第6話 秋篠寺の仙人

 閉門の時間ギリギリに裏口に辿り着いた。


 老人と話し込んでしまった分、帰宅が遅くなってしまったのだ。だが当初の想定以上に収穫があった気がするのは、やはりあの呪術の老人に占ってもらったからだろう。心の支えとは何と心強いものか。


 別邸に帰ってからそっと部屋に戻って服を着替え直す。顔の汚れも全て落とすが、この時間に髪がくしゃくしゃなのは不可解なので、下女に結い直してもらう。入ってくる下女がみな口を揃えてどこにいたのか、また倒れているのではと心配で心配でと言いながら、袖で目元を拭う。


「いや、私がお部屋へ伺った際にはおられませんでした。」


「それは、ちょうど庭の木陰で休んでられた時でしょう。」

また別の下女によると、


「いや、私めが庭掃除をしていた時にはかなこさまをお見かけいたしませんでした。」


「それは、ちょうど西の間の方に涼みにいらっしゃっていた時でしょう。」

またまた別の下女によると、


「いや、私がずっと西の間でお茶のご用意をしておりましたが、かなこさまは来られませんでした。」


「それは、ちょうどわれらと入れ違いになったのでしょう。」


と次々下女達が放つGPS情報をのらりくらりと交わしながら、さも別邸の中をウロウロとしていたかのように言い逃れる。その度にかなこはあたふたと目を泳がせ、


「ほんに、お部屋で。」


「ほんに、お庭で。」


「ほんに、西の間で。」


とおろおろ鸚鵡返しをするばかり。

 下女達の質問攻めが終わったところで市中に出て得られた情報を紙に書き出してみよう。


「おちよ、紙とペンを、ではなく筆をください。」


と所望した結果、紙と書道箱一式を文机に準備してもらった。

 紙と言ってもこの時代は分厚い和紙のようなもので、どちらかというと布に近いような紙である。分厚さも藁らしい繊維の入り具合もマチマチではあるが、高級品だということはすぐに分かった。硯にはすでに墨が刷られており、すぐに書き出すことができるよう整っている。

 筆と墨など高校の書道の授業以来なので、緊張して自然と背筋が伸びてしまう。気持ちを落ち着かせて、肘を高く筆がまっすぐになるようにキープ、手首は柔らかく曲げて筆先に神経を集中させる。そして滑らかに文字を奏でていく。


《市中での情報》

・秋篠寺の仙人住職

・西方からの秘薬で起死回生した京の伊集院さん

・穀物売りと山菜売りの喧嘩

・竹細工のうまい少女

・美人の酢

・薬種やの呪術師の老人

・薬種やの先代の話では、後の時代から来た者もいた

・ふらりと消えた者もいたし、留まった者もいた

・この御時世に送られてきた理由

   ー呪い

   ー神の計らい

   ー何故私だったのか

   ー何故この御時世だったのか

   ー誰から何を求められて今ここにいるのか

・これからどうするか

   ー平成の世に戻るか

   ー平安の世に留まるか

・歌詠みの会 曲水の宴 出会う殿方



思いつくことをつらつらと書き連ねる。

 気合いを入れて書いてみたものの、慣れない習字で文字が大きくいびつになりがちだ。修正もできないので黒塗りつぶしの箇所も多く見づらい。


「あー修正ができない。パワポが欲しいところだわ。」


 ぶつくさ文句を言いながら、書き上げたものをざっと眺めてみる。

 穀物売りと山菜売りの喧嘩、美人の酢はタイムスリップのヒントにならなさそうなので二重線を引いてみる。竹細工、そうだ竹細工は本当に見事な物だったと再度懐から出して眺める。その細い線を撫でながら、考えを巡らす。

 そして、それぞれのキーワードにToDoを付け足していく。普段の仕事でのタスク管理と同様にやってみる。


「あー行追加ができない。エクセルが欲しいところだわ。」


 ぶつくさ文句が絶えないが、文字を細かくして行間に追加していく。



《市中での情報》

・秋篠寺の仙人住職

 →近日中にヒアリング。事前にアポイントが必要かおちよに確認要。

・西方からの秘薬で起死回生した京の伊集院さん

 →高貴な人?別邸で噂話の真偽を確認。京へ行った際に本人へ事情聴取。

・薬種やの呪術師の老人

 →定期的に訪問。またヒントがもらえるかも。

・薬種やの先代の話では、後の時代から来た者もいた

 →過去にも事例あり。更に情報集集。東大寺の書物も研究要。

・ふらりと消えた者もいたし、留まった者もいた



 この項目に来て、ふと筆が止まってしまう。

 消えた者はどうなったのか。希望としては、元の世界に戻れたと信じたい。

 だが、神隠しにあったのは盗賊に襲われたとか、犯罪に巻き込まれてこの世自体から消されてしまったとか、マイナス思考のことばかりが頭の中をめぐってしまう。また、留まった者は結局、元の世界に戻る術を見出せなかったのではないだろうか。本心でこの世界に留まりたいと思っていた人は何人いたのだろうか。



