第十三話:初陣

 やっとこの日が来たか。

 岩澤は声には出さないまでも、そう心の中で唱えていた。

 待ち遠しく思っていた、ウィンターカップ予選・神奈川県大会の当日を迎えていた。このトーナメントで敗退した瞬間、明成高校男子バスケ部の廃部が決まる。それは自動的に、監督の鈴村の更迭につながる。岩澤は思わず頬が緩むのを感じた。

 厄介な奴だったが、やっとお役御免だ。

 人事や会計など、鈴村は事あるごとに自分たち経営陣を糾弾してきた。それが無謀と勇敢を履き違えた、ただの正義感の強い馬鹿であれば始末は容易だ。

 しかし厄介なことに、非常に頭が切れ、酸いも甘いも精通している鈴村の場合はそうとはいかない。しかも鈴村は高校の英雄的存在であり、方々からの人望も厚い。その対応にはことごとく手を焼いていた。

 ここしばらく、成績を低迷させてくれたバスケ部員たちに感謝しなくてはならないな。

 岩澤は会場のアリーナに向かう送迎車の中でにやりと片頬を上げた。低迷する成績にかこつけて、半ば強引に部の継続規定を策定することができたのは幸運だった。

妥協点として許容した五年という歳月は、それなりに長い自分の人生の中でも取り分け冗長に感じたが、その気苦労もこの大会で終わりだ。

「どこまであがいてくれますかねえ、バスケ部の奴らは」

 左に座っている副理事長の小峰が機嫌の良さそうな顔で言う。

「初戦で終わりだ。相手は六月の県総体で惨めなまでに圧倒されたみなと学園だからな。前の大会でくじ運が悪く今回シードこそ持ってはいないが、優勝候補の一角と言われている」

「ほう、それは厳しいですな」

 小峰はくっくっと控えめな笑い声を上げた。

「それにしても理事長、事情にお詳しいですね」

「当たり前だろう、我が校の将来を左右するんだ。どれだけ最後のこの大会を待ち侘びていたことか」

「さすが、抜かりがない」

 それから数分もしないうちに、送迎車が会場のアリーナに着いた。岩澤は小峰を引き連れてアリーナの中へ入る。

 すれ違う高校生たちの目に灯る、出処の不確かな光が岩澤には少し鬱陶しかった。これからの自分たちを明るい未来が待っていると、根拠もなく信じることができたのであろう若かりし日々の記憶は、すっかり頭の中で風化してしまっていた。

 ふん、大した能力もない小僧どもが。

 岩澤は心の中で軽く悪態をついた。世の中は富と権力が全てだ。こいつらにもやがて分かるときが来るだろう。

 岩澤が観戦席に腰を降ろすのとほぼ時を同じくして、明成バスケ部がコート内に姿を現した。

「まず思い知るのは、お前たちだがな」

 岩澤はコートに向かって独り言ちた。

 明成に続いてみなと学園のメンバーもコートに出てきた。側から見ても選手たちの顔からは余裕が感じられる。

「御子柴さんのプレイ楽しみだな」

「前の総体のときからまたさらにレベルアップしてるらしいじゃん」

 観戦席の最前列に陣取っているジャージ姿の高校生たちがコートを見下ろしながら話し始めた。そのジャージは明成ともみなと学園とも違う。他校の生徒がわざわざこの一回戦を観に来ているようだ。

「シューティングガードの桑本さんも怪我から復帰したってな」

「みなと学園、隙がないな。海常喰いもあり得るんじゃないか?」

「どうかな、さすがにそれは難しいと思うけど。まあ流れ次第では可能性はなくはないかもな」

 彼らの口からはみなと学園の話題しか出て来ない。明成など眼中になく、みなと学園の選手たちのプレイにしか興味がないことがありありと分かる。その様を見て、岩澤は心の中で明成陣営を嘲り笑った。まったく、良い気味だ。

