第3話 見目麗しき

 うとうとと眠りにつく。

 御簾の奥で控えているおちよも座ったままの姿勢でうつらうつらと船を漕ぎ出している影が御簾ごしに写っている。


 1~2時間したころであろうか、なにやら小さく話し声が聞こえてくる。そのひそひそとした声で目が覚める。

 おちよが誰かと話しているようにも聞こえるがっと思った瞬間、誰かに抱きすくめられる。


 悲鳴をあげようにも咄嗟のことで声もでない。そして耳元でささやかれる。


「かなこぎみ、どうか私をこばまないでくだされ。」


 焚き染められた爽やかな新緑を思わせるような香の香りとともに優しく囁かれ、最初は驚いた物の、これが平安時代の恋なのかしらと顔も名前も分からない相手に少し乗っても良いような気分になってくるから不思議だ。


 声の感じで察するにおそらく20代前半。

 現代ではまだまだお子ちゃまと思える年齢だが、この時代という背景が後押しするからか妙に大人びたように感じる。

 こんな年増に近寄ってきてくれるなんて、肉食男子なのね。

 いや、私は初心な16歳だったわ、安売りしている場合ではない。しっかりと相手を見定めなくては。


 着物を着た状態ではあるが体型は御世辞にもスマートとは言いがたい。おでぶちゃんだけど、光源氏のような見目麗しい方かしら。


 っと外から入る風が御簾を押し上げてわずか一瞬だが月光が殿方を淡く照らす。

 気のせいかもしれない。


 たぶん気のせいだったのだろう。


 なんせ、一瞬月の光が差し込んできただけなのだから、はっきりとは見えるものではない。

 その一瞬見えたものはおでぶちゃんではあったが、金剛力士像を思わせる強面の「見目麗しい」の対義語はこのようなものであると突きつけられたような風貌であった。


 おそらく、40代はとっくに過ぎているとお見受けいたす。いや、たぶん気のせいだったのだろう。冷や汗が出てくる。


 私はおちよを呼ぼうと押し寄せてきた殿方を押しかせしながら、縁側の方へ向かったがおちよは何故かいない。


 縁側へ出ると、三日月が殿方の顔にかかったベールを剥いでくれた。

 やはり、歳の頃は40代の醜男。

 しかも脂ぎっているので、三日月がよく反射して眩しいではないか。このルックスで声だけ20代とは詐欺だ。


「ぎゃ、誰か誰か。助けて。早く助けて。」


 私は大声で助けを呼び、重ね着の着物の上を脱いでダッシュで逃げる。

 そしてその声に驚き部屋へ駆けつけたおちよの後ろに隠れる。


 殿方は大慌てで着物もはだけたまま外に待たせてあったと思われる牛車で退散していった。


 後には帯が残っていた。


 かわいそうに、帯なしで帰るなんて、着物がはだけて仕方がなかったであろう。私が声を出したからではあるが、帯なしで女に振られて慌てて牛車で帰るとは何とも無様な。

 想像して思わず笑みを漏らしてしまう私は酷い女ね。

 でも今後、今夜のことに恨みを持たれて何かをされやしないかと少し心配もしてしまう。


 東京では、SNSなどで相手にしてもらえなかったからと、女子高生やアイドルが痴漢に追い回され、果ては殺されかけそうになった事件が発生している。

 この時代でも同様の事件が自分の身に降りかかる可能性もある。

 まして世間の事件やニュースを人々は知らず、警察のようなものも袖の下次第で何とでも権力者が掌握できる時代なのだ。あな恐ろしや。


 後からおちよの言うことには、先程の殿方はそれはそれはこの辺りの地主で相当高貴なお方とのこと。


「わたくしめが、ちょうどおちょうずに立ったときのことでしたので、なんともおどろきました。」


と言いつつも殿方の身分を把握しているというということは、おちよも袖の下になびいてしまったのやもしれぬなと推察する。

 その矛盾におちよは気づいていないようだ。この辺りの算段はスロー平安の頭の回転力なのかもしれない。


 その矛盾を指摘してみると、中納言さまである父も親しくしている高貴な御方だとのことだったので、お通ししたと渋々認めた。

 人の許可なく勝手に寝間へ通すなと言いたい。パパが仲良くしているとなると、おそらくパパとお歳もあまり変わらない、つまりかなこより15歳以上は離れていたのではなかろうか。