・ふらりと消えた者もいたし、留まった者もいた

 →私は平安の世からふらりと消えて、平成の世へ帰る。



少し不安に思いつつも、意思を強く持ってそう書き記した。



・この御時世に送られてきた理由



 これも難題である。そもそも平安の世に流れ着いてきたところを分析したことがなかった。はて、私は何をしていてこうなったのか振り返る必要がある。


 まず、夏季休暇を利用して奈良へ旅しに来た。

 早朝に宿を出て観光をしていた。興福寺、春日大社を巡ったのち、東大寺へ回ったはずだ。確か東大寺から裏の二月堂まで行き、池を眺めていた。

 そうそう、じっとりとした暑さだったので、かき氷が食べたいなと思っていたことを思い出す。写真を何枚か撮っていたかもしれないが、そのスマートフォンも失っている。

 あぁそうだ、あの東大寺の境内で倒れてしまった時に雄鹿が私を知っているよな瞳で見て何かを語っていた気がする。あの雄鹿を探せば何か分かるかもしれない。

 私はあの雄鹿に導かれてここまでやってきたのかもしれない。


「ふふっ。鹿が何かを知っている訳ないか。」


 考えていたことが口から独り言として漏れてしまう。


「かなこさま、鹿は神の遣いにごじゃりまする。奈良の春日さんの氏神さまは鹿島神宮から来た時に鹿に導かれてお出ましになられました。この地では古くから鹿は神の遣いであると同時に人を導いてくださる大切な獣にごじゃりまする。人が知るよりも古くからを多く知っているのです。特に雄鹿は多くの雌鹿を従えて群れで一頭しかおりませぬ。その貴重な群れの長であれば、なおのこと知性を備えておりまする。雄鹿の御角の枝分かれの数が年齢を示しておりまする。春日の山には1,000歳を越す雄鹿もいるとの噂にごじゃりまする。」


「なんと、鹿が1,000年も生きることができるのですか。」


 アニメの世界でそのようなモデルを見たことはあった。

 平成の世ではせいぜい10数年という寿命だったが、神と人とが共存している平安の世ではもしかしたら鹿の寿命の1,000歳とまではいかないにしてもかなり長生きなのかもしれない。あの時、私を知っていたような気がした鹿の角の枝分かれの数はどうだったか。

 記憶がおぼろげで定かではないが、遠目にも雄鹿と分かったのだから、立派な角はあったのだろう。

 あの雄鹿が私に話かけようとしていたことが、この御時世に送られてきた理由だ。あの雄鹿を探さなくてはならない。


「おちよ、雄鹿を探したいの。奈良公園、ではなく東大寺の近くに行けば鹿の群れに会えるのかしら。」


「かなこさま、東大寺近辺でなくてもそこここに鹿はおりまする。ですが、かなこさまをそんな危険な目に合わせるわけにはいきませぬ。神の遣いであっても鹿は田畑をめちゃくちゃにすることも人を襲うこともごじゃりまする。またかなこさまに何かあっては、おちよは中納言さまに合わせる顔がごじゃりませぬうぅぅぅ。」


 最後の方は目尻に袖をあてながら、声も着物の袖に吸い込まれて聞き取れなかった。

 市中に出るだけでもあれだけ大事だったのだから、野生の鹿に会いにいくといなればなおさらハードルは高かろう。平成の世であるから、鹿もおとなしく鹿せんべいにありつき、奈良公園という目には見えない区域の中をテリトリーとして生きているもの。そのような箱入り獣ではないこの時代では、鹿もかなり凶暴な可能性はある。

 ただ、鹿に会えない状況ではあっても、この世界に連れてきたのがその雄鹿であるのであれば、いずれ私の前に姿を現わす可能性が高い。でなければ、連れてきた意味がないではないか。そう思いあたり、一旦この御時世に送られてきた理由は置いておこうと決める。


 では、次の議題へ。

 会社の中でも検討課題が複数ある時は、ある一定時間考えて答えが出ないとなった時は一度その課題から離れてみる。しばらくすると良いアイデアが思いついたり、全然別のこと、例えばランチを食べていたり、友達と恋バナに華を咲かせている時にふと解決の道筋が見つかることがあるのだ。

