第30話 透き通る笑顔
「リューナ、やっぱりルーセスのところにいたんだ」
「アイキ……ひとり?」
「うん。リューナに話したいことがあって探してたんだ」
ルーセスの部屋から出ると、アイキが待っていた。最近はアイキとルフは常に一緒にいたので、妙な違和感を抱く。
「今、ルフも家に帰ってていないからさ」
「あ……うん。いいよ」
ルフがいないと聞いて、少しだけ安心した。ルフを避けている訳ではないけれど、ルフとアイキの、二人の異様な雰囲気に飲まれてしまいそうになるのが怖かった。
紅い魔法と碧い魔法はあたしの力……だけど、ルーセスを苦しめる魔法。
アイキの部屋に入ると、少し小さめのソファにアイキと膝を並べるように並んで座る。いつもよりも近い距離に、少しだけ緊張する。
「いつもはルフに占領されちゃうけど、リューナとふたりなら丁度いいサイズだね」
「うん……」
今までもこうして並ぶことはあったはずなのに……つい、意識してしまう。手を伸ばせば届く距離にアイキがいる。かつて、あたしを殺した……碧い魔法使い。
ルーセスと二人で居るのも辛いけど、アイキと二人で居るのも息苦しく感じる。もう……ミストーリにいた頃のように三人で仲良くは出来ないのかもしれない。
それでも、あたしがルーセスとアイキを繋いでおかないと、このまま二人は離れ離れになってしまうような気がする。ルーセスは夢に見る過去世の記憶のせいで、アイキに不信感を抱くようになってしまった。それをアイキは理解して、ルーセスとの距離をおいている。
だから、あたしだけは二人に笑顔を見せなければいけない。なるべく、自然に。
「ルフの調子はどう?」
「ルフは大丈夫だよ♪ オレたちはいつも二人で支えあって生きてきたんだ。それは今も同じことだからね」
「……アイキは子どもの頃に思い出したんでしょう?」
「水の精霊のせいだよ。まぁ、でも水には感謝してる。そのおかげで今があるからね」
アイキは綺麗に微笑む。その笑顔は、どこまでも透き通って見える。
「水の精霊……?」
「うん、言ってなかったよね。オレを育ててくれたのは、水の精霊なんだ」
「アイキは精霊の子ってこと……?」
「まさか。普通に人の子だよ。湖に落ちて溺れたオレを、水の精霊が助けてくれたんだ。それからずっと、親の代わりになって育ててくれてる」
水の精霊が育ての親……? でも、それでどうしてミストーリに来たのだろう。気になるけど、聞けない。
「なんだか、不思議。歌と短剣だけでも凄いのに、アイキは何でも知ってて、特別な魔法も使えて」
「歌も音楽も短剣もぜーんぶ、過去の記憶だよ。今のオレができるようになったことは、実はそんなに無いんだ」
「そうなんだ……」
「生きるために必要なものを揃えたって感じかな? それを水の精霊が鍛えてくれて……子どものオレには厳しかったけどね」
苦笑しつつも楽しそうに話すアイキに、思わず見とれる。私やルーセスよりも、ずっとたくさん苦労しているんだろうけど……そんな素振りは見せない。
「ねぇ、リューナたん。ちょっとだけ、いい?」
「なに?」
突然アイキが、あたしに向けて手を伸ばす。無意識にその手を取ると、ぎゅっとあたしの手を握った。アイキの笑顔が消えて、目が碧くなる。
「リューナたんの本当の気持ち知りたい」
「えっ?!」
躊躇しながらも、アイキから目が離せなくなる。
「本当は、こんなのダメだと思うんだけど……オレ、たくさんの記憶を持っていても、ルーセスに近づいたり、リューナとこうやって話したりしたことは今まで無かったんだ。過去と今が交錯してて……ごめんね……」
アイキの魔力を感じる。どんな魔法なのかはわからないけど魔法を使ったのがわかった。
「リューナ、オレが……怖い?」
「怖い……ううん、怖くない」
不思議な気持ちになる。魔法を使う時のアイキは、いつもより少し低い声で話す。その声に、その瞳に、魅了されたみたいに意識が朦朧としてくる。
「オレはリューナを何回も殺したんだ。ルーセスに聞いただろ?」
「うん、聞いた。でも、あたしは今のアイキが好き。だから殺されてもいいよ」
いやいやいやいや……あたし、何言ってるの?!
確かに、あたしはアイキが好きだ。でもそれは、友達としての話であって、特別な感情は伴わない。……けれど、今の言い回しでは誤解を招いてしまう。
恐る恐るアイキを見つめる。でも、アイキは無表情のまま、碧い目であたしを見てる。
「ルーセスは、オレのこと嫌いになったかな……?」
「アイキを信じてるから……苦しいんだと思う。さっきは抱きつかれて焦ったけど、きっと夢に疲れてるだけよ。夢の中の誰かと、目の前にいるあたしを混同してるんだわ」
「ルーセス……どこまで思い出したんだろう……」
あたし、余計なことまで話してる……?