 夜中にいきなり人の寝床に侵入してくるとは何とも大胆で恐ろしい時代である。そうやすやすと大の字では眠れない時代なのかもしれない。


 ほとんど眠ることができないまま翌朝を迎えてしまった。一向に現代へ戻る気配がない。

 夏季休暇を終える時には仕事に戻らねば仕事に穴を開けてしまうことになる。そのような事態だけは避けねばなるまい。

 スマホが近くにないというのも気になって仕方がない。

 いつもなら休暇中であっても仕事の連絡が入ることがあるし、ネットニュースだけは数時間おきにチェックするようにしている。この重い衣を身にまといつつも、体のどこかにスマホが隠れていて、バイヴレーションが鳴っているのではないかと気が気でない。振動が重みで伝わっていないだけではないだろうかと袖をフリフリしてみるものの、スマホが隠れている気配はない。


 もしかしたら気付かぬうちにスマホ中毒になってしまっているのか。早くメールとSNSとニュースをチェックしたい。


「うぅ。」


 かなこはスマホが近くにないことで落ち着かない。

 それではやはり早くに元の世界に戻るしかないと一人合点する。

 しかしどのようなきっかけで時代往来をしてしまったのかはとんと検討がつかない。熱射病でまた倒れれば戻ることができるのだろうか。


 朝起きてから、まずは顔を洗いたい。そこへおちよがやってきて身支度を手伝ってくれる。

 水の入った桶、それだけで顔を洗うようだ。洗うと言っても、バシャバシャとふんだんに水を使えない。水を少しつける程度である。

 もちろん石鹸もないが、米ぬかが入った袋で顔を少し磨くとすっきりとした。

 昔の人は泡立ち石鹸がない代わりに米ぬかを使う。古代の人の知恵には頭がさがる。私も今後は米ぬかで顔を洗うようにしよう。戻れればの話ではあるが。


 その後着替えが始まる。

 香で焚き込めた今日は爽やかな藍染のしぼりが入って朝顔風の模様になっている。水縹色、淡いブルーで涼やかな色合いの着物。夏にはちょうど良い色合いだと得心する。着物を着替えるとき、一番上に着ていた赤い着物を脱がせてもらう。重みの原因はほとんどお主であったか。


 開放感と涼しさで心地よいが、すぐに上から重めの藍染めの着物を着用する。

 本来であれば姿見の鏡で着こなしを見てみたいものだが、いかんせん、この時代の鏡は手鏡レベルの小さいもの。

 きれいに磨きあがってはいるが、くぐもっている感じのする材質で見づらい。

 現代の100円均一の鏡の方がはるかに機能的で優れていると思うが、手鏡の裏の細工は緻密で漆と螺鈿の装飾で人手で創られたとは信じがたいほどの一品となっている。

 現代の博物館で保管されているのも、この手のものであろう。

 宝飾が美しく、作者の愛着とぬくもりが伝わる、大量生産では決して味わうことができない醍醐味だ。私はその手鏡の装飾面を穏やかになでた。


 手鏡を部屋の床の間に置いて、畳3枚分離れてみる。顔まわりが映る。

 ブルーの涼やかな色合いは私の顔映りがよく見え、16歳に若返った軽やかさが際立ち、さらに日焼けをしていないから肌も白く美しい。


 やはりもっと全身を眺めたい。トータルで自身の見目麗しさを確かめたい。

 ずずずっと隣の部屋まで離れてみる。少し遠目にはなるが、膝元あたりまで鏡に映る。なかなかスタイルも良くブルーの着物で膨張せずに着こなしているではないか。さらに足元はどうなっているのか。


「かなこさま、どうあそばされましたか。早く御簾の内側へお入りくだしゃりまし。」


 朝餉の用意を差配していたおちよが慌てて戻ってくる。

 どうやら全身を小型鏡に映しだそうとするばかりに、御簾を倒して縁側まで出てしまっていたようだ。鏡よりかなり離れたので足元まで全身を確認できた。

 が、どうにも遠く目を細めてやっと雰囲気をつかむことができた。


「おちよ、もっと大きな鏡はないのかしら。」


「大きな鏡にごじゃりまするか。鏡は人の心を映しもすれば、奪いもするもの。そのように大きな鏡でしたらかなこさまをどこか遠くの世界へ連れて行ってしまうやもしれませぬ。あな恐ろしきことにごじゃります。」


 この時代では大きな鏡は儀式などで使うものなのかもしれない。

 何も命をとられることはないので盛大に大きな鏡を使えば良いのだが、もしかしたら技術の発展もそこまで追いついていないだけかもしれない、そのうち四角い小さい鏡をいつくか合わせて大きな鏡を準備させよう。そ

