第10話直視
長いと思っていた一週間も、過ぎてみればあっという間だった。結局、私の家より神社で話すことに慣れていた私たちは、今日も横並びで古びた木板に座っていた。
あの日感じた疑念はずっと張り付いたまま、でも上手く意識せずに過ごしていた。
「最近、曇りが多いですね」
「だね。雨は降らないけど、気が滅入るよね」
「僕は嫌いじゃないですけどね」
「へ〜」
空を見上げながら彼は言う。今は本を読んでおらず、珍しく両手が空いていた。
いつもと変わらない。いつも通りの表情。なのに、なんでこんなにも居心地が悪いのだろう。
いやいや、いつまでも悩んでいたって仕方ない。今日だって私が呼び出したんだ。彼は応えてくれた。笑顔でいていいはずなんだ。
「楽しかったですね。お泊まり」
「うん! ずっと続けばいいと思ったよね!」
「ふふっ、僕も同じこと思ってました」
「だよね!」
うん、大丈夫。しっかり笑えてる。
笑いあって、ちょっとじゃれあって、いつしか静寂が訪れていた。なんてことはない、この前のお泊まり、それ以前でもよくあったことだ。
しばらく目が合ったまま時間が過ぎた。風が葉音を生み、ざわめきが絶え間無く二人を包み込む。
すると、珍しく彼は自分から身体を寄せてきた。
「キス、していいですか?」
言いながら彼の手は、私の首裏を優しく引き寄せた。赤ちゃんを抱き上げるように優しく、優しくだ。
なのに私は、彼の肩を押して拒否していた。
「え……?」
「あ……ぅ」
無意識に力強く、彼を止めていた。自分でも驚くほど頑なな拒否。受け入れなければいけない。受け入れていれていれば、そうすれば、何の問題もなかった。
拒んだことが無かったから、彼は当然慌てる。触れていた手を上げたまま、どこを見ていいのか分からなくなっていた。
「あの、すみません……」
「いや! なんて言うかさ! 違くてっ」
言い訳を考える思考が止まらない。彼の寂しそうな目が焦りを助長させる。考えれば考えるほど、ある言葉に吸い寄せられていく。
でもそれは、ずっとせき止めていた言葉。これだけは口にしてはいけないのに、他に何も浮かんでこない。
「あの、さ」
「はい?」
やめろ、それだけはダメだ。
「私のこと、好きかな?」
言って、しまった。口が勝手に言葉を紡ぎ、
頼む……好きって、即答より速く……。
「……………………そうですね」
呼吸が乱れた。
これ……嘘、だ……嘘をついている……。
どうしようもない確信をしてしまい、急激に体温が抜け落ちる感覚に悪寒が止まらない。魚眼レンズを覗くように、彼が遠く小さく映った。
心の、距離が離れた。
どうして隠すのか。どうして嘘をつくのか。
考えられるのは、一つだけだ。
こんな私を。
病的な私を。
愛する理由なんて。
ある訳ないじゃないか。
いつも、騙されてきたじゃないか!!
どうして、気づかなかったんだ。
光があれば影がある。光が強ければ、影が深くなる。当たり前だ。影で生きてきたくせに、そこから目を逸らした。最高の幸せをくれるという事は、気まぐれで、死ぬほどの不幸を叩きつけることが出来るのだ。
傲慢だった。
怠慢だった。
私は私であることから逃げていたんだ。
逃げられるはずがないのに、なんで逃げていたんだ。
怖い。
そこにいる彼が、何より怖くなった。今まで愛してくれた誰よりも、自分を傷つける可能性を秘めているんだ。今までだってそうだ。するりと回避する言葉を何度も吐いていた。
知りたくない。でも知りたくて。
理解したくない。でも理解したくて。
違う…………したくない!!
身体は理解していた。だからキスをしなかった。だからセックスをしなかった。一歩距離を置くことを、こんなにも暗示していたのに、馬鹿な私は見向きもしなかった。
「…………ん、……はるさん、……美春さん!!」
「はぁ、はぁっ、はぁっ!」
「どうしました!? どこか……」
「嫌っ! 触らないで!!」
不気味に跳ね上がる鼓動に身体が殴られた。伸ばされた手を跳ね除けて立ち上がる。私は頭を抑えてふらつきながら、ボヤける視界の端にソイツを入れようとする。
ダメだ、もう見れない。
何かを叫ぶソイツから逃げた。走って、走って、ぐちゃぐちゃのまま逃げ出した。
ソイツは私の心へ容易に滑り込んで来た。至極簡単に心を溶かした。幸せという地獄へ……拐われてしまっていた。
まだ間に合う。元の場所へ、早く。
全力で死神を振り切った私は、家に帰るなり携帯の電源を落として、着替えもせず布団に潜り込んだ。
咽び泣く。恐怖を突き放す大声で、近所迷惑も考えずに。ただひたすら声をひり上げた。
早く、早く、元の自分へ……。
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