 頭の片隅にピン留めしておくだけで、自然と思考回路が時々その周りを通過して自然と練ってくれている。自分の脳細胞を信じることにして、次の議題を見つめる。



・これからどうするか

   ー平成の世に戻るか

   ー平安の世に留まるか



 そうなのだ。私はこの超絶ゆっくりとした時代から一刻も早くおさらばしなくてはならない。なぜなら、平成の世で仕事が待っている。

 1分1秒でもビジネスの世界は待ってくれない。スピードが全てなのである。世の中へ新しいことを提供していくのに二番手になることは許されない。一番手でなければ意味がないのだ。現段階でも平成の世でどれだけ時間が進んでいるのか分からないが、こちらに来てからはおそらく一週間は経っているだろう。

 あまりにも毎日がゆっくり過ぎて一ヶ月くらい過ぎている感覚がある。早く帰らなければ現在進めているプロジェクトの進捗が遅れてしまう。夏休みは9日間。バッフアーの時間は1日見ている。つまり10日間この時代に留まることは許容範囲であるが、それ以上長引くことはプロジェクトの遅れとなり、ビジネス創出の遅れとなり二番手になる可能性を増やしてしまう。詰まるところ、プロジェクト全ての価値が大幅に下がってしまうのである。プロジェクトの運命が私にかかっているというのに。一刻も早く帰らなければ。平安の世に留まるという選択肢はない。あと3日のうちに戻らなければ。


 プロジェクトにリスクはつきものだ。この時代から戻れないのもリスクのうちに入れて良いのかは微妙なラインだが、リスクとして考えてみよう。


 戻れない場合、図らずしも平安の世に留まってしまう場合。

 私は平安時代の16歳として、体の弱い許嫁と結婚をして子をなして、30歳くらいで孫を得て30歳にして老婆としての扱いを受ける。

 おそらく体の弱い許嫁より私の方が長生きだろう。なので私は未亡人として尼さんになる。

 行き遅れと言われている今よりも女としての幸せな人生を送れるのだろうか。平成の世で一分一秒を争うストレスフルな生活の中に身を置いていくよりも良い生活を送れるかもしれない。しかも中納言の娘という将来を約束されている身分の設定は良い。


「平安時代に留まるのも悪くはない。ふふ。」


 いや、物事メリットだけを考えてはいけない。デメリットも考えるべきだと入社時代の先輩が教えてくれたではないか。


 この美貌なのだから夜這いの被害にも多くあってしまうかもしれない。どこぞの見知らぬ殿方の子を身ごもってしまうかもしれない。流行病に罹って命を落としてしまうかもしれない。病を治すのも天のみぞ知る、陰陽道の祈り次第。

 その前にこのゆったりした時間に慣れずストレスを感じてしまっておかしくなってしまっている方が先か。普段の生活もかなり不便で、人と連絡を取ったり調査するにも平成の10倍、いや100倍は時間を要してしまい耐えられない。

 どのバッドストーリーになったとしても平成の世で感じている充足感は得られそうにない、不幸な身の上だ。衣食住全体において不都合が多い分、この時代はデメリットの方が大きい、というより現代にそれだけ浸って当たり前になっている現代の方が本来の人間としての姿から離れているのか。


「あー頭が混乱してきたわ。おちよ、何か甘いものを頂戴できるかしら。」


「はい、ただいま。」


 しばらくして、甘酸っぱい夏みかんのような柑橘系の果物と和三盆が目の前に置かれた。


「この和三盆はとっても美味しいわ。製糖の精度がいいのね。」


 そしてかなこは最後のお題を眺める。



・歌詠みの会 曲水の宴 出会う殿方



「おちよ、曲水の宴はいつ行われるのかしら。」


「次は秋の曲水の宴ですので、後ひと月というところでしょうか。」

はぁとかなこは大きくため息をついた。


「遅いわ。それでは私がこの時代から戻ってもプロジェクトは価値がなくなって今までの努力が水の泡だわ。全て無駄になってしまう。」


 おちよはまだタイムスリップの事情が飲み込めていないものの、何となくかなこの発言も理解しようとしつつある。


「水の泡とおっしゃいましたが、この世で儚いものこそ価値があるのでごじゃりまするよ。」


「どういうことかしら。」


「草に滴る朝露、雨虎が去った後の波紋、命短き虫の音。どれもかけがえのないものでごじゃりまする。自然と共に生きる。ですから水の泡も儚き世の一興。」


「この世に無駄なことはないと。」


 かなこは思案顔になりおちよに尋ねる。


「そうでごじゃりまする。水の泡がなければ水は息をすることができませぬ。そうすれば池の中にいる鯉や虫たちは息をができませぬ。ですから水の泡は儚くても大切なものだとおちよは思うのでごじゃりまする。」