 れまで当分の間は左右の視力1.5を活用して全身は遠くから眺めるしかなさそうだ。


 さて、着物の着付けが終了した。同時に朝食が運ばれてきた。赤い脚付台に質素に盛り付けられているのは海苔の佃煮、小魚の炒ったもの、青菜のもの、味噌汁に粟飯である。

 今日も喉がかわきそうなメニューが並んではいるが、好物の海苔の佃煮を目の前にかなこの喉はごくりと音を鳴らす。


 食べ始めようとしたところに後ろから下女の手が差し出され、髪の毛を引っ張られる。

 朝食と髪漉きと髪結いが同時並行に進められだした。

 私は朝食を食べるのに集中したいのだが、後ろでは2人かかりで髪の毛を梳き出した。右へ左へ髪の毛が引っ張られてしまうので口の中を噛んでしまいそうだ。

 一応は高貴な娘の髪の毛ということで、優しくはやってくれてはいるのだろうが、食べるのに集中できず、つい頭を櫛の動作に合わせて動かしてしまう。

 自分であとから髪すきくらいはしたいところではあるが、髪の長さはなんと私の身長の1.5倍近くはあるのではないかという超ロングヘアーである。

 自分で梳くには相当労力を費やすであろうなどと思いながら、下女の髪梳きの動きに合わせて、右へ左へ少し後ろへ引っ張られ、頭をゆらゆら揺らしている。


 椿油を途中でつけられて、私の見事な長髪は一層輝きを増し、自分でも惚れ惚れとする美髪となった。

 今であれば某有名化粧品会社のシャンプーCMにサラサラ黒髪ストレートヘアーで出演できそうだ。


「うふふ、椿オイルの浸透で芯からしなやかな美しい黒髪を。」


CMの一節を語りながら、手で髪の毛を漉いて上目づかい斜め45度の目線。


「決まったわ。」


 鏡を見ながら満足げにうなずいていると、髪梳きの下女達が目を合わせずにそそくさと道具を片付けて部屋を出ていった。



 さて、質素な朝食を終えた私は暇をもてあましていた。

 スマホに着信が入っていないか、どこかの国で大きなテロなどの事件が起きていないか、家族友達が私の行方を心配して警察へ届け出を出してはいないか、スマホスマホスマホが気になる。

 スマホなしに暇をどう乗り切れば良いのか途方に暮れてしまう。おちよなどはしきりと2か月後に控えた祇園祭りの話をしている。


「こんどの ぎおんまつりで 射手は たかつかさ家のご子息 とのことでごじゃります。」


抑揚のある非常にゆっくりとした話し言葉でどこぞの誰が何役だという話を聞かせてくれる。2か月先の話が今から待ち遠しいとは、国を挙げての一大イベントなのだということが分かる。これから2か月間、来る日も来る日もこの話が出てくるのではと嫌な予感も頭をよぎる。平安時代の元祖祇園祭りは見てみたいが、そこまで悠長にこのシチュエーションを楽しんでいる暇はない。一刻も早く戻らなければ、丸の内へ。


「たかつかささまを一目ごらんあそばした姫君はみな、あまりのまばゆさに虜になられるとか。」


「そこまでまぶしいのは夏にするからでは。」


「いや、ほんに、たまのような御方だそうでごじゃります。」


 昨夜の夜襲でこの時代の見目麗しい高貴な方々のレベルを疑ってしまう。

 もしかしたら、髪型がまぶしいだけなのではという疑いは心の中にそっと留めて、祇園祭りについて関西ガイドブックに掲載されていた紹介文を思い出す。


 祇園祭は京都の八坂神社の祭礼で日本三大祭にも挙げられている。祭りは約1か月にも及ぶもので、山鉾巡礼はユネスコ無形文化遺産にも登録されている。1100年前に祇園の神を祀り災厄の除去を祈る祇園御霊会をやったのが始まりとされている。


 だが現代の祇園祭りといえば、かなり多くの人が立て込んでいて、京都の四条あたりを埋め尽くし、高温注意報が出る中、息もできないくらい人々がおしくらまんじゅうをしているという印象しかない。

 源氏物語の漫画で読んだ範囲では、平安時代のお祭りはみな牛車に乗って、牛車の配置争いをしていたと記憶するから、混雑するという点では今も昔も変わりはないか。



 何時になっても同じような話題が堂々巡りしているので、キャリアウーマンの私としては、かなり退屈である。この場にいるのだから、おとなしくこの場の空気をよんで対応をしたいと思うところ。

