第7話 曲水の宴

 さて、かなこが現代に戻れる気配はないまま時は長月に移ろうとしていた。


 夜はちょこちょこ誰かに襲われるが、この時代の男性を見る基準はどれだけ地位のある人かが第一であるようである。

 殿方は地位の高さと、お付きの女人への根回し、もちろん袖の下も弾むことでおおよそ夜中に意中の方の寝所へ侵入することは成功する。

 その後は踏んだりけったりとなる可能性もなきにしもあらずだ。

 だが電気がなく月明かりだけのシルエットと香しい着物の香りにに抱きすくめられると女人はそのまま従ってしまう率が高く、ルックスや身長といった容姿は二の次というところは、現代の男性諸君からすると何とも羨ましがられるところなのであろうか。それとも結局は金がものをいうというところは現代と変わらないと怒るところなのであろうか。


 地位と根回しだけで侵入してしまい、女人もシルエットと香りだけで酔ってしまう御時勢なので、朝方に起きて日の光の中でお互いの顔を認識して「あな…(絶句)」ということもままあったと想像に難くない。

 それでも高貴さという威光は世を照らしていたようで、多少見目悪くも地位が優先される世の中であったようだ。

 実際の結婚問題はまた別で、夜な夜なな関係から発展するケースは少ないようで、結婚イコール家同士のつながりという考え方で、政略結婚は当たり前の世界。より高貴な家柄ほど、早くに婚約相手が決まっているもので、許婚は生後数ヶ月から決まっているというケースも多く、現にかなこにも許嫁がいるが、許嫁を決める段階では相手の健康状態までは幼子だったので分からなかったのだろう。その結果、かなこは結婚の時期が伸ばされるという事態になっている。

 政略結婚が当たり前であるので反発してロミオとジュリエットのような悲恋が起こってしまうのである。


 生まれたときから型にはめられるというのは、堅苦しく自由がないと思うが、夜な夜な既婚でも未婚でも自由にしている点では‘禁断の’という心理が働き、現代の法律ほど縛られるものでもなかったので、案外自由だったのかもしれない。



 さて、曲水の宴を近くに控えたある日、せっかくなので、準備を見に行ってみたと言い出してみた。なんせ平成の世に帰るためのきっかけとなる殿方に、この曲水の宴で会えると呪術者に占ってもらったのであるからして期待せずにはいられない。

 おちよは当日に殿方を見るのが楽しいのであって、殿方のいない下見に行っても意味がないと興味がなさそうではあったが、主人に従いしぶしぶという様相でついてきてくれることになった。


 現代でも曲水の宴は京都の時代祭りなどで披露されているが、元祖曲水の宴はどのようなものであったのかを知りたいと思う。

 インターネットが使えないので、すぐに検索エンジンで調べ物をすることはできないのが不都合に感じるものの、時間がゆったりとありすぎるので、ゆっくりと本物を愛でてみようではないか。


 例のごとく牛車に薄いベールを被った状態で乗り込み、約半時間ほど揺られていく。もちろん今日はクッションを腰に当てているので、緩衝材となり抜群の安定感である。

 余裕も出てきたので牛車の御簾ごしから街の様子を伺う。慣れてみてみると興味深いものが多い。


 御簾ごしに覗いている状態で、かつ砂埃が舞ってるので、にわかにしか見えないが、まず道路が非常に広い。先日こっそりと街中を探りに行った時は裏道などの細い道を隠れるようにして通っていたので大通りを堂々と通るとまた街の印象が異なる。

 道路の横幅で100m走は優にできるであろう。現代の片側4車線ずつとっている高速道路でもここまでの広さはない。もちろん道路標識もコンクリート舗装もされていない、ただ地ならしされただけの道である。だから一層壮大に感じるのかもしれない。


 街中の様子は興味深い。

 また自分の足で歩き回ってみたいものだが、先日のお忍びのようにおちよを説得するのに一苦労となってしまう。何しろ御身の尊いお方であるかなこはいつも誰か従者が半径1m以内に付き従っており自由に出歩くことは叶わない。そもそも「歩く」という行為すらほとんどできていないのである。

 平安時代にきてからというもの、敷地内の移動でも駕籠がきたり、隣の家へ行くだけで牛車という騒ぎになる。部屋の中を動くには「ゐざる」となるので、ほとんど歩みという行為は排除される。おそらく、膝の関節の痛みや運動不足がたたって寿命を圧迫しているのではなかろうか。


 街中では座り込んで欠けた茶碗を前に置き、物乞いをしている者もいるが、メインストリートというだけあって、ゆったりとして華々しい印象を受ける。

 新鮮な野菜が入った籠が前後についた竿をもって走る野菜売りは馴染みの大名屋敷に入っていく。

 また反対側では水をはった中に川魚を入れた桶を荷台に乗せながら「さかなーさかなー」と威勢の良い魚売りの声がする。牛車が通った後に巻き上がる砂埃を避けるよう女人が笠についた布で顔を覆っている光景が見られるのは平安時代特有である。


