第5話決壊

「ただいま〜」


いつも通り返事は帰ってこない。しかし、部屋の奥から漏れ出すイルミネーションのようなチカチカが今日も私を苛立たせる。

一つ溜息を落とし、首を鳴らして居間へと進む。もう慣れたものなのだ。いまヤツは暗い部屋でヘッドホンを付けてゲームをしているのだろう。

貧乏くさい彼氏の背中を一瞥して電気をつける。瞳に入る増えた光量でようやくヘッドホンを外した彼氏は、それでも画面から目を外さない。


「おか〜」

「…………」

「おい、『ただいま』は?」

「……ただいま」


胸糞悪い。お前がヘッドホンしてただけだろ。帰ってすぐに言ってるわ馬鹿野郎。

荷物を投げ出してジャケットをハンガーにかける。シャツのボタンを一つ外してソファに深く腰掛けた。

今日はなんか疲れた。仕事も何一つミスなく定時で上がれたのに、この気だるさはなんだろう。何もやる気が出ない。


「なぁ」


背中越しに話しかけられて返す言葉もなかった。人と話す時は目を見ろこのハゲ。


「なぁ!!」

「……なに?」

「腹減ったんだけど」

「適当に食べてよ。私疲れてんの」

「俺は夜から仕事なんだよ。なんでお前の方が疲れてんだよ」


なんで仕事前のお前より帰宅直後の私の方が疲れてないと思ってんだよ。馬鹿なのかこいつは。ゲームしてないで出前の電話でもしろよ。

なんて口に出すことも出来ず、私は台所へ向かった。でも冷蔵庫の中はほとんどカラだし、シンクには有り得ないほど洗い物が溜まっていた。

いったい一人でどれだけ食べればこうなるのか教えて欲しいものだ。いくら二連休してたからって三日分以上の食材無くなるか普通。


「ねぇ、洗い物くらいやっといてよ」

「それ、お前の仕事だろ。俺はお前より金稼いできてんだよ」

「でもさ……」

「はいはいはい! もういいわ適当に頼むから!」


怒りを纏った彼の言葉に、私は限界だった。言い返せない自分が情けなくて、クズになってしまった相手が恨めしくて、涙が止められなくて……。静かに熱い息が零れた。




私だって働いてるのに。


家賃入れてないくせに。


なんで私だけ責められる。


なんでお疲れ様が言えない。


全部私が悪いのか。


初めは優しかったじゃん。


たくさん笑顔くれたじゃん。


愛してくれたじゃん。


毎日好きって言ってくれたじゃん。




二年。たったの二年だ。人がここまで変わるものかと、ここまで彼女の心をぐちゃぐちゃに出来るものなのかと……。

信じられない。もうダメだ。ダメなんだ!


「哲也……別れて」

「は?」

「別れてって言ってんの!!」

「はぁ……またか?」


彼はコントローラーを置いて、貼り付けたような嘘の優しい顔で、私に近いてきた。


「こないでよ!! 早く出てって!!」


抗う私の腕を強引に押さえ込み、男の力で無理矢理抱き締めてきた。煙草の匂いで吐き気が増し、嗚咽混じりの泣き声が壁から跳ね返ってくる。


「はいはい、寂しい日かなぁ? ほらいいこいいこ」


やめろ、臭い手で髪を撫でるな!


「メンヘラは大変ですねぇ。でもさ、泣けばいいってもんじゃないんだぞ?」


うるさい! 離せ!


「仕方ないなぁ、仕事前だけど相手してやるよ。やりゃあ満足だろ? この変態さんめ」


知ったふうな事を言いやがって!

ムカつく!

ムカつく!!

ムカつく!!!


無理矢理キスで黙らされ、舌をねじ込みながら胸を強く揉みしだいてきた。

痛いのに、ただ痛いだけなのに、今まで付き合ってきたクズ共に開発された身体が勝手に疼く。下着が濡れていく感覚が思考を溶かしていった。


「ほら、もう濡れてんじゃん。したいならしたいって初めから言えよな」


黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!


いつの間にか降ろされたショーツを引き上げようとしても、身体が言うことをきかない。巨根だけが取り柄の猿のくせに、ドヤ顔で指を突っ込んできやがる。

完全に下半身が裸になったところで、彼は私の手を引いて寝室へ向かった。ベッドの上に投げ出された私は、彼が脱いでいく様を見つめることしか出来ない。


「ほら、まずは口でご奉仕だろドM女」


悔しい。なんで私は女なんだ。

なんで……なんで!!

こんなクソ野郎に……っ!!


それから、彼が仕事で出ていくまで犯され続けた。無責任にゴムもせず、好き勝手に中出しされ、力の限り私の脳を快楽で壊していった。















いつもの時間。


今日は約束の日じゃない。


でも、もしいてくれたら……。


「お姉さんこんにちは。どうしました?」


いた。


いてくれた。


私はいまどんな顔をしているのだろう。


「ねえ」


「はい?」


優しい顔。


細いけど、ちゃんと私を見ている目。


ごめんね。


心の鎧、壊れてるの。


「助けて」


「え……?」


「私と付き合って」


驚いた顔。


でも、すぐに元の優しさを帯びる。


「いいですよ」


答えを聞く前に、いつの間にか抱きついていた。


彼は私の頭を撫でた。


雲を撫でるような優しい手。




そしてどちらともなく、触れるだけの長いキスをした。

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