 でもずっと座って同じはなしを何度も聞いていたのではお尻の下がむずいて仕方がない。

 まだ1時間しか経たないのにもう3度目の鷹司某の話である。これが平安の恋話というやつか。1時間で3度ということは1日で30回ほど聞かされるのではなかろうか。辛すぎる。

 会社では、


「さっき聞きました、何度も同じ話しを聞くのは時間の無駄。受注が取れたら一度報告すればいい。」


とピシリと言っているのにと、おちよに聞こえないように小さい声でゴチる。


 今はおそらく10時頃。平日であれば定例の国際会議をテレビ電話を中国とつないで開催している頃である。

 時代が変われば時間の進み方も変わったのではいか、本当に本当に時は進んでいるのであろうかと思われるほど、ゆるりゆるりといつまで経っても時間の経過が感じられない。



 この日は年配の伯母上、といっても年齢は33歳とのことなので現代では若いとされる世代だが、その伯母上の元へ月に4度と決まっている定期挨拶に行った。

 年配の部類にもなると、もっと機知にとんだ面白い話題が出てくるのかと期待したが、孫の話と昔の思い出話という現代とさほど変わらない話題でお菓子をいただく。

33歳の若さで3人の孫に恵まれて既に俗世を離れているというのだから恐ろしい時代である。

 キャリアウーマンの道をひたすらに邁進してまいったかなこにはめっきり男の影はなく、独り身の女同士では、


「やっぱり独身に限るよね。一人だと本当に楽だし。料理だって適当に済ませられるし。ノーメイク&ジャージで普段は過ごせるし。」


とガールズトークに華が咲く。そして近くのカップルを気にしてない風を装って横目に隅々まで小姑的チェックを入れる。


「ねぇねぇ、あそこの男の子はちょっとチャラクない。耳の上の方にピアスがあるのが似合っていないよね。それにジージャンとジーンズを合わせて、オシャレ上級者ぶってるけど、マジありえないチョイスだわ。私も世代は違うけどバブルってあんな感じじゃない。恥ずかしくてランチ一緒に行くとかできないわ。あの女の子もよく付き合っているよね。」


など殿方の品評会に審査員として酷評を与える。結局はみんな婚活でもがいてうまくいかない口であり、彼氏がいることが羨ましいことこの上ないのに、強がって認めたくないだけなのだ。


 叔母上はいかにももう祖母という風情を出して緩やかな所作にゆったりと、本当に平安時代でもこれはという程の落ち着きをもったゆったり度合いで話をする。女人二人の間なので御簾での隔たりもない。

 まじまじと見るのは端ない行為だと思い、キャリアウーマンの独身女子会で培った気にしていない風を装って、カメレオンのような目玉だけをグリグリと動かして伯母上の観察を始める。


 まず髪の毛はまだく俗世を離れて間もないことがわかる。

 その髪の毛は光の加減で時々白いものが混じっているようにも見えるが、もう少し近く寄らなくては判断ができないレベルだ。全体的には黒く美しいツヤを保っている。毎朝、椿油で丁寧に櫛でお手入れをしたら、ここまで見事な艶髪が保てるものなのか。

 こうもゆったりと構えているとストレスレスだと伺えるので、それも髪の毛のボリュームが減らずに弛やかな黒髪維持につながっているとお見受けした。

 IT系の会社では常に複数台のパソコンと向き合い、時には寒いサーバ室で終日作業をするというようなこともある。

時間に支配されて時間に追われる日々で脳も複数経路をフル活動させておかなくては世の中から取り残されて’使えない’レッテルを貼られてしまうのだ。

 そのようなレッテルを貼られないようにと更に仕事に打ち込むことでストレスが増してしまう。結果的に白髪が増えるのである。30代となればかなりの白髪が出てくるので、それを隠すために皆ヘアカラーをしだす頃である。


 伯母上の肌は白くつややか。やはり米ぬか効果も高いらしい。

 それに太陽と共に起きて太陽と共に寝る。

 貴族の暮らしでは夜も唄を読んだりして夜更けまで過ごすということもあると以前マンガで読んだ記憶もあったが、稀なこと。ほとんどは太陽のなすままの生活をしている。

 昼が長い夏であれば夜は8時頃には就寝の準備をしている。

 夜這いをかけられることを除けば、ゆったりと就寝時間を取ることができる。

 その代わり、朝は非常に早い。4時には起床をしてしまう。

 本当に夜空がわずかに白けたようなというくらいでは皆寝ぼけ眼をこすりつつ起床をするのだ。

 だが、この時間は美肌を保つのに必要とされる黄金の睡眠時間である夜10時から夜中2時がきっかりと入っている。

 平安時代の人の生活は、知ってか知らずか、体を健やかに美しく保つのにベストな生活習慣を送っている。

 時間が日本と異なるアメリカやヨーロッパから真夜中に緊急電話が入ることもなし、食後の眠い時間に睡魔と格闘しながら栄養ドリンクを飲んで目を無理やり開けて偏頭痛に悩まされることもない。

