イケオジが狛犬

swenbay

第一章 あけまして狛犬

                  1

 一月一日、午前二時。横浜市金沢区は《瀬戸神社》。

 思い返せば丑三つ時だった、と神社の近所に暮らす平良巫子(たいら みこ)は後悔していた。

 新年が明けて《瀬戸神社》への参拝客は多い。小芋洗いとまではではいかないが、ぞろぞろ、と。夜更けにひと気が多い状況は、良い。

 問題は、道すがら、である。

 道には大概、とおせんぼをする者がいる。

 オズの魔法使いしかり、ドラクエの中ボスしかり、ユリア救出に向かうケンシロウの前に立ちはだかる雑魚(CV・千葉繁)であったり、だ。

 巫子は《瀬戸神社》に向かう道すがら、いわゆる雑魚に遭遇をしていた。


「雑魚一匹ならまだしも、魚群で来よったわ」

 巫子は思わず呟いた。神社への抜け道に使う木々に囲まれた道に、雑魚がいる。ざっ、と数えるだけで五匹はいる。五匹で魚群を指すのかは不明だが、雑魚は確定していた。

 巫子は雑魚群に意識をやりつつ、視線を下へ。飲料が入っているには妙に使い込んでいる空き缶が置かれている。

 すん、と風を嗅ぐ。つぅん、と塗料のような臭いがした。

 ――雑魚が集まり、よからぬキャンプファイヤーを催していたに違いない。獣道だけれど一般道で……最悪だ。公共の道だぞ。せめて火葬場の炉の中で集って欲しい。集った刹那、消し炭になって欲しい。

 巫子は鼻白んだ。「片付けてください。良い大人が、新年早々に羽目を外さないでください。羽目を外すなら自宅の自室にしてください。迷惑です」と注意をした。できるだけ穏やかに、棘のない口振りを心掛ける。

 雑魚群の一人が、あっぱらぱぁ、な口調で「あんだぁ、お嬢ちゃぁん。こんな夜更けにぃ、俺たちに何か用かぁ。ひゃひゃっ、遊ぼうぜぃ」と絡んだ。

「いや、道に屯をして通せんぼをしておるのは、お前らじゃろがい」と巫子は思わず突っ込んだ。

 次の瞬間、ぬも、と雑魚群が動いた。よたよた、とした足取りでゾンビよろしく巫子に詰め寄る。口から溢れている涎が、ねばっ、と足元に垂れた。細長い金属製の棒のような物を握っている奴もいる。

 ――いやいやいや。

 ぞろりぞろり、と両脇の藪からも雑魚群が姿を現した。背後からも足音がした。

 ――いやいやいや、ゾンビ映画じゃん。

 巫子は身構えた。息を吐く。目を見開き、暗闇の中で逃げ道を探した。

 ――前方から突っ切るのは無理だ。後方は人の壁が薄いから戻れるか。前方も後方も逃げるのが難しいなら、左脇の藪に突っ込むしかない。

 巫子は奥歯を噛んだ。

 ――左脇の藪から下は急斜面だ。転がり落ちるけれど、ちょうど神社の裏手に落ちる。参拝客は沢山いるに違いない。少しくらい、擦り剥いたって死にやしないわ。

 ――負けるか。

 巫子は左脇の雑魚に体当たりをした。よろけた雑魚の股間を、げこん、と蹴り上げた。ひうっ、と間抜けな悲鳴を上げて雑魚は倒れた。

 左脇の藪に飛び込むべく、地面を蹴った。

 刹那、後ろで一つに束ねた髪を掴まれた。ぐいっ、と腕尽くで引き戻された。

 ――負けるかっ。

 巫子は首の筋肉に力を入れた。ぷちり、と髪の毛の数本が抜ける音がした。髪を引き戻す。すぐさまに肩を掴まれた。後方の雑魚に向けて、肘打ちを食らわせた。

 ――負けてたまるかぁっ!

 急斜面から、飛び降りた。

 覚悟をしたよりも急斜面は高かった。神社の屋根が見え、参拝客は豆粒の如く。

 ふあり、と内臓が浮く感触がした。

 勢い良く飛び過ぎた。地面を転がれる状況ではない。身体が宙に飛び出している。炯々と光る提灯が、ふゅん、と縦長に伸びた。

 ――ああああ、しまった。

 巫子は斜面に生えている樹木の枝を掴んだ。ぽきり、と折れた。役に立たない。漫画のように空中で平泳ぎを試みる。だが、落下は免れず。

 巫子は叫んだ。

「助けて、神様ぁ!」

                  2

 ぶあり、と風が吹いた。

 強風よりかは烈風に近い。腹からプールに飛び込んだかの如き程度が知れた痛みが、身体を走り抜ける。

 巫子は目を見開いた。

 身体が宙に浮いていた。身体の周囲を枯葉が渦巻いている。結い上げた髪は捩じれて角のように。樹木の枝葉は、渦巻く枝葉で、ぱきぱき、と折れた。

 ――これは、何?