 さて、近くで開催される曲水の宴会場まではゆっくり牛車で約半時間ほどはかかったのではなかろうか。お隣さんの屋敷と聞いていたのに、お隣さんの屋敷までそんなにも時間がかかるのでは、おちよがわざわざ行きたがらないのも無理はないのかもしれない。


 牛車の動きが少しゆっくりとなり、外で誰かが話しをしている声が聞こえる。

 そして門の中へ入りしばらく進んだところで牛車が止まった。


「かなこさま、おつきになりました。」



 良く手入れがされている美しい庭に、ゆるやかに流れるささやかな小川。きれいに設えたお座所。

 準備は万事整っているようである。小川のスタートは自然の川をひいてきているようで、小川のゴール地点は小さな池になっている。

 池には数匹の立派な鯉が雅な体を魅せつけるかのように優雅に涼しげに池の中をくぐっている。お屋敷にお住まいの方もやんごとない身分の方なのであれば、池の鯉までがこうも優雅に泳ぐとは。

 京都の三山の一つが庭の奥手に臨むことができ、借景となって更に遠近感をかもし出した広大な造りとなっている。聞くところによると、この庭の設計したのは平安時代でも名高き庭師で、各高貴な家々の庭を造るのにひっぱりだこだったそうだ。自然なようで隅々まで抜かりなく計算しつくしている庭師の心意気が感じられ、日本の美の真髄を味わうことができる。


 曲水の宴以外にも春の花見や秋の菊の節句など節々で催しものを開催するため、催し物ができるスペースを確保しつつも自然の景観は大切に工夫がこらされており、ありのままの自然の姿を楽しむ心意気を感じることができる。

 それにしても何から何まで桁違いの大きさである。

 この大自然の中ではさぞかし良い句も思いつくであろう。


「良い句・・・。」


 かなこは自分の顔から血の気が引き、まさに真っ青になっていくのが分かった。


「おちよ、もした私も参加するということは、一句詠まなくてはならないのかしら?私には俳句は中学校の国語の授業で学んだきりで季語や韻の踏み方とか全く知らないわ。」


「かなこさま、上流階級の姫君であれば俳句は礼儀の一つでございます。かなこさまもお小さい頃からお歌の先生に見ていただき、それはそれは6歳ながらお見事な句を詠まれていたではごじゃりませんか。」


 かなこの顔色を見たおちよは状況を悟ったらしく、


「まさか・・・。」


と絶句したきり。

 曲水の宴まではまだ数日あるので、特訓あるのみである。持ち前のバイタリティと柔軟性で何とか句会を乗り越えるしかない。すぐさま別邸へ引き返す。


 来たときの悠長な牛車の乗りではなく、普段ゆっくりとした歩みしか知らない牛の尾に火をつけたかというほど急かせ、10分ほどで別邸までたどり着かせた。

 牛もやればできるではないか。かなことおちよの急き立て度合いに下男も牛も驚き、牛は大きな体を下男に引っ張られ、息も絶え絶えの程であった。牛車の中にいたかなことおちよは箱の中で撹拌され、上下左右分からないような有様で振られたが、何とか怪我をすることなくかなこの部屋までたどり着いた。


 かなこの部屋前の水甕から水分を取り、早速特訓を始めることにした。こういう時のためにも水甕は部屋に常設しておくべきだと改めて思う。


 かなこが記憶をなくしているということは最低限の人にしか知られていないので、幼少の頃よりお世話になっており気心の知れているというお歌の先生だけに状況を伝え、おちよと3人で自室に閉じこもる。


 まずは曲水の宴のルールからである。

 先ほど見学した庭にあつらえた川の上流、すなわち滝の方から杯を載せた小さな笹舟を流す。それがスタートの合図であり、スタートの合図とともに詠む歌のテーマが言われるのである。そのテーマに従った歌を短冊に書いた上で読み上げるが、笹舟が到着するまでの間に歌を詠めなかった場合には笹舟の上の杯に入っている御神酒を飲み干すというのがルールである。

 また、詠んだ歌があまりにもひどいものになってしまうと、それはそれで飲まされるということになる。


 あとは周りに合わせて空気を読みながら「ほほほ」「ほんに」「ほほほ」「なんと」と上品に笑って楽しんでいる感をかもし出せれば良い。

 周りに合わせて空気を読みながら楽しんでいる風を装うのは、ビジネスウーマンであるかなこにはたやすいことだが、毎回歌が読めなかったからお酒を飲んでしまっていては、御家のメンツにかかわるという話になりかねないので、無難に過ごすべく、歌の2~3句は詠めるようになっておかなくてはならない。

 限られた時間の中で平安時代受けする歌を作り出すのはかなこには不可能と思われるので、こうなったら頭脳戦で挑むしかない。


 まず歌を考えて筆で短冊を書くまでのかなこに与えられた時間を計算することとする。川の下流の方に陣取れれば多少の余裕はできるのであるが、御家の格などを配慮して主催者側がその辺は調整するとのことである。