 この生活スタイルを現代でも取り込むことはできないものか。


 色白なのは米ぬかの効果だけではなく、そもそも日に当たっていないからということもある。基本的にある程度身分が高い方は部屋からはあまり出ないもの。

 殿方に姿を見せるということが端ない行為とされているのだから縁側や廊下に出ることもしない。

 分厚い着物を複数枚重ねて、手までその袖の内に隠してしまっているのであるからして、出ているのは顔だけ。

 1枚ずつの着物は薄くて紫外線を通すにしても、さすがにあれだけ着込めば日焼けの心配もない。

 髪の毛は椿油のUV効果が日に日に厚塗りされていき、高い効果を発揮しているだろう。

 残るは顔だけであり、日光をシャットアウトできれば紫外線に対する完全防備が完成する。


 さて、顔の美白は米ぬか以外にどのように保たれているのか。

 かなこは俯きつつ、ふと叔母上の膝元あたりに目をやる。そうか、確かにその手があった。

 伯母上の膝元には雅な扇が折りたたまれている。

 まずそもそも部屋の奥の方にいるので、太陽の光は部屋の奥まで届きにくい。

 もし太陽の光がきつい場合には庇のところに簾を置いて日を遮る。

 そして部屋の奥にいる女人は更にその前に御簾を置いて、少し紫外線をバリアする。


 極めつけは扇である。それを顔の前にずっと置いておくので、完全防備が完成している。

まして位は高い人の家とはいえ、叔母上の部屋は東向きの隠居部屋。西日を浴びることもないので、色白を保ち続けることができるのである。


 かなこも現代に戻れたらすぐに宿替えをしよう。

 今の西向きではなく、東向きに変えるべきだ。

 今の部屋は都心にも関わらず家賃が安い知り合いからの紹介で住んでいるが、もっと美肌に良い物件があったのかもしれない。他の物件が目が飛びでる程に高かったのだが、築年数などのハードルをもっと下げてじっくりと検討してみる価値はありそうだ。


 あと竹でできている簾も必要だ。

 簾はこの時代からも続いていたものだと思うと、古代の人々の知恵を引き継いでいる気がして嬉しくなる。

 御簾の代わりはカーテン。今は遮光カーテンもあり、技術の進歩があるから、この時代よりもより日光を遮ってくれるだろう。

 そして在宅勤務制度を使って、日差しが強い日には日中に外へ出なくてすむような工夫をしよう。


 平安時代ではオゾン層もまだ厚く外環境による紫外線カット率も高いだろうが、そこは現代のテクノロジーでカバーするしかない。

 SPF50+でPA++++の有名女優が’絶対焼かない’と自信たっぷりに宣伝していたCMを信じ、遮光率が高いアルミを使った日傘を持ち、これも遮光率99.9%と売っていたサングラスを使って、徹底的にすれば、伯母上と同じくらいの色白を保てるだろう。


 叔母上のお召し物は、留紺色に遠慮がちに草花の絵が散っており、襟の所から見えている内着は淡藤色で何とも涼やかな色合いで、いかにも落ち着きのある祖母を演出している。


 伯母上が少し体をずらして横坐りをした。

 その動きもゆったりとして、着物が美しく光沢を放ったことから、極上絹の生地が使われて良い着物なのだということが分かる。


「ほんに。」


「・・・。」


「かなこどのが。」


「・・・。」


「おたおれになられたと。」


「はい。」


「きいたときには。」


「・・・。」


 伯母上の話の途中で口を挟んでしまった。

 途中で言葉を発してはいけないと思いつつも、とてもゆっくりと話をするので、次の単語を待ちきれないのである。

 そしてこの会話のペースに合わせて聞いていると、前の言葉を忘れてしまう。マインドフルネス、マインドフルネス。

 とその時1点に意識を集中するのだと自分に言い聞かせて邪念を振り払う。


 外から虫が入ってこようが、鳥が鳴こうが、目の前にお菓子が置かれようが、伯母上が扇を開こうが、後ろに控えているおちよが鼻を啜ろうが、足が痒くなろうが、足が痒くてもぞもぞとしても厚い着物の上からでは痒みが治らなかろうが、痒くて我慢していたら腰あたりまでもぞもぞとしてこようが、叔母上の話に集中をしなくてはいけない。

