第26話 さぽーと
「結局あなたは何者なの?」
カリンはキツネを横目で見て問いかける。呆れ果てた表情の奥に隠されたのは興味という感情だった。無論、理解力の乏しいキツネにこの気持ちがわかるはずもない。返ってくる答えは同じなのだから。
「キツネはキツネだよ!」
さっきから幾度となく繰り返している問いだ。それでもこの問いをやめないのはキツネに少なからずの興味があるからなのだ。
気づいて欲しい。そう心の中で願っても決して表には出てこない。それが、今の私だ。
「はぁ…わかったわよ疲れないわ」
ため息だけが何度も何度も私の口から吐き出され、その度にキツネは頭の上にハテナを浮かべて首を傾げるのだ。
「あの…キツネ邪魔?」
「邪魔よ」
「ふぇえええ…」
「あ!や!違わないわ!もう!邪魔じゃない…かも……。」
もう一度、ため息を吐きそうになってどうにか喉の奥に閉じ込める。
思っている事と別の事を表現してしまうような私にはこういう子の相手は荷が重い。意図せずに傷つけてしまう事だって、この短時間で多々あるのだ。本来ならば関わらずしておけばいいものを…心の中では何かを求めているようにこの現状を生み出したのだ。
「ねーねー?なんでここだけピカピカなの?」
ピカピカ。それはキツネが腰を下ろしている場所である。その一部だけ他より綺麗なのは決して自然にできたものなんかではない。
「知らないわよ。たまたまじゃないの?」
知らない?私は知っている。たまたま?たまたまなんかではない。
その場所は、いつもあの人が座っている場所。だってその場所は…
「私がしたもの…」
「ふぇ?何か言った?」
「言ってるはずじゃない!口取るよ!」
また、訳のわからない事を言ってしまう。
「とっちゃダメぇ!美味しいもの食べれなくなっちゃう!!」
とらないわよ。これも決して声には出せない。
キツネが座っている場所、それはユウヒがいつも腰を下ろす場所でもある。
どれだけ叩きつけ、切り裂いても、ユウヒがいない時にいつも謝りながら血を拭き、綺麗にしている。
「(なんで、こんな事になっちゃったんだろう)」
殴りながらも謝っている。
嫌いと言いながらもいつも大好きだと思っている。
憎むとか言いながら、憎んだ事なんて一度もない。
いつも好きだと思って、大好きで、いつでも一緒にいたい。ユウヒと、一緒にいたい。なのに、私の中の悪霊がそれを許さない。想いが強ければ強いほど、私の行動は過激化し、ユウヒを少しずつ壊していってしまう。
苦しい…。本当の事を伝えたいのに、伝える事ができない。泣きたい。泣こうとしているのに許されない。
こんなに、こんなに苦しい何て思ってしまうなら
「(声も感情も、無くなって仕舞えばいいのに)」
「ねぇってば!!」
うつむき加減に考え事をしていると、隣から声が聞こえ驚いてしまう。キツネちゃんが私の顔を覗き込むような姿勢で私を見つめる。
「どうしたのよ、話さないでくれる。」
あぁ、また言ってしまった。返事すらもろくに出来ないんだ…ごめん、ごめんね。と心の中で誰にも聞こえない声で言うしかないんだ。
「ぁぅ…ごめんなさい…」
違うの。ごめんなさいを言うのは私の方なの。
正直に伝える事も出来ず、迷惑をかけてしまう私がごめんなさいを言わなければいけないの。
「泣かないでよ、鬱陶しいわね…っ。は、話聞いてあげ…ていゃ…ぃぃから!」
何言ってるんだろうな…。バカだな、私って。
「ほんと!?」
それでもこの子は、こんなに素直に喜んでくれている。私、どんな顔してるんだろ…嬉しいのにな…嬉しくて、泣きそうなのにな…。
「はやくして…ょね」
言葉が喉の奥で詰まる。言いにくく感じたその感触はどこか懐かしく、いつかの私に戻った感じがした。
キツネちゃんが私の顔を見たまま一向に口を開こうとはしない。
どうしたのかな、私、バカな表情になってるのかな…。
「どうして泣いてるの…?」
それは、私が今嬉しいから。……え?