 一番上の方であってもゆるやかに笹舟は流れていくので、10分は余裕があると思われる。

 書くのに1分、読むのに1分と考えると、歌を考えるのには8分の計算である。

 では、8分の間に与えられたお題と季語を盛り込んだ無難な歌を詠めるか。となるとある程度事前にお題を想定しておいて、いくつか文章のレパートリーを作成しておく。その中の句の組み合わせなどを当日は8分間の間で考える。


 では、想定されるお題はどのようなものか。


「おちよ、今までの句会ではどのようなお題を出されていたのか」


「はて・・・なぜに今までの句会のお題を」


 平安時代の政では過去の前例にすることが多いと認識はしていたものの、嗜みの領域である句会などでは、過去分析をするというような考えは頭をよぎりもしないようなことなようだ。


「はて、どのようなお題だったか・・・。」


 はっきりしないおちよに少しイラつきつつも、過去に中納言別邸で開催された句会の記録が収まっている蔵の蔵書をあさってみることにした。



蔵の中は埃まみれになっているのを覚悟していたが、蔵守人がいるようで、案外きれいに手入れがなされており、調べものはしやすい状態になっていた。

 中納言別邸で年に2~3回開催されていたようで、その記録がきれいに整理されてしまっていたようである。


 秋でのお題は「金木犀」「ざくろ」「初時雨」「すすき」などの一般的な季語を取り入れたお題が多いようだが、中では「ひとみ」や「都」などとどういう経緯でそのお題になったのかと思うようなものまである。

 前者の一般的季語についてはある程度句を考えておくことで何とか対処はできそうである。


 そして一般的季語がお題として出る確率は70%。

つまり一般的季語対策だけで70%は対応可能という机上の計算ではそうなる。

 対策が難しいのは後者の変化球的お題であるが、30%の出題確立であるので、一回の句会に多くても2個しか出てこないという計算になる。そのため、2回はギブアップしてお酒を飲む結果になっても70%をおさえている以上、家の格にそぐわないレベルに下げらるのは何とか避けられる。

 かなこは技術系の頭をフル活用させて分析を進める。


 そして、いくつか過去の句会で読まれた句を参考にして、部屋で作戦会議である。

 紙に想定される一般的季語のお題を書き出しておちよと歌の先生と3人で次から次へと句を並べてゆく。短冊のサイズの紙に単語帳形式でひたすら書き行く。

 夏の季語といってもたくさん思い描けるので、やり出すときりがない。


 昼すぎから始まった作業だったが、既に月が高くから見下ろす時間となっていることに気づいた。

 かなこには俳句の才能はないものの、数で勝負をして次第点をとれたものと、おちよと先生が出してくれた俳句を合るると既に300句を超えていた。

 次はかなこが単語帳形式で書き出された句をマスターしていく。

 どうしても意味合いが分からないようなものについては、カンニングペーパーを懐に入れてこっそりと見る方法をとるべきだろう。今も昔も不正行為は同じようなものだなと微笑する。


 単語帳を覚えるのはかなこにとって苦ではなかった。中学高校大学と3度の受験を経験し、英語や古文は単語帳とともに通学の電車内にゆられていたことを思い出す。なんとか1週間ほどで300句を頭に叩き込まなければならない。


 朝昼晩の食事時も、常ならぼーっと何もすることなく過ごしてしまう午後も句を覚えるのに必死である。

 平安の時代において受験勉強の短期決戦型のノウハウが活かされるとは。2倍遅の世界において、急に頭をフル回転させたものだから、頭脳CPUオーバーして発熱しないか心配である。

 しかし句を完璧に頭に入れておかなければ、当日のお題に沿って組み替えるというような応用はできない。


 そして、字も早くきれいに書く必要がある。これまた高校以来握っていない毛筆で短冊に達筆に収める必要がある。

 鉛筆すらここ10年くらい握っていないのに、毛筆など到底たちうちできない。パソコンで書けたらどれほど楽であろうか。パソコンの毛筆モードで良いではないか。そうであれば楷書も草書も明朝体もゴシックもお手の物であったのに。

 それらしく崩してかけば他の方も読めないはずでコメントのしようもない、つまり短冊へ字を書くポイントは「読めないレベルに達筆で書く」ということになる。


 おちよが横からのぞいて


「みみずがほうとる・・・。」


 かなこが睨むと首をすくめて咳払いをしてそ知らぬ顔をしている。

 そこまでひどい字なのかとがっくりきた。日夜かなこは句の暗唱と文字の練習を行うこととなる。


 手が疲れたと思ったら句を諳んじ、喉が痛くなったと思ったら筆を執るという具合だ。

 昔から集中力があった方なので、句のインプットも字の上達も早く、何とか1週間で対応ができるまでになった。一気に古語のレベルが上がった気がする。初心者レベルから中上級レベルになったのではなかろうか、平成の世に戻ったら古文検定を受験しなければ。