 でなければ、何の話だったか、疑問系で聞かれているのか、普通に相槌だけを打てば良いのかがわからなくなってしまうのである。これも修行だ。


 普段は2〜3割のことを部下から報告してもらえれば、全体像がつかめるので、そのあとの発言は結構と遮ってスピード重視で仕事を進めていたのだから、このような話がどうそれるかまだ予想ができない状態で、5倍スローくらいのテンポに話を合わせるなど経験したことがない。辛すぎる。

 私の答えもまったりとゆっくりとしてみるが、限界がある。喉が渇いて仕方がなくなる。


 このまま伯母上の話の内容を刻々と書いてしまっては、3点が続いてしまい、一向に話が進まないので、ここからは伯母上の話もすっきりと要約して、5倍速、つまり現代人のいうところの通常テンポに直して話を進めた方が良いだろう。


「本当に、かなこが倒れたと聞いた時には驚きました。」


「ご迷惑とご心配をおかけしました。」


「記憶が今も戻らないとか、さぞかしご不便な思いをなさっているのでしょう。おいたわしいことです。」


と袖の端で目元を拭う。

 平安時代の方々は涙もろい話は好きだし、安い涙なのかもしれない。これが演技だとすると、相当の名女優だろう。


「その後、許嫁さまのお加減はいかがなのでしょうか。」


 出た、恋話。

 やはり女人同士の話では恋話に花が咲くというのは今も昔も変わらない。

 孫がいるからと言っても33歳、まだまだ恋にも興味があるのだ。


「はい、お代わりなくと伺っております。」


 恋話になっても、こちらがターゲットになってしまっては辛い。

 なんせ、許嫁はまだ会ったこともない殿方。体調が優れていないという話はおちよから聞いているものの、どの様な状況なのかまでは知らない。

 現代の営業トークスキルを活かして、無難に返しておくものの、後でおちよに状況を聞いておこう。

 そしてそのうちできるならお見舞いにも行って実態を把握しておかなければと思案する。


「私のような年老いた者にとっては、そなたのような若い方々の成長と幸せが何よりの楽しみなのですよ。」


伯母さま、ありがとう。ここは気になる平安時代の恋愛事情について突っ込んで聞いてみよう。


「伯母さまは、どのような恋をされてこられたのですか。ぜひ参考にお聞かせください。」


 先ほどまで部屋の隅でうとうととしていたおちよの耳がダンボのように大きくなるのが感じられる。


「そんな、私の恋の話など。」


 許嫁が生後数ヶ月で既に決まっていたので、特に愛だの恋だの公にできるようなことはないと遠慮がちに控えめな態度をとる。


「されど。」


 やはり、持っているではないか。

 伯母さまはここまで色白で美しいお方なのだ。世の殿方が放っておくはずがない。

 そして、よく見ると遠慮がちに見せかけつつも、さも恋は多くしてきたのだ、美談を話したくてたまらないのだ、自慢したいのだという雰囲気を漂わせているではないか。


「されど、とある世を司る筋の方が夜に部屋へお忍びに入られた時は困りました。」


 やはりやはり、世を司る筋とは、帝か上皇か相当の権力者ではないか。

 帝であれば、許嫁がいようとも権力で側室にでもできるし、伯母さまの父も喜んで乗っかるだろう。


「ある寒い冬のこと、殿方が私の寝所に入り込み、私に近寄って、強引に倒されました。あちらは服まで脱がれていたのです。」


 許嫁がいても夜這いという奇襲攻撃は避けられないものなのだ。男という生き物は本当にどうしようもないものだ。


「そこへまさかの親戚筋が危篤だからすぐに一緒に向かわなくてはと、父上が私の部屋の方へ廊下を急ぎ歩いてこられたのです。」


 修羅場になる場面である。高貴な方ではあるが、どこの誰とも分からない男が夜に娘を襲っているところへ、知らずに娘の父親が向かうのであるから修羅場にならないはずがない。


「殿方は慌てふためき、急ぎに急いでそばにある衣を羽織って出て行って、無事に父に姿を見られはしなかったのです。」


 なんだ、修羅場にはならなかったのか。


「後から私の身支度をしようと明かりをつけたら、なんと殿方の衣は丸ごと残っていたのでございます。」


「では、その殿方が持って行った衣とは、伯母さまのものだったのですね。」


 殿方のものが残っていたのであれば、持って行かれたのは伯母さまのものでしかない。


「いいえ、私のものも残っておりました。」


「ということは、布団でも被って行かれたのですか。」


「いいえ。なくなっていたのは、御簾に使っていた、透けている薄い布だったのです。」


 おお殿方、かわいそうに。あなたは夜這いが失敗した上に、真冬の寒い中を、裸体の上に薄いスケスケの布だけを羽織って、おそらくはすべて体は透けてしまっているであろう状態で、牛車に乗り込んで帰って行かれたのですね。

