巻第二

 神女奇女かんなくしめとは、単なる巫女や審神者さにわではない。

 ただ神の声を聞き、怒りを鎮めるだけではない。時に神の「依りよりしろ」となって、神の現実態が依りつく。

 そしてしばし神そのものが奇女を通して実体化する、人と神の中間的な存在だと言う。

 カンナクシメと聞き、エニーメの表情はあからさまにかわった。

 かすかに怯えたようなクニクルに顔を近づけて、ゆっくりと聞く。

「……詳しく聞きたいな。役立てるかどうか判らないけど」

「な、なにか知っているのか、汝が。何故……」

 少年は父の顔を不安そうに見る。ヒコ・フトニ王はさらに語りだした。

「言うた如くわが娘モモソ、このクニクルの妹が消えうせた。ツチクモらしき黒い影にさらわれたのだ」

 モモソ姫はまだ十年と少ししか生きていない。しかし聡明で、その歳には珍しいほど落ち着いている、とても美しい少女だと言う。

 そしてなによりも物心ついた頃から、不思議な力を見せ始めた。大きな地震の直前に不安がったり、人の死後その声を聞いたりしたという。

 こうして去年、「ふとまに」のうらないの結果、彼らカツラキ山麓に住まうヤマト部族等の偉大なる司祭、神の妻たる聖なる巫女として選ばれた。

 そしてその期待以上に、モモソ姫は能力をしめしたと言う。

 立ったまま旅の女戦士は、驚きもせずに呟くように言った。

「やはりいましらにも、ヤマトの田造たつくりやからにもカンナクシメがいたのか」

 かれらヤマトの部族は、前の時代に西の果てからやってきた侵入者の末裔である。初期にはカツラキ山のふもとで周辺諸部族との協調のもと、慎重に拡大をはかっていた。

 しかしモモソ姫の能力を得てから、情況はかわった。周辺の諸部族がモモソ姫から神の声を得るに、進んでだしたのである。

 かつてはよそ者、新参者と見られていたヤマト部族を中心に、シキ、カモと言った地元の古い部族、ついには有力なモノノベ技術氏族までが、結集しはじめていた。

 霊力モノを扱い利器ものを作るモノノベの先祖も、また古い時代に西の果てから渡来していた。

 彼等ヤマト族ははじめ聖なる山のふもと、小高い丘をアキツシマと呼び、そこを拠点としていた。また西方の農業技術、製鉄技術をもって栄えていた。

 その拠点を出て、湖沼や川を通じて外部と行き来できるここイオトに宮を移したのは、このフトニ王だった。

 妻を早くに亡くしている。王は湯人や乳母とともに子供たちを育てあげた。娘にそのような能力があることは、幼い頃からわかっていたらしい。

「神の声を聞き来るべき日々を見ることは、娘にとりて辛き務めだったろう」

 モモソ姫は数日前、いつものように夜通し神に祈り続けていた。十歳かそこらの少女には危険だったが、姫が望んだのである。

 そして突如、恐ろしい予感がすると言いだした。さらにごく将来おこるかも知れない、極めておぞましい光景を見てしまったのだ。

「大きく底知れぬ闇が口をひらき、そこから禍々しきものがはいのぼり、この世を闇につつもうとする。姫はおびえ、そう申していた。

 あまりの恐ろしさに気を失い、しばらくは神の声を聞くこともかなわず、少し離れた『なりどころ』で休ませていたのだ。それが仇となった」

「俺が、-守っていたのに」

 とクニクルは言った。しかしさほど悲しそうでも、悔しそうでもない。

 この宮から南へ下がったあたりはもう森が迫っている。カツラキの山々まで達する原生林である。

 そのなかの「聖域」に、宮の別業なりどころが密かにあった。

 その「なりどころ」は、聖女のためにもうけられた特別の高殿と、付属するいくつかの室屋、倉庫からなる。周囲は鬱蒼たる森で、静かな環境である。

 昨夜中、つきそって眠っていたクニクルが言った。なにか気配がする、と。

 ちょうどその頃、別業を守っていた数人の兵士の間で、ちょっとした騒ぎがあった。月がでていたが、その不気味に大きな月を、巨大な影が何度もよぎったのだ。

 それは、大きな羽を広げた鳥だった。しかしその体つきは、人間に似ている。

 聞いていたエニーナは言った。

「人の形をした鳥?」

兵士つわもの三人もたり、湯人二人が見ておる。人ほどの大きさで、羽が生えていたらしい。

 夜のことで影しか見えず。それが裏手の森に降りた。兵たちは驚いて、森へと走った」

 その間のことが曖昧である。妹につきそって寝ていたクニクルも、動揺していたらしい。

「姫は高殿から出たいと申した。なにか危ういことが迫りくる、と。

 だから俺もともに、階段きざはしを降りた」