 巫子は息を吐いた。腹に力を入れ、思いっきり息を吸う。肺が膨らんで、視界が明瞭になった。ぐっ、と瞼を持ち上げ、周囲を見回した。

 夜空がある。夜空の下に神社を覆う森が広がっていた。

 足元に視線を落とす。境内が見えた。犇めく参拝客がおり、出店の灯りも、ちかちか、と輝いていた。

 巫子は気付いた。

 ――誰も、私に気付いていない。

「そう、誰もお嬢さんには気付いていない」

「こんな美しい花なのに、窓際に活けるなんて、とんだナンセンス」

 背後から声が響いた。

 ――男の声だ。

 巫子は上半身を捻った。空中で身を翻し、後方を睨んだ。

 しかし、声は響けど姿は見当たらない。

 巫子は耳を立てた。

 ――二人の男の声だ。一人は低めの声音で、もう一人は軽快に喋る感じの声だ。若い声ではない。年寄りの声でもないけれど、若い声ではない。

 ――雑魚かしら。

 巫子は雑魚を見た。雑魚はゾンビ映画のテンプレートのように四つん這いで崖を下っていた。両手を伸ばして地面を蹴り、躊躇なく飛ぶ。巫子の脚を掴もうと必至だ。

 ――雑魚が喋るとは思えない。

「おいおい、お嬢さん。見る目がないな。あんな男たちと一緒にするなんて」

「僕たちが眩しすぎて、目が眩んで見えないのかな?」

 再び男の声が響いた。だが、やはり姿は見えず。

 巫子は舌打ちを飛ばした。腹に力を入れ、怒鳴った。

「どこのどいつか知らないけれど、のんべんたらりと講釈を垂れていないで、姿を見せろっ!」

 次の瞬間――ぐあっ、と身体が持ち上がった。巨大な手に尻を押されるみたいに、ぽぉん、と身体が上へ押し出された。

                  3

「情熱的なお嬢さんだ」

「僕と、愛のフラメンコを踊ってみる?」

 ぽぉん、と逆バンジーの如く押し出された身体の前に、男が二人、いた。

 スーツ姿の小父さんが二人。揃ってサングラスを掛けていた。

 ――殺し屋だろうか。

「まさか、殺し屋ではないよ」と向かって左の小父さんが口を開いた。胸の前で腕を組み、低い声音で否定をした。四角い顔の輪郭をしている。

「お嬢さんのハートを撃ち抜くのは得意だけれどね」と向かって右の小父さんが続いた。華奢な顔立ちだ。話すたびに眉が上下に動いた。

 ――というか、心を読まれている。

 巫子は気付いた。

 左の小父さんが「読んでいるね」と頷き、右の小父さんが「ぺらぺらぁ、と電子書籍みたいに」と答えた。

 随分と余裕のある口振りだ。

 巫子は胸中を見透かしているかの如き口調に腹が立った。口調を筆頭に風体も気に入らない。近所の大型スーパーでは売っていない身体に合ったスーツに、いかにも高級そうな靴が、どうにもこうにも癪に障る。

 巫子は怒った。四肢を、じだばだ、と動かし、訴えた。

「何かもう、全体的に腹が立ちますけれど、とにかく、まず、人と話すときは、サングラスを外すのが礼儀でしょっ」

 左小父と右小父が顔を見合わせた。同じ拍子で肩を竦めた。右小父が「サングラスを外したら」と口を開き「キミは僕に恋をしちゃうかも」と戯けた。

 左小父がサングラスの弦を抓んで「俺と目が合って落ちない女性はいない」と唄い、右小父が両腕を広げて「でも、恋に落ちるだけじゃぁ、ロマンがないよねぇ」と舞った。

「うるせえわ! うるせえし、面倒臭ぇな! さっきから、ぐだぐだぐだぐだぐだぐだとぉっ、小父さんたちは何者ですか。何で私は宙に浮いているの。あの雑魚は何っ、何が起こっているのっ!」

 左小父と右小父は数拍の沈黙の後、同時に口を開いた。

「僕たちは、この神社の狛犬」

 ぼふん! と三度、身体が上へ押し上げられた。内臓が鼻から液状になって飛び出しそうになる。

 巫子がは奥歯を噛んだ。喉の奥から押し寄せる胃液を飲み込んだ。眼下を睨んだ。

 雑魚が宙を舞っていた。新型洗濯機のコマーシャルみたいに、渦の中で身体が捩じれた。みちみち、ぶちん、とソーセージを捻るみたいに身体が千切れた。

 ――洗濯機よりもフードプロセッサーだわ。

 肉片も血飛沫も一瞬のうちに細切れになった。細切れになった肉は、むちむち、と泡のような粒に変わり、弾ける。雑魚は一匹も残らず消えた。




 


 

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