第2話 雄鹿の誘い
かなこは二月堂前の池を眺めていた。
つい先日、夏の関西旅行の完璧な旅程を立てて予約をしたと思っていたが、あっという間に夏季休暇を迎えてしまった。仕事でバタバタ、コンパでバタバタとしているとすぐに時間が経ってしまう。
暑い日差しが照りつけており、蝉の鳴き声が最高潮に不協和音を奏でている夏期休暇の昼下がりである。
タンクトップを着て、旅館を出る前に大量に冷感スプレーをかけてきたが、既に効果はなくじっとりとした汗が噴き出してくる。先ほどまで春日大社の木々の合間で涼んでいたが、日差しが出ているところに来ると一気にムッとする暑さにやられてしまう。
奈良には奈良時代の建物が多く残る。
現代に至っても修復はされているものの、当時の面影をそのまま残しており、建造物の空間に一歩あしを踏み入れると歴史を感じさせる格調高い気配が漂う。
古い建造物に囲まれながら心穏やかにして過ごすと、心が洗われる心地がする。
古都奈良を巡るにあたり、近鉄奈良駅から徒歩5分ほどの、古都奈良の雰囲気を漂わせている旅館を拠点としている。
朝5時に旅館を出発し、興福寺と奈良公園を巡ったのち宿で朝食をいただいてから、再び春日大社から東大寺まで足を運んできたのだが、まだ11時を回ったところだというのに盆地である奈良の夏は殊更暑いのだ。
ITを駆使して事前に入手してきた情報を元に、早朝に出発して効率的に回ってきたものの、今年の夏は例年より暑く、想像以上に体力を消耗してしまうようだ。
写真スポットである池で写真だけ撮ったらサッサとカキ氷でも食べに行こうと考え、二月堂を訪れた。
二月堂の池に映る厳かな佇まいの東大寺、どこまでも澄み渡る青空、美しい光景に圧倒されて、瞬時に周りの音が全て消えてしまう。
木の木陰に座ると直射日光も遮られ、ジンジンと噴き出してくる汗の勢いも弱まる。私はどこか異空間にきてしまったような錯覚を得る。
悠久の時を経ても変わっていないのであろうこの風景にのまれ、写真を撮ることも忘れて味わう。
次第に周囲のけたたましい蝉の鳴き声が戻るってくる。
気づけば池のほとりに1頭の雄鹿が降りてきていた。暑いのか、池の水を前足でしばらくかき、ふと動作を止めてかなこを見つめる。
かなこと雄鹿の目が合う。
かなこにはその瞳が初めて見るものではないような気がした。
遥か遠い昔に出会ったような懐かしい日々を思い出させる柔らかな瞳だ。雄鹿もかなこに何かを訴えかけるかのようにこちらを眺めている。
一人と一頭との間には大仏様がお一人入れそうな距離がある。
だが目と目が合うと雄鹿の眼差しにのみ込まれてすぐ目の前にいるような錯覚に陥る。
「あなたは私を知っている?」
かなこは思わず小声で呟いた。
その言葉は大仏様ほどの距離を介して雄鹿に聞こえまいと分かってはいたが、語りかけられずにはいられなかった。雄鹿の目が何かを知っているような、何かを感じ取っているような気がしたのだ。
「鹿が知るわけないわよね。暑さでやられてしまったのかしら。」
自問自答してしまっている自分に笑いながら雄鹿との視線のやり取りを自ら断ち切り、木陰から出て照りつける太陽光線を日傘越しに見やる。汗まみれで日傘を差していても狙って刺してきているように感じる。
少し外を歩きすぎてふらふらしてきたようだと思い、元来た道を引き返そうと一歩を踏み出した瞬間、目の前が幻想のように薄れて、遠く彼方の小さな珠に吸い込まれていくようにふわりと意識が遠のいた。
雄鹿の瞳のような瑠璃色の珠が周囲の光景を全て吸い込み尽くす直前に、先ほどの雄鹿が
「キュイーーー。」
と甲高い声で天高く鳴いたのを聞いたような気がした。
自分の心臓が鼓動している音が聞こえる気がする。
蝉の鳴き声がほのかに聞こえる気がする。
周囲の物音が遠くから徐々に蘇ってくる気がする。
顔に心地良い風が吹きかけている。
気がついたらとある畳座敷の一室で横になっていた。
薄眼を開けて周りを見ようとするが、顔を動かす気力がない。誰かが足元の方から団扇で扇いでくれており、そよそよと心地良い安心感のある風をかなこへ送り込んでくれている。
自分自身の身体の状況を把握すると、同時に激しい頭痛に襲われた。「うっ」と頭痛の痛さに顔をしかめる。
見慣れない部屋を薄眼に、天井が目に入るとも入らないとも分からないような現の中でぼんやりと自分に起こったことを思い返してみる。
(そうだった、日射病で気を失ったんだったわ。ということは誰か心優しい方が助けてくださってここまで運んできてくれたということになる。団扇の方がそうなのかしら。)
そうであれば早くお礼をと言葉を発したいのだが、なかなか体も口も思うように動かない。少し体を動かして起き上がろうと試みるが手にも身体中のどこにも力が入らず、まだ頭痛が残っていてふらりとする。
再び遠く彼方の瑠璃色の珠に周りの色が全て吸い込まれていき意識が遠のいてしまう。
次に目を覚ましたのは、
「かなこさま、祈祷師をお連れいたしました。」
との声が聞こえてきたからだ。
