第3話 けの汁とえっちな看病と三角関係

 それは昔の話だ。彼らが小学生の低学年だった頃、内人うちひとが引っ越してきた時の話だ。新しい家に着いた内人たち家族は新居に入ろうとしていた。そんな時、隣の家から内人と同じくらいの歳の女の子が出てきたのだ。眼があってこちらに来る。

「内人、挨拶さへ」

 母親がそう言って、二人は中に入ってしまった。一人残された内人は緊張しながらも、その女の子を見る。その時、電流のように走った想い、かわいいなぁ、そこから始まった想いは膨れ上がっていく。一方、その女の子も緊張している男の子を見て、びびっときた。

(わたし、この子と結婚する)

 少しの間があって内人が口を開いた。

「わぁのなめえは、さんのへうちひとです。サッカーが好きでわやじょんずになりてず。好きだ食べ物は……」

 そこまで言って女の子が笑っていることに気づいた。

「なすて、わらてるんですか?」

「変な言葉―」

 内人は頬が熱くなるのを感じた。女の子は本当におかしそうにけらけらと笑っている。それ以来、内人は方言を喋るのを止めた。というよりほとんど喋らなくなった。そうして今の「ああマシーン」が生まれたのである。今の内人をつくった元凶の女の子、それは伊地知咲良いちじさらである。しかし、彼女もまたそのことを覚えていて罪悪感を抱いている。彼女が内人に敬語なのもその表れであった。


「ああ……」

 力なく内人は呟いた。ここは彼の自室。頭には氷嚢ひょうのう。つまり彼は風邪をひいてのびていたのだ。仰向けで天井を見ながらうめいている。そんな彼の部屋のドアが開けられた。

「ミトくん? だいじょうぶですか?」

 咲良だ。

「ああ……?」

「おばさんがお家を開けるって言ったから、ミトくんの看病しようと思いまして……」

「ああ……」

「私は平気です。うつっちゃったりとか気にしなくていいですよ」

 そう言うと咲良は内人の額に手を当てた。そして、自分の熱と比べる。

「まだ熱いですね。水分はちゃんと摂ってますか?」

「ああ……」

 内人の返事に咲良は頷いた。そして時計を見る。

「もうお昼ですね。ミトくんはお腹すきませんか?」

「ああ……」

「何か食べられそうですか?」

「ああ……」

「じゃあ好きなもの言ってください。作りますよ」

 内人は少し悩む。そして、出した言葉は結局、

「ああ……」

「何でもいいって……、ダメですよ。こういう時くらいちゃんと言ってくれないと……」

 その言葉を受けて内人はまた考える。そして、

「けの汁……」

「けの汁?」

「根菜の澄まし汁みたいなもの……」

「わかりました。少しお台所借りますね」

 そう言って咲良は部屋を出ていった。残された内人は考える。久しぶりに「ああ」以外の言葉を喋った。それも咲良の前で。自分が相当弱っていることに気づかされた内人は、おとなしく眠ることにした。

 一方の咲良は、携帯でけの汁を調べ、冷蔵庫の中から材料を探していた。彼女も考える。彼が私に普通に喋った。よっぽど弱っている。傘を借りたことも含めて申し訳なくなった。せめて、おいしいけの汁を作ってあげよう。咲良は意気込むとキッチンに向かい合った。


「ミトくん? 寝ちゃってますか?」

 優しい声に内人は目を覚ます。

「ああ」

「できましたよ。初めて作ったんでお口にあうか心配ですが……」

 見るとお椀に注がれたのは、内人が知るけの汁そのものだった。

「ああ」

 言って椀を受け取り、啜ってみる。味付けもちょうどよい。

「ああ」

「よかった」

 心底安堵したように咲良は言った。その様子を見ながら、内人はゆっくりとけの汁を味わった。咲良も黙ってその様子を見ている。しかし、内人が半分ほど食べたところでついいてしまった。

「ミトくんはあの時のこと……」

「あぁ……!」

 内人は思わず手を滑らせて椀を落としてしまった。

「きゃっ! 大変! 火傷してないですか?」

「ああ」

「でもどうしましょう……? タオルと替えのパジャマはどこです?」

「ああ」

「ここですね?」

 そう言ってチェストを開ける咲良の目に飛び込んできたのは「どきどき えっちな看病 幼なじみスペシャル」だった。少し硬直した後、一旦それを脇にどけ目的のものを取り出す。一方の内人は、つい答えてしまったがチェストの中には秘蔵のDVDが入っていたことを思い出して、声もなく悶絶していた。

 咲良は内人の服を脱がし、その体をタオルで拭きはじめた。

「どうしてミトくんはそんなにえっちになっちゃったんですか?」

「ああ」

「男だからって……、答えになってない気がしますよ」

 その背中を拭きながら咲良は思った。

(大きいなぁ)

 知らず頬が赤くなる。背中を拭き終わった咲良は、今度はズボンを脱がそうとした。さすがに内人が抵抗する。

「ああ!」

「任せてください」

 それに対して咲良も譲らない。上目遣いで内人を見て言う。

「えっちな看病してほしくないですか?」

 内人がおとなしくなった。やはり男のさがには逆らえない。されるがままにズボンを脱がされ、足を拭かれた。まあそれ以上はなかったが。着替えさせてから咲良が言う。

「ごめんね、ミトくん」

 何に宛てての謝罪だったのか、はっきりしたことはわからなかったがいつもの通り答えた。

「ああ」

「ミトくんは優しいですね」

 そうして、内人が再び眠るまで二人はそうしていた。

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