第39話 スランプがくっついて離れない

 宮崎駿氏はこんなことを言っている。


「模倣は否定できない。そこから積み重なっていくものもあるから」


 映画『魔女の宅急便』で、空を飛べなくなったキキに絵描きのウルスラが言う。


「ある日突然気づくんだ。描いたもの全部、どっかでみたことあるって」




 自分の作品をかんがみて、さてどうだろう。


 私はわりあい「オリジナリティがあるね」と言われるほうだが、まっっったくそんなことはないと自覚している。あの作品には、昔見たアニメのあのシーンがキャラクターを変えてパクられているし、あの作品のあのセリフは、先週見た映画から拝借したし。あれは神話で、あれは去年見た夢で。



 開き直ってるつもりでも、ときどき不安になるんです。



 自分の作品を分解すればするほど「自分で考えたものなんていっこもないんじゃ」と思う。だったらなぜ書くのか。なぜストーリーをえがきたくなるのか。そんなもの、とっくの昔にだれかが作ったものの焼き直しにすぎないのに?


 物語にはパターンがあって、どんな物語もそれに類する。シェイクスピアはそれを36種と定めた。ほかにも分類した人はいたが、どれも百以下だったと記憶している。案外少ない。どんなに小説を書いたところで、構造的に見ればそれらはとっくに使われたテーマなのである。




 だからといって、やはり人は新しいものを見たい。

 やはり私は、模倣でもかまわないから、新しいものを作りたい。


 スランプにおちいって右も左もわからなくなって、そもそもどうして書きたいのだっけと首をかしげたとき、そうだ宮崎駿だってスランプにおちいったのだと考える。



 絵描きウルスラは言う。


「描いて描いて、描きまくる。それでもだめなら、描くのをやめる。散歩したり料理したり、好きなことをする。そうしたら、自然に描きたくなってくるんだよ」



 ここで注目していただきたいことがある。


 そもそもスランプにおちいったのは、「自分の絵は模倣だ」と気づいたから。

 だがふたたび描けるようになったとき、描けた絵がオリジナルとは言っていない。



 描けるようになった。

 でも、それは模倣のままかもしれない。



 それでもいいと、宮崎駿は言っている。

 なら、いいんじゃねえ? と思う。

 あんな天才がいいっつってんだったら、もうなんも言えねえもん。



 しばらくしたら、またふっと書けるかも。

 アニメでも見て、「ふっ」が来るのを待ちわびよっと。

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