第二話:温泉へ行こう

 輸送船の仕事も終えて、ようやく私たちは月の都に戻って来た。

 人類が母なる揺りかごを離れて幾星霜。

 私たちの住処は月や火星、コロニーに移った。

 私たちは宇宙へと飛び出し、より先のステージへと進んだのだ。

 子どもの頃は無邪気にそう信じていた。


 とはいえ、宇宙空間は今になっても素の人類が生き延びるには厳しすぎる。

 宇宙服に護られていなければ宇宙で活動できない。空気も重力も無いから推進剤を使うかしなければ満足に前にも後ろにも進めやしない。とかく宇宙の環境は思い通りにはならない。


 思えば私の人生も上手く行った試しがない。

 そもそも私はデブリ回収業者になるだなんて夢にも思っていなかった。

 それもこれも全ては昔の彼氏が悪い。

 仕事で長期航行中の宇宙船の同僚と仲良くなって出来ちゃった結婚なんかしやがって。

 定期通信でいきなり別れを告げた上に、自分の事は忘れてくれだなんて常套句を吐いてそれきり連絡も無し。私から連絡しても音沙汰無し。

 全くふざけているとしか思えなかった。

 私があなたと一緒に過ごした年月を、まるでパソコンのデータのように削除出来るとでも思っているのだろうか。記憶を都合よく無くす薬があればどんなに良かったか。

 心にぽっかりと空いた穴を埋めるモノも術も無し。

 世の中の何も信じられなくなり、精神状態は最悪。家に引きこもってたけどある日突然生きてる理由もないと思い立って、衝動的に宇宙船を買ってしまった。

 ローンで三十年の新式の奴。どうせ死ぬんだしローンを払う気も無かった。頭金だけ収めて私は宇宙船の受け取りの為に月のドックまで行った。

 こいつで太陽系の外、銀河系の遥か彼方まで行こう。宇宙を眺めながら人生を呪って死んでやるんだ。

 受領のサインを済ませ、いざ宇宙船に乗り込もうとしたところで気の抜けた声を掛けられた。


「おーい。あなた何処に行くつもり?」


 それがミトとの出会いだった。

 後にどうしてその時声をかけたのかを聞いたけど、なんか妙に思い詰めた顔をしてて気になったから、らしい。けど、私にはそれで十分だった。

 彼女は妙にお節介で、喫茶店で私の愚痴や怒りを聞いてくれた。


「そっかー。大変だったねぇ。でもそれで死ぬことはないよ。他にも一杯、星の数ほど人間はいるからさ」


 その声だけで、私の心の澱は取り除かれた。彼女はなんというか、おおらかな包容力みたいなものを生まれながら備えているような人だった。

 今となってはミトが居ない日々など考えられない。私の心の支えの一つだ。

 

 さて、それはいいとして。

 自殺の為に買った船は残ってしまっている。まだ新品同然で売れるとはいえ、ローンの半分はそれでも残ってしまうだろう。普通に働いていたら返済し終わる頃には私はしわくちゃのおばあちゃんになってしまう。

 途方に暮れた私に、ミトは一緒にデブリ回収業をやろうと持ち掛けた。

 それが今の仕事の始まりだ。


「おーい。いつまで物思いに耽ってンの?」


 ミトが私の部屋に入って来た所で、現実に意識が引き戻された。


「ああ、ごめん。何?」

「ようやく月からドックに入っていいよって連絡来たんだよ」

「ん、わかった」


 私は寝間着から作業服に着替えて操舵室に入った。

 ようやく月へと戻って来た。しかし丸一日月の上空で待たされている。

 月のドックへの着陸を待っている船は多い。ドックの増設が追いついていないのだ。

 年々月のドックの混雑ぶりは酷くなるばかりで、管制塔の混乱は増す一方だ。


「ええと、今回はどこのドック?」

「7番」

「ええ? ここから真逆の場所じゃん。超めんどくさい」


 とはいえ、それに従わなければ船は月に入れない。

 待機状態からドライブモードに戻し、船を巡行させる。

 7番ドックに入り、宇宙船発着場に「ラビットスター」を着陸させた。

 ついでに整備員に簡単なメンテナンスと修理をお願いする。デブリ回収を生業としているとどうしても船の損傷は避けられない。それに、デブリ業者なら月に一度無料でやってくれるから。