 兵士はいない。湯人は老女たちで、恐れおののいて室から出ない。クニクルは、何かにおびえたかのように、突如森の反対側へと走り出した妹を追った。

 驚いた湯人の一人もでてきた。

 しかし森がつきるあたりで、突如あらわれた黒い影が、姫をさらっていったのだという。

 聞いていたエニーメの表情が、微妙にくもる。

「カンナ……クシメ」

 脳裏に一つの顔が浮かぶ。幼く美しく、そして悲しげな表情。おのれの運命に逆らえず、ついには命を落とした少女。

 クニクルはまた視線を泳がせる。エニーメは言う。

「……そう言えば西のかた、ツクシなどと呼ばれる島には、羽の生えた人がいると聞いたことがある。クマワシ、とかいう種族うからだ」

 クニクルは少し驚いたような顔を見せた。

「それだ。それに違いない!」

「あのクマワシか。しかしまさかこの地に」

 フトニ王はなにか思い当たるらしく、腕を組む。

「確かに西の果、クマワシの部族がおる。しかしツチクモとともに姫を襲うはずはない。我が知るクマワシなら、むしろ姫を守りこそすれ」

フトニ王の妙な表情を、エニーメはいぶかしむ。

きみよ、心当たりがあるの?」

「いや……まずありえぬ。あれが姫をなど。クマワシは戦いを好まぬ。

 それよりもツチクモだ。旅の者よ、まことにツチクモがこの辺りまで出てきているのであろうか。かくあらば、なにゆえ我が娘をさらったのだ」

「……あの地霊隈つちくもが内つ淡海の、しかもこんなに西まで?」


 かつてこの森深き島国は、狩猟民や漁労民の天下だった。米作りこそなかったが、一部では畑作も行われ、山や川や海の恵みは豊かで、争い諍いもほとんどなかった。

 中でもツチクモと呼ばれる狩猟専門の部族は勇猛果敢で、深山幽谷の果てまでを自由に闊歩し、森の獣すらあやつって暮らしていたと言う。

 しかし農耕を伝えた民が増え、しだいに彼らの住む森を荒らし、東へと追い立てた。武勇の狩猟民は、まだ「戦争」と言うものを知らなかった。

 そこへ組織化され訓練された農耕民が、巧みに彼らを駆逐したのである。

「ツチクモたちはもともと山に住まい山に、争いごとも知らずに暮らしてきた。

 あなたたち田作る民が森や山を荒らし、あのものたちを追い立てた。古き代に、東の高き山々の果てに逃げたと聞いたが。

 このあたりもまた古くは、ツチクモなど山に住まうものたち、湖水にすなどる者たちの邑ばかりだった。我が村もそんな一つだった」

「フン。そのような古く愚かしきふるまいで日々生きておれば、強きものに敗れ、滅びるか山奥に去るしかないのだ。それが神の御心だ」

 立派な鉄剣を吊るマリネは、狩猟民族を見下したように言う。

 彼は高度技術を誇る軍事氏族の代表らしい。農耕を主とする部族は、何かにつき先住の狩人を侮辱する。

 エニーメは暗い怒りを表情に出さず、続けた。

「しかしマキムクの大市おおいちの辺りまで、ツチクモが現れたと言う話はきかぬな。

 東のはて、オハリのさらに北、森深き山々に今も潜むとは聞くが」

 古い時代から、ツチクモは主として東の山に住んでいた。この一帯の山はさほど高くなく、獣も多くはない。

 一方東の山々は木の実も多く、小動物から大型獣まで多い。しかし最近では「田作る民」がしばし森をおかし、獣をおいたてるためにか森を焼く。

「東にてもツチクモと田作る民は、ここしばらく戦うこともなかったはずだ。

 わざわざここ中つ国々まで出てきて、幼いカンナクシメを奪うとは考えられないね。まことツチクモなのか……」

 フトニ王は不思議そうに、旅の女戦士を見つめる。

「汝は、この内つ淡海のほとりで生まれたと言うたが、邑の名は?」

「……忘れた。いや、幼き日に父が殺され、俺は母たちに連れられて逃げた。

 幼き頃のことは、覚えていない。思い出したくもない」

 マリネはまた見下すように問う。

「古き村を訪ねた帰り、腹がすき干物を盗んだと申したそうだな。どの辺りか」

「……ソホの国、ハタの丘岬の近く」

「ソホ?」

「もう、その名も覚えてもいないのね」

 しかしフトニはその名に、僅かに聞き覚えがあった。

「古き世に、滅ぼされたはず。我が父あたりが……」

「噂に名高きヤマトの彦、フトニのきみよ。なにゆえ、かくも海のほとりまで宮をすすめるの。

 カツラキの山の東の豊かな地が、あなたたちのアキツシマの国のはず」

「確かに我らはもと、カツラキやカモの部族うからなどと力をあわせ、カツラキや高天山たかまがやまふもとの沼を開き、稲を植え続けてきた。ゆえにいまや我らはかく豊かになった。