驚いて薄眼を開くも事態がのみ込めない。
また現の世界に迷いこんだのかと天井を視界にいれるも焦点は合わないまま。ゆっくりと意識が珠から吐き出されるように焦点が合うのを待つ。
完全に周囲に色が戻ると、今度は体も動きそうな気がするが、いざ起き上がろうと体を横向きにして腕に力を入れてみると頭が重く態勢が崩れてしまう。
近くにいた、声の主が駆け寄ってきて、私を支えてくれる。ぷぅんとスミレの花のような香しい香りが鼻をめぐり、頭痛が少し和らげられる気がする。
「ありがとうございます。」
とお礼を言いつつ、その人を認めると、なんと枕元に控えていたのは着物を雅にきて顔を白塗りにしている10代後半と思われるうら若き女性。
「着物?」
としんどいながらも口に出てきた言葉に、スミレの女人は聞いていない様で話しかけてくる。
「急いだ甲斐がごじゃりました。やはり東大寺様のお膝元で評判高き祈祷師さまにあらしゃいまする。祈祷が始まって幾分も経っていないのにもう気がつかれましたか。」
まだ体が浮いている様な感覚が残るうえ、頭の中にも脈絡の読めない話が響く。
「うっ。」
また頭痛がして顔をしかめる。
「まだ御身が回復されておりませぬ。まずは水を1杯お飲みください。」
黒漆塗りの高価そうな水差しから直接口へ水を注いでくれる。水が美味しく、体の隅々に染み渡る。
「さぁさもう一度横におなりあそばせ。」
スミレの女人の介助で何とか横になり、目を閉じる。
「かなこさまの意識が戻られたので皆に知らせて参りまする。」
と言う一言を残し、スミレの女人が盛大に着物を擦って部屋から出て行く音が聞こえた。
「何故私の名前を知っているの。」
小さい声で尋ねた言葉は部屋の中をゆらゆらと漂ってシャボン玉のように虚しく弾け消えた。
ゆっくりと目を閉じる。意識が戻ってからの短時間でのやりとりを分析しなくてはならないだろうと振り返る。
(まず、私の名前を知っているのは何故か。鞄の中に免許証があったはずだ。
初対面にしては慣れなれしいが、免許証から名前は分かったのであろう。
では次に、祈祷師とは何なのか。東大寺のお膝元と言っていたので、東大寺の住職のことであろうか。私は東大寺の池のほとりで倒れたと推測されるので、東大寺の宿坊に運ばれた可能性は高い。
となると祈祷師はやはり東大寺の住職で間違いないだろう。
今時日射病で倒れたくらいで、救急車を呼ぶことはあっても祈祷師を呼ぶとは珍しいと思ったが、住職であれば妥当だ。
ではあのスミレの女人は誰だろうか。着物に白塗りとは普通ではない。90年代に一度白塗りの美白が流行ったが、あれも一時のブームに過ぎず現在でもその様相をしている人はまずいないと思われる。
いや、私が丸の内で働いており、都会人しか会っていないから知らないだけで、今でも奈良などの古き良き文化が残っている地方では白塗りが残っているのだろうか。ルーズソックスの女子高生が未だにローカル線の電車内に似合うように。)
スミレの女人が開け放った襖からさやさやと風が入ってきた。夏の暑い日だったが、室内にいるためか少し体の火照りが和らいだ気がする。
(そういえばスミレの女人の眉毛はチョボに近くのっぺりとした顔だった。
何と表現すれば良いのか、そう、まるで平安絵巻に出てくる下膨れの顔である。オカメ顔というのはあのような顔を指すのかもしれない。
さらに話し方も普通ではなかった。少しふざけているのかとも思われるような語尾だったが、当人からは至極真っ当に私のことを心配してくれている様子が伺えた。)
しばらくすると白塗りの女性が戻ってきて、大丈夫かと伺ってくれる。
しかし、なんせ白塗りにまゆげまでチョボであり、上から下までをトータルで眺めてみると、平安時代風の風体そのものである。
そうか、今日は奈良市内で映画かドラマの撮影があり、この畳座敷はそのセットなどのためにあるのだろうと推察した。
金岡課長もテレビ番組で奈良のロケを見たと言っていた。
かなこもかつて映画のエキストラに出演したことがある。
大正時代ものではあったが、大正モダンなからし色の和装でモスグリーンの袴に、足首近くまである編み込みブーツを履いた。髪型までも大正風の前髪に膨らみを持たせたオールバックで後ろを簪で止めにセットしてもらったことがある。
服装・髪型・メイクと大正をイメージした着ぐるみの中に自分の顔だけが移った姿を鏡で眺めると、自分の顔まで大正時代のそれになったかのような錯覚を起こしたのを覚えている。
もしかするとスミレの女人もエキストラでたまたま撮影の合間に私が倒れているのを発見して看病してくれたのであろうか。
それにしても白塗りの女性を見るにつけ、あまりの平安顔に笑いがこみあげてくる。直接顔を見るのは気が引けたが、女性は視線を感じているだろうに、恥ずかしがるようなそぶりは全く見せず、
「ご気分が戻られましたら、別邸までお戻りあそばされますか」
と聞いてくる。
これ以上ここにいてご迷惑をかけるわけにはいかないので、家に帰る旨を伝えると、