「とはいえ、月に一度だけとはケチくさいよね」

「一回だけでも無料にしてくれるだけ有難いでしょ」


 愚痴るミトをなだめつつ、私たちはドックから降りて月の都ルナゲートに入った。

 月の首都。ドームで覆われた都市は、いつ来ても人でごった返している。


「なんかさあ、前に来た時よりドームの天井高くなってない?」

「そうね。建物もより高層化して数が多くなってる」


 さながらかつての地球の東京の街を思わせるような賑わいぶりだ。まあ、私は行ったことすらないんだけど。


「ところでさ、この後仕事の予定って入ってたっけ?」


 私が尋ねると、ミトは首と肩をゴキゴキ鳴らしながらタブレットで確認する。だいぶお疲れのようだ。


「ん~? この後は入ってないね。営業掛けなきゃだねぇ」

「じゃあさ、折角だし温泉にでも行かない? 私も長旅で疲れちゃったし、ミトもだいぶお疲れでしょ? 最近、ウサギの隠れ家とかいう新しい温泉宿がオープンしたらしいんだよね」

「本当? じゃあちょっと家に戻って仕度したら行こう!」


 ミトの喜びようとは反対に、提案した私の意識はどこか上滑りしていた。

 リノリウムについて考えている。

 仮にリノリウムが鉱物だとしたら、他の惑星にもあるんじゃないだろうか。

 金や他の貴金属のように微量に埋蔵されているのか、あるいは鉄のように鉄鉱石としてある程度まとまって存在しているのか。

 惑星じゃなくても彗星の中にあるかもしれない。誰も知らない鉱物を探し当てたなら、それこそ一獲千金、借金返済してきれいさっぱりになれる。

 私のにやけた顔を覗き込んで、怪訝な表情でミトは尋ねる。


「ちょっと、何考えてんの? ぼーっとして」

「ああ、うん。何でもないよ」

「アイカもお疲れなんじゃない? お互い温泉でゆっくり疲れを抜かないとかな」

「そうだねえ」


 混雑しているバスや電車を乗り継いで、私たちは家に帰って来た。

 人類は宇宙に進出した。だのに家の形はあまりにも変わらない。

 つまり私たちはアパートに暮らしているってこと。

 遥か昔に撮影された映画なんかだと、もっと機能的な、悪く言えば無機質で殺伐としたデザインの住居がイメージされていたけど、そんな部屋には誰も住みたがらないわけ。


「ただいま」

「はいはいお帰り」


 シンプルな部屋の中。テーブルとか冷蔵庫とか洗濯機とか、必要最小限の物しかおいていない。だって基本的にずっと宇宙に居るし、家にいる事の方が少ないから。

 好きなインテリアを置いていても眺める暇もない。

 私は小説の他にも映画やゲームも好きなんだけど、家にそれらを置いていたら見る暇もプレイする暇もない。

 必然的に、私たちの宇宙船には私物が多くなる。

 とはいえ、小説は電子書籍でしか今は流通していないのでかさばる事はない。

 映画やゲームも同様で、端末一つあればそれで事足りる。私のような、紙の本やレコード、CDが好きなマニアでもない限り。

 だから宇宙船の私の部屋の荷物はそんなに多くない。せいぜいゴリラのぬいぐるみがあるくらいだ。

 反してミトの部屋はやたらとモノが多い。というか捨てられないらしく、私から見たらゴミのようなものまで抱え込んでいる事が多い。定期的に片付けさせなければあっという間にゴミ屋敷に変貌する。そろそろ自分で片づける事を覚えてほしい。

 

