第24話 『今、インチキって言おうとした?』

 二日後、月曜日の昼。


 場所は荒川区、萬屋探偵事務所。


 部屋の広さは天宮探偵事務所とあまり変わらず、大きな違いと言えば、仮眠室が無い事位だ。


 木製の長テーブルを挟む様に並べられた、二脚の長ソファー。


「さて…」


 一方には希美が、そして向かい合う様に、いつも通りのジャージ姿の泰造が座っている。


「それじゃ、答え合せといこうか」


「はい」


 希美は一昨日持って帰ったトランプを出し、テーブルに扇状に広げる。


「まず、前置きとして…このイン…手品には、大きく四つのポイントがあります」


「今、インチキって言おうとした?」


 まぁ、確かにそうではあるが。


 希美はそれに答えず、説明を続ける。


「一つ目のポイント、『トランプの最初の並びの法則』です」


 言われ、早速並びを確認する。


「…どんな法則があるってんだい?」


「色です。このトランプは、んです」


「へぇ」


 クローバ、ハート、クローバ、ダイヤ、スペード、ハート、スペード、ダイヤ。


 確かに、その通りに並んでいる。


「トランプゲームは、使ものが大半です。ルールを知らない状態でこのトランプを見て、マークの種類と数字は確認しても、色まで確認する人は居ないでしょう」


「…」


「二つ目のポイントは、『シャッフルの仕方』」


 希美はトランプを纏め、山を二つに分ける。


「この手品は、必ずリフルシャッフルでないと駄目です」


「何故?」


「それは、次のポイントで説明します」


 リフルシャッフルを終え、山の一番上にある二枚を裏向きのまま取る。


 マークは、スペードとハート。


 また捲ると、ダイヤとクローバ。


「三つ目のポイントは、『二枚ずつ捲ると、必ず黒と赤がワンセットになっている』」


 説明を続けながら、次々と捲る。


 黒と赤の前後が違っていても、確かにワンセットずつだ。


「詳しい説明は面倒なので省きますが、黒と赤が交互になっている状態でリフルシャッフルをすると、必ずこうなるんです」


 最後の二枚を突き付ける。


「つまり…一枚目が黒なら赤、赤なら黒と、んです」


「ふんふん…」


 泰造は二回軽く首肯くと、ニヤリと嫌な笑顔を見せた。


「希美ちゃん、一つ忘れてないか?俺はあの時、先攻だったんだぜ?」


 そうだ。


 このトリックを実現するには、必ずしも後攻でなければならない。


 しかし、希美は臆する事なく笑い返した。


「だからルール説明の時、一枚捲ったんでしょう?」


 トランプを纏め直し、今度は一枚だけを捲る。


「四つ目のポイント、『自身が先攻になった場合の対策』。あの時、ルール説明中に一枚捲ったのは、相手に分り易く説明する為でなく、だったんですよね?」


 泰造の表情は、変わらず笑顔。


「今思い返して、よくよく考えてみると不自然でした。普通ならのに、何故かあの時はだったんですから。じゃないと、ルール説明中に一枚捲るべきかどうかを判断出来ないですしね」