 おちよは学を修めたわけでもないのに科学の知識を知っていることにかなこは目をみはる。


「おちよはどのようにしてその知識を習得したのですか。」


「いえ、知識ではなく池の鯉はどのように息をしているのだろうかと考えてみた末のこと。わたくしのただの想像にごじゃりまする。ですが、この世に無駄なものはごじゃりませぬ。無駄なように見えて、全てが繋がっているのでごじゃりまする。」


 あぁ、こういう考え方もあるんだなとかなこは素直に納得した。

 平成の世であくせくしている中では気づくことができなかった世界である。自然と共に過ごして自然の流れのままに生きているおちよだから気づける倫理感なのだ。自然のままに自然を感じるということを今までしたことがあっただろうか。

 中学生くらいの時に行った林間学校で、キャンプをした時くらいしか、本来の自然を感じていなかったのかもしれない。

 丸の内では人工的に造られた自然の中で過ごし、長野や岐阜へ足を伸ばした際も車窓越しに見える風景を眺めるだけで大自然の中に来たねーなんて友達と話をしていた。自然の時間の流れ、例えば草から滴る雫の一滴、虫が飛んだ後の池の波紋、緑と緑と緑の草の色の違い。

 このどれもささやかなことなのだけれど、意識してみなければ気づかないものである。その中にこそ、生きていくのに必要な術が隠れているのかもしれない。時代が違うからという一言で片付けてしまうにはあまりにも見失ってしまうものが多い気がした。

 自然を映せる心を持つことで、心までもが澄み渡り、イライラとしたり焦ったり現代人の侵されている心の病というものも減るのではないだろうか。


「ほらかなこさま、この鮮緑色の葉は煎じると胃にもよろしいのですよ。」


と言いつつ、おちよが縁側下に生えていた葉を取って持ってきてくれた。


「この根元の若菜色のところから上を切って、煎じるのでごじゃりまする。そして若菜色から下の薄柳色の部分はそのまま齧って食すことができるのでごじゃりまする。ほら、この葉1つにしても無駄なものはごじゃりませぬ。」


 なるほどと感心する。おちよの薬種的な知識についてはもちろん、この時代の色に関する感性についても感嘆した。


 昔の日本には色を表現する言葉は多数あった。今であればパソコンのペイント枠で色の三原色を一度ずつずらした色彩標本があるが、そのような色の配合について研究されていない時代に、自然にある色を見分けて名前をつけていたのだ。

 萌葱色、若草色、殿茶色、苗色、常盤色などなど、緑系の色だけでも50種類以上に分かれている。これだけ昔の日本人は自然を自然のままに敏感に感じ取っていたということだろう。

 なんだか、平成の世であくせく最新・最先端を追いかけるのではなく、この時代に留まって自然に身をまかせるのも悪くはないのではないかという気にもなってくる。


「春になったらかなこさまも一緒に薬狩りをしにまいりましょう。京の都では近ごろ薬狩りが盛んにごじゃりまするよ。」


 微笑みながら言うおちよに、かなこも微笑み返した。



・この世に無駄なことはない



 紙の最後に1行追加した。このタイムスリップの意味するところの本質を掴みとらなければ帰れない気がする。


 メモをした中で周りに左右されずに取り組めそうな範囲を見極めて優先順位をつける。京へ行くのはまだかなこの体調が優れないので数ヶ月後までお許しは出ないので伊集院さんは後回し。東大寺の書物もまだお許しが出ないので待ちぼうけ。結局すぐにかなこが対応できるのは秋篠寺の仙人住職案件だ。

 かなこの住まいから歩けば片道1〜2時間程度で行けそうだとのこと。病気治癒のお参りと称すれば日帰りで行かせてもらえそうだということが判明した。

 しかも関西旅行を組み立てた際に秋篠寺へは訪問したいとリストアップしていたので多少の知識はある。ここで何か情報がつかめれば一石二鳥ではないか。



 奈良時代末期、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられている。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたため「秋篠寺」とよばれ、本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(重文)で、諸技諸芸の守護神として広く親しまれている。



 別邸から牛車でゆっくりと約1時間ばかりであろうか。この時代の舗装であるので多少のガタガタはするものの平坦な道をゆったりと進んだ先に竹林と紅葉の木々に覆われた一帯が出てきた。侘び寂びという言葉はこの寺が発祥であろうかと思わせるほど、落ち着いた佇まいの寺の門の前で牛車が止められた。