「安堵いたしました。かごをご準備いたしますので、しばしお待ちくだしゃりませ。」
とゆったりとしたテンポの、柔らかなイントネーションでいうではないか。
何とも不思議な会話である。
まず、普通に歩いてホテルへ戻るつもりだが、‘かご’とは一体何のことか。
そしてこのゆったりとした平安口調を思わせるような言葉遣いは何だ。
さては映画の中でそのようなセリフを話しているうちに、そのままの芝居トークで話してしまっているのであろう。
「助けていただきありがとうございます。大丈夫です、歩いて帰れます。ところで、この撮影は映画かドラマですか?素敵な衣装と髪型ですね。平安時代の雰囲気がとても出ています。いつごろ上映されるのかが分かれば教えてください、応援しています。」
と伝える。
話をしていると頭痛なども忘れ、野次馬根性で何の映画で誰が主演なのか、今日は誰がこの現場で撮影しているのかなど、聞きたいことが溢れてくる。
「主演はどなたですか、今も本番の撮影中ですか?あなたもご出演されているんですよね、私のことにはお構いなく、現場へお戻りください。」
かなこの勢いに圧されたのか、スミレの女人は圧倒されて何も返してこない。
「やはり時代ものであれば、歌舞伎役者の小野満笑さんですかね。あ、最近の若手NO1の呼び声が高い池野翔太さんかしら。一度でいいから会ってみたいです。」
かなこの弾んだ声を聞いて、
「やはりまだ意識が混濁されているご様子であらしゃいます。まもなくかごが参りまする。」
と同時に‘牛車’がどでんと部屋の前に現れた。黒漆塗りで、所々に螺鈿の貝殻がはめ込まれている煌びやかな車である。
どこから牛車を連れてきたのだろうか。牛は水牛だろうか、牛までもが雅に着飾られている。
奈良では鹿を神の化身として大切にしているという話は聞いたことがあるが、牛とは初耳である。
そして皆して後ろ向きに侍っている人々の服装はいよいよはっぴのような時代劇に出てくる服装である。
近くで見ようと立ち上がった瞬間、別の白塗り女性が私に笠をかぶせてきた。
「かなこさま、お顔をお隠しくだしゃりませ。」
また気を抜くようなまったりとした話言葉で、腰まで届きそうな白い薄地のベール付の籐笠をかぶせてくる。
話し方に反して行動はテキパキとしており、なされるがままにして、牛車に乗せらようとしている。
急かされながら立ち上がるが、体が重い。日射病の熱のせいだけではないのではと思い、自分の姿形を見下ろすと、なんと豪華絢爛な着物を複数枚着重ねしているではないか。どうりで暑く体が重いわけだ。
どうやって私はこの重ね着を着せられたのだ。私の服はどこへいったのだ。
再び頭が朦朧としてきた。
「何かお間違えではないでしょうか。私の荷物はどこでしょうか。」
「荷物はすべて従者に持たせておりまする。」
状況は未だ掴めないが、体がふらつく今の状態では流れに任せておく他なさそうである。
とりあえず重い重ね着の着物をすりすりとして牛車へ歩みを進める。
十二単まではいかないものの、雅な着物だ。一番内側の襦袢は白い簡素なものと思われるが、その上に淡いさくら色、濃いさくら色とグラデーションに彩られ、一番上は見事な金の菊花の刺繍が施されている赤い着物である。
「まぁなんとも雅なこと。」
うっとりとしている私をスミレの女人がじーっと見つめてくる。
牛車への乗車を促されているのかと思い、牛車に乗り込もうとする。
縁側から牛車へは地続きになるように配置されており、着物を擦ったままでもそのまま地に足をつけずに乗り込むことができる。
慣れない重い着物を捨て歩くので、ズッコケそうになるし、体を支えた拍子に袖を踏みつけて袖を破きそうになるし、寝ていたところから5mほどの移動なのに四苦八苦である。
しかし場の状況と朦朧としたままの意識の中で必死に車に乗り込む。
すかさず後ろからスミレの女人も同乗し、スーパーの割引コーナーで鍛えられたであろうと思わせる強い尻圧でかなこを奥へ追いやり澄ました顔をしている。
2人が乗りこむと同時に後方の簾がおろされて緩やかに牛車は動きだした。
牛車の中は比較的広く、2畳ほどはあるので、大人2人と子どもという組み合わせでも十分乗り合わせることは可能だ。
中まで漆塗りでピカピカに仕上げられている。左右の横に窓が付いているが、締め切りになっている。
閉ざされたスペースで蒸されるが、後方の簾から牛車が揺れるたびにほのかに風が舞い込んでくるのが有難い。
牛車自体の揺れはあまりないが、道路の舗装状態が良くなく、石や砂利を踏む感覚が直に床下に感じられる。ガタゴトとするのでバランスを取るのが難しい上、豪華な着物を重ね着しているとはいえ揺れが直に足にくるので負担がかかり顔をしかめる。
気が動転していたこともあり、状況が読めず流れるままに揺られていくが、スミレの女人は心配そうにこちらを見つめている。
囲まれたスペースがほのかなスミレの香りで満たされてゆく。
そしてスミレの女人はゆっくりと話し出した。
