第28話虚構のゆうべ

その甲高かんだかい声は、眠る草木ですら容易に飛び起きるのではないかと思えるほど、よく通るものだった。


これには流石さすがの少女も不覚を取り、目先の完勝を取り逃がしたばかりか、敵から目を離すという失態を演じた。


「お姉!」


「……行くよ」


この機に乗じ、いち早く姉の手をつかもうと試みたのだけど、逆に私のほうが手を引かれる結果となった。


かの子どもの闖入ちんにゅうに、好都合を覚えたのは彼女も同じらしい。


と言うよりは、先の喚声かんせいが気付けの役割を果たしたのか。


どちらにせよ、己の敗色をうかがい知れる頭が蘇ったようで、事なきを得た。


現状は、逃げの一手こそが最善策だ。


「あ!? 待て! この──ッ」


少女の暴言を背中に聞きながら、狭い屋内を駆けた私たちは、裏口に設けられた簡素な木製ドアを蹴破った。


その間際、例の子どもが再び大声を張った。


先頃と同じく、非常なるあせりを含んだキンキン声だ。


「待って! お姉ちゃん!!」


しかしながら、どうにも言葉の意味が不可解で、ただでさえ慌ただしい頭内を、殊更ことさらに混乱させた。


単に、目上に対する呼称と考えれば合点がてんは行く。


合点は行くのだけど、なぜだか無視のできない感懐が、私の胸中をチクリとぎっていった。


“お姉ちゃん”


この不審を追求する間もなく、街の中心にそびえる鐘楼が、現在の時刻に合わせてリンリンと鳴った。




「それからどうしたの? どうやって───」


「ん。 もうね、大冒険って感じで」


「おぉ? 詳しく聴きたい」


「や、ごめん。 そんなに大層なものじゃないかも」


私が身を乗り出すと、対座のほのっちは悄然しょうぜんとして項垂うなだれた。


その模様から、生来の野次馬根性を反省し、屈託のない談笑に戻る。


「そういうの、よく考えることあるよ」


「え?」


「見知らぬ世界で大冒険。 ほら、RPGみたいな感じの」


私が言うと、かの親友はマグカップを口につけたまま眉根をひん曲げ、珍しく皮肉っぽい表情で応じた。


「あぁ……、でも実際に遭うとね? そんな目に。 ろくなモンじゃないなって感じ」


「我が家っていうか、現世こっちが一番?」


「そうそう。 変わらないことは良いことだよ。 ホントにねぇ」


私には、ここ数日間の記憶がない。


何をしていたのか、何を思っていたのか、わが事ながらまったく判然としないのである。


驚いたことに、同様の症状を訴える者が、日本全国、いては全世界に飛び火を果たしていると言う。


これはもしや悪魔の仕業かと危惧していたところ、かの親友の口から、それらしい辻褄を得た。


何でも、余人よひとの人生行路をそっくりと置き換える魔剣が存在し、それが本件の下手人げしゅにん、もとい原因として持ち上がったそうな。


「それにしても……」と、ソファの一角に立て掛けられた物珍しい品に、ずと目線をくれる。


「“羽”ちゃん、痛くない? 大丈夫?」


「おう」


姿形こそ違え、いつもの調子でぶっきらぼうに応じた彼は、つくろうような咳払いをコンコンとこぼした。

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