 途中で職務質問に出くわしませんでしたようにと心配してしまう。


 昔話を思い出して扇を口の前に置いて伯母さまがほほほと優雅に笑う。私も耐え切れず笑っていると、おちよも笑いを堪えすぎて涙を拭っている。


「伯母さま、他にもお聞かせください。」


 きっと、数々の面白い恋話を持っているに違いない。


「そう、私の話ではないのですが、お歌の会にお出になられる時はお気をつけになって。」


 どういうことだろうかと話が読めない。


「昔、わたくしのお知り合いの殿方が許嫁ではない方にお歌を送られたのです。」


 平安時代では曲水の宴など、歌を詠む催しがよく開催されていた。そこへ出席した殿方が、気になった女性に歌を送ったのだが、何と誤ってその歌が許嫁に渡ってしまったのだそうだ。恋の歌なのだし、相手が違うくても自分に届いたものなのだから、自分宛の恋の歌と思って嬉しくなるところだ。

 しかし殿方はその歌の中に昨日あなたに会ったのにまた会いたくて堪らないという思いを込めてしまっていた。もちろん許嫁の女人は昨日、殿方に会っていない。ドロドロの昼ドラが始まる。

 この時代はすぐに電話をしたり会いに行ったりして真偽のほどを確かめるということはしない。歌で返して相手に悟らせるか、女人の場合は泣き寝入りなのだ。しかし、この許嫁の女人は違った。


 目の前にいたカエルに筆を突き刺して、それは恐ろしい呪いの返答歌とともに、箱の中に入れて殿方へ返した。二度とあなたの元には帰らないという絶縁状を突きつけたのだ。


「そして、殿方は数日後に役職を辞任させられて、島流しに合われたのです。その後、不可解な死に方で亡くなったと風の頼りで聞きました。私も知る方だったので寂しい限りでございます。なので、そなたもお気をつけるように。」


 何を気をつけろというのだろうか。恐ろしすぎる話だ。

 不倫や浮気も相手の身分によっては相当なペナルティを受けてしまうということか。


 それにしても、最後の不可解な死というのが気になる。昼ドラではなく、もはや土曜サスペンス劇場となっている。

 平安時代の人々の感覚からすると、呪いの唄を入れた箱によって呪い殺されたということだが、実際は許嫁の女人が刺客を放ったに違いない。

 今であれば死因や指紋採取、当時の事情聴取をすればすぐに犯人は捕まるだろう。できれば監視カメラまで設置して調べてみたい。

 だが本当に普通の殺人事件が呪いが原因として通ってしまう世界なのだ。


「ああ、そういえば。」


 少しおかしそうに微笑みながら伯母さまが話し出す。まだまだ恋話を持っているに違いない。


「私が幼き頃に、ある陰陽師の方がわたくしに恋心を抱いてくださいましたの。」


 花嫁修業の一環として、陰陽師のいるところへ期間限定で巫女見習いのような神に仕えることを少しやっていたようだ。

 その時に知り合った陰陽師の方が、伯母さまに恋をしてしまった。神に仕える身でありながら、許嫁がいる方に恋心を抱いてしまうなど不謹慎な話しだが、恋にブレーキはかけられない。


「ある日陰陽師の方が私の部屋へ夜に人目を忍んで来られましたの。」


 陰陽師でありながら、女人の部屋に入るとは何と大胆な。

 陰陽師は伯母さまの気を惹こうと、それはそれは必死に陰陽道を駆使して色々と物申したそうだ。


「この部屋の場所はあなたにとって宜しくない方角に位置している。すぐに方違えをされるべきです。もっと東の方で周りに緑と池がある静かなところ。そういえば、私の家の隣に空いている家があります。広さも十分なところですので、そちらへ方違えされることをお勧めいたします。」


