第十八話:景山雅史

『お前には昔からバスケのスキルとは違う部分ではっきりとした弱点がある。その弱点について、俺なりの意見を言わせてもらう。まあ、ちょっと極端なことを言うから、それを受け入れるかどうかはお前の好きにしてくれ』

 DVDの中の雅史の言葉が、佑太の脳内にくっきりと蘇る。

『お前の課題は、メンタルの不安定さだ。昔からお前は緊張しやすかったり、物事を気にし過ぎたりするところがあったよな。それがシュートの調子に直結してしまうことがある。乗っているときのお前は気持ち良いくらいシュートを決めるけど、一度メンタルを崩すと途端に入らなくなってしまう。お前もよく言ってたよな、絶対に外しちゃいけない場面でゴールがめちゃくちゃ小さく見えてしまうときがあるって。外したらどうしようって、萎縮しちゃってる証拠だよ』

 雅史の言葉が痛いくらい胸に響いていた。その通りだ。自分は昔から、プレッシャーに弱い。

『だからさ、もう全部シャットアウトしちゃえよ。周りがどうとか、外したらどうとか考えずにシュートだけに集中するんだ。意識するだけじゃダメだ、目をつむっちまえ。強制的に外の情報を遮断するんだ。お前の完成されたシュートなら、きっと大丈夫だ』


 スパッ。

 目を閉じた自分の耳に、ボールがゴールネットを揺らす音が聞こえた。目を開けた佑太は、「っしゃ」と右拳を握り締めた。明成ベンチは一層沸き立っている。

 雅史のアドバイスは、佑太に完璧にマッチした。目を閉じて視覚情報を遮断すると、驚くほど目の前のシュートに集中できた。これで四本連続の3ポイントシュート成功だ。点差はいよいよ一桁台、8点差にまで縮まった。途方もない点差からの逆転が、現実味を帯びてきた。

「ナイス、佑太!」

 慶太が背中をばしんと強く叩く。

「見えてきた。いける」

「ああ、勝てるぜ俺たち」

 コート上の残りのメンバーの顔にも、希望の色がありありと浮かんでいる。

一方で海常の面々は、予想もしない事態に焦りを隠しきれていない。

「ディーフェンス! ディーフェンス!」

 ベンチからの声援にも一層熱がこもっている。腰を落とし、手を広げて神経を研ぎ澄ませる。全身から力が漲ってくる。

 いける。

 風は、完全に明成に吹いていた。


 ピーッ!

 タイムアウトを告げる笛の音が響いた。風間は額の汗を拭いながらベンチへと向かった。残り時間は4分。点差は、とうとう5点差にまで縮まっていた。

 大石佑太のプレイには、驚きを超えて恐怖すら感じた。目を閉じながらのシュートなど、いくらシュートがうまい選手だとしても俄かに信じられることではない。しかし、それを目の前で見せつけられている自分たちがいる。

 他のメンバーにも動揺が走っているのが分かる。自分たちのリズムを失い、一気に得点差を縮められてしまっているのがその何よりの証拠だ。

 くそっ。

 風間は小さく舌打ちをした。理解しがたい才能を前にひれ伏すこの感覚は、以前にも覚えがあった。それはちょうど二年前の、同じ舞台でのことだった。

「何を慌てている。落ち着いてプレイすれば問題ない」

 円陣の中心で、大八木が選手に向かって語り掛ける。

「今は奴らが一時的に勢いに乗っているだけだ。あんなの、続きやしない。もともと実力はうちの方が上なんだ。それを忘れるな」

 メンバーが「はい」という返事とともにこくりと頷く。

「よし、最後の4分間、気合入れてやってこい」

 大八木がそう締め、選手たちをコートに送り出す。風間も再びコートに戻ろうとしたが、「おい、風間」と大八木に呼び止められた。

 振り返ると、険しい顔をした大八木が、小さく手招きをしていた。嫌な予感を全身で感じながらも、風間は大八木の元へと歩み寄る。大八木が、周囲に聞き取られるのを防ぐように声を潜めながら言った。

「大石佑太を、つぶせ……」

 風間は頭が真っ白になり、床が一気に抜け落ちていくかのような感覚に襲われた。ぐわんぐわんと、脳が震盪を起こしたかのように揺れる。

 また……

「この試合は負けるわけにはいかない。お前たちを信じていないわけではないが、リスクは最小限に抑えたい」

 大八木の言葉は、頭をすり抜けていく。風間は目を見開いて押し黙った。

「頼んだぞ、風間」

 どうにか気を持ち直し、風間は口を開いた。

「理事長の、命令ですか……?」

 大八木は苦い顔を浮かべたまま、返事をよこさない。それが答えのようなものだった。大八木が単独でこのような指示を出すはずがない。風間は、体の奥から怒りと悔しさが湯水のように湧き出し、体中を満たしていくのを感じた。

 ピーッ!

