第六話:慶太の本音
「おーい。大石こっちこっちー」
佑太が駅の自動改札を出ると、右奥の通路前で手を振る葉月の姿が目に映った。慶太と未央もその横で小さく手を振っている。
「ごめん、俺が最後か」
佑太は三人の元に歩み寄りながら軽く詫びた。
「時間ちょうどだし問題ないよ。じゃあ、行きますか」
葉月が先陣を切って進み始めた。その後ろに未央が続き、佑太は慶太と横並びになって歩き始めた。
「みんな、早かったね。休みの予定だしちょっと集合遅れるかと思ってたけど」
「そりゃあ、憧れのダブルデートだし張り切るっしょ」
「いや、デートって……」
「かたいこと言うなよ。そう思ってた方が楽しいじゃん」
階段を降り、地上に出た。その駅は海が近いことも有り、軽やかな潮風が四人を出迎えてくれた。幸いにもからりとした好天で、抜けるような青い空が頭上に広がっている。
『今日はありがとう。久しぶりに喋れて嬉しかったよ』
そんな書き出しから始まるラインが葉月から届いたのは、総体の試合を観に行った日の夜だった。
『改めてこの前はごめんね、溝口も未央もいたのに気まずい感じにしちゃって。反省してます。あと別件だけど、未央もなんか今日大石くんに悪いことしちゃったかもって落ち込んでたんだよね。なんかこのまま微妙な関係になっちゃうのもやだしさ、今度四人で遊びにでもいかない?』
ラインで交わされるやり取りにしては珍しい長文に、トークルームを開いた瞬間は何事かと驚いた。文章に目を通し、佑太はしばらく考え込んだ後「いいね。ぜひ」と返事をした。気がかりなことが全くないと言えば嘘になるが、断る理由も特に見つからなかった。男女二人ずつで遊びにいくなんて、いかにも青春っぽくて良いじゃないかと前向きに考えることにした。
それからトントン拍子に企画は進み、最終的に次の土曜日に近場のアミューズメントパークに遊びに行こうという話で着地し、それが今日この日というわけだ。
駅を出た四人は、目的のアミューズメントパークの入った複合施設に向かう。時刻はちょうど十二時半を回ったところだ。まずお昼ごはんを食べてから遊ぼうという段取りになっていたため、「何食べよっか、お昼」と葉月が予定通りの話題提起をした。
「俺は何でも良いよ」
後ろから答えた慶太に葉月が振り返って人差し指を立てた。
「出た、何でも良いって。それ一番困るやつ」
「だってほんとのことだからな。何でも美味しく食べれるんだよ」
「じゃあ、オムライスが良いな私」
未央が二人のやり取りの合間を縫うように手を上げた。
「良いねオムライス!」
「俺も賛成。佑太は?」
慶太がちらりとこちらを見る。
「オムライス、大好きなんだよね」
言いながら少し恥ずかしかったが、偽らざる本音だった。
「いやあ、美味かったな」
店を出るなり慶太が先程のオムライスの味を称えた。佑太もその言葉に「ほんとにね」と同調した。その男子二人を先頭にして、四人は目的地のアミューズメントパークに向かって歩き始めた。
「卵もぷるっぷるですごかったね。どうやったらあんな風に焼けるんだろう」
未央もお目当てのオムライスが食べれて満足そうだ。
「不思議だよねえ。私、よく焦がしちゃうからなあ」
「え、意外かも。葉月、料理簡単にこなしちゃいそうなのに」
「いや、全然よ。私、結構手先不器用だからね」
「そう言えば、中学のときの調理実習でも横山、バタバタしてた気がする」
「まじ? ギャップだなそれは」
「まじまじ。ぎゃーって言う悲鳴みたいな声も聞こえてきたし」
「もう、大石うるさい! どうでも良いことに限って覚えてんだから」
歩きながら聞いていた未央が「ははは」と笑った。
「まあでも、普段料理してるだけえらいよね。俺なんかさっぱりだもんなあ」
「俺も俺も。大学行って一人暮らしとかしたらさ、やっぱ料理出来なきゃ困るよな。毎日外食なんかしてたら金なくなっちまうもんな」
手を頭の裏で組み、晴れ渡った空を見上げながら慶太が言う。
大学、か。
佑太は慶太の何気ない一言に不意に気を取られた。
高校入学早々の担任との面談で、進路希望について尋ねられた。大学には行くだろう程度にぼんやりと進路を考えていた佑太に、担任は具体的な進学先の目標を持って高校生活を送ることを説いた。
「早く意識して準備すればするほど、自分の可能性は広がるからね」