「理事長、なんとも楽しそうですな」

 隣の小峰がにやけた笑みを浮かべながら話しかけて来る。

「我らが誇る明成バスケ部の晴れ舞台だからな。そりゃあ楽しみだろう」

「はっは、間違いない。楽しませてもらいましょう」

 岩澤は試合の開始を今か今かと待ち詫びた。


 待つこと数分、ウォーミングアップを終えて一度ロッカールームに下がった選手たちが再びコートに戻って来た。

 いよいよ試合が始まる。岩澤は身を前に乗り出し、右手を顎に当てがった。

 ユニフォーム姿の先発陣がコートの中央に集まった。キャプテン同士が握手を交わし、選手はティップオフに備えコート上に散り始める。

「あれ」

 先ほどの、最前列の他校生が不意に声を発した。

「どうした?」

「なんかあの明成の7番、どっかで見たことあるような」

 ボールが宙に放られ、試合が始まった。

 パンッ。

 センター同士の空中戦は明成の高山が制した。高山の手に弾かれたボールは明成の6番の手に収まった。6番はゆっくりとボールを突き、周りを冷静に見渡しながら進む。

 ギュッ!

 シューズがコートを強く蹴った。ハーフコートラインを越えた瞬間、一気に6番がギアを上げた。もの凄いスピードで相手陣営に切り込んでいく。

「速い!」

 観客席の他校生が驚きの声を上げる。

 6番は相手選手を一人かわし二人かわし、そのままゴール目掛けてインサイドに鋭く切り込んだ。みなと学園の屈強なインサイドプレイヤーたちがそうはさせまいと二人で6番の行く手を塞ぐ。

 次の瞬間、6番は視線を目の前のゴールに向けたまま、左斜め四十五度の角度に向かってパスを出した。そのボールの向かう先にいたのは、明成の7番。寸分の狂いなく送られたパスを両手で掴むと、7番は3ポイントラインの外から素早くジャンプシュートを放った。


 スパッ。


 ボールはリングを掠ることもなくゴールネットの真ん中を通過した。まだ入りもまばらな客席から、小さなどよめきが起きた。明成のスコアボードの表示が0から3に変わった。大方の予想に反し、試合の先手を取ったのは明成だった。


 一体どういうことだ……?

 コート上の御子柴は苛立ちと焦りを募らせていた。スコアは15対26と、前半開始10分にして早くも二桁以上のリードを奪われていた。軽く片付け、今後の試合に向けて弾みを付けようと思っていたトーナメント初戦。それがまさかの圧倒的劣勢。プランもリズムも完全に狂わされていた。

 何でこんなに良いポイントガードが明成にいるんだ?

 初めて対峙した明成のポイントガードの6番。名前も知らないその選手に、御子柴は持ち味の爆発的なオフェンス力を封じられていた。そして自分と同等かそれ以上のスピードにかき乱され、良いように明成オフェンスを牽引されてしまっていた。

 何より、こいつだ……

 御子柴は7番の数字を背負った後ろ姿を恨めしそうに睨んだ。

 大石佑太。

 中学ナンバーワン選手と称されながら、姿を消していた男がなぜここに。髪は伸び、当時から風貌は少し変わってしまってはいるが、見間違えるはずもない。何よりあの惚れ惚れするようなジャンプシュートがその証だ。みなと学園も進学先の候補の一つだったはずだが、なぜ明成なんかに進んだ?

 明成ボールでプレイが再開され、佑太がパスを受けた。滑らかなボール捌きを見せ、ゴールに向かって切り込んでくる。

「させるか!」

 御子柴も佑太のディフェンスに走る。二人掛かりでその進路を阻もうとする。

「なっ」

 御子柴の口から声にならない声が漏れ出た。二人に向かってきた佑太はその眼前で足を踏ん張って急停止した。止まった脚で床を蹴り上げ後方へ飛び、空中の最高到達点でシュートを放った。

 フェイダウェイ……!

 一連の動きは息を呑むような美しさだった。

 スパッ。

 今日何度聞かされたか分からないその音が、再び御子柴の鼓膜を揺らした。

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