「かなこさまが倒れられた知らせをうけて、中納言様はそれはそれは転地が逆さになったかと思われるほどの心配ようでごじゃりました。」
「えっ。」
中納言様とは、ただ事ではない。この期に及んで映画のロケを続けている訳はない。
「かなこさま、まだお加減がお悪そうでごじゃりまする。」
「とりあえず、私を助けてくださりありがとうございます。私はもう大丈夫ですので、ここで降ろさせていただきます。」
簾をあげて外へ出ようとして目に飛び込んできた光景にしばし固まってしまった。
ビルが建物という建物が全くなく藁や乾いた草煉瓦のような材質で作られた簡易な家々、牛を引いたり道の両側で筵を引いた上に寝転がったり、何かを売ったりしている人々、そして舗装などされておらず砂埃がたっている広い道。
「わたし、平安時代の中にいる。」
そう放ったきり絶句してしまったままの私にスミレの女人はおそるおそる聞く。
「おそれいりますが、かなこさまはお記憶を失われておられるのではごじゃりませぬか。」
どうやら私はタイムスリップしたようである。
今の時代を尋ねると冷泉天皇の御世とのことで、都は京都にあるといっていたので、おそらくは平安時代と推察される。そして私の立場は貴族の娘という高貴な立場として優遇されているそうだ。
私の千数百年前の前々々々世なのだろうか、祖先がこの立場だったのであろうか、それとも古都に思いをよせる私のイメージが強く、公家に憧れを持っていたためにこの貴族の娘という立場を引き寄せたのだろうか。
いずれにせよ、早く現世に戻りたい気持ちはあるが、せっかくなのでこの時代を旅したい気が疼いてくる。
冷泉天皇は実際に西暦何年なのだろうか、この時代の冠位階級はどのようになっているのだろうか、そして中納言の娘の運命はどのようになるのか、知りたい。中納言の娘の運命までは贅沢としても、せめて時代背景を抑えておかないと生活に支障があるではないか。
あぁ、google先生に聞きたい。いますぐスマホでポチッと検索をかけたい。ポチッと。ポチッと。
「ぽちと。あぁ、ほひとなら別邸に控えておりますので、後ほどお呼びいたします。」
独り言が声に出ていたか、と少し頬を赤らめる。ほひとが誰かは分からないが、従者であろう。
「ところで、大変申し訳ないのですが、あなたはどなたでしょうか。」
今まで混乱の渦の中にいたため、尋ねるのが遅くなってしまったが、身の回りの世話をしてくれる従者であろうスミレの女人のお名前を尋ねる。
「わらわはちよにござりまする。いつもいつもおちよと優しくお呼びくださり、かなこ様が生まれてこのかたお世話申しあげておりましたが、この様なことになってしまぅとはあぁぁぁ。」
最後の方は涙声になり聞き取れなくなり、おちよは着物の袖で目元を拭う。大げさな。
おちよは童顔な顔をしていて10代後半と思っていたが、テキパキと物事をこなすところを見ると、齢20歳を超えているのではと推測される。
現在32歳の私はこの時代、そろそろ老女の域に突入する年齢なのではないか。何かのサイトで平安時代の平均年齢は30歳前後だったと読んだ記憶がある。
高貴な家柄であれば、産まれながらにして許嫁がいて、13歳を超える頃には婚礼を挙げる。最初の子どもを15歳で授かり、孫を30歳で授かると計算すると、32歳に私は祖母になってしまう。
未だ現世では相手探しをしているところなのに、この時代ではとっくに行き遅れではないか。死期が近づいている老女になってしまう。あな恐ろしきかな。
「おちよさん、私には孫がいるのでしょうか。」
恐る恐る聞いてみる。
「かなこさま、何をおっしゃいますか。まだ歳16ではごじゃりませぬか。」
おちよの驚きの顔を傍目に、
「よっしゃ。」
と思わず喜びが声に出てしまう。
32歳の私は、この時代では半分の16歳相当ということか。
手を着物の奥から引っ張り出してみると、なるほどツヤがありピチピチとしている。重く重ね着している着物の袖を持ち上げ、手を顔に近づけて頬を撫でてみる、ほっぺたのキメが細かい。
若いって素晴らしい。若返るタイムスリップなんて夢のようではないか。
いや、夢なのかもしれない。
もしかしたらこれは私の脳が作り上げた妄想の世界、実際の21世紀に入る私は真夏に東大寺の池の淵で佇んでいたところ熱中症で倒れてしまい、夏にそのような炎天下を歩く人もおらず倒れている私の発見が遅くなり、救急搬送をされた頃には意識が朦朧としており、生死の境を彷徨っているのではないだろうか。
いやいや、もしかしたら既に時遅し、植物人間になり果ててしまったのかもしれない。
その結果、夢の中の私は歳を半分にカウントしてもう一度若かりし頃をやり直そうとしているのやもしれぬ。
と云う事は、この世界は私の創り出した想像。
であれば主役は私。
せっかく若さも地位も得られたのだから、この世界に浸れるうちは自由に動かせてもらおう。
そう嬉しく喜びの気持ちが湧き上がったのも束の間、16歳の自分に戻ってもどんな心持ちで向き合えば良いのか複雑になる。