 されどいまだ内つ淡海あわうみをめぐる小さき国、邑などは互いに結ばれてはいない。諍いも多く、時には戦いすらおこる。いつかミワやシキの部族とも友好よしみを深め、皆がまとまらねばならぬ。

 この地ならば川をさかのぼり東へも南へもいける。

 内つ淡海あわうみはカワウチの大き淡海、そしてチヌの海から八十島やそしまの瀬戸へと出られる。

 ここならば、山や森をへだてた国々とも、誼をむすべるのだ」

 その分、防衛力は低下する。闇夜に船で進入されれば、ひとたまりもない。

「我らモノノベもまた、国々を一つにまとめんと、力をあわせる」

 マリネと言う血気盛んな壮年の戦士は、特に「猛々しい」と言う形容詞を冠されて「タケマリネ」と呼ばれることを誇りにしている。

 自分よりやや低いこの戦意のかたまりを、エニーメは冷ややかに見つめる。

「モノノベの一族も、近頃は内つ淡海のあちこちに新たな村を築いている、と聞くが」

「それがどうした」

 この一族はその高い技術力、戦闘能力であちこちに殖民邑をつくっていた。

 同じ太陽神を仰ぐ同族も多い。しかし各地のモノノベ系部族は、一枚岩とはいえない。

 エニーメはやりきれないような表情で、佇んでいる。フトニ王もマリネも、気まずい雰囲気の中で、どう事態を収拾しようかと目配せを交わしあった。

 耐え切れなくなって切り出したのは、少年クニクル王子だった。

「父よ、モモソ姫は疲れ、悪しき夢に悩み恐れていた。

 もし取り戻せば、また巫女として担ぎ上げるのか」

「……クニクルよ。いまや国々は一つにまとまらねばならぬ。

 西のはて、チクシにては大いなる国が滅び、海の果ては戦がたえぬ。カツラキもミワもトオチも我がヤマトも、いがみ続けてはともに滅ぶしかない。

 今やしがらみも恨みも捨て、一つとならざるべからず。

 その為には、いと惨きことなれどモモソ姫の力が要る」

 実の父は少し苦しげに、子に語って聞かせる。それが彼女の運命だった。

「吾ら、モノノベもモモソ姫の神の心を知る力をたよりに、かく力を合わせる」

 エニーメは表情を険しくした。顔は冷酷に微笑んでいるようにも見える。そのまま、豪華な衣装のタケマリネを正面から見据えた。

 マリネがややたじろぐほどの迫力である。彫の深い顔は美しく整っている。

「モノノベの者よ。汝ら日のもとクサカにて日神を祭るものども、古き世はあかがねぬてを吹いていたが、ちかごろでは昔ながらの祭を捨て、剣や鏡を尊んでいると聞く。古き神の祭を捨て、力にて国々をまとめ、中洲うちつくにを統べんとするのか」