 泰造は漸くその笑顔を崩し、軽く息をついた。


「お見事」


 パチパチと軽い拍手。


 しかし、希美の顔からは笑みが消えていく。


 実は、愛花達に先に解かれ、更にはヒントを貰いながら解いた事への腑甲斐無さをまだ感じていたのだ。


「あの…!」


「愛花嬢ちゃん達からヒントを貰ったんだろ?」


「え…!?」


 本当にエスパーか、この男は。


「顔に書いてあんぜ?『解いたものの、どこか納得出来ない所がある』ってな」


「…はい…」


 顔を伏せる。


 目に涙が溜まっていくのがハッキリと感じた。


「…愛花ちゃんにヒントを貰いながら解いた事もそうですが…実際にその場を見ていない西森さんに、ノーヒントで解かれてしまったのが、一番悔しいんです…」


 状況説明を聞いただけで、謎を解いてしまう。


 まるで、安楽椅子探偵の様に。


「自分の五感は…何の為にあるんだろうって…」


 一粒だけ、涙が右手の甲に落ちる。


 涙を見られない様にと伏せたのに、泣いているんだと確認するには充分だった。


「…遺戒島でも言った事、覚えてる?」


「え…?」


「『俺達には足りない信頼は沢山ある』って」


 希美は力無く首肯く。


 あれ程、言われてショックな言葉はなかなか無い。


「これは、信頼の他に『役割分担』や『適材適所』の大切さを教える為に言ったんだが…」


「はい…それは愛花ちゃん達にも言える事だ、って…」


「今回の場合は、西森のねーちゃんの得意分野だったってだけさ」


 泰造は左手をテーブルに着け、身を乗り出す。


 そして、空いている右手を希美の頭に乗せた。


「希美ちゃんの悔しい気持ちは分かる。だが、それは『プライド』だ」


「プライド…?」


「『自分は、プライドを持って仕事をしている』…希美ちゃんは、こんな事を言ってる人を見た事は無いかな?」


 無論、ある。


「俺はね、この言葉に疑問があるんだ」


「疑問?」


「『強欲』」


「え?」


「『嫉妬』、『憤怒』、『色欲』、『貪食』、『怠惰』」


「七つの…大罪?」


 七つの大罪。


 カトリック教会における用語。


 英語をそのまま訳せば『七つの死に至る罪』だが、正確には『罪そのもの』ではなく、死に至る可能性がある欲望や感情を指すもので、日本のカトリック教会では『七つの罪源ざいげん』と訳されている。


「今言った七つの内の六つ…英語で言える?」


「えっと…『Avariceアヴァリス』、『Envyエンヴィ』、『Wrateラース』、『Lustラスト』、『Gluttonyグラトニー』、『Slothスロウ』…です」


「正解。じゃあ、残る一つは何?」


「傲ま…あ」


 最後の一文字を言う前に、泰造が何を言いたいのかを察した。


「傲慢…つまりは『Prideプライド』だ」


 確かに、おかしい。


 先程の言葉を言い換えれば、『自分は傲慢な気持ちで仕事をしている』になる。


「傲慢ってのは、『自分に対する自信』って意味だ」


「ですね…」


「多分これは、『自信を持って仕事をしている』って言いたいんだろう」


 そう言われれば、聞こえはいい。


「でも、アメリカやイギリスでこんな事を言えば、『何様だ、こいつ』って思われるかもね」


「はは…」


「自信を持って仕事をするのは絶対駄目って訳じゃないけど、やっぱり俺は少し間違っていると思う。自分に対する自信ってのは、『自分は間違っていない』に繋がる。なのに、その行動や考えが少数派だったら、その人はどうなると思う?」