 今日はお忍びではなく、堂々と許可をもらって病気治癒のお参りである。氏寺に通常では参るようであるが、そこは夢枕に秋篠寺の伎芸天さまがお召しになったというと周囲の者々はそれはそれは良いお告げを頂戴になられたと快諾して見送りに出してくれた。


 さて山門前からは歩いて寺の中へ足を踏み入れる。

 右手にはまだ紅葉の時期には早いが紅葉も青々としたところを過ぎ、少し青みが抜けて黄色へ移りかわろうかとしているところ、柔らかい日差しを受けて温かみのある境内を演出している。

 そして左手には紅葉に呼応するかのように竹林も少し黄色づいて出迎えてくれた。ひっそりとしている境内、風が吹かなければサワサワという音もせずに本当に静まり返っているであろう。

 ゆっくりと深呼吸をすると、紅葉と竹の緩やかな香りが鼻腔に入り、清々しい気持ちにしてくれる。現代で言うところのマイナスイオンシャワーを思う存分味わえる場所。


 山門からの石畳をたどっていった先に、寺の本堂がこじんまりと姿を現した。思っていたほど大きい寺ではない。だが寺の周りは砂利を丁寧に掃き清められた跡が残り、石灯籠には苔が居心地良さそうに寛いでいる。

 全てが侘び寂びに通じ、決して誇張することなく、屋根瓦も柱も石も草も全てがそこに収まるべくして収まっているのである。世界にはこの空間だけで良いのだと自信を持って収まっているのである。その世界には借景も人工河川も不要だ。


 おちよが住職を探しに行っている間に、先に御本尊にご挨拶をと本堂の中に足を踏み入れる。

 暗い本堂の中に開けた襖から光が入り込み、薄暗く御仏さまの姿を照らし出す。

 正面に薬師如来像、その両隣に日光菩薩、月光菩薩が並んでいる。そして左端にはガイドブックで見た「伎芸天立像」だ。ガイドブックで見たものは時代を経た劣化で体の部分部分に痣のような斑点が出ていたが、目の前の伎芸天立像はまさに美しい曲線を奏で、シミひとつなく輝きを放っている。

 少し顔を左にかしげながら、優雅にゆらりとしている立ち姿、伏し目がちの目線、微笑みを湛えた少し厚めの唇。崇める者の心に安らぎを与えてくれる。

 現代のガイドブックに掲載されるまでに御本殿も改築され、配置されている御仏も戦火を交えたり劣化で改修されてきたのかもしれないが、御本殿の中に一歩入ると時空に関係なく、ただ心安らぐ場に佇んでいる。平安でも平成でも同じ空気を味わっていると感じる。

 ここは時が戻っていない、もはや時という概念がない場なのかもしれない。平成の自分としていられる場所を見つけられた気がして嬉しくなる。


「この御仏方は尊く民の心の拠り処。」


 不意に後方から声がかかり、驚き振り返る。

 しかしそこには何も見当たらず、声の主はどこかと探す。


「この薬師如来像は当代一と名高い仏師が彫ったものでさすがのお姿だと思いませぬか。そしてこちらにおわす伎芸天立さまは永く後世までこの世を照らすお方。」


 今度は御仏の方向から声がかかり、入口を探していた目を仏が御座すところに向けるが、また姿は見えず、厳かな声の木霊が御本殿内に響くばかり。


「あなたさまは御仏さまなのでしょうか。お姿をお見せくださりませ。」


 住職が見当たらず戻ってきていたおちよも周りをキョロキョロしながら声の主を探す。


「ここじゃ、足元じゃ。」


 目線を下に向けると、本殿の暗闇に紛れて黒い影が動いていた。


 よくよく目を細めて眺めると、確かに人の形をしている。両手を振ってピョンピョンしている。なぜ気づかなかったのであろうか。


「外でお話をいたしましょう。私は秋篠寺の寺守で仙主(せんず)と申す。」


 外の光の元で改めて仙主の姿を見ると、なるほど、気づかなかったわけだと納得できる。

 まず小さい。非常に小柄な老人である。身長は100mm満たないのではなかろうか。そして真っ黒い。つでに着ている服も黒い袈裟で真っ黒い。かなり日焼けしていて、しかもシワシワ、甘納豆の黒豆を思い出すような姿である。


