第十四話:旋風と影

 佑太は観客席に座って下のコートを見下ろしていた。首にかけたタオルで額の汗を拭う。試合が終わって間もないため、まだ全身を火照りの膜が包んでいた。久しぶりの疲労感が心地よかった。

 良かった。問題なく、プレイできた。

 佑太は心の中で、密かに安堵の息をついていた。この二ヶ月で勘を取り戻そうと、休みもなく練習に打ち込んできた。だが公式戦に最後に出たのは優に一年以上も前の話だ。

 不安がなかったと言えば嘘になる。だが、自分が想像していたよりも遥かにスムーズに試合に入ることができ、佑太は少し驚いていた。

 佑太はベンチに置いていた右手をそっと離し、掌の中を覗き込んだ。

 最初から、シュートのタッチも良かったな。

 その手にはまだボールの感触がくっきりと残っていた。

「おーい」

 下の通路から未央の声が聞こえてきた。佑太は未央の姿を認めると、軽く手を挙げて応えた。

「ここにいたんだね」

 階段を上がってきた未央は、そのまますとんと佑太の隣の席に腰を下ろした。

「みんなびっくりしてるよ、さっきの試合に」

「まあ、それだけ軽く見られてたってことだね」

 明成はみなと学園を、85対61と大差で破って初戦を突破していた。優勝候補の一角とも言われていたみなと学園を、ノーマークの明成が圧倒する。その予想外の展開に釣られ、徐々に観客席を埋める人の数が増えていったことは、コート上でプレイをしていた佑太もはっきりと感じ取っていた。試合が終わる頃には、観客席は野次馬でほとんど埋め尽くされていた。

「急に現れたあの6番と7番は何者だって、ちょっとした事件みたいになってるよ」

 未央がおかしそうに話す。

「特集の記事が組まれるかもね。溝口くんは県外から来てるから中々分かる人はいないみたいだけど、大石くんのことはみんなすぐに気付いたみたい。さすが有名人」

「まだたった一試合しか終わってないのに大げさだよ」

 佑太はやれやれ、とでも言わんばかりに息を吐いた。

「勝負はまだこれからだからね。負けたらその時点で終わりなんだ」

「うん、そうだね」

 そう言うと未央は「ふふっ」と小さく声を出して笑った。

「え、何かおかしい?」

「ううん、違うの。なんか本当に嬉しくなっちゃって。大石くんが入ってくれて本当に良かったなあって思ったら、自然と笑顔になっちゃった。頼りにしてます」

 未央は佑太の方を向きながらぺこりと頭を下げた。

「絶対、最後まで勝ち切ろうね。私も全力で応援するよ」



 佑太たち明成は、会場に衝撃を与えた初戦の勢いそのままに、破竹の快進撃を続けた。二回戦を35点差の大差で下すと、三回戦も29点差の圧勝でものにし、悠々と初日を突破した。二日目に入ってもその強さは変わらず、大会前は格上と見られていた相手を面白いように圧倒していった。

 特に佑太と慶太が組む一年生ガードコンビは圧巻のプレイを見せた。他を圧倒するスピードでコート中を駆け巡る慶太は、司令塔として明成の強力なオフェンスを牽引していた。自ら切り込んで相手を引きつけて味方のノーマークを作り出し、何度も決定的なアシストパスを決めていた。

 そして佑太は、正確無比なシュートと多彩なオフェンスパターンを武器に、毎試合で得点を量産していた。佑太の放ったボールが綺麗にネットを通過する音に、相手チームはただ呆然とし、観客席は唸りを上げた。

 その二人に加え、県内トップクラスのセンターの高山、そして練り上げられた強固なディフェンスを擁する明成。まともに張り合えるチームは皆無だった。試合を重ねるごとに観客席の空白は埋められ、多くの人々が明成の試合にのめり込むようになっていった。真冬を間近に控えたアリーナには、熱い明成旋風が吹いていた。



