決死の場

しかし、この事態も間もなく収束するだろう。


他の者ならいざ知らず、あのつわものを相手にしておきながら、考えもなく空へ上がったのはまずかった。


あれではいいまとだ。


「…………っ!」


見越した通り、虚空を見据える彼の眼に、一点の炎がともった。


あれはまさしく身をくような嗜虐心しぎゃくしんの表れであり、確固たる勝機を目の前にした王者の眼光であろう。


次の瞬間には、彼の口腔こうこうから吐き出された灼熱の奔流が、真っ直ぐに空へと駆け上がっていた。


火力をめる余暇よかなど、僅僅きんきん数秒にも満たぬ。


にも関わらず、尋常ではない威力ものが、彼の口からほとばしっている。


あわせて、その体躯を起点に発散された熱風が、周囲一帯をむざむざと焼き尽くし、たちまちのうちに地獄絵図をんだ。


「──────!!!」


ひとえに怒りのためか、もしくはかの御一党に対し、ゆるしをう目的かは定かでない。


それがしの口が、意図せず滅茶苦茶に動き、声にならない声を上げた。


これを少しでもみ上げてくださった結果か。


天を指向した壮絶な火炎は、姫の横合いへ大きくれ、雲際うんさいの彼方へと消え去っていった。


「…………っ」


否否いないな、これは断じて、当方の切願がこうそうしたものではなかろう。


声にならぬ声とは、じつに言い得て妙である。


周囲を占める熱気によって、某の喉はすでに半分ほど潰れている。


いずれにせよ、声がきちんと届いたところで、かの炎の御仁が、他者の言い分を素直に聞き取るとは思えない。


では、果たして何事が起こったのか。


答えはいたって簡潔である。


「待って! 待ってください!! 天國さま!」


満身を投げ出した女官が、まるで大樹たいじゅすがりつくかの如き所作しょさで、彼の腰にかたく取り付いていたのである。


しかし、どうにも違和感がある。


先頃の女官は、己が如何なる優勢に立とうとも、心身に一分いちぶの愉しみもたくまず、それがしを機械のように追いつめた。


それが今はどうだ。


この途方もない死地にあって、おのが身を一向にかえりみないのはい。


れども、のべつ幕無しに泣きそぼつ仕草などは、まるで一介の可憐な乙女のそれではないか。


これはどうした事かと考えた途端、もう一つの大きな違和感が、急にズルリと首をもたげた。


“天國さま!”


彼女はたしかにそう言った。


この場に聴覚を阻む雑音は多々あるものの、断じて聞き違いではない。


もしや正気に還ったか。


「ぬ……!?」


そう期待したそばから、上空に居座る姫の身辺に生じた氷柱つららが無数、弾雨のように降り注ぎ、二名の姿を白煙の向こうに押し込めた。


このに及べば、当の修羅場に集った面々の顔色も、いよいよ蒼白になり果てる。


神々の争いを、ただ傍観するのは恥ではない。


なけなしの生を望むのなら、あれは最早もはや、積極的に関わっていい事象ではない。


そう。 これはすでに、一儀の範疇に納まる闘争などでは無く、天地間における自然の異変にも等しい、並々ならぬ事象であろう。


「痛ってえな、この野郎……」


やがて、風道かざみちならった白煙が、かすみそでのようにさわさわとほどけゆく頃合いになった。


そうしてあらわとなった彼の姿に、一同とも、思わず喫驚きっきょうしたのは言うまでもない。


素槍すやりのごとき氷柱が、その肩口を、手足を貫いているではないか。


あのような状態で、なぜいまだに立っていられるのか。


はなはだ疑問でしかないが、彼の脳裏に痛みは無いらしい。


ばかりか、己の腰部にすがりつく女官に対し、憐れみともおもむきとも付かぬ、言外げんがい眼差まなざしをやってみせる。


あれは余裕の表れか。 そうでなければ、単に無神経なだけか。


もとい、あの面差おもざしを見れば、そういった語義も、たちまちのうちにかすみゆく。


あれは、さながら厳父慈母げんぷじぼのそれに等しく、まかり間違っても、罪人の舌をひっこ抜く閻魔王のそれではなかった。


「………………」


そうする内、二名の目前に降り立った姫が、口元をわずかにゆるめ、そしてすぐに、これを引き締める仕草をした。


敵の痛々しいなりを見て、明らかなる勝機を得たか。


しかし、まだまだ油断はできない。


彼の体躯から仕切りに立ちのぼる蒸気は、その体内に侵入した氷柱が、早々に熔け始めている証だろう。


いやしかし、彼の頑健なたたずまいを見ていると、当の氷柱は本当にその身を貫通しているのか。 手ひどい損害を与えているのか。


根本のところに疑問が湧いた。


「なかなかやるな? お前さん」


「……よく言う。 どの口でそのようなこと」


「いやマジで。 感心したよ。 現世こっちにも骨のある奴はいるんだな。 やっぱり」


ニッカリと歯を見せる彼の仕草に、はからずも心胆しんたんこごえた。


あれは、まるで小童こわらわのそれではないか。


間違っても、勝ち戦にのぞむ猛夫たけおの喜色ではない。

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