第6話 家族と走馬灯

 カランッカラカラッ……。


 薄い水色の細くてゴツゴツとしたラムネの瓶は、その夏の焼くような熱気でたっぷりとまだ汗をかいていたが、喉の渇きをまだ充分に潤しきれてないのにも関わらず、無情にも中身が空になったことを知らせる音を響かせていた。

 当時小学6年生だった僕は、その空になってもまだ冷ややかな瓶のキャップを外し、いつものようにガラス玉を取り出して弟に渡した。

 まだ小学2年生の弟はこういう綺麗な玉や石などを集めるのがとても好きだった。

 空き瓶は『空きビン返却10円』と書いてある貼り紙の、すぐ下のケースに差し込み入れ、弟と妹を驚かそうと振り返った。

 そして僕はこみ上げる圧力にだんだんと堪えきれなくなったので、それを思い切り絞り出してやった。


「ゲブッ、グゲゲッ! ……ゲップ」

「あははっ兄さんすごいげっぷ! あははは! カエルみたいっ」

「あたしもっ! あたしもやるっ……ゲフッゲフッ」



 小さい頃は毎年夏休みになると、父の『自然に触れさせるのが一番の教育』という持論により、父の実家でもある山と川ばかりのコンビニも電車もない祖母の家へ、5日間ほど一家総出で帰省旅行をしていた。

 祖母の住む村は、あやうく遭難してしまうほどの大きな森やいくつも連なる山々があり、ふもとには廃校になった木造の小さな校舎が残っていたりした。

 更にその学校跡の正門近くでは、今でも気まぐれで営業している、文房具や日用品なども取り扱う小さな駄菓子屋があったりなんかして、子供が大冒険と称して探検するにはもってこいの環境だった。

 祖母はせみが鳴き始めるその頃になると決まって、一年ぶりに会う成長した孫たちのために張り切って宴の準備をして迎えてくれた。

 自分の畑で収穫した夏野菜の数々や、2km先の町役場の近くに住んでいる腕っぷしの猟師のおじさんから分けてもらったらしい鹿や猪の肉などを使った料理など、それはもう食べきれないほどの豪華なご馳走を振る舞ってくれた。

 僕たちは毎年恒例のそれがとても楽しみだった。


 祖母の家には今は亡き祖父が残したロッキンチェアーがあった。

 夏休みに訪れた時は、よく僕と弟と妹の三人で、その特等席のロッキンチェアーを取り合っていた。

 しかし大体いつも、きれいでつやつやした毛並みのペルシャ猫が、そのロッキンチェアーを独占していた。

 そのペルシャ猫は、父が高校を卒業する頃に、山で怪我をしていたのを見かねて拾った猫だそうで、とても年老いていた。

 陽の当たる縁側のロッキンチェアーに座った祖母の膝の上で、よくその老猫は祖母とうたた寝していたと、父から聞いたことがあった。

 どうやらその老猫にとっても、ロッキンチェアーはお気に入りらしい。

 随分よぼよぼとした猫だったが、驚くほど長寿な猫だった。



 父は自然に囲まれたその村で生まれ育った。

 食べ物はほとんど、自分の畑の作物で賄う自給自足に近い生活で、ご近所と自分の畑で作った野菜を物々交換し合うような、今ではめっきり少なくなった助け合いの文化が根づいた、とてものどかな村だった。

 その頃はまだ廃校になっていなかった学校は、父の母校だった。小中高と全ての学年の生徒が一緒の教室で授業をするくらいのこじんまりした校舎だったが、それでも村の全ての子供が集まる唯一の学校だったらしい。

 祖父は父が中学にあがると同時に、病気で亡くなっていた。

 だからそこから祖母はひとりで、父が社会人になるまで小さな畑で切り盛りし、知り合いの林業をやってる社長さんの紹介で、父は高校卒業後すぐに離れ町にある家具メーカーの子会社に就職をした。

 勤勉で努力家な父が上司に認められ、都内の本社勤務になるのもそう時間は掛からなかったと祖母は自慢げに話してくれた。



 ある夏休みの夜、祖母の家の恒例の晩餐で少しはしゃいでしまった祖母と母が酒に酔い、父と母の馴れ初め話で盛り上がっていたことがあった。

 その頃の父は酒をまったく飲まなかった人だったので、すごく居心地悪そうだったのが印象に残っている。

 酔った母の止まらない言及でしらふである父は、母は出会った頃とちっとも変わらず今も美人だと言っていたが、その父の顔は少し照れくさそうだった。

 父と出会った頃の母は、父の会社の取引先で受付嬢をやっていたそうだ。

 母に一目惚れした父は数多のライバルに負けじと、営業の仕事の合間をぬってしつこいほど何度も母を食事に誘ったらしい。

 その後すぐに母は父のひたむきな誠実さに惹かれるようになり交際を始め、それから一年ほど経ったくらいで、母がその取引先の会社の社長令嬢だということが判明したのと同時に、母は父との子、つまり僕を妊娠したことを父に打ち明けたそうだ。

 母方の親類からは相当反対され、特にあちらの祖父からは学のない父を毛嫌いし、何度も挨拶に訪れてても門前払いだったらしいのだが、そんな猛反対される中でもお腹の子(つまり僕)の成長はすこぶる順調で、母はどうしても子を産みたいとちょうど妊娠8か月の頃に実家を飛び出したのだった。

 実家を飛び出した母はもともと病弱でもあったので、出産まで父方の祖母の家にお世話になっていたそうだ。

 結局その後も母方の両親の同意を得ることは叶わず、最終的には駆け落ちのような形で結婚したそうだ。

 それゆえ母方の親類とは今でも非常に険悪で、断絶している。


 その後、父が小さな一軒家を都心からそう遠くない場所にマイホームとして購入することができたのは、弟が生まれた年、僕がちょうど4歳の頃だった。

 弟が生まれたのち、さらにその3年後に妹が誕生し我が家はとても賑やかになっていた。

 祖母はことあるごとに田舎から駆け付けてくれていた。

 弟の出産の時も、もちろん妹の出産の時も、母の代わりに僕の面倒を見てくれたり、そばにいてくれたりした。病弱な上につわりが酷い母を支えてくれていた。

 妹が掴まり立ちをするようになった頃、歳を重ねるごとに少しずつ遠出が辛くなってきたであろう祖母を気遣った父は、これからは毎年夏休みに一家で祖母に会いに行こうと帰省旅行を定番化したのだった。

 祖母の家の裏山の、目も覚めるような緑の森で昆虫採集したり、川で冷やした祖母特製の真っ赤なトマトを丸かじりしたり、川沿いの一画に咲き乱れていたまぶしいほど黄色いひまわり達。


 あの頃の夏はとても眩しくてカラフルな思い出ばかりで、それは色褪せることなく僕たちの中に焼き付いていた。

 そう――夢中ではしゃいだあの暑い夏の日もまた、雲ひとつない残酷なほど青く澄んだ空だった。

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