「まさかの事態となって来ましたね、理事長」

 観客席で小峰が岩澤に控えめな声で話しかける。

「あの見慣れない二人、去年の全中に出ていたらしいな」

「ええ。両方一年生の大石佑太と、溝口慶太ですね。まさかそんな新入生がうちに来ているとは……」

「なぜ廃部寸前の高校にそんな二人が入学なんかしたんだ。意味が分からない。鈴村のやつ、この二人のことをずっと隠していたのか?」

 岩澤は忌々しげに呟く。

「そんなことが可能なのでしょうか……」

「ふん、まあいい。どうせ奴らはこのトーナメントで優勝することなど出来ない」

「はは、それは間違いないですね。何たって、海常高校がいますから」

「噂をすれば、来たぞ」

 岩澤は観客席の下段の通路を見下した。その通路をこちらに向かって歩いてくる男の姿が目に入る。その男はこちらと目が合うや軽く頭を下げ、そのまま階段を上がって来た。

「お疲れ様です」

 そう言って話しかけて来た男こそ、海常高校バスケ部監督の大八木おおやぎだ。ちょうど岩澤が直前の電話で呼び出したところだった。

「やあ、ご苦労。わざわざすまんね」

「いえ、とんでもない」

 大八木はゆっくりと岩澤の隣の席に腰を降ろした。

「いやしかし、びっくりしましたね。すぐに消えると思っていたのに」

「そうなんだよ。こちらの聞いていた話とまるで違う」

「あの二人はなかなか厄介ですね。特にシューティングガードの大石の方。伊達に去年の中学ナンバーワンプレイヤーじゃない。一年生とは言え、あの得点力は脅威ですね」

「お前の目から見ても、あいつらはなかなかのものなのか」

「そうですね。しかしなぜあんな二人が明成に?」

「それが全く分からないんだよ。このトーナメントが始まってやっと気付いたくらいだからな」

「ほお、そんなことが……」

 大八木はそう言うとゆっくりと顎に手をやった。不可解な出来事をじっと考え込んでいるようだ。

「まあ、私はお前たちがいる限り何の心配もしていない。今回も万全の仕上がりか?」

「ええ、もちろん。どことやったって負けやしませんよ。ゴールデンルーキー二人だって、問題じゃないです。世の中そんなに甘くないってことを教えてやりますよ」

「相変わらず頼もしいな。それでも、万が一のことに備えて準備はしておけよ」

 岩澤は大八木に向かってにやりと笑った。

「……はい、分かっています」

 大八木は眉根を寄せて険しい顔を見せた。

「二年前に世話になった彼、何と言う名前だったか。当時確か一年生だったからまだ現役なんだろう?」

風間かざまですね。はい、今やうちの大エースですよ」

「そうだ風間だ。大エースとは出世したもんだな」

 岩澤は「はっはっは」と高笑いを見せた。

「いざとなったらまた彼に助けてもらおうじゃないか。こういうのはなるべく関係者は少ない方が良い」

「……はい」

 大八木は低い声で返事をした。



「いよいよ、準決勝だ」

 ロッカールームで監督の鈴村が、明成の面々を見渡しながら言う。相手は県総体の準優勝校・西園にしぞの

 準決勝。あと二つ。

 そんな佑太の内面を見透かすかのように、鈴村が釘を刺した。

「だが、あと二試合だなんて考えるなよ」

 佑太は安直だった自分を恥じた。

「目の前の試合に全力で集中しよう。ここまで勝ち上がった事実も、負けた瞬間に全てが水の泡だ」

 鈴村の言葉に、チームのメンバーは表情を固くする。ベスト4という舞台に辿り着き、負けたら終わりだというプレッシャーは急激に圧を増し、この空間を満たしているように思われた。

「だからと言ってそんなに固くなるな。集中しつつ、適度にリラックスするのが大事だぞ」

 緊張感を隠しきれない部員たちを見て、鈴村も心配になったのだろう。表情を緩めて一同を気遣った。

「相手は強豪だ。だけどここまで見せつけてきたことを続ければ、絶対に大丈夫だ。思いっきりやってこい」



 準決勝は西園ボールでスタートした。ポイントガードの藤澤ふじさわがゆっくりとボールを運ぶ。佑太は同じシューティングガードの荻田おぎたのマークに付いた。荻田は細かくステップを踏んでフリーになる隙を窺うが、佑太はぴったりと付いて離さない。

 ひゅっ。

 藤澤が3ポイントライン付近からセンターのやなぎに山なりのパスを送った。柳はそのパスを受け取り、背中越しに高山と対峙した。西園は最初の一手でセンター勝負を選んだ。柳はドリブルを突きながら背中で高山を押し込もうとする。しかし高山は動じない。どっしりと腰を落とし、柳を押し返す。

「んぐっ」

 柳は根負けし、その場からフックシュートに切り替えた。半身になり、腕を掲げてボールを放る。すぐに高山が飛んだ。

「おらっ!」

 高山はその体躯に見合わぬ俊敏さで飛び上がると、伸ばした右手で空中のボールを叩き落した。完璧なブロックだ。

 弾かれたボールを拾ったのは慶太。反撃開始だ。一気にコート上のメンバーが逆サイドに向けて走り始める。慶太は風のような速さでコートを駆け上がる。

「慶太!」

 最前列を走る佑太は慶太の名を呼んだ。すぐに鋭いパスが慶太から飛んできた。佑太は片手でそれを受け取る。隣にすぐに荻田が追いついてきた。ゴールまで一対一の速攻だ。

 佑太は荻田の逆側の右手でボールを突いて走る。荻田も必死に進路を阻もうとしながら並走する。ゴールが近付く。佑太は飛んだ。

「させるか!」

 荻田も飛んだ。佑太は右手を空中で差し出してレイアップを狙う。だが荻田は手を一杯まで伸ばしてそれを阻もうとした。次の瞬間、佑太は空中でボールを手元に下げた。そのまま左手に持ち替え、荻田の体の横からすくい上げるようにしてボールを放り投げた。ボールはバックボードに当たり、そのままゴールネットを揺らした。

「おおおおお!」

 ほぼ満席状態の観客席からどよめきの声が上がった。思わず席から立ち上がった者もいる。明成のスコアボードに2点が加えられた。

 よし、良い感覚だ。この試合もいける。

 佑太は自陣に戻りながら、自分の調子の良さを感じていた。


 しかし、相手は強豪・西園。そう簡単に流れは渡してもらえなかった。

 飛び抜けたエースはいないが、細かくパスをつなぐ全員バスケで確率良くシュートを沈めてくる。チームディフェンスも堅牢で、簡単なポイントは与えない。

 特に佑太のディフェンスに付いた荻田は、試合を追うにつれて急速に佑太のオフェンスに対応してきた。佑太は徐々にリズムを見失い、なかなか思うように得点を重ねられなくなっていった。

 前半を終了して、37対33。明成はこの大会に入って以降、圧倒的に少ない4点のリードのみで後半を迎えることになった。

 どちらが勝つか予想がつかない。そんな張り詰めた緊張感が、会場を覆い始めていた。

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