 自然に身を任せて自然に寄り添った生き方をするんだと思い至ったはずなのに、ここ数日は勉強の毎日で、慣れないことをするのはやはり骨が折れるとぐったりとする。



 さて、曲水の宴の当日となった。前夜は眠れず頭の中を句がめぐっている。そして手も腱鞘炎になりかけの状態で、字を書こうとすると震えて、まさに達筆に見えるくらい良く読めない字が書けるようになっていた。

 午前中に最後の総ざらえをして昼食を食べてから、出立となる。

 会場へは前回と同様に牛車で向かったが、この1週間ずっと部屋の中に閉じこもっていたので、外の空気がとてもすがすがしく感じる。大きく伸びをして両手いっぱいに外の空気を吸い込む。


 侍女達に促されて定位置についた。

 どちらかというと上流に位置するが、無難な位置を確保できたと思う。当初の想定通り杯を乗せた小さな笹舟は10分程度で流れてくるくらいの位置であろうか。


 みんな余裕なのか、前回の曲水の宴での誰の歌がどうであったというような回想話に興じている。

 かなこはそっと懐の内にあるカンニングペーパーをお守りのように握り締め、いざ出陣っと心の中でつぶやいた。


 一つ目のお題はどこぞの某麻呂様とおっしゃる方が指名を受けて、もったいぶって謙虚さを見せている。


「われ 最初のお題を きめさせていただく栄を賜り

(中略)

 『セミ』でいかがなものであらしゃいますか」


 話が非常にゆっくりな上に長く、どこぞの中学時代の校長先生を思い出す話ぶりであった。

 途中は意識を無にしていたので、中略としたが、結局は過去のお題と同じ「セミ」であった。事前の勉強した内容がまさに当たったこの感覚、久しぶりに味わってかなこは嬉しくなった。

 腱鞘炎で震える手首を支えつつ、さも難しいお題が与えられたというようなそぶりを見せつつ短冊にミミズ文字を書いていく。この時期のセミということは「秋蝉」になる。


 他の参加者も昨年と同じお題であったので、スムーズに笹舟は流れていき、


「ゆうたなぐ そらをまたたき あきせみや」


と得意げに詠んで見せたかなこの前も無事に通過した。

 一応は先生が作った句であったので、周りの方々もほほぉっと感嘆してくれている。


 どうやら、よほど最低な句ではない限り、オーディエンスは「ほほぉ」「なんとまぁ」「あな」といった感嘆語を述べて揚げてあげるのが礼儀なようである。

 中には涙して「おぉ、なんと」と感激の涙を流しているものまでいるではないか。私は古文が半分くらいしか理解できないが、他の参加者が歌を詠んだ折には周囲と同じようなリアクションをしてみる。

 何が悲しいのか分からないが「まぁ」と目元をぬぐうしぐさをしてみる。


 周りをよくよく観察して見ると、なんと涙を流して感動していると思っていたおばさ・・・いやお姉さまが実は嘘泣きで、近くの高級そうな服をきたでっぷりちゃんに対して色目を使っているではないか。

 なるほど曲水の宴はコンパ会場でもあるわけだと得心した。良家の姫君であればなかなか外出も自由にままならないので、こういう機会を使って意中の方にアピールをしておき、夜中のに逢瀬を重ねているのであろう。


 なんとも腹の中が見えてしまっては興を逸するというもの。貴族の姫君たちはそれはそれは雅に着飾って少しでも見目麗しい殿方の目にかなうように背伸びをしている。

 暗記した句が頭の中を回り続けて寝不足で顔がむくんでおり、なるべく目立たないように無難にすべてを終わらせたいと服も地味目を選んできた私とは雲泥の差だ。わざと句を詠むのに時間をかけて


「あらっもう笹舟がきてしまった」


 ほろほろと控えめに言い、笹舟の上の杯をあけて酔った乙女を演じているどこぞの姫君を見ていると、現代と同じ光景である。


 先日会社の同僚に誘われて行ったコンパでも花柄パステルカラーでラブリー感がまぶしいワンピースにこれでもかと顔を塗りたくり、テカテカの唇を輝かせてキャッキャ言っていたっけと現代も平安時代に女性のぶりっこぶりが重なる。


 真上から照り付けていた日差しも傾き赤みを帯びている。

 次がどうやら最後の問題となりそうだ。


 今まで10題ほど提示されたが無難に8勝2敗である。

 3回ほどお酒をいただいている人も中にはちらほらいるので、次の一問を間違えても問題はないのだが、最後のお題は主催者側の方が最初から決めていたようで、全員が詠めるような内容でお後が宜しいようにと粋な計らいをしているらしい。


「ほんじつのみなさまがたとのご縁を気に

(中略)

