第33話 ひとり
部屋に戻ると、荷物を整理する。と言っても、オレのものは全部、空間魔法で仕舞うだけなんだけど。ルフは自分の荷物は、自分の家に持ち帰る。わかりやすいように、ソファの縁に置いた。
ルフが選んでくれた服は、思っていたより可愛い服だった。オレが着ているところを考えてくれただけでも、すごく嬉しい。
「アイキが生きていてくれて良かった。オレは思い出すのが怖い。だから、今までは思い出さなかったんだ。一人では、どうなっていたかわからない」
「ルフは一人じゃないよ。サラもジルもシーナちゃんも、オレたちに会わせてくれたのはルフなんだから」
「そうだな……」
ルフは疲れたのか、ソファにどすんと座って上を向いたまま目を閉じている。
「ルーセスを殺さずに、守ってやろうと思ったのは……運命を変えようとか、そんなんじゃないんだ。そんなのは後で付けた口実で、本当は……」
「……その先は、言わなくてもわかる」
こちらを見ないまま、ルフが呟いた。
「……言わせてよ」
ルフは軽く溜息を吐くと、体を起こしてソファの縁に肘をついた。それを確認してから、独り言のように呟く。
「本当はルーセスを殺すとか、どうでも良かったんだ。自分の命も他人の命も、どうでもいい。ただ、身体という魂の器が滅びるだけだろ……どうせ誰だって、またすぐに生まれてくるんだから」
「……そうだな」
ぽつりと呟くように、ルフが相槌を打つ。
「オレ……子供の頃に魔法が使えるようになって、いろんなことを一気に思い出した。わけわかんなくなって、死ぬつもりで湖に飛び込んだ。オレが生まれた町には、大きな湖があったから。でも……死ぬ前に水に助けられた」
「一人で辛かったよな。助けてやれなくてごめん」
ルフが、そう言うのは知ってる。この話をするのは初めてじゃない。同じ話を、何度も同じようにルフに聞かせてる。
「アイキ、オレたちは悪者じゃないんだ。だからもう人を殺さないようにしよう」
「人は、人が死ぬと悲しいんだ。どうして悲しいの? また生まれてくるくせに。動物は殺して食べるくせに」
「前のことを覚えてないからだ。死んだら終わると思ってる」
「オレはもう、人なんて嫌だ。どうしたら人をやめられるの?」
「わからない。オレたちも人だからな」
「違うよ。オレたちは紅い魔法使いと碧い魔法使いだ」
ルフがソファから立ち上がる。頭を撫でてくれる……いつも通りに。ずっと前から、ルフはいつも同じようにオレの話を聞いてくれて、答えの無い問いに答えてくれる。オレは、ルフと
「今晩も夢を見るんだろうな」
「大丈夫だよ、オレが一緒に居るからね」
オレはきっと、ずっと前から普通じゃない。そんなの知ってる。
でも、どうしたらいいのかなんて、誰も教えてくれない。
毎回、知る度に知らないほうが良かったって思ってた。
でも知りたいと思うんだ。この先を知りたいから。この先に行きたいから。
「ルフ、いろいろなことを思い出しただろ。これから先の話をしよう」
「これから先?」
「ルフはどうしたい? ルーセスを殺すのも良いよ」
「アイキ……ルーセスを守ると決めたのなら、そういうことを軽々しく言うな」
「…………わかった。もう言わないよ」
ルフは濃い紅色の目で、諭すようにオレを見る。ルフの視線は時々、暑苦しい。
「夢を見ていて気がついたのだが、オレたちは今より未来にも生きたことがあるだろう? 今のオレたちが何かをしたところで、何も変わらないのではないのか?」
「……よく気がついたね。オレは水に言われるまで、気が付かなかったのに。でも、少しずつ何かが変わっていただろ?」
「少しずつ?」
「オレたちは、ここじゃないどこかにいたこともある」
「虹彩に来たことは無いからな」
「違うよ……そうじゃなくて」
オレはルフを引っ張って行き、窓の外を見る。
「あの星かもしれない。あっちの星かも」
オレは、まだほんのりと夕闇の、藍色に垂れ下がる空を適当に指差した。
「星……?」
「そうだよ。オレたちは、夢を見るときには、知っているものに勝手に変換してるんだ。今、オレは"アイキ"だけど前は違う名前だった筈だし、顔も違ってた筈だろ?」
「……そうだな、確かにそうかもしれないな」
「たくさんの記憶を繋いでいくと、ルフにも分かる時が来るよ」
オレは、不意に悔しくなって、自分の掌を見つめる。ふと横を見ると、窓に映る自分の顔が見えた。これが、今のオレだ。夢の中では、自分の顔を見ることは殆ど無い。前はもっと男らしい顔をしていたような気がするんだけど……いつから女みたいな顔になったんだろう。
……まっ、どうでもいいか。忘れちゃった。
今のルーセスに出会ってから、何年経っただろう。気がついたらオレもルーセスも、もう立派な大人だ。
「ねぇ、ルフはいつ虹彩に来たの?」
「……何年も前だ。それより前のことは、よく覚えていないんだ」
「ふぅん……ルフは、嘘を吐く時のクセを直さないと、オレに嘘を吐くことはできないよ」