「お、おのれ、なにを言うかっ!」

 鉄拳の柄に手をかけた。怒りと恐れが、顔を紅潮させる。

「おのれこそ、おおかたツチクモかキビ辺りの間諜うかみであろう」

「いや、マリネ。この女は、敵ではない」

「し、しかし……」

 フトニ王は、エニーメに近づき、背負った長い剣を見つめた。

「長き剣であるな。見せてはくれぬか」

 一瞬静かに驚いた女戦士は、少し微笑んだ。王を見据えたまま右手を背後に回し、銀色に輝く両刃の剣を引き抜いた。

「剣の良さが、おわかりのようだな」

 皆が驚くなか、フトニ王は長い剣を受けた。

「……くろがねの剣か。しかも古いものだ。ただごとならぬ輝きがある」

「古くから伝えられてきた、流れつつを鍛えて作る」

「流れ星?」

 即ち隕鉄である。ヤマトの部族は西から鉄の技術が伝えた。しかし国内での鉄の精錬はまだ難しい。また肝心の砂鉄が少ない。鋭い鉄剣は貴重品だった。

 しかも海のむこうから交易で手にいれる質のいい鉄素材は極めて高価で、西方のツクシなどではともかく、東の国々では滅多に手にはいるものではなかった。

「しかも長い。よく鍛えた剣だ」

 王は心底感心し、やがてそれを持ち主にかえした。

「エニーメよ、さぞやあちこちを歩き様々なものを見聞きしたろう。ツチクモなどについても詳しいようだ。間違えたことは詫びよう、聞かせてくれぬか。

 わずかな手がかりでも今は欲しい。力を貸してくれ」

「き、きみよ、このようなどこの誰ともわからぬ女に、なにができよう」

「よさぬかマリネ。姫が身を失せておるのだぞ。

 捜す者は多いほうがよい。モモソ姫は前から、恐ろしい夢に苦しめられた。なにかまがまがしきことが起こる前触れに違いない。

 翼をもつ謎の者、くわえてツチクモの影。総てはわからぬことばかり。

 このように、国々をわたり歩き、様々なことを見聞きした者こそ頼もしい。

 それとも猛たけマリネよ、汝ら霊威之辺モノノベの族うからだけで、まことに我がモモソ姫を生きたまま、探し出してくれるのか」

「そ、それは……」

 どうせ褒美目当てだろう。そんな目で忌々しそうに、エニーメを見つめる。

 フトニ王は軽く頭をさげ、頼んだ。

「頼む。わがいつくしき愛娘。なにとぞ傷もなく、見つけ出したい」

 エニーメは少し寂しげにほほえむ。

「かならずや、とは言い切れない。でも相手が神奈奇女かんなくしめなら、どうにかたどりつけるかもしれないな。

 なんせあの日知ひじりの乙女は……。

 でもどうせ戻れても、つらいつとめが待っているのね」

「つれ戻せぬときは、いかがする」

 とまたもマリネはつめよる。

「よせ、マリネ」

 とどめた戦士は、まだ若い葛城のタルミである。髪を肩まで垂らしている。

「みなが手を携え、モモソ姫を探さねばならぬときに、汝らモノノベの軍はいつも先走る。こたびこそは、かならず、皆とともに歩め」

 少しいかった顔のマリネは、ひきさがった。王には忠実らしい。

「探すのはいいけど、その前になにか食べさせて欲しい。

 いきなり捕らえられ、ここにひきたてられたから」

「よかろう。ほどなく日も落ちる。今宵は宿も与え、夕餉もあたえん」

「ありがたいわ。夜明け前には出よう、乙女を探しに」

 痩せた哲人的風貌を持つ王は、さっそく高杯にもった木の実や干物を出させ、宮の一角に宿を整えるように命じた。旅の女戦士は手でむさぼり食べた。

 マリネはなにもいわなかったが、やや忌々しそうだ。そしてクニクルは不安げで、どこかおどおどしていた。


 深い森はどこまでも続く。山を越えればまた山である。針葉樹と広葉樹がまじるが、冬でも山が枯れることはない。しかし木の実は少なく、動物もいなくなる。昼だと言うのに天は暗い。

 雨こそふらないが、時折黒い雲が光り雷鳴がとどろく。

 薄暗い森を黙々と行く一団は、三十人あまり。前後には斥候、後衛も配している武装集団だった。皆、熊や猪の毛皮をまいている。

 中には木綿の筒袖をきているものもいるが、多くはなめし皮で衣や袴を作っている。大きな杖をつく、白い髭を胸までたらした老人が手を上げた。一行は立ち止まる。

「少し休もう」

 後ろから、異形の戦士が近づく。顔中髭だらけで、大きな目を輝かせた若者である。

「オーエカシ、今宵はいずこで」

「ウカシコがまもなく戻る。この崎、湯のわく谷があると言う。

 今宵は体を清めゆっくりと休むがいい。先は長い。焦るでないぞオドタケル」

 異形の戦士たちは、木の切り株や意思の上などに腰をおろし、木の実を食べたり皮袋の水を飲んだりした。

 少し離れたところに、小柄な姿が見える。頭には毛がない後姿である。精悍そうな若者が、何かを話している。

 やがて長い髪を後ろでたばねた若い戦士が、小走りにやってきた。白い髭の長い長老と話していた、がっしりとした戦士長に声をかける。

「オドタケル」

「いかがしたマキリ」

「ムイグルの様子が、やや悪い」

 見ると、熊皮で身を包んだ坊主頭が、少しうなだれている。

「疲れたのか」

「いや、それだけではない」

 眉まで白い老人は、目を細めて見つめる。

「あの娘の力では、足りぬかも知れぬ。たとえ命を捧げようともな。

 かなうなら力の強き…神女奇女を見つけられれば、あれも死なずともよいが」


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