最後のお題は『恩』でよろしゅうおたのみます」


 過去問にはなかった単語である。

 そしてこの場の雰囲気では全員が詠まねばお家の格の問題に発展しかねない殺気がある。かなこの頭の中は真っ白になってしまった。

 もちろん、かなこにとっても恩人と呼べる人は何人もいる。

 小さい頃に習っていた水泳の大事な大会でうまく泳げなかった時に「今日の試合の悔しさが強さになると、かなこは成長できるんだよ」と励ましてくれたコーチ。


 就職活動で思う会社の採用試験に連続で落ちたときに励まし、内定が決まったときに自分のことのように喜んでくれた地元の友人。数えればきりがないが、水泳や就職活動というような単語がまずないこの時代で、どのようなこと人々は「恩」を感じてきたのであろうか。


 エピソード的なものは後づけで想像するとして、誰を対象に思いうかべるかである。

 この時代にきてから一番お世話になったのは、やはり侍女のおちよである。

 そしてこの1週間ほど一緒に和歌の課題に取り組んでくれた先生。

 あと無難にいくのであれば両親になるのか。


 一番最初の詠み人は「帝」を太陽に模して「恐れ多いことではごじゃりますが」と前置きをした上で高らかよ詠み出した。

 この世の中が平和であり続けられるのは帝のおかげで、これからも御世が安泰に続きますようにというような意味合いの和歌であった。参加しているみなさんがうんうんと頷き畏まってきいている。涙を流しているものもいたが、涙を流すポイントはどこだったのだろうか。

 現代の象徴的な天皇以上に、この時代での帝の存在は神々しいものであることが伝わってきた。


 次の詠み人は、「帝の後で恐れ多いが」と、これまた畏まって和歌を詠み始めた。


 次々と恩に関する和歌が詠まれていく中、かなこは焦っていた。この時代に恩がある人といえば、おちよとこの1週間徹夜に付き合ってくれた和歌の師匠であるが、恩を伝える先のレベルがあるのではなかろうか。


 いやいや、やはり両親、それもこの時代では相当徳があるとされている父上を敬ったものが良いのではないか。としたところで、かなこの前の詠者、この時代に珍しくでっぷりとしておらずひょろりと線の細い殿方が詠み始める。


 自分の和歌を考えるのに必死だったかなこは途中の部分しか聞き取れなかったが、いよいよもってかなこの頭の中は真っ白となってフリーズしてしまった。

 この世に恩をもらったものはたくさんあるけれど、この場の雰囲気にそぐわしい句を高らかに読み上げるというのは至難の業である。


「あぁ、どうしよう。」


 おちよもお歌の先生もいない状況で今までにないお題に行き当たっってしまった。

 頭の思考回路をフルスペックで回転させてみるものの全く良いアイデアが思いつかない。


「あぁ、どうしようどうしよう。」


 そうしている間にも笹舟は近づいてくる。

 普段、アイデアが思いつかない時はランチにいって気晴らしをしたりコーヒーを飲んでリフレッシュしたりトイレに行ってすっきりとしたら考えつくものであるのに、こういう自然の時間に時間を握られている状況では何もすることができない。

 ゆったりと自然に寄り添っている平安時代であるからこそ、ゆったりの中に生活スピードを取り入れているのだろう。自然に委ねているからこそゆっくりとした時間もあれば、自然こそ実はゆっくりなように見えて着実に時を刻んでいて人間の時間に左右されずに進む時間もある。それが自然の時間であり、その時間を軸にして生きることにしているのが平安の人々なのだ。

 そういう考えが頭の中を巡るものの一向に良いアイデアは浮かんでこない。

 たかだかお酒を飲むくらいなのだからもういいやと諦めかけたその時、かなこの肩にはらはらと舞い降りてきたものがあった。

 上を見上げると、気づかなかったが色づきかけた紅葉の木が佇んでいた。


 曲水の宴でずっと同じ席に座っていながら気づかなかったのは、やはり目の前のことだけに没頭して、自然の中で生きる、自然の空間に存在するということに気付けなかった。

 そうだ、この世の中全部とか、自然とか神仏に対しての感謝という意味合いでいこう。


 この時代であれば八百万の神が崇め奉られていた時代にあたるので、自然を題材にした和歌であれば良いのではないか。


「やおよろづ したたるしずく いきるかて」


 題材が決まったので、すでに持っていた300句の駒の中からつなぎ合わせて即興で和歌を詠んでみた。

 組み合わせでタブーを使っていないか不安で、聞こえるか聞こえないか程度の非常に小さな声で詠んで見るが、近くのサポート係がご丁寧に大声で繰り返す。そんな大きな声で復唱しなくてよろしいですからという怒りの言葉を喉まで出しつつ、真っ赤な顔をしてサポート係をきっと睨んでしまう。


 詠んだ後で周りの評価が恐ろしくあったが、周囲からは「ほおぉ」や「ほんに」と涙ぐんでくれるもの、「さすがは、ちゅうなごんさまのひめぎみさまにあらしゃいますなぁ」と独特なイントネーションで褒めそやしてくれるものがおり、うまく詠めたことに安堵する。


