第77話 いろんな人がいるさ

 なんともお恥ずかしい話ですが。


 私、前々から悶々と思う所ありまして。ちょいと最近、ああ、やっぱりそうだな、受け入れるしかあるめえな、と認めてしまった。


 いや、わかっちゃいたんだけどさ。


 私、どうやら「文学」ってのが、これっぽっちもわからないのよ。



 こんな話をはじめると「文学とはなんぞや」の定義付けがいるけど、それをうまくできる自信はない。だってわかんないもん。だから自分なりのイメージで語るよ。


 今読んでいる本で、「小説」と「物語」はちがう、と語る部分があって、ああ、私が考えていた「文学」ってのは、ここでいう「小説」だな、と思った。


「物語」は終わりがあるもので、「小説」は終わりがないものを言うらしい。もちろんそこには明確なボーダーはないし、真実と真実でないものをわけるようなくだらない真似は私もしたくない。


 けれども私は読むとき、そこに「意味付け」を必要としてしまう。物語の意味と、行動の必要性と、小道具が意味するシンボル性。それを見つけると「うわー!」って感動してしまう。だから民俗学にもはまるのだ。桃源郷、つまり桃は邪気を祓うから、桃太郎は鬼を退治するのだ、というように。意味を見出してうれしくなる。


「意味付け」はまっすぐ「終わり」を意味する。つまり物語がそこにある。小説にはない。意味がなくてもいい。感じ取れればいい。それが文学。



 高尚すぎる。意味がわからない。何かを表現したようで、結局なに、なんだったの? 感じ取らねばならない大人な世界。私、ごめん、わかんない。


 でもだからって否定しているわけじゃない。単純にわからないだけで、わかるようになればどんなにいいかと思う。音楽がわからない、という私のコンプレックスにも通じている。歌詞の意味がさっぱりわからん。音を止めて歌詞カードを見つめていればなんとかわかるけど、音に乗せたら言葉の意味は指の間から滑り落ちていく。


 俳句、短歌、詩。どれもわかりそうでわからない。

 言葉の美しさ、というものが、私にはわからない。



 小説は芸術だ、と語る人をときどき見るけど、「???」となる。「芸術は商品よりもいい」という旨を前に言われた。え、ごめん、なんで商品が貶められなきゃいけないの? 私それしか書けないんだけど。物語しか書けないんだけど。私は芸術を貶めないから、そっちもこっちを貶めないで。おねがい。みんな仲良くやろうよ。


 わりとコンプレックス。まあいいよね?

 文学はわからない。でも物語はわかるよ。


 わかったつもりになっている。

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