「あなたさまが仙人さまでいらっしゃいますね。あなたさまにお伺いしたい旨があり参りました。」


「わしゃ仙人ではない、仙主じゃ。」


 どうも風貌がイメージしていた仙人そのものだったので、仙人と呼んでしまう。


「失礼いたしました。ところでおいくつなのでしょうか。」


 現世へ返る方法を聞きたかったのに、思わず仙人の風貌を見ていると年齢を尋ねてしまった。


「わしゃ生まれは卑弥呼さまの御代じゃ。」


「ひっ卑弥呼さまっ。」


「そうじゃ、卑弥呼さまは非常にお優しく、わしゃが童の時分よりそれはそれは可愛がってくださったのじゃ。」


 卑弥呼さまはやはり実在したのだ。卑弥呼さまの時代から後、確か歴史に従うと飛鳥時代、大和政権時代、そして奈良時代と推移するのではなかったであろうか。となると150歳や200歳という驚愕の年齢になる。皆が仙人と崇めるようになるもの頷ける。


「黒豆仙人さま、長生きの秘訣は何なのでしょうか。」


「わしゃ仙人ではない、仙主じゃ。」


 おちよは長生きに興味がある様で、熱心に仙主の話に耳を傾けるが、黒豆+仙人の印象が強すぎて名前を誤っていることにとんと気づいていない様子。


「卑弥呼さまにこの大和の地を見守るよう命を受けたのじゃ。その命を全うすべく、古来より力を持つとされる銅鏡を授かっておる。その銅鏡を毎日崇めるだけで力を得、今日まで生きながらえておるのじゃ。」 


 まさに卑弥呼さまの時代であれば銅鏡で神事を執り行い、科学的に証明できない不思議な力があったとしても納得してしまいそうだ。


「やはり、卑弥呼さまはこの大和の地におわされたのですね。」


「いやいや。わしゃ距離感も方向感も持ち合わせておらぬため、ここよりもっともっとずっと遠い地だったのか、はたまたぐるぐると回ってここの地へ舞い戻ってきたのかとんとわからぬ。」


 本来大和の地は東西南北が整い、四神である東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武に守られた地。そこを治めよとの命であるのに方向音痴な仙人とは。仙人と呼ばれる域に到ると、距離感も方向感をも卓越する境地に達するものなのであろうか。


「卑弥呼さまはおっしゃったのじゃ。黒豆や大和の地は必ずや長く平穏を保つ場所。地を見守るということは、その地の人々を守り、育み、慈しむことぞ、と。」


 声高らかに卑弥呼さまを真似て、両手を天に広げ天を仰ぎながら語る。この小さな仙人の姿がその時ばかりは天に吸い込まれようとして大きくなったように見える。


 しかし当時を懐かしく振り返っているようだが、やはり引っかかる。


「卑弥呼さまにも黒豆と呼ばれていたのですね。」


 かなこの心を読み取ったかのように、横からおちよが質問を挟む。確かに先程、おちよが黒豆仙人と呼んだ際、仙人は否定したが黒豆は否定しなかったと思い返す。


「童の頃は小さく黒かったので、卑弥呼さまはみんなに溶け込めるよう親しみを持って黒豆とお呼びくださったのじゃ。そなたはつやつやと黒豆のように輝き、周りを幸せにする力を持っておる、とな。やはり格別にお優しいお方であった。」


 昔はおせち料理に入るようなツヤツヤの黒豆、今は甘納豆のようなシワシワの黒豆。そこまで言って拗ねられては困ると心に留めておく。


「ところで仙人さま、私はずっとずっと先の御代よりきたのでございます。きっと唐突な話なので信じがたいでしょうが、私はずっとずっと先の御代へ戻らなければなりません。どのようにしたら戻れるか、何かアドバイス、では分かりませんね、何かご助言を頂戴できませんでしょうか。」


 黒豆仙人は近くの岩の上にちょこんんと座って両腕を組み首を捻りながら考えを巡らせる。


 しばらくその姿勢が変わらず、今にも寝息が聞こえてくるのではと不安になった時、ようやく目をゆっくりと開けた。


「こうも永らく生きていると様々な不思議に出会うことがある。実は卑弥呼さまよりこの大和の地を見守るよう命を受けたのはこのわしだけではあらぬ。」


 そう語り始めながら、腰かけていた岩よりぴょこんと飛び降り、再び本殿の中に足を踏み入れる。かなこもおちよも続いて本殿の中に入る。少し西日が入り、堂内を穏やかな赤朽葉色に照らしている。


「実はじゃ、齢100ほども違う先人と一緒に命を受けたのだ。しかしこの大和の地から京に都が移された際に、使命を終えたという言葉を残して消息が絶たれたのじゃ。最後に見たのは優しい微笑み。あぁ、このお方は御仏になられるのだなとわしには分かった。そして、そのお方がお姿を消した日、この本堂の中には伎芸天立像さまが残されたのじゃ。同じ微笑みをたたえながら、もうこの大和の地は安泰だと語りかけるかのように。」


