「わからない。でも近づけば、なんとか判る」

「え? それはどう言うことだ」

 エニーメは意味ありげに微笑んだ。

「俺にはなんとなく感じることができる。しかし近づくことがむつすしい」

 真顔になって、軽く頭を下げる。

「汝が父、彦フトニの命みことによろしく」

 きびすをかえし、朝風に革の外套を靡かせて歩いていく。ようやく東の山端から、朝日が昇り始めた。太陽はどの地でも、神としてあがめられている。

 宮のはずれ、小さな雑木林の中に潜む影が三つ。クニクルから離れていく長身の女戦士を見つめている。マリネは咥えていた長い草を吐き出して、命じる。

「よいな、さとられるな。なにかあれば天の羽々矢はばやを使え」


 あとをつけられていることなど知らず、エニーメは西へとむかう。

 情報を仕入れるには、ともかく市へでも出るしかなかった。文字というものも伝わってはいるが、ごく一部の王や物知りしか使えない。噂話こそが、唯一の情報源だった。

 朝日が昇りきった頃、自然にできた道の傍らに煙が見えた。近づくと、みすぼらしい老人が腰を下ろしている。

 エニーメは立ち止まって声をかけた。老人は胡散臭そうに答える。

「……ツチクモか。近頃ではあまり聞かぬな」

 道端で火をたいている老人は、清水を土器で沸かして湯にして商っている。

 むろん物々交換である。エニーメは布の小袋に入った干飯を、三分の一ほどを与えた。

「こ、こんなに」

「ツチクモがこの頃、ここ内つ淡海の周りの山々に現れているか」

「いや、まことそのような話は全く聞かぬ。ツチクモが田作るものどもに敗れ、遥か東へ去ったのは古き世のことだ。

 この頃では、もうイガの山々にすら住まわぬと聞く。

 ただ東の市に、あずまの方の珍しき青い石などが、今も出回る」

「東の市。マキムクか?」

「しかり。マキムクの大市おおち。北の大き淡海を越えツヌガ、その先のコシから、西はキビから東はアズマまで、遠き国々の様々なものがあつまる。

 ツチクモと言うても、木の実を集め山に狩し海にすなどりて生きていたのは、昔のこと。今は山田も作れば、市でものを売りもする」

「ならばやはり、大市にて商うためにマキムク辺りにはあらわれぬか」

「さて、俺はこのあたりに長くすまうが、ツチクモが現れたとはついぞ聞かぬ。

 古き昔、イノハフリやニーキトベら女王ひめきみが統べし頃とは違い、今は水沼みぬまや葦原はつぎつぎと田にかわっていく。

 奴らが狩るべき獣ももう少ない、ツチクモが現れる理由ゆえはなかろう」

 エニーメは少し、表情を硬くした。

 イノハフリ、ニーキトベ。いずれもかつて湖水周辺で宗教的な国邑を統治していた巫女王である。クニとは言っても、大きな村程度の大きさで、ほとんどが血縁者だった。

 かつてはその他ソホのはふり、ヤソタケルなどと言う諸王が、緊張感をはらみつつも平和共存を長く続けていた。

 国邑もまだ小さく、協力しなければ生きられなかった。

 その頃であれば稲作民と狩猟民も交流し、ツチクモの同族なども、特に闘う必要もなかった。

 交易も盛んで、聖なるミワ山の麓には、大きな交易市も開かれていた。

「ともかくツチクモの足跡をたどりたければ、マキムクへむかえ」


 真城まきとも神域ミワとも呼ばれる聖なる山には、偉大なる雷神が住むとも、白く大きな蛇神とも伝えられている。御山は、人々が田を耕す米を作ることを知るはるか以前から、あがめられてきた。

 さして高くはないが秀麗な神奈備は、遠くからでも目立つ。この山は、少し離れたカグヤマとともに偉大なる大地霊「大国魂おおくにたま」宿る神聖至高所なのである。その聖なる山の麓、聖なる森のはずれに、古い時代から大きな市が出来ていた。