ついこの前まで中学生だったのに、気付けばもう手を伸ばせば指先をかすめるくらいの距離に、大学生活という未知の世界が近付いて来ていた。まったく、息をつく暇もない。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか大学生になっている自分に気付くのだろう。大学生になったらなったで、次は就職先を考えろと言われるのだ。就職したら就職したで、次はキャリアや結婚だ。
こんな風に、いつも先のことを意識しながら過ごしている内にあっという間に人生は進んでいくのだろうか。何だか常に先へ先へと意識を向けさせられるこの世の中は、少し窮屈で息苦しいようにも感じられる。
「大学とか言ってるけど、あんた赤点取ってたじゃんこの前」
「あ、ばれた? まあ俺スロースターターだからな。こっからっしょ」
「ポジティブで良いね、あんた。そうだ、未央はさ、大学どこ行きたいとかあるの?」
「うーん、まだ全然考えてないや。とりあえず文系かなってくらい」
「まあそうだよねえ。分かんないよねえ。大石は?」
「俺もまだ全然。将来何したいとかも分かんないし……あっ、あれ」
佑太は話の途中で前方に見えた建物を指差した。近未来的な装飾が施された、派手な建物が一同の視界に入った。どうやら目的地に到着したようだ。土曜ということもあってか、来場者が多く賑わいを見せている。
「お、着いたな」
「わー、楽しみだなあ」
未央が朗らかな声を出して目を輝かせた。
佑太たちはアミューズメントパークに入ると、まずはボーリングフロアに向かった。シューズをレンタルし、各々自分にあったボールを手にレーン後ろのベンチに入る。慶太が「男女でペアになって勝負しようぜ」と提案し、皆それに同意した。
「男女別れてグッパーな!」
慶太が慣れた様子で場を取り仕切る。お互い見えないようにグッパーをした結果、佑太と未央、慶太と葉月のペア分けとなった。
「あ、大石くんよろしくね!」
「ああ、よろしく。鈴村、ボーリングはよく来るの?」
「うん、ボーリング大好きで休みの日に友達と来たりするよ」
「それは頼もしいな」
トップバッターの慶太がボールを片手にレーンに向かう。
「負けたチーム、ジュースおごりな」
慶太が後ろを振り向いてにかっと歯を見せる。
「よし、望むところ。ね、大石くん」
「あ、ああ。負けないからな」
「頼むよ溝口! 最初の入り大事だからね!」
「任せとけって」
慶太がボールを持ち上げて顔の前に構え、ゆっくりと投球フォームに入る。力みがなく、スムーズなフォームだ。何度も慶太と一緒にボーリングには来ているが、慶太はいつも安定的にハイスコアをマークしてくる。その慶太の手から放り出されたボールが、ゴンという音を立ててレーンに着地し、なめらかにレーン上を滑り始めた。
ガランガラン!という派手な音に続けて、「よっしゃ」という慶太の声がフロアに響いた。
「ナイスストライク!」
葉月が飛び上がって喜びを露わにした。
「ふう、さすがに疲れた」
「ああ。フルコースだったな」
佑太と慶太は、休憩スペースのベンチに腰掛けて一息ついていた。手に持った缶ジュースのひんやりとした冷気が心地よい。
ボーリングに始まり、卓球、ダーツ、カラオケとノンストップで遊び続けた。まだ若い男子高校生とは言え、さすがの佑太も少し疲れの色を見せ「ちょっと休憩しようか」と皆に言葉をかけた。慶太も「そうだな」と同調したが、女子二人は「えー、まだまだいけるよね」「うんうん」とケロッとした様子だ。そのまま二人は、疲労の色を隠せない男子二人を置いて他のフロアを見に行ってしまった。
参ったな。
佑太は素直に女子二人のタフさに感心した。さすがに現役のバスケ部とそのマネージャーだけある。
あ、そうだ……あのこと、聞かなきゃ。
そのとき佑太は、隣の慶太にずっと尋ねたいと思っていたことがあったのを思い出した。これまでずっと躊躇して聞けず終いでいたが、今なら聞けそうな気がした。意を決して口を開く。
「慶太って、中学のときにバスケやってた?」
慶太のまぶたがピクッと微かに動いたような気がした。
「なんで急に?」
「この前の総体の日に、東京から来てるっていう人に話しかけられてさ。その人、溝口慶太って知ってるかって聞いてきたんだよね。東京の
「ふうん」
慶太は曖昧な相槌を打つと、しばらくどこを見るともなく視線を宙に投げかけた。
「そのうち言おうと思ってたんだけどな」
少しばかりの沈黙の時間の後、慶太は右手で後頭部をかきながら話し始めた。
「そうだよ。俺、中学のときバスケやってた。全中にも行ったよ」