 風流で粋なことを好む高貴な方々に交じって、何が時代にあった風流で何が粋とされるのか分からない状況でも雰囲気をそれらしく装って、長年丸の内のキャリアウーマンとして空気を読む力を最大限に発揮できたのではなかろうか。


 自己満足をしていた中でふと思い出す、そもそもこの曲水の宴に参加したのは何のためだったのかと。

 何事もやり通すと決めたら一心不乱になって取り組んでしまうタチ、歌をつつがなく読むということが途中から目標になってしまい、かなことしたことが本来の参加の意味を見失っていた。



・歌詠みの会 曲水の宴 出会う殿方



「そうだったわ。」


 気づけばもう曲水の宴も終わってしまい、皆バラバラに帰ろうとされている中で、殿方はと探してみるが、多くはもう帰る準備をしているか、気になった女人に対して和歌を送って誰に返歌があるのかと集団で楽しんでいる模様。

 かなこ宛の和歌は特になく、かなこを気にかけていそうな殿方も見当たらない。やはり呪術になど頼ってしまったのが浅はかだったようだ。平成の世に戻るすべは自分で見つけるしかない。


 がっくりとしながら帰路につこうとしたところへ、どこかの下官がかなこの元へ小さな桐箱を渡しにきた。桐箱にはまだ青い紅葉の葉を挟んで白い紐で結ばれている。


「これはもしや。」


 どこかの殿方がかなこ宛に手紙を届けてくれたに違いない。

 かなこを見初めた殿方、その方は紛れもなく曲水の宴で出会うべき殿方であろう。諦めかけたぎりぎりのところで焦らして持ってくるなど、テレビドラマのロミオとジュリエット平安絵巻版でもよくやる手法である。あれは演出かと思っていたが、実際の平安時代の時の流れはこのようなぎりぎりでの話となるのは致し方なく演出でも何んでもなく事実なのだと体感する。


 いかにも待っていました風にすぐに開けてしまうのははしたないと言われてしまいそうだが、いかんせんこの殿方には平成の世へ戻るための術を授けてもらわなくてはならない。体裁もへったくりもないではないか。



 これから色づく紅葉の葉のように私たちの恋はこれから色づかせていきたいものです



 この時代の手紙というのはどこの誰から来たものかは記載されていない。

 下官が之頼様からにござりまするというのを聞くが、どこの誰かも役職もわからない。側に控えていたおちよがすかさず近寄ってくる。


「おちよ、之頼様とはどなたかしら。」


 小さい声でおちよに聞いてみる。


「あらま、之頼様のお目にとまったのでごじゃりまするね。之頼様は先ほどの歌会でお隣におわしました殿方でごじゃりまする。」


 どんな殿方だったか、記憶にない。

 自分の前の人が詠んだら自分の番まであと数分しか時間がないと慌てていたので全く記憶から消し飛んでしまっている。


「之頼様の曽祖父は中納言之正様でごじゃりまして異母兄様は次期参議とも噂されておられまする。また之頼様の母君の前夫は源義秀様のご次男、高貴なご一族のお一人でごじゃりまする。」


 そんな家系のしかも遠い縁戚の話を出されても余計分からない。この時代の人は皆、誰が誰の子孫で誰と結婚して誰が遠縁なのか現在の役職はもちろんのことながら前職や縁戚の職なども全て把握しているのか。恐ろしい記憶力である。それに血縁関係がものをいう時代とは分かっていたが、ここまで遡って人々に広く認識されていることにも驚きだ。

 今の世でも重要顧客や業界でのキーマンは経歴が冊子にまとまっていたりする。特に官公庁ではどこの学校出身者かは元よりどこの室をどれだけ経験してきたか、趣味や血縁関係まで掲載されていたりする。

 個人情報の線引きが難しい時代であるが、この平安時代も似たようなものだ。血縁関係を異母兄弟やその嫁ぎ先などまで全て把握していかなければならない。しかも殿方であれば成人になったり出世によって名前を変えたりしていくのでなおさら家系図はカオスである。