 とその陰陽師は言ったそうだ。怪しすぎる。


「右肩が重くありませんか。あなたの右肩に狐の霊が乗っています。私が払ってさしあげますのでお召し物をお脱ぎください。」


とその陰陽師は言ったそうだ。怪しすぎる。


「あなたの魅力は夜に悪い気を寄せてしまう。私が毎晩この部屋の横で結界を張ってあなたを守りましょう。」


とその陰陽師は言ったそうだ。怪しさMAXである。


 伯母さまは巫女見習いとして仕えていた時には陰陽師に心も寄せていたそうなのだが、その強引さに引いてしまい結局は父に言って巫女見習いをやめてしまったとのこと。


 何とも殿方はこのようなことで相手の気がひけると思っているのだろうか。考えが浅はかに思えるのは私だけだろうか。

 でも何とも恋に必死になれる平和な時代だったのだなと、伯母さまとともに笑う。伯母さまとは恋話で今後もガールズトークを楽しめそうだ。


「陰陽師は呪術を使うのですから、かなこさまもお気をつけくださいませ。」


と陰陽師への警戒を最後に重々伝えながら、廊下まで見送ってくれる伯母さまに別れの挨拶をして辞する。



 昼過ぎに来たのに、話題が3個程度でも非常にゆっくりと話をされるので、もう夕方になってしまい、カラスがゆっくりと夕焼けの中をカーッと気のない声を出しながら去ってゆく。


「カラスってこんな風に鳴くんだったけ。」


「かなこさま、真っ黒いカラスが飛んでおります、不吉でごじゃりますので、早くお部屋へ御戻りあそばせ。」


 おちよが部屋へ入ることを促しているが、かなこはカラスが飛んで行き、声だけを置き去って見えなくなるまで眺めていた。


 カラスは何年も前から変わらぬ姿で子孫を残し続けたのだなと感じ入る。ただ、この時代は時がゆっくりと流れているせいかカラスの声まで間延びしたような悠長な印象を受ける。

 今まではかなこ自身の心のゆとりのなさでカラスの声など聞けていなかったのではないだろうかと気づく。

 カラスの印象と言えば、家の近くでいつもゴミ出しの日にいつもの場所にスタンバイをしてじーっと人を睨めつけている姿である。しかも人を覚えるのに長けているので、私が変装をしようと認識して狙ってくるのだ。一度カラスを箒で追い払ったら、次のゴミ出しの日には3羽でバサバサと音を立てて私の頭上を旋回し、見えないカラス圧を感じたものだ。


 カラス対人間の戦いは激しさを増し、カラスは曜日感覚を備えて、月曜はどこそこ町のゴミ箱、火曜はマンションのゴミ置場、水曜は隣町というように、自分のテリトリー内のゴミ出しの日程を完璧に記憶していて、町人の誰よりも早起きをして待ち構えているのである。

 そしてゴミを出した人が消えた瞬間にゴミネットをくぐり抜けてお目当てのゴミをゲットするのである。

 それも彼らカラス陣はこぞってグルメなので、美味しいお店が立ち並ぶ界隈や、高級住宅地の方を重点的に回っているような節もある。


 またカラスのネットくぐり能力や、ゴミ箱の蓋をずらす能力は非常に高く、おそらく鳥類障害物競争をしたらダントツで一位の座に輝くことだろう。

 だが、知恵者という点では人間の方が上回っている。

 ゴミネットやゴミ箱でカラスが荒らすものだから、最近の近所ではネットでできているゴミBOXを導入した。しっかりとした枠組みで蓋も閉まるのでさすがのカラスでも開けることができない。ゴミ出し以外の日であれば折りたためるので便利なのである。

 マンションではゴミ倉庫を用意しており、鍵を持っている人しかゴミを出せない工夫がされている。さすがのカラスも鍵を準備して倉庫内へ侵入することはできないので、ゴミ戦争は全面的に人間が勝った。いや勝ったと思っていた。


 人間が上を行くと、カラスもやはり平安時代から種を残してきているだけあり、かなりの環境適応能力を備えている。

 ゴミBOXのネットに細工をしているのを先日目撃した。少し尖ったものを加えてネット部分に穴を開け、くちばしが入るようにしていたのである。

 他のカラスはBOXの蓋を閉める金具の所に粘土のようなものを埋め込んで閉まらないように、少し隙間が開くように細工をしていた。まだまだカラス対人間の戦争は続くようである。


 つまり、昔からカラスと人間、とりわけ日本人との相性は良くなかったのであろう。黒い色が艶やかに光を放っているため、美しいと思うが、黒い色が不気味とされていたからに違いない。

 だが、カラスのあの黒光りする毛は油を塗っているからと聞いたことがある。つまり、人間の黒髪に椿オイルを塗っているのと同じであり、何とも発想が似ていると思うのだが、それでも相容れないのは、鳥と人間という関係だからであろうか。

 おちよはカラスの行方をずっと見ているかなこを不気味そうに見て、はようはようと急かせる。

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