泣いてる?なんで??この感情と表情は、表には出ないはずなのに…。
「泣いてないわよ!失礼じゃないわね!」
私の叫びに、キツネは2回、首をふるふると横に振る。
「キツネわかるよ、カリンおねいちゃん泣いてる。顔に出なくても、泣いてるもん。」
どうして…どうしてそんな事がわかるのよ。キツネちゃんの事を嫌うような事ばっかり言って、どうしてわかるのよ。
ツツーっと一筋の温かい物が頬を伝う。遠く彼方の記憶におき忘れたその感触は、久しぶりすぎて自分が流した涙だと理解するのに数秒費やした。
「な……なんで…」
「あ、あのね!泣きたい時は泣けばいいって!言ってたよ!誰か忘れたけど!!」
「ちゃんと…覚えてなさいよ……」
「え!?ごめんなさい……」
「い、いちいち謝らなくていいわよ、鬱陶しいわね」
あぁ、でもやっぱりダメだ…。私の中の天邪鬼が私の言葉を遮り代わりに最悪と言ってもいい言葉を発する。ごめんなさい。ごめんなさい。と何度心で謝っても決して視線の先の女の子には届かない。
「え……へへ…聞こえてるよ!カリンおねいちゃんのごめんなさい!」
「……!」
その言葉を聞いて、一筋しか流れなかった涙が溢れ出す。今まで涙の流す事を忘れていた目は涙でぬれ、視界がぼやけて見えて、伝う事を忘れてしまった頬は涙が伝うたびにこそばゆい感覚が私を襲う。
「ちょっと、だけ…好きにさせて……」
◇
あれから何分経ったのかな。
私の涙はもう流れる事はない。戻ってしまったんだ。また、天邪鬼が私を蝕む。
「もーいい?もーいい?」
なんでこんな私の相手を必死にするのよ。
でも、それでも、できることなら。もっと話したい。寄りかかる壁が欲しい…そんな事、私なんかが望んではいけないのに心の何処かで望んでしまう。
「あのね!キツネね!全力でさぽーとするよ!」
いきなり何を言いだすんだろう…この子は。
「わからないわね…」
「さぽーと頑張るからカリンおねいちゃんもさぽーと頑張ってね!!」
うん、うん、私もさぽーと頑張るよ。って、え?
「さぽーとの意味わかって言ってるの?」
「お話しすること!!」
やっぱりわからなかったのね……でも、お話しはしたいな、頑張りたいな…本音でこの子と話し合えたらどんなに楽しいんだろう…。そんな希望論だけが私の頭を掠めていく。だが、それが現実となるには一体どれだけの時間がかかるかもわからないし、それこそ一生来ないかもしれない。
「あなたに言われることでもないわ」
なんで、素直にもの一つ言えないの…?
「だね!言われなくてもキツネ頑張るぞぉ!」
あ、通じてないのね。
「だからね!さぽーとするために明日も来ていい!?」
なんで…私といると嫌な気持ちになっちゃうよ?ここ、汚いし、臭いんだよ…気持ち悪くなっちゃうから……
「キツネね!カリンおねいちゃんとお話ししたらね!今日ね!すっごく楽しかった!」
楽しかった…?どこが……私と一緒に居たって。でも……許されるなら、来て欲しい…明日も、キツネちゃんと喋りたい……。
「い、嫌よ。来ないで。」
だけど、天邪鬼がそれを許さない。私の思った言葉は全て反転されて発せられる。例えそれが、どんなに汚い言葉だろうと、どんなに望んでいない言葉だろうと…遠慮の一つも知らずにその言葉は発せられる。
ごめんね……私、素直な嘘つきだから。感情と言葉を捻り偽って話す事なんて、私にはできない。
「わかった。」
やめて…お願い。明日も来て…私とお話しして
「それでは明日も来ますね!!」
………え?
「カリンおねいちゃんは逆の事を言っています!ホントは来て欲しいのです!キツネだってアホじゃないからわかるのですよ!」
少し偉そうに、胸を張ってキツネちゃんは自信満々といった様子で声を張り上げる。できることなら、私だって自信満々にホントの事を言ってキツネちゃんと笑い合いたい……。
「しょうがないわね。好きにしなさいよ」
あぁ、私偉そうだなぁ……嫌な奴だなぁ…。
それなのにこの子は、嬉しそうに、無垢無邪気に、素直に今を生きている。例え体は無くなってもしっかりと今を生きている。
「だからね!カリンおねいちゃんの嘘つきが治るまで一緒にさぽーとするからね!!」
思いっきり嘘つき扱いされてるけど…仕方ないよね。と、また俯き加減に考えて来たらふと、視界の中に右手が差し伸べられていた。
「……?」
「カリンおねいちゃん!けーやくだよ!!」
「け…契約……?」
「うんっ!さぽーと頑張りますのけーやく!」
なんだ…そんな事なのね。
「そして!キツネとお友達になる握手だよ!!」
「っ!!」
ガシッと右手を掴まれてブンブンと振られる。ほんとは腕を払わなければいけないのに…その温もりにしがみついてしまう。優しい温もり…。
「わっ!時間!もう行かなきゃ!ご主人に怒られちゃう!じゃあね!明日も来るからね!待っててね!」
握手をしていたのも束の間。キツネちゃんはピューっと扉を開け放って外へと飛び出す。
「あっ!ちょっ!」
私の短い声も虚しく、キツネちゃんには届かなかった。ただ私の発した声はボロボロになった小屋で静かに、嫌に響き消え失せる。
「全く、扉くらい閉めて行きなさいよね。」
ギギ…と鈍く軋む音を立てて扉が閉められる。
ふと、カリンは空を見て仰ぐ。雲ひとつ見当たらない快晴の空は深緑の林に相反し見事なユニゾンを見せてくる。それすらも皮肉だなと私は呟き身を翻す。
「この扉が開いてても閉まってても…私は外に出られないんだよね……」
私は静かに独り言を口に含み手短な場所へと腰を下ろす。普段は帰ってくるユウヒも今日は帰って来ないだろう。それでも、明日はキツネちゃんが来てくれる。
「よし。」と短く声を出して下した腰を再度持ち上げる。ボロボロの小屋の中の、そのまたボロボロの小さな扉を開け、その中に入っていた物を手に持つ。
自分からはここから出ることはできない。だから、来てくれるのを待っていよう。
それが、私の唯一できる素直で嘘つきじゃない事だから。
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