私が16歳だった頃といえば、高校2年生、初恋の人ができたくらいだっただろうか、同級生と一緒に学業に部活動にと励んでいた時期ではないか。部活動はテニスをしていたが、この時代にテニスなどない。
ましてやこの重い着物を普段から着込んでいては、外出もままならない。
平安時代の女人の嗜みといえば何だ、歌か、お琴か、かるた遊びか。あとはほほほと扇で口元を隠して声高に笑っているイメージしかない。
毎日何をして過ごしているのだ、この時代の女子高生は。あぁ、yahoo知恵袋でみんなからアドバイスが欲しい。
「許嫁の中條様が早く回復なさればよろしいのですが。」
おちよが悲しげに口にする。やはりいたか、許嫁。中條ということは高貴なお方と推察するが、病気で療養中なのだろうか。
「あの、中條様のお加減は悪いのでしょうか。」
この時代に長く留まるつもりはないが、一応許嫁の体調は把握しておきたい。
「もう長くお風邪を患われております。体調がよろしくなればご婚礼の運びになるのですが、お若いのにお可哀想でおかわいそぅでぇぇぇ。」
最後の方はまたも涙声になり聞き取れなくなり、おちよは着物の袖で目元を拭う。またまた大げさな。
風邪なのであれば、ビタミンを摂って、温かくして寝ておけば1週間ほどで回復するのであるから、結核や他の病気だと思われる。
もしくは、この時代であれば近親者同士の結婚が多く、生まれつき病弱なお身体なのではなかろうか。タイムスリップする時のことを考えて流行病ランキングを調べておくべきだった。
そうこう考えを頭の中でめぐらせているうちに牛車は止まった。
1時間弱ほど揺られていたであろうか。牛車の中から外をもっと覗いて街中を見物したかったが、おちよが、
「かなこさま、はしたのうごじゃります」
と頻りににガードしてくるので見ることかなわず、目的地へ到着した。
「かなこさま、別邸へ到着いたしました。」
牛車が寄せられた場所は奈良にある別邸であった。
なんと、別邸が奈良にあるのかと驚いたが、高貴な身では別邸があってもおかしくはない。
現代の奈良の地図を思い浮かべる。
確か春日大社は東の山手にあり、そこから西へ数キロで平城京跡にたどりつく。
でも今の都は京都ということなので、既に都は移って廃都ということになる。ただ、遷都されても代々の土地は残っており、風水などによる場所替えに利用されたり、少し遠出をしたり、庭で薬草を摘んだりと利用用途があるのでこのように時々遊びにきているとのこと。
笠をかぶったまますぐに奥座敷に通される。
それにしても重ね着している着物は床をすって歩くので歩きづらい。
着物をすって歩いてコケないものだろか。床は布でこすられるのでピカピカになるが、服自体はすぐに傷むだろう。現代ほど軽くて丈夫という質の衣服ではないが、確かに丈夫そうな素材は使われている。その分すこぶる重い。
刺繍は丁寧に施されており、おそらく絹の糸でつむいだのか菊花の間を鳥が優雅に舞っている。現代でも相当値がはりそうな衣なので、平安時代ではなおのこと価値のあるものであろう。
それを床の上ですりすりして歩くのは気が引けてくる。根っからの貧乏性のかなことしてはもったいない精神が頭をよぎる。
やっとの思いでおちよに座るよう指示されたところに腰を落ち着かせた。
正座で座ると一層着物の重量が足にかかる。少し移動するのにも一苦労だ。おそらく通常の外出であればもう少し身軽な服装を着ていたのではないかと思われる。
私が東大寺近辺で倒れるまでに何をしていたのかは分からないが、何かの行事に参加するために、この豪勢な着物を着ていたのかもしれない。
とにかく記憶がなくなったようだというので、中納言の父が見舞いにこられたが、私からすれば赤の他人に思える方。
とりあえずうまくことを運ばせておかねば。郷に入れば郷に従えと肝に銘じる。
御簾をはさんで父と言われた方と面会する。
御簾を挟んでいるので顔は見えないが、声の感じからすると若そうなパパだ。シルエットは黒い着物に袴姿で時代劇でみるような風体に見えるが、背は低く一目でメタボだと診断する。
牛車を引いていた従者も小柄だったので、平均的な身長なのかもしれない。そういえば奈良国立博物館での展示物に昔の装束が出ていた時に、平均身長が女性1.4m台、男性が1.5m台とあった気がする。
男性の身長でもかなこより10㎝は低いという解説に驚いた記憶がある。
何をどう話して良いものか分からず、黙って状況を見守ると、パパとおちよが会話をしだす。
「わらわがいながらに何とお詫びをすればよろしいのか。かなこさまに獣の怪が取り憑いているとのことでございます。すべてお忘れになられているご様子で。私の名前までもおおおぉぉぉ。」
また涙を流し、着物の袂で目元を拭う。またまたまた大げさな。
「かなこ、心配めさるな。父が国元の祈祷師を全て集めてでも必ずや物の怪を取り去ろうてみせようぞ。」
ありがとう、パパ。だけど私は未来からやってきているので、未来の私自身が物の怪ということになってしまうわ。とは言えない。