 つまりこの伎芸天立像さまはその先人のミイラ。元が人間だった可能性があると聞いて驚く。ただの言い伝えだとするには仙人の物語はあまりにもリアリティがあり、第三者を介した訳でもなくただ思い出話として語っているようだ。


「わしも同じくして命を果たしているわけじゃが、なぜかまだこの世におる。きっと何か意味があるのじゃろう。この御仏方をお守りし、大和の地に残った民を慈しむ。そうしてわしの天寿が全うされる際にはこのお方のように優しい笑みをたたえて永く後世までこの世を照らす存在になるじゃろう。その時期が近づいていると感じるのじゃ。」


 かなことおちよ、2人して伎芸天立像さまと黒豆仙人を見比べる、顔が行ったり来たりを2往復くらいしたところで結論を出す。


「無理ですね。」


「はい、無理でごじゃりまするね。」


 悦に浸っている黒豆仙人には何が無理なのかとんと分からない。


「伎芸天立像さまと仙人さまはあまりにお姿が違います。あなたさまがこちらのお方のようになるには相当の美化が必要かと存じまする。」


「そうです、今のままミイラになったとして、信楽焼の狸のミニサイズにしかなれません。」


 なぬっと言ったきり口を閉ざしてしまった。


「わしもまだその域にたどり着いておらぬのか。そうであればまだまだこの世で全うすべき何かがあるのじゃろう。そなたも遠く未来から来たのには何かこの御代でやらねばならぬことがあるからじゃろ。何か心当たりはあらぬのか。」


 そう聞かれても、心あたりがないので、こう一つずつ可能性を探っているのだ。しかし黒豆仙人も市場で出会った呪術師と似たようなことを口にしている。この御時世に送られてきた理由を知るべきだと。


「一度私に卑弥呼さまより賜った銅鏡を見せてただくことはできませんか。」


 かなこは思いきって聞いてみた。

 しかし少しの間をおいて、黒豆仙人はゆっくりと首を振った。


「銅鏡はこの大和の地を見守るようにそっとしておるのじゃ。そなたが次の鏡守りなのであれば引き継ぐところじゃが、そうでもなさそうじゃ。ただの貴人もしくはただの旅人であるならば見せられぬ。他をあたってみなされ、何か糸口が掴めるかもしれぬぞ。」


 黒豆仙人の言うことが最もだ。初めて訪ねてきた訪問者にいきなり卑弥呼さまの銅鏡を見せてくれと言われても、将来国宝級になる宝物。すぐに見せられる訳がない。

 ここは一旦引き返し、足繁く通って自身が信じるに値する人間だということを理解してもらってからにすべきであろう。きっと銅鏡は逃げない、かなこがこの御代に来た理由が銅鏡に隠されているのであれば、いづれ銅鏡の方からかなこを呼ぶだろう。今はその時ではない。

「最後にもう一度、伎芸天立像さまを拝ませてくださいませ。」

そう言いながら、伎芸天立像さまの前に膝まずく。なめらかな曲線、口元に讃える笑み、全ての人の罪を赦してくれる清らかさがそのお姿から溢れ出ている。本当に人間のミイラには思えない姿ではあるが、どことなく人間味も感じられるので、きっと人間の姿であった時にはさぞかしモテたであろう。

 早く平成の時代に戻れますようお導きくださいと心の中で願い事をして辞去する。

 すっかり日が傾き、カラスが寝床に帰るのを見送りながら、秋篠寺の寺門へ向かう。西日が入り口の木々を柔らかく照らし、かなこ達を見送ってくれる。

 そして本殿のところにもう一つ見送ってくれる姿がある。黒豆が本殿の前に立つと遠近法による目の錯覚か、ひときわ本殿が大きく見える。

 かなことおちよは別邸へ帰るべく牛車を動かす。帰りは黒豆仙人の話した内容を振り返る。



「かなこさま、病気治癒のご祈願はつつがなくあそばされましたか。」


別邸に戻るなり下女達が皆寄ってきて心配そうにかなこを取り巻く。はて、病気治癒とは何のことだっけかと思い返しているうちに、


「つつがなく御仏に御祈願あそばされました、かなこさまはお疲れなのですから、夕餉と寝間の支度をさささとなされ。」


 おちよがビシッと言ってくれて助かった。そうだった、秋篠寺へは病気治癒のための祈願に行くと言う話にしていたのだった。

 銅鏡は見せてもらえなかったものの、銅鏡の力で永らく生きてきた黒豆仙人さま、そして役目を終えて御仏になられた伎芸天立像さま。メモに記すべきことが増えた。すかさずおちよが文机を忍ばせる。さすがのタイミングである。秋篠寺の仙人住職の項目に情報を書き加える。