「…」


 間違っていないという自信と、それに対してアウェーな立場。


 考えを正した方がいいのだろうが、それではプライドに傷が付く。


 そうして葛藤していった結果、悔しさやストレスが生まれる。


 正しく、今の自分だ。


 正確には助手だが、探偵として謎に挑んだものの、実際に見ていたというハンデがあったのに先を越される。


 得意不得意がある事は分かっているし、これがもし事件なら、勝ち負けに拘っている場合ではない。


 しかし、それでも悔しい気持ちは無くならない。


 むしろ、言い訳している様で腹が立ってくる。


「だから、俺は『プライド』ではなく、『ポリシー』を持って仕事をする」


「ポリシー…?」


 泰造は大袈裟に首肯く。


「ポリシーの意味は『物事に対する方針』。個人的な解釈だか、プライドとの違いは『答えを決めない』…かな?」


「?」


「『可能か不可能か』を考えず、『とりあえずやってみる』という行動だね」


 少し分かるかもしれない。


 最初から答えを決めつけない。


「例えば…希美ちゃんは玉子焼き作れるよね?」


「?はい」


「どんな風に作る?」


「どんなって…卵を溶いて、お出汁を入れて、玉子焼き器で一気に焼いて、半熟の状態になったら三つ折りにして、最後に少し火を通す…です…」


「うん。でも、俺の作り方とは違うよね?」


「はい…」


 希美の作り方と大きく違うのは、『焼き方』だ。


 泰造は溶き卵を一気に入れず、薄焼き玉子を作る様に少しずつ焼いて巻く、を繰り返す。


「俺は、卵を一気に入れちゃうと巻き難いから、少しずつやるんだよね」


「はぁ…」


「希美ちゃんは何で一気に焼くの?」


「少し半熟気味の玉子焼きが好きで…」


「それだよ」


「へ?」


「『好きだからそうした』とか、『自分に向いているからそうなった』。ポリシーの魅力は、『やり直し、もしくは方向転換が出来る』って所だ」


「好き勝手出来る…ですか?」


「好き勝手とは違うかな?言うなれば、『自由性』。自分に合ったやり方を何度も探せるし、今以上に向いていると思ったら、そっちに乗り換える事も出来る」


「自由…」


「今回、希美ちゃんは『愛花嬢ちゃんに助力を求めた』。それは今の希美ちゃんが俺に対抗出来る、一番の方法」


 確かに、今の希美にとって、すぐに力になってもらえる身近な人物と言えば、泰造か愛花達しかいない。


 その内の一人、泰造が敵になっているのだから、必然的に愛花達に頼る事になる。


「自信としてのプライドは、人が成長していく為には必要だ。が、逆転の発想の様に、自分が今まで培ってきた知識を覆す柔軟な考え方も必要って事」


 逆転の発想。


 その言葉を、つい最近聞いた覚えがある。


「八重さんの心得…」


「ん?」


 そう、愛花が言っていた、八重の心得だ。


「『探偵にとって、逆転の発想が出来るのは当たり前。しかし、求められるのはその先の展開だ』」


「…」


 差す物は違うが、根本は一緒だろう。


 時には自分の常識を疑え、と。


「…少し説教くさくなっちまったな。よし!ご褒美に、どこか甘い物食べに行くか」


「え?」


「ケーキ食べちゃったお詫びも兼ねて、ね?勿論、愛花嬢ちゃん達も一緒に」


「…はい!」


 絶対にケーキバイキングにしよう。


 沢山食べて、嫌な事を忘れてしまおう。


 いや、忘れちゃ駄目だけど。


「そういや、何で希美ちゃんがその心得を知ってんの?正直、この手品には関係無い気するけど…」


「あ…実は愛花ちゃんが、数年前に八重さんの手品を見せてもらった時に言われたそうで…」


「天宮のばーさんの手品?」


 興味を示したのか、泰造は希美の顔を見つめる。


「…っ!」


 一瞬戸惑ってしまったが、頭の中で話を纏め、泰造に説明する。


「…という手品で…萬屋さんは知ってましたか?」


「いや、知らん…けど」


「けど?」


「その心得から考えるに、超絶ウルトラスーパー馬鹿が頭に付く程簡単な種だな」


「…分かったんですか?」


「モチ」


 グッと親指を立てる。


 またもや速攻で解かれてしまったが、悔しい気持ちはあまり無い。


 むしろ、泰造のいつものドヤ顔に、これまたいつもの腹立ちを覚えてしまう。


「しっかし…なんともまぁ、天宮のばーさんらしい手品だな」


「八重さんらしい?」


「それ、俺が見せた手品とがあるだろ?」


「!」


 確かにそうだ。


 後程話すが、愛花も同じ事を言っていた。


「手品だけじゃなく、天宮のばーさんが出す問題はほとんどがそうだ。こっちの探偵としての素質を試すかの様に…な」


「…」


 そうやって、探偵の、特に観察眼を試しているのだろう。


 泰造はポリポリと頭を掻く。


「…あ」


「ん?」


「そう言えば、萬屋さんに伝言があったんでした」


「Me?」


「You」


「いや、律義に英語で返さなくていいから…愛花嬢ちゃんから?」


「いえ、八重さんからです。『たまには顔を見せなさい』と…」


 瞬間、泰造の顔色が青くなった。


「萬屋さん?」


「…ごめん、希美ちゃん。俺、これから旅に出るわ」


「旅!?何処へ!?」


「ブラジル…いや、もっと遠く…」


「ブラジルは日本の裏側ですよ!?それより遠くなんてありません!」


「ブラジルの裏側にあるのは沖縄だけだ。日本の裏側のほとんどは海だよーん」


「あ、そうなんですか?…って、そんなムダ知識を知りたいんじゃなくて!」


「いやいや、役に立つかもよ?トリビアとして」


「それをムダ知識って言うんです!」


「俺、あの番組好きだったんだよねー。『紙を四十三回折ると、地球から月までの距離を余裕で越す』とか」


「どんな紙でも、九回までしか折れません!」


「『地上から宇宙までの距離は、東京から熱海までの距離とほぼ一緒』とか」


「近っ!?」


「『ワープは、一九九七年に『不可能』という結論になった』には、凄いショックを受けたなぁ」


「…ワープしたかったんですか?」


「男のロマンと言っても、過言じゃないね」


「そうですか…で、一体何をしたんですか?」


「あー…まぁ、色々と…」


 本当に何をしたんだ。


 その上、あの図太い神経を持つ泰造を青ざめさせる八重は一体何者なのか。


 是非とも会ってみたい。


 その時は、泰造を縛り上げて、手土産として持って行こう。


「アレか…?いや、それともアレか…?」


「全部じゃないですか?」


「いや、アレとアレとアレはバレてない筈…」


「いっその事、全部白状してしまえばどうです?」


「そんな恐れ多い事出来るか!頼む、希美ちゃん!一緒に来て!」


「好きな子を呼び出して、告白しに行く子供ですか!百歩譲って一緒に行くのはいいですが、そうなったら私は萬屋さんの頭を掴んで、額を地面に擦り付けますからね!」


「ひでぇ!それと、天宮のばーさんの部屋の絨毯はフッカフカだから、長時間土下座しても、あまり苦にはならねぇよ!?」


「だったら今、ここの硬い床に額を擦り付けたらどうです?八重さんに向かって、遠距離土下座したらどうです?」


「遠距離土下座!?何それ!?」


「遠距離恋愛みたいなものですよ」


 因みに、ここから八重の屋敷までは三十キロ弱はある。


「遠距離恋愛みたいなものって言っても、トキメキ要素皆無だけど!?」


「土下座にトキメキ要素求めてどうするんですか。ほら、早く」


「正論!」

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