 家に帰った後、まず私たちは作業服から私服に着替えた。

 そして荷造りする。


「何日泊まる?」

「一週間かなぁ。温泉入るならそれくらいゆっくりしないとね」

「久々の休みだぁ。ゆっくり浸かるぞ~~~」


 無邪気に笑って喜ぶミトは本当に可愛い。仕事の時はめっちゃ冷静で頼れるお姉さんって感じなんだけど、仕事から離れると子供っぽい所がある。

 温泉宿の予約も済ませ、一週間分の着替えと荷物を持っていざ向かう。

 ルナゲート駅から一時間くらい揺られて着く先は温泉街ハイフォン。そこにウサギの隠れ家はある。

 私たちが駅のホームに着いた所でちょうど電車が入って来た。


「ずいぶん乗ってる人が少ないね」

「平日の昼間に電車利用する人は少ないでしょ」


 日頃から宇宙を飛び回っていると曜日感覚なんかまったく無くなってしまう。宇宙に居る間は仕事が毎日続いているようなものだし、休みはこうやってまとめて取るし。

 二人で空いている座席に座って、私は回収した小説を読もうと本を開くと、ミトが体を寄せて来た。


「ちょっとウザいんですけどミトさん」

「ええ~~? 本なんか読まないで私とお喋りしようよ」

「船の中で散々喋って、まだ喋る事あるの?」


 まとわりついてくるミトには参った。仕事では頼りになるお姉さんもここではただの子どもに等しい。


「チョコレートあげるからちょっとおとなしくしてて。私は本が読みたいの」

「食べさせて。あーん」

「ちょっと、マジで」

「早く早く」


 のろける恋人じゃないんだからさぁ。と言いつつ、やってあげる私も私か。

 こうやってイチャコラしているうちに電車はハイフォンに到着した。

 

 温泉街ハイフォンは地球に在った国、極東アジアの日本の温泉街を再現したというコンセプトで作られた街だ。東アジア独特の建築と風情にあふれた街並みは、オリエンタルな雰囲気を感じさせる。

 私とミトの血筋はアジア系の血が濃いらしい。名前からしてかつての日本が由来らしいとはよく言われるが、顔つきや体を比較してみてもだいぶ離れてると思うし、地球からの出自や人種で何かを区別するのはあまり意味が無いと思う。月や火星、何処のコロニーで生まれ育ったかと聞かれる方が今となっては当たり前だ。

 勿論、出身によるからかいや差別なども存在している。その辺りは過去の人類と全く変わらず、私たちは懲りない面々であると言える。


 私たちが取った宿は民宿と呼ばれるもので、かつての庶民的な佇まいをしている。値段もリーズナブルで懐に大変優しい。食事がつくともう少し値段がするが、ハイフォンには食事を提供する店も多いので素泊まりにした。温泉にざぶんと浸かった後は街に繰り出して何を食べようかと迷う事が出来る。


「まずは温泉に入りたいよね」

「私はお腹が空いたから先にご飯が食べたいな」


 ミトは電車内であれだけお菓子をつまんでおいてまだ食べるという。私も付き合わされて食べて今はご飯を食べる気にはなれない。そもそもミトは大食いが過ぎる。そのくせにスタイルは抜群で、どうやって食べた栄養を胸や尻に回しているのか。私のすとんとした体形が恨めしい。食べてもぽっこりと出るだけのお腹を撫でまわす。

 

「二人で意見が割れたらラチがあかないよね。じゃんけんで決めよう」

「よし決まり。じゃーんけん」


 ポン。

 その結果どうなったかというと。


「ミト! 私のお腹にさわるなっつってんでしょ!」

「私の胸揉んでいいよ。ほら」

「そういう事言ってるんじゃない! ミトは気軽に人に触りすぎだっつってんの!」


 湯気の立ち込める露天風呂の中に二人きりで湯に浸かっているわけで。

 じゃんけんに勝って先にお風呂に入れたのはいいけど、なんで私が負けた気分にならなきゃいかんのだ。くっそ。間近でミトの体を見せつけられてマジで腹が立つ。

 しかしここの温泉は実にイイ。岩で作られた湯舟、竹で仕切られた柵にヒノキで作られた屋根。香料で後付けしたものではない、天然の素材から香ってくる匂い。こういう香りは何故だか非常に落ち着いてくる。

 ゆっくりと浸かっていると、芯から体が温まってくる。特に凝った首と肩、背中がほぐれていく感覚を覚える。


「くっ、あぁー。やっぱ広い風呂は最高だわ」

「疲れ目にも効きそう」


 宇宙船に乗っている間は風呂なんて大量に水を使う行為はできやしない。

 数日ごとに浴びるミストシャワーが関の山で、それも入っていられる時間が決まっている。体についた汚れを落とすくらいで、体の芯にまで積もった疲れはとても癒せるものではない。

 二人きりの湯舟。他に客はなく貸し切り状態。


「ここでお酒でもあると最高なんだけどねえ」

「呑兵衛さんめ」


 とはいえ、そろそろ私も飲みたくなってきた頃合いだ。

 街へ繰り出すぞ。

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