第十七話:He is Back

「結局、大石は来ないか」

 決勝の前半が終わったロッカールームで、鈴村がため息混じりに言った。室内に重苦しい沈黙が流れる。

 未央は手の中のスマホをぎゅっと握りしめた。今朝送った佑太へのラインに、返信はなかった。


 必死の思いでたどり着いた決勝戦。相手は予想通り海常高校だった。昨日の準決勝の途中で会場から姿を消してしまった佑太は、今日の決勝戦にも姿を現さなかった。

 佑太はここまでチームを引っ張ってきた、紛れもない明成のエースだ。その佑太を欠いた状態で、絶対王者の海常に挑まなければならなくなった。マネージャーの自分でさえ精神的なダメージは大きかった。実際にコート上でプレイする選手たちは尚更だろう。

 だが、選手たちは気丈に振る舞った。決して弱気な顔は見せなかった。

「ずっとここまで俺たちは大石に助けられてきた。いつまでもあいつに助けられてるようじゃ、全国行きの切符を掴む資格なんてない。俺たちで、やってやるぞ」

 試合開始前の円陣で、キャプテンの高山は力強い声を張り上げた。チームメンバーも、その高山の心意気に「よっしゃ!」と勢いよく応じてみせた。

 強いなあ、みんな。

 未央は外からその様子を眺めながら、皆の不屈の精神に心を打たれていた。

 私も、力の限りサポートするぞ。

 未央は改めて気持ちを入れ直した。

 明成は、強い気持ちに支えられたプレイで海常に立ち向かった。ただでさえ地力の差は明白な上に、佑太まで欠いている状況。明成陣営以外は誰もが一方的な展開を予想したであろうが、それに反して明成は善戦した。

 慶太のスピーディーなプレイは、海常であってもなかなか思うように止めることは出来なかった。高山の強さと高さも、海常にとっては驚異となった。それ以外のメンバーも、自分の役割を精一杯全うしていた。極限まで研ぎ澄まされた集中状態にあった明成メンバーは、誰もが自分の限界値を上書きするようなプレイを見せていた。決勝戦は、リードが何度か入れ替わるシーソーゲームの状態で進んでいった。

 しかし、現実は残酷だった。第2クオーターに入った辺りから、徐々に力の差が明らかになっていった。海常は明成のオフェンスパターンを見切り始めていた。的確なディフェンス対応の前に、明成は攻め手を失っていった。

 なかなか動きが遅くなった明成のスコアボードを尻目に、海常は得点を積み重ねていった。エースの風間を中心としたオフェンスは全国でも上位に入るレベルだ。県下有数のディフェンス力を誇る明成であっても、その猛攻を凌ぐことは容易ではなかった。

 じりじりと得点差が開いていった。審判のホイッスルの音がコート中に響き、前半が終わった時には36対48と、明成は12点差をつけられていた。


 ロッカールームの空気は重かった。後半に向けて明るい材料を探すのは、正直に言って困難だった。全力を振り絞って試合に入った明成の先発陣は、明らかに消耗していた。顔に疲労の色が濃く浮かんでいる。精神的な重圧も大きいだろう。その過酷さは想像するに余りある。

 徐々に盛り返した状況でのこの点差ならまだいくらでも望みはあるが、実情はその逆だ。時間が進むにつれてその実力差をまざまざと見せつけられ、それに綺麗に呼応する形で点差も開いていった。

 明成に望みがあるとすれば、それはただ一つだけだった。

「大石くん……」

 未央は祈るような気持ちでスマホの画面を見る。だが、スマホはそんな未央たちの悲痛な気持ちは知る由もなく、沈黙を貫き続けている。

「さあ、時間だ」

 選手たちの気持ちを切らさまいと必死に言葉を紡いでいた鈴村が、時計を見て言った。後半が始まる。選手たちはぞろぞろとコートに出ていった。

 明成ボールで後半がスタートした。慶太がボールを前に運んでいく。海常の積極的なディフェンスは、前半の疲れを微塵も感じさせない。本来は攻撃する立場の明成が、逆に威圧されているのが未央の目にも見て取れた。

「あっ」

 未央が声を上げた。

 慶太のパスがカットされ、ボールを奪われてしまった。後半開始早々に痛いミスだ。

 海常のメンバーは一気に逆サイド目掛けてコートを駆け上がる。明成側も必死にディフェンスに戻るが、数的不利の状況だ。悠々とパスを回され、最後はエースの風間がレイアップでフィニッシュした。