ルフが気まずそうにオレを見たのが分かって、オレはいたずらっぽく笑った。ずっと変わらないルフの癖。そういうのって魂に刻まれちゃうのかな。
ルフと窓際に並んで、チラチラと光りはじめた星を眺めて話す。毎日、似たような話をして一緒に過ごしている。今までも、同じように過ごしてきた記憶がある。
記憶を辿るように繰り返すのは、何故か少しだけ安心する。自分の進む道が間違っていないんだって、確信できるような気がするから。
「人間たちが突然、オレの住んでいた集落に来た。オレは咄嗟に、隣の家の子を連れて逃げた。集落の魔族は誰も、人間たちと戦おうとはしなかった」
「なんで? そんな奴ら殺しちゃえばいいのに」
「数が多かったんだ。その時に、家族とは別れたままだ」
「探さないの? 探しに行こうよ」
「……もう、いいんだ。シーナは、前の町のことを覚えていない。オレを家族だと思って笑っているから、それでいい」
「隣の家の子が、シーナちゃんなんだね」
ルフは、黙っていた。嘘を吐くというよりは、シーナちゃんを守るために、今までそう言ってきたんだと思う。ルフは、すごく優しいから。
「……ルフ、たぶんその集落を襲った奴らを、オレは知ってるよ」
「人間たちは、自分たちの領土を広げるために殺し合いをすると聞いた。そうじゃないのか?」
「……うん。そいつらは、そんなんじゃない……」
それ以上は言わないでおいた。だって、ルフが目的で襲われたって知ったら、ルフは、すごく悲しむと思ったから。
「そろそろサラがご飯の準備してるかな? 先に行ってお手伝いしてくるね♪」
「わかった。オレもあとから行く」
「うん――」
オレは急いで部屋を出た。もう、限界かもしれない。
オレだって人だから、迷うし、悩むんだ。
今のルフと一緒に居るのは、ルーセスと一緒に城で過ごした日々よりも、ずっと辛い。ルフといると、孤独感が強くなる。オレは、ひとりだ。ひとりで考えて、ひとりで決めなくちゃいけない。誰も知らないことを知れば知るほど、オレはひとりになっていく。
階段を駆け下りてキッチンに向かうと、サラが楽しそうに料理をしていた。
「サラ、そろそろ水のところに帰るよ……」
オレはサラに、そう伝えた。一度に4人で行こうと思ってたけど、それは難しいかもしれない。
サラは料理する手を止めて、オレに微笑んだ。
「アイキ、よく頑張ったね。偉いよ」
サラは、何も知らないはずなのに、わかってるみたいに微笑んで、オレを褒めた。その笑顔に、オレは言葉を失う。
「少し、昔話をしてあげるよ」
「昔話?」
「今から数年前に、不思議な目の色をした少年がアタシの前に現れた。特別な紅い炎を使う子を、守って欲しいと言われたんだ」
「……ルフを?」
「碧い魔法使いがあの人を守るように、紅い魔法使いを守りたい、そう言ってたね」
「オレはそんなつもりじゃ……」
誰かがオレのことを知っていて、ルフを守ってくれたってことなのか? いったい誰が……?
「アタシは訳もわからず、ただ引き受けた。逃げてきたあの子達を受け入れて、守ってきた。ルフときたら無愛想で無口で、初めは戸惑ったけれどね。でも、とても情の深い子で、正義感の強い子だった。町を襲った人間達を許せず、心の奥に熱い炎を灯しながらも、この虹彩のために頑張ってくれていた」
ルフは、いつもそうやってオレのことを忘れてしまうんだ。
「数ヶ月前に、その少年は再び現れ、ある国に現れた黒い魔物の退治に、紅い魔法使いを向かわせて欲しいと言った。それから、一緒に帰るお主たちを、時が来るまで隠してほしいと」
「……そんな奴のこと、オレは知らない。どうしてそいつはオレたちのことを知ってるの……?」
「少年は、多くは語らない。その名もわからぬが、アイキにもいつか姿を見せてくれるだろう」
「そっか……」
サラは少し困ったような顔をしてから、オレに微笑んだ。
「アイキの決断が、ゆっくりと染み渡るように人の心を動かし、繋げたんだ。辛かったろう? 一人で背負うのは重かった筈だから」
「サラ……」
やっぱり精霊ってすごいや。精霊の癒しにはとても敵わないんだ。
「でも、楽しかった。うまくいかないことも、うまくいった先のことを考えたらワクワクした。水が教えてくれたんだ。人に愛されたいなら、人を愛せ、人に知ってほしいのなら、人を知れって」
オレは、精一杯の笑顔をした。水に向けるみたいに。
「いつでも、帰っておいで。後の事は、心配しなくていいから。アタシにも、アイキの荷物を少しくらい分けておくれ」
「うん……ありがとう。サラ、ご飯作るの手伝わせて。またいつか、一緒に料理しよう♪」
「そうだな。約束しよう……いつでも待っているぞ」
オレは、サラと一緒にご飯を作った。それから、ルーセスも呼んできて、シーナちゃんも呼んで、久しぶりにみんなでご飯を食べた。みんな一緒だと美味しくって、可笑しくって、楽しくって……ずっとこのままがいいって思って、このしあわせを守りたいって思った。
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