「中納言さま、何卒かなこさまを。そういえばかなこさまは、ほひとのことだけはお分かりになるご様子でして。」
いや、ネットでポチッと言ったのをあなたが聞き間違えただけなのだが。とは言えない。
「何、まことか。ほひとをこれへ。」
しばらくすると、でぶちょんな猫を抱いた女人が目の前にやってくる。
これまた平安風の装いをして質素な色合いの着物を着た女人、腕の中の猫は昼寝を邪魔されて不貞腐れたような顔つきをこちらに向けてくる。
かなこさま、ほひとが参りました。おちよがまた涙を浮かべつつ、でぶちょん猫を私に渡してくる。
「これが、ほひと。人ではなく、猫。」
てっきり’ほひと’というので人間だと考えていたが、違うかった。
まさか猫だったとは。
猫を押し付けられて、猫を抱いたまま固まって話を聞くことになる私。
しかも重い。
この時代に栄養過多とは良いご身分の猫である。
おちよから事の次第の報告をし、中納言は別邸へくるまでの道中いかに心配したかを語っている。
話口調はまったりとしていて、この話ぶりでは時間がいくらあっても足りないのではないかという具合だ。
一言ずつ頷きあうのは宜しいが、
「えぇ、ほんに。」
「して、あれは。」
「まぁまぁ。」
「コホン。」
「そうどすか。」
この調子で会話がなされていくのである。
会議をばんばん取り仕切る私からすると時間がもったいないと感じてしまう。今日の仕事が他にあるわけでもなく、本当に時間があるからだろうか。
それとも万事において、このスピードが日常の思考回路のMAX値なのかもしれない。
普段、テレビドラマや映画を録画しては倍速で見ている私。
倍速に慣れてしまうと、通常のスピードがまどろっこしく感じてしまう。鮮度を求めるニュース番組以外は必ず録画して倍速で見ているし、特に韓流ドラマは3倍速したいくらいである。
その私からすれば、この速度は倍遅スロー再生、いや3倍遅スロー再生に等しい。
あまりにスローすぎるので、行間で色々な想像が走ってしまい、二言前の発言が忘れてしまうではないか。
話のペースにややイライラ感を募らせてしまう私を気にもとめず、ほひとは相変わらず不貞腐れた顔のまま私の膝の上で寝ている。
パパとおちよの話からすると、かなこは許嫁が病になったり、大切な扇が紛失したり、飼っていた鳥が神隠しにあったりと不運が続いていたため、厄払いに東大寺詣でをしていたとのこと。
その最中に日射病になって倒れたのだから、相当強い物の怪が取り憑いていると言われても仕方がない。
現代から来て物の怪などというものを信じていない私からすると、許嫁が病になったのは近親者同士の結婚で元から体が弱かったから。
大切な扇は誰かがそっとくすねて売り払ったから。
飼っていた鳥は従者の誰かが誤って逃がしてしまったから。
東大寺詣りの途中で私が倒れたのは単なる暑気中り。
全てを物の怪のせいにしてしまっては物の怪に申し訳がないとも思う。
「記憶がないとはいえ。」
やはり変な平安訛りのイントネーションで父の中納言さまは会話を続ける。
「御身は少しづつ回復しつつあるから、安心いたした。」
スローテンポなので、心配度合いは伝わりづらいが、心配してくれてありがとう、パパ。
「体をいたわり、ゆるりと、するように。」
「中納言さま、承知つかまつりました。」
おちよが深く畳に頭をつけお辞儀をする。
中納言さまが辞する。
床をする長い着物の裾が擦れる音が遠のくのを確かめ、おちよも一息つき、ほっとしたようだ。
おちよももしかしたら、スローテンポに合わせるのは苦痛なのか。
「かなこさま。」
「はい。」
「まこと。」
「・・・。」
「中納言さまがお越しくださり。」
「・・・。」
「感謝の極みにごじゃりまするね。」
やはりかなこもこの時代の者、スローペースだった。
苦痛なのではと思ったのは私の思い過ごしで会ったようだ。
私がスローペースに慣れるしかない。
ゆっくりと物を言おうとすると口が渇く。
水をなるべく飲んで口を麗して美声に心がけなくては。それに相手の話の行間で意識を逸らしてもいけない。
会話に集中集中。
以前、動画サイトで見たマインドフルネスが重要だ。その時、その一瞬に集中をして、雑念を振り払うのだ。マインドフルネスに一時期はまって自分の意識をコントロールする知識を習得した私なのだから、きっとこのスローすぎる会話でも意識を集中させることができるはずだ。
これはもはや修行だ。
なるべく人と多く話をし、このスロー会話を練習して平安会話を習得すべし。
それにしても子どもの時から許婚だったという夫になるお方はどんな方だったのかしら。さぞかし高貴なおうちの貴公子だったに違いない。背は高くて光源氏様のような見目麗しい殿方だったのでしょう。公家顔の美男子を期待してしまう。
「おちよさん、私の許嫁とはどのような方だったのですか」
「それはそれは高貴な御方でごじゃります。高祖さまは天照皇女さまの血脈をお持ちというそれはそれは尊い家系でごじゃります。また許嫁様のお父上の叔父上の義理の姉上はかの有名な仁德天皇の御皇女であられます。」