 14点差。

「わりいっす」

 右手を立てて顔の前に掲げ、なるべくカジュアルに詫びてみせる慶太。だがその表情には固さが見て取れた。

 その後も明成はちぐはぐなオフェンスを繰り返した。得点は一向に伸びない。完全に攻め手を失っているように見えた。一方の海常は、外、中と多彩なオフェンスを披露して明成ディフェンスを揺さぶった。


 スパッ。

 風間のジャンプシュートが見事にゴールを射抜いた。堪らず鈴村がタイムアウトを要求する。点差は遂に20点差にまで広がっていた。

 円陣を組んで集まった明成の選手たちは、粒のような汗を全身に浮かべ、ぜいぜいと肩で息をしていた。その表情は一様に暗く、重い。タオルとボトルを渡しながら、未央は選手たちにかける言葉を見つけられないでいた。

 一体……どうしたら……

 明成バスケ部の命は、もはやいつ消えるとも分からない風前の灯火だった。

「あっ」

 そのとき、不意に慶太がアリーナの入り口の方を見つめて目を見開いた。

「佑太……」

 他のメンバーと一緒に、未央も弾かれたようにその方向を振り向いた。大石佑太の姿が、確かにそこにあった。チームメンバーが次々と「大石!」と歓声を上げる。

「大石くん……」

 こちらに向かって歩いてくる佑太の姿を見ながら、未央は言葉を詰まらせた。瞳の中もじんわりと滲んでいった。

「勝手なことをして、すみませんでした」

 チームの輪に加わった佑太は、すぐに全員に向かって頭を下げた。

「謝ることはない。戻ってきてくれて、本当に良かった」

 鈴村が佑太を気遣う。佑太は「ありがとうございます」と返すと、ふっとスコアボードに目をやった。

「20点差。残り12分。まだ、無理じゃない」

 佑太は誰ともなく呟くと、鈴村に向き直りその目をひたと見据えた。

「お願いします、俺にプレイさせてください」

 

 ジャージを脱ぎ、佑太がコートに歩み出る。未央は目の前の景色が、未だに現実なのか夢なのか判断がつかないような心地だった。佑太の姿に会場の人々も徐々に気付き始め、ざわめきが大きくなっていく。

 ピーッ!

 ホイッスルの音がコートに響く。試合再開だ。

 ドクドクと、心臓が鼓膜を叩き鳴らす。期待と不安が入り交じる。

 準決勝での佑太は、目も当てられないほど深刻な状態に陥っていた。果たして、以前の調子を取り戻すことが出来るのだろうか。

 ボールを受けた慶太が、ゆっくりとコートを進む。ダム、ダム、ダムとボールをコートにつく音が会場にこだまする。場内は異様な静けさに包まれていた。その理由は明らかだった。

 佑太だ。誰もが彼の復帰に驚き、そしてどのようなプレイを見せるのか固唾を呑んで注目しているのが分かる。

 明成メンバー間でパスが回る。みな必死に細かく動き回り、海常のディフェンスをかき乱そうとする。海常もフリーの選手を作らせまいと素早く動く。しかしそれ以上に明成も力を振り絞って動く。

 パシッ。

 佑太にフリーの状態でパスが通った。未央は、場内が音もなくどよめいたような気がした。自らの心臓もこれ以上ないくらい高鳴っている。

 お願い……

 未央は祈るようにぎゅっと両手を握り締めた。

 フリーの佑太がシュートフォームに入る。そのとき、今度こそ場内がどよめきの声に包まれた。

 ボールを頭上に掲げ、上に飛び上がった佑太は、目を閉じていた。

「えっ……!」

 未央は驚きに思わず声を漏らした。

 佑太の手からボールが押し出されて宙を舞う。くるくると縫い目を逆向きに回転させながら、ボールはゆっくりとゴールに向かって進んでいった。それはまるで、スローモーションのシーンを見ているかのようだった。


 スパッ。


 綺麗な音を立てて、ボールがゴールの真ん中を貫いた。完璧なスウィッシュだ。

「おおおおおお!」

 会場中から、歓声とどよめきがごっちゃに混ざりあったような声が地鳴りのように響いた。明成ベンチはみな総立ちになった。

 未央も、気付いたときには飛び上がって叫んでいた。もはや自分がどんな言葉を発しているかは分からなかった。だが何も気にならなかった。とかく求められがちな遠慮も慎ましさも、今この場には必要ないと思った。ただひたすらに嬉しかったし、全力でそれを表現したかった。

 自分の眼前に立ち込めていたどんよりとした暗雲が、一気に霧散して晴れ渡っていくような気分だった。

 いける。まだまだ明成は戦える。

 未央の目には、再び薄っすらと涙が滲んでいた。



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