第23話 『はい、おやすみなさい』

 風呂上り。


 直人は愛花からの連絡を待つ間に、八重に電話をしていた。


『そう、そんな事があったのねぇ』


 電話の向こうで、八重の穏やかな声が聴こえる。


「すみません、連絡が遅れてしまって…」


『いいのよ。しかし…また懐かしい話をしてきたもんだねぇ』


「浅葱さんにすぐに解かれて、凄く悔しがってましたよ」


『ふふふ』


「…あの」


『うん?』


「八重さんの手品と萬屋さんの手品…この二つって、探偵とやっぱり関係あるんですか?」


『…』


 返答が無い。


「八重さん?」


『直人君は…タイ坊の手品を解き明かして、どう思ったかしら?』


「萬屋さんのですか?」


 どう思ったか。


 ただ単に、よく出来てるとしか思わなかった。


「素直に凄いな、と…」


『ふぅん…』


 何か変な事でも言っただろうか。


『そうねぇ…直人君』


「はい?」


『二つ、愛花に伝えて頂戴な』


「何でしょう?」


『一つ目は、ってね』


「手品だからこそ…」


 心無しか、八重の言葉に重みを感じる。


『二つ目は、浅葱ちゃんには、一つだけがあった、と』


「不可解?」


 そんな物あっただろうか。


『その不可解と思えるは、まだ事務所にある筈よ』


「…」


 やはり分からない。


「…分かりました。伝えておきます」


『ふふふ。あ、それともう一つ。これはタイ坊に伝えておいて頂戴』


「萬屋さんに?」


『たまには顔を見せなさい、と』


「っ!?」


 何故か悪寒が。


『どうしたの?』


「いえ…なんでも…おやすみなさい…」


『はい、おやすみなさい』


 電話を切り、俯く。


 先程の悪寒は一体何だったのか。


(八重さん…怒ってた…?)


 いや、そんな筈無い。


 そう自分に言い聞かせていた時、愛花からの連絡が来た。


『お待たせしました。今着替え終わりましたので、外に出ます』


 それを確認し、直人はコートを羽織る。


(よし…)


 外へ出ると同時に、愛花達も出て来た。


 そして、それに続く様に一人の中年の女性も出て来る。


「あら~、直ちゃん!」


近藤こんどうさん」


 この銭湯でよく会う、声が大きいのが特徴の近藤さん。


 下の名前は、正直忘れた。


「この前貰った肉じゃが、よく出来てたわよ~!」


「ありがとうございます。とは言え、近藤さんに教えて頂いた通りにしただけですが…」


「何言ってるの!私の作ったのとは味が違うのよ!?あれは私の作り方を…アレした…」


「アレンジ…ですか?」


「そう、それ!アレンジした、直ちゃんだけの味付けなんだから、自信持ちなさいな!」


「はい。あ、ところで…」


 意外な二人の会話に入れない、年頃の娘二人。


「なんか…白石君って、私達より女子力高くない…?」


 料理が上手く、面倒見もよく、気配り上手。


 外で働く姿より、家で働いている姿の方が想像し易い。


「…頑張りましょう」


「…そうね」


 何か、色々と。


「へ…へくちっ!」


 可愛らしいくしゃみに、全員が愛花を見る。


 つい話し込んでしまっていた事に漸く気づき、直人は愛花に近付いた。


「…帰りましょうか」


「…はい」


 よく見ると、愛花の鼻の頭が赤くなっていた。


「あらあら、風邪ひいちゃったら大変だもんね!じゃあね、愛花ちゃん、直ちゃん、希美ちゃん!」


 手を振りながら消えて行く近藤さんに、三人も手を振り返す。


「さて…ん?」


 歩き出した直人と希美の間に、愛花が少し強引に入り込む。


 そして、右手で直人の左手を、左手で希美の右手を握り、目を細めて笑った。


「えへへ」


 この行動に、希美は固まる。


(ええ~…)


 何だろう、この可愛い生き物。


(…じゃなくて!)


 時々忘れそうにもなるが、愛花はれっきとした中学生。


 年齢的にはまだ子供かもしれないが、それなりに自分の考えを持ち、分別がつく位には大人だ。


 何も躊躇いも無く手を握るのは、せいぜい小学校低学年までだろう。


「金元さん?どうしました?」


「え!?」


 直人の声で、漸く我に還る。


 見ると、直人も愛花の手を握り返していた。


(天宮探偵事務所では、当たり前の事なのかしら…?)