 ここマキムクの大市からは東西南北へと道が通じる上、何筋もの川がながれている。自然に人が集まり、物資が集まる。そして最大の「商品」たる情報も。

「さすがに、人が多いな」

 目立つ大柄な女戦士は、小屋がけや、莚をしいただけの店などを見て回った。噂話は旅の商人、老人などがくわしい。

 何人かに声をかけたが、やはりツチクモ族については知らないという。

 市の広場に面した木陰に、一人の老婆が店を開いていた。革であんだ衣服、その彫りの深い顔。東方の狩猟民らしい。東の情勢に詳しそうだ。

 エニーメは小さな翡翠の勾玉を、老婆にわたした。

「こ、これはまたいいものだね。この店の半分はもっていっていいよ」

「そんなに持てない。ともかく腹ごしらえさせて。

 あと干飯かれいいやあれば干物も欲しいな」

 エニーメも切り株に腰を下ろした。朝食前にイオト宮を出ていてかなりすいている。

 赤米を煮たものを、小さな土器にいれてわたされた。他にも、塩味のきいた猪肉をあぶったもの、川魚の干物などもある。

 老婆は隣の店から、携帯用の食料を仕入れてきた。木の実をすりつぶし、卵などで練って焼いたものだ。狩猟民がよく作っているが、なかなか美味だった。

「……ツチクモねえ。懐かしい名前だよ」

 老婆もさきほどの老人と同じように、首をかしげる。東海から出てきて何年にもなる。

 最近も東の海に面したオワリを通ったが、ツチクモの影はなかった。

「ただ、ツチクモも数が少なくなり、しだいに焦ると聞く。田作るものに追い詰められ、その数もひどく減ったでな」

 ふとエニーメは視線を感じた。広場の反対側では、火をたいて人々が暖をとっている。その中の一人、鷲かなにかの大型鳥の羽をつづり合わせた衣をきて、長い杖をついた汚らしい中年男がこちらを見つめている。

 乱れた髪の下で光る、大きな目が特徴的だ。

「ミワの尊き山の南を通り、日の登る方にむかう路がある」

 老婆の言葉に気をとられ再び顔を上げたときに、あの奇怪な視線はなかった。

「東の山を越えてイガへ、さらにはオハリの海つ路みちにつながる。

 オワリは、かつてカツラキの神をあおぐものどもが切り開いた土地だ」

「その道は知る。オハリには立ち寄ったことがある」

「そうか、ツチクモはそのオハリの北に迫る、木々の生い茂る高き山々に潜み暮らす。ミノのさらに北はヒダなどと呼ばれ、むかしより里人のあまり立ち入らぬあたり。火を噴く山や、湯のわく谷もある。

 しかるに田作る者どもはしきりに、森を荒らし木々を倒し、銅を吹いている。

 ツチクモは戦を求めぬが、追い詰められれば怒り狂うであろう」


 腹ごしらえをすまし、少し増えた荷物をもつと、エニーメは東へとむかいはじめた。健脚の彼女でも、日があるうちにイガを越えられるか判らない。

 幸い、冬とはいえおだやかな一日で、山道も凍っていなかった。東西に流れる川に沿い、人々が行きかっている。ときおり休みつつエニーメは考えた。

「おかしい。ツチクモの気配は、やはりまだここまでも伸びていない。

 なにゆえ、乙女を連れ去るのかもわからない」

 地霊隈つちくも族にも「依り代」としての審神者さにわ大祝おおはふりくらいいよう。いや神の声を聞き大地や森の意思を知るすべは、彼ら狩猟民族こそが得意としているはずだ。

「わざわざ内つ淡海まで出て、幼いカンナクシメをさらうのだろうか」


 かなり東へとすすんだ。日がくれる頃、漠然とイガと呼ばれている山国の中心付近にいた。もう川は、東へと流れている。

 山の日暮れは早い。そろそろ野宿の場所を探さなくてはならない。この天気では幸い、雨はふるまい。

 しかし、夜風をさけるところはいる。岩のくぼみ、時には道行くものが自由に小屋などもある。または巨木の根元も、風除けになる。

 エニーメは道からはなれ、やや山の斜面をあがった。長い旅の経験から、どの辺りが野宿に相応しい地形か、わかる。

 しばらく林の中をすすむと、前方に明かりが見え隠れする。

むらか?」

 村といっても、旅人や流れ者を気軽に迎え入れてくれるところばかりではない。排他的でよそ者を受け入れないならともかく、よそ者から身包み剥ぐ邑とてあるのだ。

 エニーメは慎重に明かりに近づく。そこは道からも川からも離れた森の中で、少しくぼ地になっている。めったに人がかよわぬ所だ。木々に守られた、十室もない小さな村である。灯りは、その中心からもれていた。