 結局その之頼様が誰なのか全く分からない。


「ほら、ほっそりとされている方でごじゃりまするよ。」


 おちよが再度補足してくれて思い出した。この時代に珍しくでっぷりとしておらずひょろりと線の細い殿方、そうかあの方か。

 確かにこの時代の殿方とは雰囲気が違うかった。あの殿方も平成の世もしくは遠い未来から来ていたのだ。きっとそうだわと一人納得する。


「返歌を。」


と下官が催促してくるのでどのような返歌をすべきか、おちよの顔を伺いつつ悩む。



 紅葉の葉の色づきは一度に進むものではないので私たちもゆっくりとお話をしてお互いについて知り合いたいものです。



 お相手の歌に合わせて返歌を書いてみた。横目で見ていたおちよも上々というように諾と首を上下に動かしている。それを頂戴した桐箱の中に入れる。

 どこかからおちよが2枚のまだ青い紅葉の葉を持ってきてくれたので、その2枚が重なるように置いて紐でくくり下官に返歌として渡してもらうようにお願いをする。

 下官が殿方の方へ去って行ったのを見送り、別邸へ戻る。


 別邸へ戻るやいなや、おちよに威勢良く話をしだす。


「おちよ、あの呪術師が言っていた曲水の宴で出会う殿方とは之頼様のことだわ。その方が何かを知っている。すぐにでも会いたいのだけれどどうしたら良いのかしら。」


「かなこさま、落ち着いてくだしゃりませ。之頼様は今は大和の方におらしゃいますが、すぐにでも京の都の方へお戻りになられるかと存じまする。」


 せっかく平成の世へ戻るための術を知っているかもしれないヒントを持っている之頼様が京に帰ってしまわれてはすぐに会えないではないか。

 かなこの現在の状況では京まで行くのはパパの目が厳しそうなのでしばらく無理だ。


「おちよ、何としても之頼様が京へお戻りになられる前に会わねば。」


「かなこさま、先ほどお歌をお交わしになられたのですから、しばし待たれてみてはいかがにごじゃりましょうか。」


 待つだけとは何とももどかしい。

 平成の世であれば話をしたい相手とつながり合う方法などいくらでもあるのに。電話番号の交換ができればいくらでも口頭で話ができる。更には電話会議もできるのであたかも目の前にいるように話しも弾むであろう。

 メールアドレスやSNSツールで相手のアカウントをピッと交換したらすぐにネットを介して情報交換をするのもスムーズだ。

 歌のやり取りは手紙に近いが短文だけで相手に考えを伝えなければいけない。

 しかも用件を伝える前にこちらがガンガン攻めてしまってもいけなければ風流さが欠けていても相手は手紙を読むことすらしてくれなくなるという難しい時代。


「おちよ、之頼様からの返答はまだかしら。どのようにすればお会いできるよう話を持っていけるのかしら。」


「そうは言われましても之頼様の気持ちもごじゃりますれば難しいこと。このような恋の駆け引きというのが風流で貴人方が好まれまするところでごじゃりまするし。」


 ぼそぼそと最後の方はごまかしつつ、おちよの顔には知らないよそんなことはっきりと書いてある。

 之頼様が来ないのであればこちらから乗り込むしかない。


「おちよ、之頼様は今はどこに滞在されているのかしら。之頼様も大和に別邸をお持ちなのであればご挨拶に伺います。すぐに支度をしてちょうだい。」


「こちらからお尋ねになられるのですか。それはいささか。女人からお尋ねになられるなどはしたのうごじゃりまする。許嫁もいらっしゃる御身で殿方の元へ通われるなど、お父上がお知りになられたら大変なことになりまする。」


 最後の方はいつものように涙目で袖を目元に寄せて泣き落としにかかるが、かなこも平成の世に戻るために会わねばならないので必死なのである。


「おちよが知らないのであれば、曲水の宴の主催者に聞いてみるしかないですね。」


 違う女官に声をかけて支度をと伝える。それを見たおちよはさすがにあたふたとして主人には逆らえないと不承不承に準備を手伝いだす。

 とそこへ件の之頼様からの遣いという方が来たという知らせが入る。

 おちよはこれで主人にはしたない真似をさせてお父上からこっぴどく叱られるのを避けられたとホッとしつつ、お通しになる様にと段取りをとる。



 あなたへの憧れが強まって一度お目にかかれないものかと思っております、先の宴の様に日の元で


 私も今すぐにでもお会いしたいものです、いつでもお待ちしております先ほどの宴の様に気楽に



 早速返答の詠を読む。

 もちろんおちよの力を借りて訂正をするのだが、お互いに相思相愛の詠み歌ではないか。女性らしい華やかな薄桃色の和紙に返歌を書いた手紙を満足げに眺めつつ、漆箱に収めて水引をあしらって之頼様の遣いの者へ渡す。あわせておちよは反物を遣いの礼に授けており、この辺りが主人を立てて抜け目がないおちよのさすがなところだと感心する。

 これで之頼様もすぐにお越しになるであろう。ましてやすぐに都へお戻りになられるのであれば今日中に返答歌を出すか足を運ばざるを得ない。


「かなこさま、お外へ行かれる様なお召し物ではなくお着替えくださりませ。」


 確かに外へお忍びで行く様な服装を準備していたが、上の重たい着物をかぶって御簾を準備すれば大丈夫ではないか。

 着物を着替えるのも苦労だし時間が勿体無い。

 それでなくても朝の着物、人が挨拶に来るようの着物、午後の部屋着物、外へ散歩に出る着物、夜にゆるりとする着物、寝間着と1日に何度も着替えをして、その度に時間がかかってくたびれる。


