第53話 ランナーズ・ハイ
走る。走る。ひたすら走る。
肺が痛みを伴い、悲鳴を上げている。
心臓が破れそうなほど脈打ち、呼吸は苦しい。
だがここで足を止めると、化け物に喰われてしまうッ!
城の内側、通路の外から迫ってくる巨大な黒い影は勢いを失うことはなく、その長い前脚で通路の窓のガラスを破っては、わたしを掴みかかろうとしてくる。
何度も何度も、それを飛び越えては
しかし
どうにかしないと。
しかし休むことなく窓から飛び出してくる、黒き者の前脚を
足が擦り切れて、血が
痛い。
もうダメかもしれん……。
「伯爵殿ォーーーーー!」
とても遠くから懐かしい声が聴こえる。
そう、その声は『共に田園を立て直すために』と一緒に街に出た、わたしに仕える従士の声だ。
いよいよお迎えが来たのだろうか。
目が霞んでいく。
もう走れない……。
「伯爵殿ォーーーーーーーーーーーーー!」
また聴こえた。
酸素が足りないのか、走りながら意識が飛んでしまいそうだ。
発作を起こしたように肺は膨らみ、そして縮みを繰り返しクラクラする。
手足の感覚はまるでない。
どこから声がするのだ。
窓の外を見た。
黒き者の影、飛び出してくる長い前脚。
それを飛び超え、また
ちらりと反対側の窓を見ると、城壁の外、城の外側が見える。
城の外には、とても
城の内側の庭園に、まさかこんな
すると城の外側の地上を、物凄い速さでこちらに迫る影が見えた。
まさか……城の外にもう一匹いるのか!?
城の外側の地上まで、高さ三十メートルはあるだろうか。
黒き者の前脚を
チラリと見ると、何者かがこちらに向かって手を掲げて振っているように見えた。
ん?
どうやら幌馬車のようだ。
外側に見えるその影はぐんぐんと速度を上げ、私の真横の三十メートル下の場所へと迫る。
そしてわたしとわたしを追う黒き者とほとんど同じ速度になり、城の外側の地上を並走し始めた。
なんだ!?
よく見ると先ほどの声の主、わたしの従士がその幌馬車を操っているではないか!
彼とは関所前宿場町で別れた以来だが、なにかとても懐かしい感じがする。
死神の猫の包囲から逃れるとき、彼は手を貸してくれた。
彼が案内を担当していた老人は、あれから無事入国を果たしたのだろうか。
いや、今そんなこと考えてる暇はない!
この通路を抜け西門に到達したとしても、黒き者に襲われる可能性は消えない。
しかし城の外側に逃げればどうだろう。
この通路は城壁に沿っている。
いくら巨大な化け物とは言え、この城壁はそう簡単に乗り超えられる高さではない。
城の内側にいる黒き者から逃れるには、城壁の外側に逃げるほかない!
しかし……高さ三十メートルを飛び降りるのか……。
「くそぉっ!」
通路の外側の窓を突き破るようにして、城壁の外へ飛び込む。
そう、幌馬車に向かって飛んだ。
わたしは三十メートルの高さを飛んだのだ。
今思うとそれは、とても賢明な判断だった。
しかし三十メートルの高さを飛ぶというのは、もう二度と勘弁して頂きたい。
あの時はきっと、恐怖と疲労で正しい思考が出来なかったのだと思う。
そう、わたしはまさに常軌を逸していたのだ。
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