第2話 宝の和歌

 翌日の午後二時前。


 そろそろ依頼人が来る頃の為、直人はお茶の準備を、愛花はテーブルの拭き掃除を、浅葱は買い忘れていた茶菓子を買いに車で出かける。


(そろそろか…)


 そう思っていた時、部屋にノックの音が響いた。


「あ…」


「はいは~い!」


 丁度掃除を終えた愛花が扉を開ける。


「えっと…依頼人の松原まつばら日向ひなたさんですか?」


「あ…はい」


「お待ちしてました!どうぞどうぞ!」


 依頼人は女性だった。


 白いブラウスに黒のタイトスカート、髪は艶のある黒髪を襟足で纏めており、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


「あの…本日はお忙しい中、お時間を頂き…」


「いえいえ」


 相手の少し硬い挨拶を中断させ、愛花は満面の笑みで答える。


「夏休みと言っても暇でしたし、宿題ももう終わっているので気にしないで下さい」


「愛花さん…」


 この娘はまた余計な事を。


 確かに暇ではあったが。


「取り敢えず立ち話もなんですし、ソファーへどうぞ」


「あ…ありがとうございます」


 直人に案内される形で、日向はソファーに座る。


 そして、日向と向かい合うように愛花と直人もそれぞれ一人掛け用のソファーに座った。


「それでは早速…」


 コホンと軽く咳払いをし、愛花は切り出す。


「依頼はお宝探しと聞いてますが」


「はい」


 日向は鞄から名刺、地図、そして写真を数枚取り出す。


「今回、宝探しをお願いしたいのは、私が日頃お世話になっております、中井なかい拓真たくま様がオーナーを勤めている、この遺戒いかい島です」


 日向が指す場所は、高知県の室戸岬から南へ十数キロ離れた、かなり小さい島だ。


「遺戒島…」


 初めて聞く名だ。


「実はこの遺戒島…五年前に購入したばかりの島なんです」


「五年前?」


「元々はリゾート目的で購入したのですが…計画自体が無くなってしまい、今ではロッジと幾つかのコテージが残る、中井さんの別荘地となっています」


 日向が取り出した、もう一枚の地図。


 そこは遺戒島の形や大きさ、山や川、崖や建物等が詳しく描かれていた。


「うーん…」


 島は東西に長く、北側が広い扇状の形で、大きさは東京ドーム十個分と言ったところか。


 島の周りの七割は崖になっており、西の方角には入り江、中心から少し北にズレた場所にロッジがある。


「この島にお宝あると?」


「はい」


 日向が次に前に出しのは、洞窟らしき写真と、屏風の写真だ。


「去年の夏に中井さんとこの島に避暑目的で行った時、もう一人の秘書が森に小さな洞窟があるのを発見しました」


「洞窟ですか」


「その洞窟の奥には石で出来た棺のようなものがあり、その中からこの屏風が出てきたんです」


 そう言われ、屏風の写真を確認する。


 達筆ではあるが、読めない事は無い。


「えっと…」


 愛花は屏風に書かれている内容を読み上げる。


 内容はこうだ。


『神々の、


 流転が終わりし


 遺戒島。


 丁に向かいし


 強き者は、


 死を恐れぬものの、


 流浪の果てにて


 永遠に眠るる。』


「…?」


 八行にわたる和歌のような暗号文。


 直人も目を通しただけだが、勿論意味は分からない。


「おーっす」


 その時、浅葱が帰って来る。


「お帰りなさ…」


 向かえの挨拶をし、浅葱から茶菓子が入った袋を受け取ろうとするが、そこである事に気付く。


「浅葱さん…その袋は…?」


「ん?酒」


 しかも缶一ダース。


「そんな物買ってこないで下さいよ!」


「何ぃ!?節約の為にビールじゃなく、泣く泣く発泡酒で我慢した俺の気持ちを何だと思ってるんだ!?」


「節約の為なら、買う事自体を我慢して下さいよ!それに浅葱さんこそ、飲酒の法律を何だと思っているんですか!?」


 説教をしつつも、改めて浅葱から茶菓子と、ついでに発泡酒も受け取る。


 そして発泡酒を冷蔵庫に入れ、入れ替わりに麦茶を出した。


「騒がしくして悪ぃな」


「浅葱さんのせいでしょ…」


「けっ…お?それが宝のヒントか?」


 元々直人が座っていた愛花の隣りに腰を下ろすと、宝の和歌の写真を手にした。


「…何だこりゃ?」


 直人と同じように、浅葱も首を傾げる。


「一つ…いえ、二つ質問してもいいですか?」


「?はい」


「この屏風の内容が、宝の在処を示す手掛かりだと思う根拠は何ですか?」


 愛花の質問に、二人は気付く。


 そう、この和歌には『宝』という単語が何処にも無いのだ。


 しかし、その疑問はあっさりと解決する。


「石の棺に彫られていたんです」


「彫られていた?」


「はい…『玉の和歌』と…」


「玉の…和歌…」


 確かに『宝』という漢字に『玉』が入っている為、宝の事を『玉』と表現する事は珍しくもない。


「成程…ではもう一つ」


「どうぞ」


「この屏風が見つかってから、誰かお宝を探したりしましたか?」


「はい、ここ一年間で十人程が…」


「もしかすると…その人達は同じ様な場所を探したんじゃないですか?」


「な…何で分かるんですか!?」


 ここで日向は、初めて愛花の凄さを目の当たりにする。


 正直言うと、最初にこの事務所に入った時は不安しかなかった。


「この和歌の中に、唯一分かり易いお宝のヒントがあるからですよ」


 そう言われ、三人は再度写真を確認する。


 が、結局意味は分からず、首を傾げるだけだった。


「ほら、この『丁に向かいし』って部分ですよ」


 そう言って、愛花は四行目を指す。