なんとそれはもはや天皇家と他人。
「では見た目はどの様な方なのでしょうか。」
「はぁ、それは…高貴な御方のお顔を直接拝顔することはごじゃりませんので。ほとんど御簾越しでごじゃりましたし。」
常に側近に控えて、抜かりのないおちよのことだから、一度くらい軽く容姿のシルエットくらいは見ているはずだ。
「おちよ、気にせずちらりと見たままだけお伝えくだされ。お見舞いにお伺いした時に顔すら分からないのは失礼にあたりますでしょ。」
「はぁ、それは…ちらりとしか見ておりませぬので。そのちらりと見ただけではごじゃりますが、ひょうたんのようにすべりとした…何といいますか…、お歳が離れておらしゃいましたので…、あぁ、夕餉の支度が整ったようですので夕餉にいたしましょう。」
つまりはしゃくれて、つるっとした髪型のおじさんということだろうか。
ちょうどというか、タイミング悪く、下女が夕餉を運んできた。今度じっくりと問いたださなくてはならない。
夕餉は一汁三菜かと想像していたのだが、運ばれてきたお膳に乗っていたのは、お菜を少しと塩漬けの魚とご飯と味噌汁と漬物というシンプルな夕餉である。
「中納言さまが、せいをおつけあそばすべきと、とくべつに魚をあつらえました。」
例え塩漬けであっても魚がこの四方を山で囲まれた奈良の地でいただけるというのは、やはり身分が高い身だからなのであろう。
この膳で魚がなかったら、どれだけ寂しいか。これだけの食事を頂けるということに感謝をしなければいけない。
普段、あれだけ東京のおしゃれなレストラんで多くの豪勢なフレンチやイタリアンや創作和食などを日替わりでいただいていたが、昔の先祖の皆様のつつましい食事の積み重ねが歴史となり、食せていたのだと感じると感謝を覚える。
感謝をしてじっくりと歴史の重みを味わいながら食べようと、早速魚の塩漬けをいただく。
「むおっ。からっ。」
塩辛い。とても辛い。
平安時代では塩分の取りすぎという言葉はないのだろうか。もはや塩漬けの魚ではない、塩そのものを食べているではないか。
現代食では塩の摂取量は1日10グラムまでと決まっているが、この塩漬けはこれだけで3日分の塩分量を摂取してしまっているのではなかろうか。
「おっ、からっ、でごじゃりますか。」
あまりに塩辛く、口元を押さえている私を見て、おちよが首をひねるが、少し考えて合点したようで急ぎ部屋を出て行く。
さすがはおちよ、水が欲しいことを理解してくれたようだ。
あまりに喉が渇いたので、お味噌汁をすするが、これまた塩分の度合いが高い。そして冷めている。
「うぅ、やはり辛くて喉が渇いてしまう。」
しばらくしておちよがお椀を持って戻る。
「かなこさま、おからをお持ちいたしました。」
「おっからっ。ぎょえ。」
この塩辛くて渇いている、この喉に、更に口の中の分子レベルの水分までを吸着していこうとする、見るからにパサパサとしたおからを持ってくるとは。
やっとの思いでおちよに水を持ってきてもらい、お椀3杯分の水を平らげて喉も体の塩分濃度も落ち着いた。
「少し塩分が大目ではないか、お味噌汁ももう少し冷めているようですが。」
と遠慮がちに側に控えているおちよに問うてみたところ、
「なんと。料理人を追及し罰を与えるようにいたします、これ、料理人を連れてこりゃれ」
「いや、私の勘違いです、疲れが残っていたのでしょう。明日からはいつでも水が飲めるように、この部屋のすぐ近くに水がめを置いてもらえませんでしょうか。」
今にも料理人の首を落としかねない勢いのおちよを慌ててとめた。
食後に季節の果物としてヤマモモが出たのが幸いだった。
何とも香しく、それでいてどこか懐かしい香りがする。少し塩分が残っていた舌がヤマモモの甘酸っぱさに救われる。
ヤマモモの季節は6~7月だったと記憶しているが、おそらく現代よりも気温が年間を通して低いためにおそらく8月でも採れるのだろう。
食後、虫の音を聞きつつ横になる。
まだ寝るには早い時間だと言われて、肘たてにもたれかかるような形でうとうととする。
8月だというのに、都会のビル間の熱風やさんさんと照りつける太陽の日差しがなく非常にすごしやすい。
友達の誰かが夏に行く予定だと言っていた軽井沢などの保養地はさぞこのように過ごしやすいのだろう。
平安時代の貴族は夏は南に保養に出かけ、冬は都に戻るという何とも贅沢な暮らしぶりだ。
私にとってはこんなにも過ごしやすい環境にもかかわらず、おちよは隣でしきりに「暑ぅごじゃりますな」を連発している。うちわでそよ風を運んでくれているが、ちゃっかり途中で自分にも風を運んでいる。
昔の人々は暑さに弱かったのかもしれない。ということは冬の寒さには耐性があるだろうか。
もしくは、温暖化で地球の温度が上がってきた現代と比較すると、年間を通して気温がこの時代は低いのかもしれない。であれば、夏が涼しいのだから冬は極寒になるということか。寒い冬が嫌いなかなこは、極寒が訪れる前に一刻も早くこの時代を脱出しなくてはと考える。