 時間だ。コートに戻らなけらばならない。風間は虚ろな目をしながらゆっくりとコートに戻っていった。

 コートに戻る風間の脳裏に、二年前の明成との決勝戦がフラッシュバックした。あのときもまた、海常は明成の一人の才能の前にひれ伏そうとしていた。

 景山雅史。これまでの二年間、その名を忘れたことはない。超高校級の景山のプレイは、当時神奈川大会を二連覇中だった海常の選手たちさえも圧倒していた。辛うじてベンチ入りをしていた当時一年の自分は、悔しさと憧れが入り混じったような複雑な心境で、ベンチから景山の姿を追っていた。

 試合時間残り6分。海常は10点のビハインドを負っていた。どんよりとした暗い空気が海常ベンチに漂い始めていた。そのときふと、「おい、風間」と大八木から呼ばれた。ちょうど今日のように。なんだろうと不思議に思いながら大八木の元へいくと、驚愕の言葉を突き付けられた。

「景山雅史を、つぶせ……」

 それは到底受け入れられることではなかった。驚き、戸惑い、悲しみ。様々な感情が頭の中で絡み合った。

 しかし、言われた通りにするしか道はなかった。強豪・海常でレギュラーを取り、全国大会で活躍してアメリカの大学に渡る。そして、プロのバスケ選手になる。高校入学を前にして自分に誓った夢だ。その夢の実現の為にも、命令に逆らうことはできなかった。

 ジャンプシュートを放った雅史の足の下に、さりげなく自分の足を滑り込ませた。その上に着地する雅史。その足がぐしゃりとひしゃげた。他人の自分でさえも痛いと錯覚するような、悲惨なシーンだった。全身の毛が逆立った。

 雅史はそのままコートを離れ、結局戻ってくることはなかった。海常はそこから逆転勝利をおさめた。しかし、ウィンターカップ出場を決めた海常メンバーの顔には、ぎこちない表情しか浮かんでいなかった。それは風間も同じだった。試合を終えた風間の心に残ったのは、雅史への申し訳なさと、自分への怒りだった。

 こんなことをしなければ勝てないのか、俺は?

 それからというもの、罪悪感と惨めさが体の内側にべったりと張り付いて離れなくなった。それを何とかひっぺがそうと、風間は無心で練習に打ち込んだ。 

 あんなクソみたいなことをしなくても、自分の力だけでねじ伏せられるようになってやる……

 その激情にも似た気持ちに比例するように、風間の実力は伸びていった。レギュラーの座を掴み、そして不動のエースへと上り詰めた。あのときの惨めな自分とは、完全に決別したつもりだった。

 それなのに、また……

 風間は奥歯をぎゅっと嚙み締めた。

「ふざけるな……」

 思わず心の中の思いが、言葉となって漏れ出ていた。そして風間の中で何かが弾けた。

「ふざけんなあああああ!!!」

 風間はコートの中で絶叫した。突然の行動に場内がざわめき、視線が一気に自分に集中した。しかし、そんなことはどうでも良かった。今の自分にとって大事なことは一つだけだ。

「おい、大石!」

 風間は反対側のコートにいる佑太を指差し、大声で呼びかけた。

「真っ向勝負だ! ぜってえ負けねえからな!」

 佑太はキョトンとした顔を浮かべてこちらを見ている。風間は言うだけ言うと、すっきりした表情で一方的に顔を背けた。コート上のチームメイトも、何が起きたか分からずぽかんとしていた。

「いいかお前ら、泣いても笑っても最後の4分間だ。俺たちが王者だなんて気持ちは捨てろ。死に物狂いで向かってくぞ」

 風間は、そうチームメイトに向かって声を張り上げた。




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