十干じっかんって分かりますか?」


「十干つーと…こうおつへいていこうしんじん…だっけか?」


「はい。じゃあ十二支じゅうにしは?」


ちゅういんぼうしんしんゆうじゅつがい…ですね」


「正解です。じゃあ…八卦はっけは?」


「八卦ですか?」


 正直、八卦という単語を知っていた程度だ。


 しかし、その回答は意外な方向から返ってきた。


ケンシンソンカンゴンコンの八つですね」


「よく知ってましたね」


「趣味で風水を少々…」


 愛花に褒められ、日向は少し照れる。


「八卦の艮・巽・坤・乾の四つ、十二支、十干の戊・己を除いた八つ、この計二十四個の単語で方角を表す事が出来るんです」


「じゃあこの和歌に出てくる『丁』は…」


「その一つかもしれないですね」


 そう言って愛花は、机の引き出しにしまっていた鉛筆とプラ製の定規を取り出した。


「少し、地図に描き込みをしてもいいですか?」


「どうぞ。元々、資料用に差し上げるつもりでしたので…」


 日向からの許可を貰い、早速地図に線を引き始める。


「丁は真南と南南西の間の事です」


 島の形状からして、該当するエリアはかなり狭い。


 広く見ても、島全体の三分弱と言ったところか。


「どうですか?皆さんこの辺りを探索していたのではないですか?」


「は…はい…その通りです…」


 正にドンピシャ。


「でも、この辺りを探しても見つからないと…」


「ええ…全てを探した訳ではないでしょうが…何一つ手掛かりが掴めず…」


「でしょうね…」


 愛花は一息つき、今度は宝の和歌の写真を手にした。


「正直、私はこの範囲にはお宝は無いと思っています」


「「「…!?」」」


 三人は言葉を失う。


「私やその人達が解いたのは『丁に向かいし』の謎だけ…多分ですが、この和歌の全文の謎を読み解かなければお宝にありつけないと思います」


「和歌の…謎…」


「一つ、気付いた事があるにはありますが、それでも全体の一部分にもならないでしょうね」


「それじゃあ…この依頼は…」


 日向は不安になる。


 過去に自身の推理に前例があり、尚且つそれが間違っているのであれば、諦める者も少なくない。


 しかし、愛花は笑顔で答えた。


「この謎、お受け致します!」


「え…!?」


「あーあ…火ぃ着いちまったよ…」


「はは…」


「本当ですか…!?」


「はい!」


 愛花は少しずれた眼鏡を直し、テーブルの上に広げた資料に目を向ける。


「私の考えの一つが間違っていると言うなら、他の考えを試す…過去に前例があるという事は、私にとってはヒントを一つ、貰っているみたいなものなんです」


「…」


「そんなおいしい条件があるのに、お宝を諦めるなんて、勿体無いじゃないですか」


 日向は思った。


 この娘は他の人とは違う。


 考えを持った上で行動に移すも、出鼻を挫かれたらショックを受けるのが普通。


 しかし、この娘は考えが否定、論破されたとしても、他の道がある事にすぐ気付けるのだ。


 一言で言うならば、柔軟。


 先入観に捕らわれず、注意力が散漫と言うより拡散。


 即ち、凝縮させた注意力をそのままに、注意する対象物を増やせる。


 百あろうと、千あろうと、一つに対する注意力は変わらない。


 そんな並大抵ではない能力を、この娘は持っているのだ。


 それは探偵にとって、必要な武器の一つなのかも知れない。


「勿論、やるからには絶対に解いてみせます」


 そう言って愛花は少し大きく息を吸う。


 それに気付いたのか、直人は愛花の次の発言を止めようと動いた。


「ちょっ…愛花さ…!」


 しかし、間に合わず、愛花は言ってしまった。


「バッチャンの名にかけて!」


「愛花さん!」


 止めようとしたその右手でそのまま愛花の頬をつねり、更に左手で反対側もつねる。


「その台詞は色々危ないから、やめろって言いましたよね?」


「なおふぉふん…ひはひれふ…」


「罰として、今日の夕飯はピーマンの肉詰めとセロリたっぷりのサラダです」


「ふぉふぇんなふぁい!」


 愛花の謝罪に、直人は漸くその手を放した。


「うう…」


「ったく…ところで…」


 気分を変える為、話を戻す。


「さっき、この和歌で気付いた事があるって言ってましたけど…」


「ふぇ?」


 少し痛むのか、愛花は頬を摩っている。


「あー…自分で言っておいてアレですが…大した事ないと言うか、全く関係無いと言うか…」


「はぁ?」


 この空気で、この娘は何を言っているのか。


「ヒントになるかもしれないし、言って下さいよ」


「うーん…あのですね…」


 愛花は手にしている和歌の写真を三人に見える様にする。


「この和歌を平仮名にしてみて下さい」


「平仮名ですか?」


 そう言われ、全員が脳内で平仮名に変換する。


『かみがみの、


 るてんがおわりし


 いかいじま。


 ていにむかいし


 つよきものは、


 しをおそれぬものの、


 るろうのはてにて


 えいえんにねむるる。』


「「「…?」」」


やはり意味が分からない。


「気付きませんか?」


「はい…」


「この和歌、頭だけ読むと『えるしっているか』って読めるんです」


「…え!?」


読者の皆さんは、下から上へお読み下さい。


「「「うわーっ!!!!!ホントだーっ!!!!!」」」


三人が声を揃えて驚く。


ステレオで楽しめないのが残念な位、揃っていた。


「てか、本当に関係無いですね!」

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