第13話 境界線

 死者の国に見える高台の鐘の音が2度、辺りに響きわたり僕は、はっとした。

 まるで何かを思いだせと言わんばかりに、三途の川は僕に何度も記憶を回想させる。

 鐘の音の余韻が終わるころ、ちょうどいい桟橋を見つけたのか、舟棹を操る男は舟をゆっくりと岸に寄せた。

 舟の揺れのおさまりを充分に確認したあと、僕は陸にようやく足を着けた。

 男は舟からロープを取り出して器用に桟橋に括り付けていた。

 僕は見逃さなかった。薄汚れたローブからチラリと覗いたその男の素顔を。


「なぁ、お前、僕の弟だよな」


 男は無言だった。こっちをチラリと見たが黙ったままだった。


「なんで黙っていたんだ?」


 僕はせきを切ったように続けた。


「おい、なんとか言えよ」


 男は足早にその場を去ろうとした。が僕はその腕を掴んだ。妙にその腕は細々しく感じた。


「わからない……」


 男は口をようやく開いた。

 僕は男が被っているフードのようなものを剥がし、もう一度じっくり顔を確認した。間違いなく弟だった。


「お前は僕の弟だ。間違えるもんか」


 弟は僕の腕を振りほどき、僕に背を向けた。


「ごめん……なさい…………思い出せない……。何も……」


 弟はそう言って、労働者達が集う休憩所のような小屋の方へ歩きだした。


 僕は弟の言葉を理解できなかった。

 弟は本当に僕を思い出せないのだろうか。とても信じられることではなかった。それとも、お前なんか思い出したくもないという意思表示だったのだろうか。


 弟が入っていった小屋の周辺では、火が焚かれたり、炊き出しなどが行われており、薄汚れた労働者たちで賑わいをみせていた。

 僕は弟のあとを追いその小屋に近づいたが、労働者たちの白い目が僕に集まったのを感じた。そして僕の前にリーダー格であろう少しガタイのいい大きな男が立ちはだかり、僕を通すまいと構えたので、しぶしぶ中に入るのを諦めた。


 とにかく僕はショックだった。


 ただでさえ不安を感じる死後の世界で、2年前に亡くなってしまった弟と偶然の再会を果たしたのに。

 僕は弟に拒絶されたのだろうか。それとも本当に記憶を無くしてしまったのだろうか。


 自慢の弟だった。

 家族の絆って、そんな簡単に忘れてしまえるものなのだろうか。

 弟にとって僕は、忘れてしまいたい兄だったのだろうか。



 僕はしばらく、色んな想いを巡らせては途方に暮れた。

 弟とのやり取りで、心細さと不安が一気に押し寄せた。

 このまま孤独に押し潰されてしまいそうだった。

 その時僕は、猫の紳士との待ち合わせを思い出した。

 4度の鐘の音が鳴るまでとにかく時間を潰そうと、とぼとぼ周辺の散策を始めた。

 僕は労働者の小屋を離れ、遠くに水銀灯がいっぱい灯る明るい場所を見つけた。

 僕はその商店街の入り口のような、明るい場所を目指した。

 まるで夏の明かりに群がる虫のような気分だったが、風は冷たくむしろ寒く感じるくらいだった。

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