・秋篠寺の仙人住職

  →卑弥呼さまの銅鏡の力、黒豆仙人、伎芸天立像さま



 どれがヒントになっているかは分からないが、黒豆仙人が毎日銅鏡を拝んでいるということは、秋篠寺の中、もしくは日帰りで歩いていける範囲に銅鏡があると思われる。

 銅鏡があれば命を永らえさせることもできるし、もしかしたらワープすることもできるかもしれない。様々な思いを巡らせると、銅鏡という言葉に魅入り、不思議な力を感じるようになった。紙の上の銅鏡という部分を丸で囲み強調する。


「今日の収穫はここまでね、少しの時間ではあるけれど、牛車に乗るのは腰に響いて痛いわね。」


「では明日より藁を入れた布を引いて緩衝させまするか。」


 確かにクッションは平成の世にも通づるところ、この時代にもあるのであれば、何故もっと早く対処してくれなかったのか。


「かなこさまはお若いので大丈夫ではと私の後ろに潜ませておりました。」


 ちゃっかりおちよは自分だけ使っていたとは。おちよーーーと怒りを露わにしたところでタイミング悪く夕餉が運ばれてきた。


「かなこさま、お腹が空いてはイライラが募るばかりでごじゃりまするよ。」


 今日の夕餉はと膳を見ると、麦飯と、お菜と、少々の川魚と、お汁もの、そして黒豆。何ともつやつやとした黒豆が膳の上に並んでいるではないか。


「おちよ、黒豆が並んでいますよ、おちよが出すように差配したのですか。」


 思わず黒豆仙人の顔が脳裏に浮かび笑みを漏らしてしまう。

 

「いいえ、私も夕餉の献立についてはあずかり知らぬところにごじゃりまする。」


 黒豆仙人に会って色々な話を聞いた日の夕餉で黒豆を食べることになってしまうとは。しかも甘納豆ではなく、つやつやとした若かりし日の方。


「もしや今日かなこさまが秋篠寺へお参りに行かれると聞いたものが、黒豆仙人さまを思い出し、ついつい黒豆を選んでしまったのかもしれませぬな。」


 若かりし日の黒豆を食べるのは忍びないと思い、麦飯。お菜、水。川魚、水。お汁もの、水。を順繰りに食べていく。やはり塩分は多めであるが、水瓶を近くに置いてもらってからはすぐに水で塩辛さを中和できるので良い。

 ずっと黒豆を眺めながら夕餉をいただく。


 すべてを平らげてから、最後に黒豆だけが残ってしまった。


「かなこさま、黒豆仙人さまが残っておいででごじゃりまするよ。」


「仙人ではなく、ただの黒豆。」


 黒豆仙人さまを食してしまうのは申し訳ないと思いながらも、一粒をとって口に運ぶ。ほんのりとした甘さにふっくりとした黒豆が口の中でほどけ、豆の滋味溢れる味わいが広がる。

 この時代に貴重とされている糖分はあくまで必要最小限にとどめられ、上品な味わいである。一粒を食べてしまってからは、二つ三つと止まらなくなり、続けて口に運ぶ。


「美味しゅうございました。」


と黒豆に感謝をしながら夕餉を終える。

 そして卑弥呼さまの時代から黒豆があり、平成の御世でも同じように食することができる。数千年の時を経てもヒトの食は変わらないのなと感謝する。

 もしかしてこの食への感謝がこの時代に来た理由のひとつなのだろうか。

 平成の世ではテイクアウトのサンドウィッチとコーヒーを買って近くのベンチで食べていた。スケジュールを見ながら食べていたので、サンドウィッチの中に何の食材が入っているのか気にも留めなかったし、水分代わりに流し込んでいたコーヒーも今日の夕餉の黒豆と同じ豆からできているのに、ただの飲み物としてしか認識していなかった。

 毎日同じような食の繰り返しだったので、平安の時代のように食材を保存するための工夫や、限られた調味料だけでの味付けなど、先人の試行錯誤などお構いなしに、ただ工場で流れ作業で作られたものを食しているだけだった。

 もう一度文机の元に戻り、黒豆仙人と書いた横に付け加える。



 →食への感謝



 この世は色んな食材で溢れている。今日のお菜も何気なく食べていたが、おそらくは山菜、山で誰かが採ってきてくれたものであろう。お汁に使われていた味噌のような発酵させたものも、先人の知恵で、保存するためにはどのようにしたら良いのかを試行錯誤した結果だろう。

 そう思うと感謝という言葉が心に染み渡る。なんとありがたく貴重な夕餉であったことであろう。

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