第七話:復帰戦
「みなさん、練習中すみませーん!」
体育館に入るなり、未央がコート全体に響き渡る大きな声で呼びかけた。コート上の視線が一斉にこちらに集まる。
「こっちに集まってくださーい」
ぞろぞろと男子バスケ部の面々が練習を中断して集まり、二人を囲んで半円を描いた。
いきなり参ったな……
慶太は思わず苦笑いが零れそうになるのをどうにかこらえた。「今日バスケ部のみんなに紹介するから」そう未央に言われて放課後の体育館に連れてこられたが、いざ部員たちを前にすると気恥ずかしい気持ちが湧いてきた。
「はい、こちらが新入部員の溝口慶太くんです! なんと、去年の全中に出場した東京の本庄中の先発ポイントガードです!」
未央の紹介を聞いた部員たちが、俄かにざわめいた。
「全中……」
「しかも、ポイントガード?」
部員たちの好奇の目は輝きを増した。
「そうです! ビッグニュースでしょ」
「すげえ……!」
「うちにそんな選手が通ってたのか」
部員たちはみな一様に明るい表情を浮かべていた。それを見て悪い気はしなかったが、それ以上に慶太は恥ずかしさとプレッシャーを感じた。そのとき、部員の中でも一際大きな体躯をした男がおもむろに前に進み出た。
「初めまして、男子バスケ部キャプテンの高山だ。まさか君みたいなプレイヤーがうちに加わってくれるなんて、想像もできなかった。入部を歓迎するよ」
高山は慶太に向かってすっと右手を差し出した。慶太は素直にその手を握り返した。
「初めまして、溝口です。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。早速、今日からやっていくか?」
「軽くやってみようかなって思ってます」
「分かった。じゃあ更衣室で着替えて来てくれ。鈴村、溝口に男子の更衣室の場所を教えてやってくれ」
「はい、了解です」
バスケットボールウェアに着替えた慶太は、簡単にランニングとストレッチをすませると早速練習に加わった。慶太が加わったのはちょうどシュート練習のタイミングだった。
慶太がボールを持つと、お手並み拝見とばかりに部員たちの視線が慶太に集中した。ダン、ダン、ダンと数回のドリブルの後、慶太は斜め四十五度の角度からジャンプシュートを打った。ボールは緩やかな逆回転と共にリングに向かって半円を描いて進み、スパッとゴールネットをくぐった。食い入るように見つめていた部員たちからは「おお」と歓声が上がった。
「さすが全中。いきなり決めるなんてな」
シュートを決めた慶太は、歓声に続き後ろから声をかけられた。
「どうも」
「俺、三年の
「俺、そんなにジャンプシュートは得意じゃないっすよ。それよりもドリブルやレイアップの方が得意ですかね」
「ほう。どうだ、1オン1でもやってみないか」
「良いですよ」
そう言うと慶太は、3ポイントライン付近でボールを持って五十嵐と相対した。ぐっと腰を落とし、五十嵐を見据える。五十嵐も腰を落としてディフェンス体勢を取る。周りの部員たちは興味深そうに二人の様子を眺めている。
視線を左右に数回散らしてフェイントをかけた後、慶太はボールをついて踏み込んだ。キュッと体育館の床が音を鳴らす。
しかしドライブで切り込んだ慶太の前に五十嵐が立ちふさがる。完全に五十嵐に方向を読まれていた。
ちっ。
慶太は仕方なくそのまま進むことを諦め、背面でボールをついて方向転換をはかった。
「あっ」
背面を通したボールを、慶太は手で弾いて掴み損ねた。意図せぬ方向に転がったボールを、五十嵐が素早く走って手中に収めた。
「俺のターンだな」
くそっ。
慶太は心の中で悪態をついた。現役時代なら考えられないお粗末なミスだ。その前のドリブルも、体のキレも、頭の中で思い描くイメージと随分乖離していた。
こりゃあ、調子戻るまでにちょっと時間かかるかもなあ。
慶太は一年近くにもなるブランクの期間を恨めしく思った。
「おっつー」
その日最後の英語の授業を終え、慶太は近くの席の章人と光太郎に声をかけた。
「おつかれ」
「いやあ、今日も長かったな」
光太郎が体を伸ばしながらふああと欠伸をする。
「どうだ、これから軽く遊びにでも行かないか?」
慶太は二人に打診してみた。
「あれ、今日は部活ないのか?」
「今日は体育館まるまる貸し切りで使えなくて、練習休みなんだよな。久しぶりに羽根でも伸ばそっかなって思って」
「お、いいねえ。行っちゃいますか」
章人が快諾する。バスケ漬けでしばらく一緒に遊びにいけていなかったが、相変わらず二つ返事で誘いに乗ってくれるのはやはり嬉しいものだ。
「佑太も誘おうぜ」
光太郎はそう言うと、「おーい、佑太あ!」と手を上げて佑太をこちらに呼びよせる。
そう言えば佑太と、最近つるむの少なくなったな。
