第14話 弟の死

 大学4年の秋。そろそろ内定取れないと僕は、路頭に迷ってしまうのだろうか。

 そんな焦りと不安で、大学受験の時みたいにヒリついていた。

 何度面接に挑んでも送られてくる結果は、神でもないのにお祈りされるものばかりだった。


 その日も僕は既に敗北が見えた採用面接の帰りで、ビルが立ち並ぶオフィス街の一画に、木々が涼しげに生い茂ったオアシスのような公園があり、緊張からの解放で溶けだすようにそこのベンチに転がり込んでいた。

 もう10月の中頃なのにまだ夏のような暑さで、西に傾いた陽の光が黒のリクルートスーツをじりじり焼いていた。

 汗で張り付いたシャツがとても気持ち悪くて、汚さないように上着を脱いで第一ボタンを外していた。

 公園の噴水近くでは、黄色のサンダルを履いた麦わら帽子の女の子が、少し若そうな母親と水遊びをしていた。



 祖母が亡くなって以降、うちは家族で旅行などすることはなかった。

 父の勤務している会社の倒産によって、それどころではない空気がうちには渦巻いていて、今年の夏は帰省する気にもなれなかった。

 ただでさえこの時期に内定を取れてない僕は、後ろめたさと焦りばかりで家族に合わせる顔があるはずもなかった。

 それでも当時付き合っていた彼女が田舎に帰省して暇になった僕は、実家に帰るための大義名分が立つ理由を探しているうちに、結局夏が終わってしまい今に至っていた。

 こないだの妹からの電話では、父は職を失っても相変わらず不在が多く、母は少し体調が良くないとのことだった。たまに帰ってきた父は、弟の進路のことで母と言い合っていたらしい。弟が進学しないと言い出した時は僕も少し驚いたが、母は弟の意思を尊重したいと父を説得する側になっていた。



「兄さん……?」

「ん?」


 聞き覚えのある声で、僕はベンチを飛び起きた。

 制服姿の弟がそこにいた。

 僕はあまり見られたくない姿を見られてしまった気がして、少しバツの悪そうな顔をした。


「兄さん、面接の帰り?」

「ん……。ああ」

「そっか、大変そうだね」

「お前、学校の帰りだよな? なんでこんなところにいるんだ?」


 実家は都心からはそう遠くないが、学校帰りにしては電車を乗り継いで30分はあろう都心のオフィス街で出くわすのは違和感があった。


「うん、これからバイトなんだ。今日はたまたまこっちの店舗のヘルプ」

「そうか」

「兄さん、どんな会社受けてるの?」

「ああ、今は……」


 弟は少し痩せたのだろうか、前に会った時よりやつれた顔をしているように見えた。

 しかし、大学へ進学したのに就職先が決まらない僕と、進学しない選択をしたが充実している弟という構図に、少し世の中の不条理と居心地の悪さを感じた。

 不在の多い父や病弱な母のことで、家のことはほとんど弟に任せっきりだったので、兄の威厳を保つのは難しいと判断した僕は、適当に話を切り上げようと思っていた。


「あ、兄さん! あんなとこに駄菓子屋がある!」


 弟が指差した先には公園に隣接したアーケード商店街があり、入り口近くに駄菓子屋があった。その駄菓子屋は祖母の家の近所にあった店とはまるで違い、いかにも下町って感じの外観だったが、どこか懐かしい雰囲気であの頃のワクワクが僕と弟を一気に包み込んだ。


「懐かしいなぁ……。ばぁちゃんちに行った時、よく三人で行ったな」

「うんうん! 兄さん、ちょっと行ってみようよ!」


 僕と弟は足早にその駄菓子屋に駆け込んだ。


「おい、これ見ろ。キャベツ太郎にモロッコヨーグルもあるぞっ」

「うわー! なつかしい!」


「あらあら、大きなお客さんねぇ」


 薄暗い店の奥から店主のばぁさんが出てきて、にこやかに僕らを迎えてくれた。


「ほらほら、外はまだ暑いでしょう。これでも飲みなさいな」


 店主のばぁさんはそう言いながら、レジ横のレトロなガラス張りの冷蔵庫から、何やら取り出してくれた。

 僕らの目の前に差し出されたのはそう、2本のキンキンに冷えた瓶ラムネだった。

 ピンク色の玉押しをラムネの瓶口に置いて押し叩く。


 パシュッ!! シュゥゥゥー……


「わわわっ、吹きこぼれるっ」

「ばっか、泡が落ち着くまで手は押さえとくんだよ」


 弟は瓶口から溢れ出すラムネを口元に迎えに行くようにしてラムネを飲んだ。

 喉の乾いてた僕も耐え切れず、ラムネを口にした。


「そういえばお前、よくクッキーの缶ケースにラムネのビー玉集めてたよな」

「兄さん、覚えてたんだ! あはは、なつかしいなー! まだあったかなぁ……」


 弟は少し照れくさそうに笑いながら、子供の頃を懐かしんでいた。

 僕はラムネを飲み干し、あの時のようにガラス玉を取り出して弟に差し出した。


「ほら、やるよっ」

「あはは! ありがとう。なんか嬉しいよ」


 その時はなんだかすごく懐かしくて、僕もあの頃のようにいっぱい笑った。


「あ、兄さん。僕そろそろバイトの時間だ」


 時計を見ると、もう17時を回りそうだった。


「あんまり無理すんなよ。あと年末は早めにそっち帰るって母さんに言っといて」

「うん、わかった。じゃあ行ってくるね」


 秋の日は釣瓶つるべ落とし、辺りはもうすっかり暗くなっていた。バイトへと駆け出した弟の背中を見送り、僕は家路についた。



 その夜、妹から弟の訃報を知らせる電話があった。

 時計の針は、間もなく日付が変わろうとしていた頃だった。

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