間違えてもこの時代から戻るのが冬になるなんということはあってはならないと自分に言い聞かせる。早くこの夢か、植物人間状態か、タイムスリップしたのか、状況は分からないが打開策を見つけなくてはいけない。
夕食が塩辛かったためか水分を多くとってしまったので、むしょうにお手洗いへいきたくなった。しかし、果たしてどこにお手洗いがあるのか。そしてかなこが重ね着している着物をどのように対処すればよいものやら。考えあぐねていると、更に早くお手洗いへいきたくなってしまうから不思議だ。
思い切っておちよに聞いてみる。
「あのー、お手洗いに行きたいのですが。」
「どうあらしゃいましたか。」
「お・て・あ・ら・い」
とこの際恥を捨てて、ジェスチャーを交えて必死に伝える。
「だから、お・て・あ・ら・い に行きたいの」
「あ、おちょーずにごじゃりますね」
「そうそう、御手水と言うのね。どこにあるのかしら。」
「では、ご準備させていただきます。」
準備といったか。御手水はどこかに設置されているものではないのか。私の伝え方が悪かったのか。
とおもったら、目の前におまるが設置される。
「ここでするの!?」
と同様している私を差し置き、おちよが手伝おうとしてくれる。
もう我慢もできなかった私は大人しくおちよに促されるまま事を何とか済ませる。
重ね着のおかげで何をするにも一苦労である。
おそらくは普通に現代で洋服で何かをするのと比べると倍以上の体力を要しているのではなかろうか。少し歩くだけでも重ね着の着物を背負っているので足が進まない。
そういえば平安時代では「いざる」といって膝歩きのような進み方が一般的だったと古典の授業だったか何かで聞いた記憶がある。
その時は立って歩けばいいのにっと思ったものだったが、この重ね着の重しが背中に乗っているのであれば「いざる」方がスムーズだったのかと納得する。
またこれだけの重みを体に背負っていると、身長は伸びないだろう。
平安時代の平均身長はおそらく現代より小さい。160cmの私ですら、みんなを見下ろしていたのだ、180cmの人であれば、それこそ巨人扱いであろう。
慣れない御手水を何とか終え、下女にお尻を拭いてもらい、恥部を人に触られるというなんとも屈辱的な経験をしてしまう。
でも着物の厚さで手が回らないのであるからして必然的に人の手を借りることになってしまうのだ。
人間ドッグの婦人科検診や大腸ファイバーで医師に診てもらう並みの人権の尊厳を崩されてしまった感じがする。これが日に数回毎日やってくるのだ。
そしてもちろん大きい方も同じことになるのであろう。便秘になってしまいそうだと今からげんなりしてしまう。
こう重い着物を着ていると運動不足にもなるし、食事には海藻は出てくるものの食物繊維は足りないだろう。便秘解消のために何かしなければいけないと自分を引き締める。
それに自分一人で何とかできるように工夫もしなくては。
それにと、ふと月の障りが頭をよぎる。女性であれば必ず来るであろう。これは時代に関わらず来てしまう。この時代には使い捨ての衛生用品なんていう便利なものもないだろう。ここは恥ずかしついでに確認をしておこう。
「おちよ、女が月に一度来るものが来た時はどうするのですか。」
おちよは、一瞬理解できなかったようで顔を傾けたが、
「あぁ、月のものでごじゃりまするか。」
かなこが神妙に頷くと、おちよがぐんと顔を寄せてきて、
「それはもちろん、耐えるのでごじゃりまする。」
と意気込み踏ん張り顔で迫ってくる。
「たっ・・・耐えるなんて、なんて辛いの。」
この時代の女性はひたすら月のものの時は力んで御手水の時に処理ができるよう耐えるものらしい。
また、高貴な家に嫁いでしまった場合には宿下りをして実家にてこの時期は過ごすことも普通であったようだ。
それにしても今日は一日わけも分からず慣れない環境に放り出されてしまったのだ、かなり疲れていること気づき、畳を重ねたベッドに横たわってそのまま眠りにつく。
御簾の外からふいいてくるそよ風が心地よく、そのそよ風に乗って虫のクルルルルと鳴く声もかわいらしく聞こえる。
部屋の灯篭の明かりを消してからは真っ暗だ。真っ暗闇だったのが、次第に目が慣れてくると月明かりで照らされて周囲が見えてくる。今日は薄い三日月だが、それでも十分に周囲を照らしてくれる有り難い明かりとなる。
そして外は満天の星空。
ネオンも街灯もないので、本当に空が澄んで星々が自分の存在を主張している。そして、救急車や車の音や、コンビニの入店のティロティロとした音のない世界で、ただ虫だけが自分の存在を高らかと天へ知らせている。
この世はこんなにも自然で溢れている。
現代の東京では、光る力を削がれた星たちはどこへ行ったのだろうか。美声をかきけされた虫たちはどの地へ移っていったのか。
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