 平成の世でも富裕層はこんなにも1日に着替えをしているものなのだろうか。部屋着と外着と夜に社交界へ出かける服など多くても3パターン程度ではないか、まぁ社交界へ行くような身分でもない一介の社会人であるかなこであれば2パターンしかない。合コンの時でも会食の時でも部屋着か出かける服か。1日に何度も服を着替えるようなことはしない。


「この着物の上からそこの思い打掛を着ます。御簾を下せば大丈夫でしょう。」


 それより早く之頼様がこないかと首を長くして待つ。

 急いで焚かせたお香も十分に部屋に広がり、この時代らしい祖父母の田舎の家の畳の香のような懐かしく芳しい香りに包まれる。その香りにリラックスさせられてかなこの不安も和らいでいく。


 まず之頼様に会ったならば何から尋ねるべきか。心を落ち着かせてまずは順序立てて考えていかねばなるまい。まず最初の質問は之頼様はいつからこの時代に籍を置いておられるのか、か。それとも遠い時代から訪ねてきた人がどの様にして自身の時代へ戻ったのかを知っているか、か。いや之頼様がこの時代に留まっている理由を聞いてみるべきか。


 尋ねたいことがたくさんありすぎてどこから話をしたら良いのか。

 でももしかしたら之頼様は平成の世ではないのかもしれない。もっと先の時代から来ている超未来人の可能性もある。はたまた戦国時代くらいからタイムスリップしている可能性もあるが、戦国時代からであればそこまで現代科学に慣れていないので近しい文化で苦労なく平安の世に馴染めていたかもしれない。


 曲水の宴でも確かに流暢に歌を詠んでいた気がする。

 かなこは1週間づけでお歌の先生につきっきりで勉強したが、そんな努力をしているようには見えなかった。ということは歌を嗜む時代から来ているからと考えるべきかもしれない。

 戦国時代といえば戦国武将のでっぷりもっさりとした体格良く甲冑が似合うイメージがあるが、之頼様はほっそりとしていたので戦国時代に似つかわしくない。それに戦国時代の人はタイムスリップを理解できているのだろうか。

 科学の進歩が著しい平成の世から来た人でさえこんなにも戸惑っているというのに。やはり近しい平成の世から来たという前提で話を進めて良さそうだ。


「かなこさま、本日は日も落ちてしまいましたので、おそらく之頼様はお越しになられないかと。明日にはお出ましになられるでしょう。そろそろ夕餉の支度をさせていただきまする。」


「そうか、そうだわ。ご出身から聞けばいいんだわ。」


 お出ましという言葉でひらめいた。話の筋はまずご出身を確認する。その住所で大体の時代はわかる。廃藩置県よりも前か後か。あとはいつ頃に都にいるのか、そしてタイムスリップをして元の時代に戻った方を知っているか。そこから先は流れに任せて平成の世へ戻る手段を聞き出すしかない。


 本日の夕餉の膳が目の前に置かれる。

 今夜の献立も大きく変化はなくお菜を少しと塩漬けの魚とご飯と味噌汁と漬物。シンプルイズベストな夕餉である。


「おちよ、飲み物をいただけますか。」


 おちよがお茶を出してくれる。塩辛いと分かっているので事前に対策を講じるようになっていた。塩漬けの魚はご飯の上に置いて、少しお茶をかける。お茶漬けにすれば美味しく食べられると勉強した。この時代でいかに快適に過ごせるかを研究して成果が出てきていると自分でも嬉しく感じる。

 もちろんお茶漬けにするなどおちよからは冷たい目線をいただいていたが、毎回お茶をこぼしたふりをしてたっぷりとお茶をかけていただいている。おちよもさすがに堅いご飯は辛いのかと目こぼしをしてくれているようである。

 漬物を箸で取り口に入れる。口に入れた途端に酒粕の香りがツンと鼻の奥まで届き懐かしさがこみ上げる。ゆっくりと噛んでみるとポリッと歯切れよく漬物が口の中で割れる。

 この食感、この香り、瓜がじっくりと酒粕に浸かるからこそ出せる深みのある塩辛さ、これは紛れもなく奈良漬ではないか。この時代でも平成と同じ味であるとは感激でもありホッとする。


「奈良漬は本当に美味しいわね、ご飯ともお茶とも良く合うわ。」


 少し意味を理解しきれず怪訝な顔をしたおちよであったが、ポリポリと軽快なリズムで音を立てているのを聞いて納得した様子を見せる。


「あぁ、粕漬瓜のことにごじゃりまするね。殿方がお飲みになられる御酒のそこの濁りに漬けるのだそうです。商人も御膳番もみな工夫から新しい美味を生み出しまする、その発想はほんに豊かなこと。」


「本当に始末が良いこと。それにその味を変わらず何百年も伝えてきた人々の伝承能力も素晴らしいわ。」


 現代に引き継がれているものを発見し、また之頼様というキーマンにも出会えたことで安心感があり今日はなんだか気分が良い。

 ポリポリという音が月明かりの照らすこの別邸に軽やかさをもたらしていた。

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