「ここは、田作りの邑ではないな」

 緊張をややといて、エニーメは近づいた。あまり記憶はないが、生まれ育った祖国を思い出した。国とは言っても、実質的には部族だけの湖畔の集落だった。

 日が暮れきったわけでもないのに、人影はない。ただ小さく火だけがたかれ、その周囲に食べ物を温めているのか、大きな土器が五つ並べられている。

 いずれも複雑で精巧な装飾を持つ、古い形式のものだった。

 嫌な予感がして、エニーメはあたりを伺った。その時、背後に動きを感じた。

「きぇぇぇぇぇぇっ!」

 粗末な身なりの男が、両刃剣を大上段に構えて斬りかかってきた。とっさにかわしたエニーメの前で、体臭の強い男は転んだ。

「まて、敵ではない」

 しかし別の方角から、今度は中年の女が槍をついて突進してきた。かわしぎわに槍の先をつかんだ。黒光りする石を磨いたものだった。

 槍を軽くひねると、女も横に飛び倒れる。

「うおおおおおおつ!」

 泥をぬった室屋から、二人ほど飛び出してきた。いずれも髭面で浅黒く、なにかの皮をなめさずに衣に仕立てている。

 エニーメは奪い取った槍を構えた。一人は石を磨いた重い剣。一人は古風な銅剣だった。

 エニーメは右左に槍をふり、石剣と銅剣を叩き落とした。すぐに振り向き、背後に迫った三人に槍をかまえる。三人は凍りついた。

 しかし長身の女戦士は、槍を立てた。攻撃しないと言う意思表示である。

「俺は敵ではない。旅のものだ」

 山の住人は通常、平地のものを警戒する。無理もなかった。

「手向かうつもりはない。太刀を納めよ」

「なるほど、敵ではなさそうだな」

 ふりむくと、大きな杖をつきつつ、小柄な老婆が立っていた。頭になにかの骨でできたかんざしを挿している。目の周りに、赤い刺青をしていた。

「………見れば、シキやヤマトの者とも思えず、なにものか」

「俺はエニーメ。田作る者ではない」

 確かにその顔立ちは立体的で目も大きい、西からわたってきた連中の仲間ではなさそうだ。長髪でひげだらけの男たちは、警戒しつつ剣をおさめた。

「食べ物はある。一夜、泊めて欲しい。いろいろと聞きたいこともある」

 長老らしい老婆の顔を、皆は不安げに見つめる。老婆はゆっくりと近づき、その目を見つめた。

「ふむ。あだなす心はないし、嘘もついてはおらぬ」

 頭を下げた。疑って襲ったことを、わびたのである。


 エニーメは聖なる炎の前に席を与えられた。村人はそろっての夕食の準備中だったが、よそ者の接近を知って隠れていたのだ。

 たちまち三十人ほどの村人があらわれた。老人と子供が少ない。いずれも背は低いが、がっしりとした狩猟民である。

 少し怖そうに、見慣れぬ女を取り囲む。あたためていたのは薬草や木の実をいれた粥のようなものと、湯だった。

 多少は干し魚もあったが、冬の山中、食料は乏しいらしい。

「これを」

 とエニーメはやや大きめの麻袋を老婆にわたした。

「宿を借りるかわりだ」

 中は、市で求めた赤い米である。邑の者たちの目つきがかわった。米などしばらく口にしていまい。たちまち湯にいれて粥をつくりだした。

「米はひさしぶりだ。われらも元は米など食わなかった。しかしひとたびこの味を知ると、恋しくなる。恐ろしきものだ」

 と、がっしりとした狩人の一人が言う。

 皆の腹も満ち、親しくなったころに、エニーメは問うた。

「このところ、マキムクの辺りまでツチクモが来ている。そんな噂がある。

 この辺りで古き狩人を、見かけることはないか」

 ツチクモと聞き、老婆や他のものの表情は険しくなる。

「………なにゆえ、ツチクモを求める」

 山の一帯ではもっとも歳をとり、ゆえにもっとも物知り、事情通である老婆は聞く。

「東に住むヤマトの部族が、北の方、淡海のほとりに宮を移した」

「それは聞き及ぶ。船にて遠くキビまで行き来していると言う」

「そのヤマトのフトニ王の娘、神女奇女カたるモモソ姫がさらわれた。

 ヤマトの者どもは、ツチクモの仕業と思い込み探している」

「モモソ姫……わざわざツチクモがさらうほど、強いカンナクシメか」

「そうらしい。俺は知らぬが、ヤマトの者たちはあわて騒ぐ。遠く先の世を見通し、神の御心みこころを知る、まことくすしき巫女らしい」

「しかしまことツチクモなのか。ツチグモが乙女をさらうのか。そのような巫女がいることなど、我らとて知らぬが」

 何度も中つ国々周辺を旅していたエニーメすら、知らなかった。ましてマキムクの東、イガの山々で噂が伝わっているはずはない。

 さらに東、ミノやヒダの深い森の中に潜むツチクモ族が、モモソ姫の能力を聞きつけ、なんのためにはるばる誘拐しに行ったのであろうか。

 それほどの能力を秘めた巫女、神の娘である。ヤマトやカツラキの部族は、その存在を必死で隠し続けたはずだ。

 食べているうちに、周囲が冷たく濃い闇につつまれていく。

 鳥の声が夜空高く響く。何人かが見上げた。空を大きな鳥の影が行く。しかしあれは確かに鳶かなにかだ。エニーメはふと尋ねた。

「あれは、ここらの鳥か」

「知らぬ。鳥の顔まで覚えておらぬ。鳥には国も領域しまもない。空を好きに飛び回る」

 老婆は言う。エニーメはなにか不吉な予感がした。


 闇につつまれた森の中に潜む影。高台から見下ろす視線がいくつもあった。

 視線の先には、小さな火が見えている。影が二つ、村のほうから音もなく上ってきた。

「猛マリネ」

 影の一つに呼ばれて、巨木にもたれて干した飯をかじっていたモノノベの戦士長が顔をだした。

「あの村は、ツチクモではない。古き狩人どもだ」

「……エニーメは泊まるのだな。狩人か。田作る我らを恨んでいような」

「いかがいたす」

「さらに闇をまて。もろともに捕らえ、必ずや姫のいどころを問いただす」


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