慶太の頭にふとそんな気持ちがよぎった。放課後は部活があるから仕方ないものの、それ以外の日中の時間でも一緒に過ごす時間がめっきり減っているような気がする。
「どうした?」
佑太がこちらにやって来るなり、そう聞いた。
「お前今日予定あんの? 良かったら四人で遊びにでもいこうぜ」
光太郎が佑太に誘いの言葉をかける。その言葉を聞いて、佑太は少し顔をしかめた。
「悪い、今日バイトの面接あるんだよね」
「えっ、バイト? お前バイト始めんの?」
章人が驚いた声を上げる。
「そうなんだよ。だから悪い、これまでみたいには遊べなくなるかも」
「まじかよお。寂しくなるなあ」
光太郎が少し口を尖らせる。
「ごめんね。ちょっとこの後急いでいかなきゃだから、俺はここで。みんなで楽しんで来て」
そう言って佑太は自席に戻り、荷物を手に教室を後にする。慶太はぼうっとその後ろ姿を眺めた。光太郎が言ったように、随分と物寂しい気分を感じた。自分がバスケを始めると伝えて以降、佑太との距離が徐々に開いていっている気がしてならない。
「あいつどうしたんだろうな、急にバイトなんて。そんな柄じゃなかったのに」
「……さあな」
慶太はポツリと零すように答えた。
慶太は徐々にバスケの勘を取り戻しつつあった。復帰当初はバスケから離れて一年ほどが経っており、しばらくは頭の中のイメージと実際の体の動きの乖離に苦しんだ。しかしこの一ヶ月間愚直に練習に取り組んだ結果、かなり感覚は当初のものと似通ってきた。一番の問題は体力面だったが、部活以外の時間も自主的にランニングなどに取り組んでカバーしようと努めた。
元々中学時代には初戦で敗退したとは言え、全国大会出場チームの先発だった慶太の実力はやはり折り紙つきだった。ましてや、慶太のポジションであるポイントガードは明成の根深い弱点だった。味方に良質なパスを供給して攻撃を牽引できるような司令塔の不在は、明成が一段上のチームに成長することをずっと阻んで来た。慶太はまさに明成にとって喉から手が出るほど欲しい選手だった。
調子を取り戻し、自分の本来の実力を披露できるようになるにつれ、自然と周囲のメンバーも慶太を信用し、慶太の元にどんどんとボールが集まるようになっていった。慶太はバスケ部に加わって一ヶ月で、早くもチームに欠かせない存在となっていた。
そんな慶太に、嬉しい知らせが届いた。他校との練習試合の予定が組まれたのだ。練習試合とは言え、久しぶりの実戦だ。練習の終わりに監督の鈴村からその予定を告げられたとき、慶太は胸の高鳴りをはっきりと感じた。
久しぶりの試合、楽しみだな。
慶太はその日を心待ちにしながら、一層練習にのめり込んでいった。
迎えた練習試合当日。慶太はセットした目覚まし時計の一時間前に目が覚めた。
「修学旅行の日の小学生みたいだな」
慶太はそんな自分が可笑しくて、思わずくすりと笑った。
部屋のカーテンを開けて窓から朝の景色を眺める。薄く差し込む朝日が心地よかった。
「軽く走っとくか」
慶太は手早く着替えてウィンドブレーカーを羽織ると、ひっそりとした早朝の町の中へと出ていく。人の姿はほとんど見えない。町はまだ起きていないようだ。汗をかくまでには至らないが、体がほんのりと温まる程度の軽いジョギング。走りながら、慶太は早くも今日の試合のことに思いを馳せていた。
あっさりとした朝食を腹に納め、自転車で高校へ向かった。今日の試合会場は、いつも通っている明成高校の体育館だ。自転車を停め、部室棟の方へ歩いていくと既に未央の姿があった。
「あ、溝口くん。おはよー」
こちらの姿に気付いた未央が、給水ボトルを洗う手を止めて声をかけてきた。
「よっ。早いじゃん」
「マネージャーは色々やることがありますから」
未央がいたずらっぽく笑う。
「いつも悪いな」
「ううん、全然。楽しいんだよ、こういうのも」
「尊敬するよ、ほんとに。俺には絶対無理な仕事だ」
「確かに溝口くんがこういうことやってるの、想像つかないね。コートの上で躍動してこそ溝口慶太って感じだもん」
「まあそうだな」
「ふふ。今日の試合楽しみにしてるよ。溝口くんのデビュー戦だもんね、わくわくするなあ」
「乞うご期待」
「おっけー」
「じゃあ、また後で」
慶太は未央に軽く手を上げ、軽やかな足取りで部室へと歩を進めた。
鈴村が先発選手の発表に移った。
「ポイントガード、溝口」
想定通りとは言え、改めてそう伝えられるのはやはり嬉しかった。
懐かしいな、この感じ。
自然と体に力と熱い気持ちがこみ上げてきた。
「溝口のデビュー戦、気持ちよく飾ってやろうぜ」
円陣で高山がそう号令をかけた。コート上に両校の先発陣がぞろぞろと集まって来た。両校で簡単な挨拶を交わし、ティップオフへと移る。
