第54話 不幸チケット
「――キミには、とても辛い思いをさせてしまった」
博士は申し訳なさそうに、うなだれた僕の背中をさすった。
「僕の不運は異常だった。そう、自らの命を絶ってその不幸から逃げることさえも出来なかったんだ。不幸の原因は何? その幸福バランサーの不具合なの?」
僕の少し刺々しい言葉に、博士は黙り込む。
すると横にいた大臣が僕を真剣な眼差しで見つめ、僕の肩をガシッと掴んで言った。
「大変申し訳ないのだが……私は博士に非があるとは思っていない。あるとするなら、私の管理不行き届きだ。博士ではなく私を責めよ。私どもは彼にきちんと『記憶の回収施術』についての説明をした。彼はそのまま
大臣は少し険しい表情でそう言うと、僕に向かって頭を下げた。
すると博士がその様子を見て言った。
「いや、大臣に非はない。私が混入に対する検出機構や、選別機構を実装していれば起こらなかった事故なのだ。非があるとすれば、システムを作ったこの私なのだよ。新たな命を得るため転生を志すのに、不必要となる『不幸な記憶』
二人のやり取りはまるで、お互いを
「待って待って。僕の弟はいったい何をしたの? それになんで、現世にいた僕が、とんでもなく不幸になったのと関係があるの?」
僕は大臣の謝罪の意味も、それを
「少し、この説明は長くなるぞ――」
そう言うと博士は、もうすっかり空になって冷えたコーヒーカップを置いて、少し名残惜しそうにしながら話し始めた。
「幸福バランサーの仕様は、投入された『不幸な記憶』を再利用処理し、『幸福のチケット』を生産する。しかし不慮の事故というべきか、二年前の災害は、キミの弟が何らかの理由により、そのリサイクル機構の投入口へ『不幸な記憶』だけではなく『幸福な記憶』をも投入してしまったことで起きた。そう、彼は彼の記憶の全てを捨てたのだ。私の作った幸福バランサーは、その設計上、『幸福な記憶』が投入されるのは想定外だった。そして幸福バランサーのプラントは暴走し、反転した彼の『幸福な記憶』によって、大量の『不幸のチケット』が生産され、現世にばら撒かれてしまった……いや、その時は、ばら撒かれたと思っていた」
大臣もその話を食い入るように聞いていた。
こういった話は大抵、少し難しくて理解しにくい内容なのだが、博士は僕らが理解しやすい言葉を選んでくれているようだった。
助手の猫は相変わらず、横で熱心にメモを取っている。
「その『不幸のチケット』は、現世でどのような影響を及ぼすのか予想出来なかった。だから、現世に散らばってしまった『不幸のチケット』は、早急に回収する必要があった。キミの弟の『幸福な記憶』を復元するためにもね。しかしそれには、チケットの分散先を特定する必要があった。そして私はその捜索と調査、そして研究を重ねた。この二年間ずっとね」
弟が亡くなってからの二年間。僕にとってもその二年間とても長く感じた。
しかし博士もその間、相当に神経をすり減らしたに違いないだろう。
「先ほども言ったが、幸福バランサーはその輪廻の渦の中で無を有に変換し、それを現世の生ある者へ、等しく分配するという仕組みだ。そこから私は単純に、彼の『幸福な記憶』から製造された『不幸のチケット』も、『幸福のチケット』と同じように、現世の不特定多数へと分配された。と考えた」
博士はキャビネットの引き出しから、がさごそと幾つかの調査結果と資料を机の上に出した。それは何かの設計書のようなものにも見えたが、僕には全く読めない字で書かれていた。
「しかし彼の『幸福な記憶』で製造された『不幸のチケット』は、現世のある一か所に集中し、その一点になだれ込んでいることがわかったのだ。――そう、それはキミだ」
なんということか……僕に全ての不幸のチケットがなだれ込んだのか。
あの不幸の連鎖は、そういうことだったのか。
でもなんで……。
僕の疑問を、まるで察知したかのように博士は続けた。
「だが私は、その全てが特定の対象の一点のみへなだれ込むなんてこと、起こるはずないと私は考えていた。不特定の多数に満遍なく分配するはずの機構になっているのだから」
博士はいくつかの古い書物を取り出してきた。
「しかしその理由は、更なる研究で分かった。輪廻サイクルの無と有が織りなすその流れの中に、たった一筋だけ不規則な線があったのだ。私はその正体が何なのか、調べに調べた。そしてある言葉に辿り着いた。それは――『七度
なんだろう、このモヤモヤとした気持ちは。
僕は家族である弟の記憶で出来た『不幸のチケット』によって、度重なる不幸に遭ったというのも、そもそも理不尽な話ではある。
そういうものなんだと言われて、簡単に納得できる内容でもない。
でも確かに弟が事故に遭い死んでしまったのは、きっと僕が渡したラムネのガラス玉のせいだ。
そして死者の国で弟は全ての記憶を捨て、僕には不幸の連鎖が訪れた。
でもなんだかこれではまるで、とんでもなく残酷な悲劇じゃないか。
「僕の弟はなんで……全ての記憶を投入したの?」
「その真意は私どもにもわかりかねる。彼本人にしかわからない」
僕の問いに、大臣はそう答えた。
僕の晴れない気持ちなどお構いなしに、博士は続ける。
「一応付け加えておくが……そもそもヒトは生まれもって、何も持たずに生まれてくる。それは『無』であり『不幸』でもある。だがそれは自らの行動で『有』となり、自らの行動で切り拓き、自らの行動で『幸福』を手にする。ヒトは本来、ずっとそうして生きてきた。あくまでも幸福バランサーは、私が設置した後付けのシステムであり、それはキミたちヒトの生活を
博士は少しだけ目を輝かせて言った。
確かにそう言われると、少し救われる気がする。
僕と弟の不幸が、本当にこれからの世界の幸福のバランスに貢献をしているのなら――。
「だがしかし問題はまだ残されている」
博士は、ぐっと拳を握り締めてそれをかざし、二本の指を立てた。
「その問題は二つだ」
「一つ目は、二年前の事故によって失われてしまった、キミの弟の記憶を回収することだ。それにはキミに流れ込んだ『不幸のチケット』を取り出す必要がある」
「二つ目は、その事故の二次災害だ。『幸福な記憶』の混入によって幾つかの幸福バランサーのプラントのどこかが破損したのだが、その時に漏れ出した
なるほど、僕がここに呼ばれた理由はこれだったのか。
そして僕が未だに現世に帰れない理由も、なんとなく理解できた。
『不幸のチケット』を取り出せば、僕はあの度重なる不幸からようやく解放されるんだな。そう考えると、少しここに来た甲斐があったってもんだ。
でもどうして弟は、全ての記憶を投げ入れたんだろう。
僕はあのとても心優しい弟が、そんな悲しいことをするようには到底思えなかった。
弟は人懐っこくてお調子者で、色んな事を器用にこなす奴だったけど、肝心なところはよくわからなかった。
僕は弟をとてもよく知っていた気でいた。
その時、弟は何を思ったのか――僕には全く想像もつかなかった。
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