 正直、羨ましくなってくる。


 気を取り直し、三人は手を繋いだまま歩き始める。


 はぁ、と息を吐く度に、眼鏡が少し曇る。


「…そうだ、愛花さん」


「はい?」


「八重さんから伝言を預かってまして…」


「おばあちゃんから?」


「一つ目は、『手品だからこそ、何度でも見れる』。二つ目は、『浅葱さんには一つだけ、不可解な行動があった』って…」


「「不可解?」」


 やはり、そこに食い付くか。


「そして、その物証はまだ事務所にある、と…」


「不可解な行動の物証…」


 愛花の顔が下を向く。


「でも…物証って言っても、あの縄しかないわよ?」


「あとは鋏…位ですよね…」


「もしかして…あの縄に、二本だった痕跡が何かしらの形で残っているとか?」


「しかし、一本になったあの縄は、穴が開く程見たでしょう?」


「だよねー…最初っから一本だったみたいに…っと?」


 不意に、二人は何かに引っ張られる。


 見ると、愛花の足が止まっていた。


「愛花ちゃん?」


「…それですよ」


「「え?」」


 二人から両手を離し、前に出て振り返る。


「説明は後です!早く事務所に戻りましょう!」


 そして、事務所に向かって走り出した。


 反射的に二人も走る。


 事務所までは、徒歩三分程。


 距離はそんなに無いが、事務所に着く頃には愛花と希美の息は上がっていた。


「か…鍵…を…」


「待って下さい…」


 一人だけ落ち着いている直人が事務所の鍵を開けると、愛花は一目散にテーブルへと向かった。


「これが…物証です…!」


 愛花が手にしたのは、長い方の縄。


「縄が物証って…確かにそれはあの人が切った物だけど、それのどこが不可解なのよ?」


「これです」


 次に愛花が手にしたのは、短い方の縄二本。


「「?」」


 益々意味が分からない。


「浅葱ちゃんは手品を再現する時、新しく縄を切り出しましたよね?」


「はぁ…」


「既に二本の縄があるにも関わらず、何故新しく切る必要があったんでしょう?」


「そう言えば…そうですね…」


 とは言ったものの、あまりピンとこない。


「でも、それってそんなに言う程変かしら?」


 確かに、大げさかもしれない。


「そうかもしれません…ですが、こうも考えられませんか?浅葱ちゃんは、のでは…と」


「ああ、確かに」


 それならば、新しく切る必要はある。


「…で?それが何?」


「まだ分りませんか?私が切った二本では出来なくて、浅葱ちゃんが切った二本では出来る…」


「…二本の時点で、既に何かしらのトリックが仕込まれていた…!?」


「あっ!」


「直人君、大正解…!百点満点です…!」


「じゃあ、愛花ちゃんはもう…!?」


 希美の期待に対して、愛花は首を横に小さく振る。


「おばあちゃんの心得と浅葱ちゃんのヒント、そしてトリックが施されたタイミングから、おおよその見当はついているのですが…肝心の方法が…」


 眉間に皺を寄せながら、愛花は長い方の縄を見つめる。


「…」


 半分に折ったり、捻ったり、結んだり。


 兎に角、縄を弄りまくった。


「…白石君」


 沈黙に耐えきれなくなったのか、希美は直人の袖を軽く引っ張る。


「はい?」


「ちょっと付き合ってくれない?萬屋さんの手品の種、分かってきたかもだから」


「分かったんですか?」


「ええ。ま、正直に白状すると…銭湯で愛花ちゃんにヒントを貰いながら考えた結果なんだけど」


「それなら、僕や愛花さんだって浅葱さんにヒントを貰いましたよ」


 ほぼノーヒントで解いたのは浅葱だけ。


 だから、五十歩百歩だ。


「愛花ちゃんも集中したいだろうし、ね?」


「はい」


 愛花を一人ソファーに残し、二人は所長机で実戦。


 希美にトランプを渡すと、予想通りそれを並べ換えていく。


 表を向けて広げて直人に確認をさせ、再度纏めてリフルシャッフル。


 勿論、直人はそのトリックを確認出来た。


「じゃ、僕が先攻で」


「ええ」


 これも勿論、希美を勝たす為。


