第65話 大人
子どものころ、ぼんやりと考えていたことがある。
「28歳くらいで死にたいなあ」と。
これは俗に言う「中二病」とは少し種類が違う。と思う。
なんとなくだが、年寄りって「生き過ぎ」な感じがしたのかもしれない。四十代や五十代は、なんとなく「いやな大人」という偏見じみたイメージが強かった。かといって三十代だと、もうそれは完全に大人の仲間入りを果たしている人種であって、つまらないことこの上ない。
三十代手前。あまり早死してもつまらないので二十代後半。
それくらいで死ぬのが理想だと思っている時代があった。
浦沢直樹の『20世紀少年』ではケンヂが「27で死ぬと思ってた」と言っているし、『るろうに剣心』の作者は主人公の年齢が「少年漫画としてギリギリの29歳」とコメントしている。まあ、そんなようなイメージでとらえてもらっていい。
「子どもの心をぎりぎり持ったままの、大人に成り下がる前」で終わりにしたかったんだよねえ。
しかしときどき、これに反論してこんな台詞がある。
「だったら『つまらない大人』にならなければいいじゃん」
まあ言いたいことはわかるよ。その方が健全なことには間違いないし。
でもさ、「つまらなくない大人」って、創作物において「ダメな大人」扱いが多くねえ?
たいてい児童文学だと、おじかおばがこの「つまらなくない大人」ポジションで出てくるんだけど、周囲の大人の視線がたいてい冷たいのよ。だいたい結婚してない(=社会的に没落している)し。
そういうポジションで肯定的に描かれているキャラってスナフキン以外に私知らないんだけど。(ちなみにスナフキンのパパのヨクサルはムーミンパパにめっちゃ嫌われてて笑える。息子たちの関係と真逆やん……)
でもまあ、さすがに大人になると「まだ死にたくないなあ」って思うわけよ。
てか、大人になって「結構子どもじみてんなあ、大人」とかわかってくるから、「まだ全然ヨユーかあ」と思えてくるのよね。
もちろん思春期みたいに尖った思考はしなくなってきたし(当社比)感情を排した論理的な考え方ができるようになったのは、めっちゃ成長したな〜やったね! って思うんだ。すると面白いことに大人になるのがちょいと楽しいのよね。
うん、『子ども』はわりと堪能したから、次は『大人』な自分を手に入れたいな。
子どものころは大人になんかなりたくなかったけど。
今は三十代も四十代も五十代もそれぞれに楽しみ方ありそうでなんか楽しみ。
ま、年齢なんて等しく「順番待ち」だもんね。
やってこいやあ、大人!
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