いや……ちょっと待って。あたしの意志というよりは……まるで、何かに操られているみたいに……まさか、これがアイキの魔法?
アイキと重ねた手を離そうとするけれど、アイキはぎゅっと握りしめていて、離してくれない。少し困ったように微笑みながら……碧い目であたしを見つめている。
「リューナなら、もうわかるよね。これはオレの魔法……人って半分くらい水で出来てるでしょ? オレはあらゆる水を操る碧い魔法使いなんだ。リューナが本当のことを話してくれるように、魔法を使ってるんだ。こんなことするオレを……嫌いにならない?」
「嫌いになんてならないよ。あたしはアイキが大好きだよ」
あたしは、そう言って、にっこり笑った。
……違う。これはあたしの言葉じゃない。たぶん、あたしにはアイキの魔法が効きやすい。だからあたしは、アイキが望むままに言葉を紡いでいるだけ。アイキは、自分の思い通りにあたしを操ってることに、気づいてない……。
「うん……」
アイキは俯いて、小さく呟いた。その横顔に、胸が苦しくなる。きっと、アイキはずっと過去に囚われたまま、辛い気持ちも憎しみも……すべてひとりで抱え込んでいたんだ。それでも、いつも笑って誤魔化して。
「リューナは、感受性が豊かなんだな。オレの思うことを鏡に写したみたいに感じてるんだ。前から、そう思ってた」
「……えっ?」
「ごめんね。城にいる時から、オレが言葉にできないことを感じてるのが分かってた。なんでこんな意味の無い毎日を過ごすのか……なんでルーセスは、オレを疑いもしないのか……。言葉にできないことをリューナはいつも言っちゃうし、いつも苛々してただろ」
アイキとこんな話を真面目にするのは初めてだ。いつも誤魔化されてたのに、どうして今日は突然……?
「そうだな……リューナっぽく言うなら『あたしは他の奴らとは違う』かな」
アイキはいつになく真面目な顔をして、あたしをじっと見つめている。
「オレは他の人間とは違う。こんな所に居るべきじゃないって、分かってた。でもね、あの城で呑気に暮らすのも悪くないと思ったんだ。ルーセスがいい奴で、オレにはルフ以外に、一緒に居て楽しい奴の記憶なんてなかったから。それが何度も殺された相手だとしても、すごく毎日が楽しかった。あのままずっとミストーリで、おじいちゃんになって死んでいくのもいいと思ってたんだ。けど、それを望んでたのはオレだけだった。リューナはオレに言うんだ。何かがおかしい、こんなの間違ってるって」
確かに……あたしがいつも言ってたことだ。
「なんでだろう、本当にやらなくちゃいけないことを、つい先延ばしにしてしまうのは。やらなくちゃと思いながら、時間を無駄にしていた」
「本当にやらなくちゃ、いけないこと……? アイキはルーセスを殺すの?」
「違うよ、リューナ。まだルーセスは思い出してない。それはもう、終わったんだ」
「終わった……?」
もう何がなんだか、さっぱりわからない。けれど、あたしはアイキの冷たい手をぎゅっと握る。碧い目が、あたしにそうしろと告げる。
「虹彩にも、長くは居られない。早く行こう……アイキ」
言葉が空から降ってきたみたいに口から零れた。あたしは何を言っているの……?
困惑する気持ちとは逆に、あたしは微笑ってる。そんなあたしを見つめて、アイキは嬉しそうに微笑んだ。すごく……綺麗に。
「そうだよ、リューナ。まだオレたちは本当にやらなくちゃいけないことの、出発点にも立っていない。ずっと前に、リューナにかけられたラピスの黒い魔法が消えただけ」
「まだ……始まってもいないってこと?」
「ルーセスとルフには、自分で気がついてもらわなくちゃ意味がないけど、リューナは感じてる。何も知らないのに、全て知ってるみたいに感じてるんだ」
知りたいけど、知るのが怖い。アイキのことも、これから先に起こることも。でも……嬉しそうな、アイキの透き通った笑顔に惹き付けられる。アイキが笑ってくれるなら、アイキの力になれるなら、あたしは……
「此処から先の記憶は無いんだ。もう、繰り返しは終わったんだ」
あたしは、このままアイキの魔法にかけられたままでもいいのかもしれない。
「でも、一緒なら怖くないよ」
「……リューナたん、それはオレが言おうと思った言葉だよ」
あたしとアイキは両手を握り合い、鏡の中の自分を見ているように見つめ合う。
「だって、あたしはアイキが大好きだから……」
まるで、愛の告白だ。
そう思った途端にアイキが手を離した。身体から、ふっと力が抜ける。
頭が……くらくらする。
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