「『赤』」


 クローバ。


「『赤』」


 ダイヤ。


「『黒』」


 クローバ。


「『赤』」


 ハート。


「『赤』」


 ハート。


「『黒』」


 スペード。


 そして。


「…やった」


 直人、十枚正解。


 希美、全問正解。


「やりましたね」


「うん!あー、スッキリした!」


「あとは…」


 チラリと愛花を見る。


 スッキリした希美に対して、愛花はまだ縄を弄っていた。


「改めて考えると、結構難題よね…」


「はい…」


 気付けば、二人はいつの間にか考える事を放棄し、愛花を見守っていた。


 まるで、あやとりをするかの様に、縄を様々な形にしていく。


 途中、偶然もやい結びになってしまったのには流石に驚いた。


 しかし、愛花はすぐに解き、また形を変えていく。


「…あ」


 愛花の邪魔をしない様にと、希美が直人に小声で話し掛ける。


「ごめん、空いてるコンセントってない?スマホを充電したいんだけど…」


「マイクロUSBなら、チェスト横の下の充電器が浅葱さんのなので、そのまま使っていただいて結構ですよ。違うなら差し替えてもらっても構いません」


「ありがと」


 希美がポケットからスマホを取り出すと、一緒にイヤホンも出てきた。


 そのままポケットに突っ込んでいたせいか、それは絡まっていた。


「あ~、もぅ!ぐちゃぐちゃじゃない!」


 自分のせいなのだが。


 縒り癖が付いているせいで、解いても折れた所を中心として捻れていってしまう。


 それがまた、変に絡む原因となっているのだろう。


「う~…今度巻取りホルダー買お…ん?」


 文句を言いながら解いていると、いつの間にか愛花が近くまで来ていた。


 そして、その大きな二つの瞳は、イヤホンを凝視していた。


 特に、捻れた箇所を。


「な…何?」


 ガサツとでも思われているのだろうか。


「…」


 何も言わずに、愛花はまた縄を弄り始める。


 そして。


「…出来た…」


「「え?」」


「出来ました!あ~、何でこんな簡単なトリックに気付けなかったんでしょう!?」


 額をテーブルに着ける様に大きく前のめりになり、両の掌でテーブルを叩く。


 解けた喜びより、今の今まで解けなかった悔しさの方が勝っている様だ。


 その様子を、二人は唖然と見ている。


「…直人君…」


「は…はい…」


「もの凄くいいところまでいった事を言ってましたよ…」


「え?」


「希美さん…」


「…何?」


「大きなヒントを…ありがとうございます…」


「うん?」


 感謝されたが、突然の事なので意味が分からない。


「残るは答え合せだけですが…浅葱ちゃんも居ないですし、明日やりましょう」


「はぁ…それは構わないんですが…」


 すぐにでも種明かしを知りたいが、それよりも心配事が一つ。


「何ですか?」


「愛花さん…紅茶を飲みましたよね…?」


「…あ」


 時計を見ると、十時手前。


 いつもなら既に眠たくなる頃だが、さっき飲んだ紅茶のお陰で、まだ眠くならない。


「…ババ抜きでもしよっか…?」


「はい…」


「じゃあ、僕はホットミルクでも入れますね」


「あの…出来ればココアで…」


「はいはい。金元さんは?」


「私もココアを」


「承知しました」


 二つの鍋をコンロに置き、一つには牛乳、もう一つにはお湯を半分程入れる。


「えっと…」


 銭湯に行く前に洗っていたマグカップを三つ取り、お湯の中に横向きに入れる。


 冷め難くする為の工夫だ。


 牛乳も沸騰し、火を止める。


 よく拭いたマグカップにココアの粉を入れ、牛乳を少しだけ注ぎ、混ぜる。


 こうする事でココアの香りが立ち、よく混ざるのだ。


 最後にたっぷりと牛乳を入れ、少し混ぜて出来あがり。


「はい、どうぞ」


 立ち上る甘い香りと手に伝わる温もりが、考え過ぎで疲れた三人の脳をゆっくりと癒していった。

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