慶太の熱い気持ちとは裏腹に、試合は静かにスタートした。ティップオフを制した、相手の
水川高校は県大会ではよくてベスト16あたりに顔を出す、中堅どころといった立ち位置の高校だ。とても歯が立たないような相手でもないし、かと言って手応えも感じられないような弱小校でもない。練習試合の相手としてちょうどいいな、と慶太は思っていた。
水川高校のポイントガードは三年生の
きゅっ。
井口のシューズが勢いよく体育館の床を蹴った。右方向にドリブルをし、中へと切り込もうとする。
させるか。
慶太はすかさず井口の進行方向に回り込み、中への進入を防ごうとする。スピードなら自分の方が上だという自信があった。しかし、井口は器用にボールを突きながら体を時計回りにターンさせた。
うおっ。
慶太は見事に逆をつかれた。そのまま井口がインサイドにカットインしていく。かわされた慶太のカバーに、シューティングガードの
「おらっ!」
インサイドに陣取っていた高山が素早く飛び上がり、豪快にボールを掴んだ。
ふう、あぶねえ。
慶太は内心でほっと一息をついた。しかし、すぐに気を引き締め直す。運良くシュートは外れてくれたとは言え、守備を崩されてフリーでシュートを打たれてしまった。今の攻防はこちらの負けと言って良い。
さすがに高三ともなるとうめえな。
高山から送られたボールを受けながら慶太は思った。慶太は開始ワンプレーで早くも、中学バスケとのレベルの違いを痛感させられた。
でも、望むところだ。そうじゃなくちゃ面白くねえ。
慶太は弱気になるどころか、一層と闘志の火を燃やした。
その闘争心溢れる気持ち通り、慶太は井口と互角以上に渡り合った。当初の読み通り、スピードは慶太の方が井口の数段上だった。慶太の鋭い切り込みに井口は手を焼き、度々インサイドへのカットインを許していた。井口がボールを持ったときでも、慶太は次第に井口のプレイパターンが読めるようになった。そうなれば身体能力で上回る慶太に分がある。慶太が井口のストッパーになったことで、水川のオフェンスはなかなか勢いに乗れずにいた。
しかし、個人での勝負には勝てても、それがすなわちチームでの優勢に直結するわけではないのがチームスポーツだ。チームの総合力で見ると、水川が明成を上回っていることが徐々に明らかになり、それはそのまま両校の点差にも反映されていった。じりじりと明成は点差を広げられていった。そしてハーフタイムを迎えたとき、スコアは33対43と、差は二桁に広がっていた。
その要因は明らかだった。明成のオフェンスは、試合開始以降ずっと低空飛行を続けていた。点が取れない以上、差を広げられていくのは必然だ。慶太が個人技で水川ディフェンスをかき乱し、フリーの選手を作ってパスを送ってもなかなかシュートを決めきれない。
試合が始まってしばらくは、誰でも調子が掴めないものだ。そう思い、慶太は辛抱強くメンバーの調子が上がってくるのを待ってパスを送り続けた。しかし一向にチームメイトのシュートは決まらない。仕方なく一人で中へ切り込もうとするが、相手は二人がかり三人がかりで慶太のカットインを阻む。慶太は次第に手詰まりの状況になっていった。
オフェンスが課題だと分かってはいたけど、ここまでとは。
練習でもチームメンバーのオフェンス力の低さは実感していたが、試合ではその弱点はより深刻さを増した。実戦の中に身を置いて初めて、慶太は明成の決定的な課題を嫌というほど突きつけられていた。
それでも慶太は、後半に入っても打開策を見つけようともがいた。しかし、オフェンスでまともに計算できるのは自分の個人技と、高山のインサイドプレイくらいだった。五人もいればその二点をがっちり抑えることは決してハードルは高くない。やはり明成の得点は伸びなかった。
くそっ……あと一人でも点が取れるやつがいればな……
慶太は悔しさに歯ぎしりした。
結局、慶太の孤軍奮闘も虚しく明成は15点差の大差で水川に敗れた。
試合が終わり、明成のメンバーのみが残った体育館には、重苦しい空気が充満していた。
「監督、この後残って練習させてください」
当初は今日の予定は練習試合のみのはずだったが、部員たち自らが練習を申し出た。
「分かった、良いだろう」
部員たちの申し出を鈴村も受け入れる。今日の試合でも課題が露呈してしまったオフェンスを中心に、メニューが言い渡された。慶太も居残り練習に参加した。
「あと四ヶ月で県でナンバーワンに、か」
黙々とボールに向き合いながら、慶太は改めて自分たちの直面する壁の高さを思い知り、暗澹たる気持ちになっていた。
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