「ほんとだったんだ。でも、何でずっと隠してたの?」
「俺、何でバスケやめたと思う?」
慶太はこちらの質問には答えず、逆に質問を投げかけてきた。
「うーん、何だろ。さっぱり分かんない」
「めちゃくちゃみっともねえんだけどさ」
そう言って慶太はフッと笑ってみせた。
「全中に出て、気持ちがポキっと折れちまったんだ。東京大会で優勝して、俺は図に乗ってた。俺よりうまいやつなんかいやしねえって本気で思ってたし、プロにだってなれると思ってた。でも、全国には俺よりうまい奴なんかザラにいたんだ。チームも一回戦で負けたしな。とてもこの中で一番なんかにはなれやしないって、残酷なくらい身をもってはっきり分かったんだ」
慶太は前に向けていた視線を佑太の方に向けた。
「特に一番の衝撃だったのは、お前だよ、佑太」
「えっ……」
「なんであんなに気持ち良いくらいシュートが入るのか、わけが分からなかった。ああ、これは努力じゃどうしようもない本物の才能の差だなって、痛いくらい思い知らされたよ。それまで調子に乗ってた分だけ、崖の下に突き落とされたときの衝撃は大きかった。そこで気持ちが切れちゃったんだよな。どうせ一番になれないんだし、バスケはもういいか、ってな」
慶太は視線を再び前に戻した。佑太は、慶太の洗いざらいのカミングアウトに何も言葉を返すことが出来ずにいた。
「はは、でもさすがにびびったよ。神奈川に引っ越して心機一転、バスケを離れた生活を始めるぞって思いながら入学した高校で、まさかその大石佑太の顔を見つけて、しかも同じクラスになるなんてな。幸運にもお前は俺のことは全く知らないようだったし、なぜかお前もバスケはもうやめたって言ってたから、全くゼロから仲良くすれば良いかって思えた」
「そう、だったんだ」
佑太は入学当初の、初めて慶太と顔を合わせたときのことを思い出そうとした。しかしはっきりとした記憶は見つからなかった。ただその後、自分はバスケをやっていたがもうやめたということを伝えたときに、やたらその理由に興味を示していたような断片的な記憶は思い出すことができた。今となってみれば、それも納得だ。
「でもさ、俺、もう一回バスケやってみることにしたんだよな」
「えっ……」
続けてのカミングアウトに、佑太は更なる驚きを隠せなかった。
バスケを、また始める……?
「この前、鈴村が全部教えてくれたんだ。自分がなんでここまで必死になってバスケ部のために働いてるか。親父さんのこと、それからお兄さんのこともね。そんなこと知りもしなかったからびっくりしたし、同時に鈴村のこと放っておけないって思ったんだよな。俺に何か出来ることがあるなら力になりたいなって」
慶太は真っ直ぐ前を見据えながら、言葉に力を込める。そこには何か使命感のような強い覚悟が込められているように思えた。
力になりたい、か。
「鈴村、おもしろいんだ。バスケやるって伝えたら、ぴょんぴょん跳ね上がって喜んでんの。いまどきそんなリアクションする女子いるか?って笑っちゃったよ。まあ、あいつのそういうとこが助けてやらなきゃって思わせるんだろうけどな」
慶太は再び佑太に視線を戻した。
「どうだ、お前もバスケもっかいやらないか。俺たちが組んだら、相当おもしろいことになると思うぞ」
佑太は視線を床に落とした。
やっぱ、そうなるよな。
ガラガラと音を立てて、何かが崩れ落ちていくような気がした。どの道を選んでも、これまでの日々は戻って来ないという直感。鋭利なものが突き刺さったように、心がずきりと痛んだ。
慶太と一緒にバスケをやる。それは確かに魅力的ではある。だが……
「悪い、俺は遠慮しとくよ」
やはり自分の気持は変わらない。もう一度ユニフォームに袖を通し、コートに立つ気にはなれなかった。
「そうか、それなら仕方ねえな」
慶太が落ち着いたトーンで返す。特に変わった様子のない、いつもの慶太の声。しかしその裏に忍ばされた気持ちにどうしても思いを馳せてしまう。
「おーい!」
ちょうどそのとき、少し離れたところから葉月の声が聞こえてきた。女子二人がこちらに向かって歩いて来る。
「もう休憩終了! あっちに面白そうなゲームあったから一緒にやろー」
「おっけ、行こっか」
慶太が立ち上がり、佑太もそれに続いた。心の中で宙ぶらりんになっているもやもやした気持ちは、一旦頭の引き出しの中にしまっておくことにした。
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