第29話 記憶の扉
カッ、カッ、カッ……
石で囲まれた広い廊下をバタバタと進んでいく。
……あぁ、苛々する!
王妃に魔法を使うとは……ラピスの奴、何を考えているのだ!
オレはジロリと、後ろを付いてくるラピスを睨みつけた。
「オレを守ろうという気持ちは分かるが、王妃にまで魔法を使うことは無いだろう!」
「申し訳ありません、陛下……ですが、危険です」
「王妃に何かあったらどうするつもりだ!」
「陛下の命は、何ものにも代えられないのです……どうか、ご理解ください」
「黙れ!」
カッ、カッ、カッ、カッ……
王妃の魔法を消してやらねばならない。ラピスの魔法であれば、光の魔法で消せるはずだ。
王妃の居室の前で兵が敬礼をするのを無視して外套をばさりと払うと、ラピスがサッと前に出て、重たい扉を押した。
扉が開くと、聴き慣れない楽器の音色が飛び込んでくる。ふり返る王妃の美しい笑顔と、その奥で楽器を奏でる音楽家が怪しく微笑んだのが同時に目に入った。
見覚えのない音楽家……?
「……王妃よ、胸はまだ痛むのか?」
「まぁ、国王様。今ね、新しい音楽家が素敵な曲を奏でてくれているのですよ。男性なのに、とても可愛らしいお方でしょう? それに……」
王妃がこちらを向いたまま椅子から立ち上がると、音楽家が楽器を奏でるのをやめて、その手を王妃に向けてゆっくりと伸ばした。
その眼が碧く色付く……まさか――――!
「離れろ!!」
身体が勝手に動き出し、王妃の元へと駆け出しながら手を伸ばした。
「陛下、どうしたのですか?!」
間に合わない……!
――――危険です――――
「その音楽家は!!」
部屋じゅうに碧い雫が艷やかに色めいた次の刹那、音楽家が魔法で王妃を貫いた。それとほぼ同時にラピスがオレの後ろから飛びだすと、大剣で音楽家を貫く。
王妃と音楽家の赤い血が、碧い魔法の水と重なり空を舞う。表情を失い、崩れるように倒れる王妃を、必死に抱きしめた。
音楽家が倒れると同時に、魔法の水が魔力を失いポタポタと降り注ぐ。
……知っている。オレはこの光景を、知っていた気がする。
王妃の衣装が赤く染まる。痛みを感じなかったのか、王妃は眠っているように、目を閉じたまま動かない。
「だから、言ったのです……危険だと」
返り血を浴びたラピスが、ぼそりと呟いたのが聞こえた。顔を見ないでもわかる。ラピスは何が起きても表情ひとつ変えない。ラピスは、そういう女だ。
「王妃……王妃よ……」
呼びかけても、ピクリともしない。一瞬で、あの一瞬で王妃は死んでしまったのだ!!
「彼等は人の姿をした精霊のようなもの……まだ紅い魔法使いが生きています。油断無きよう……」
オレは王妃を強く抱きしめた。光の魔法でどれだけ癒やしても、王妃は動かない。傷は塞がっても、王妃はもう此処にはいない……。
動かなくなった王妃に唇を落とす。まだ温かく柔らかい頬に、触れる。それでももう王妃の体は、自らの意志で動くことはない。美しく微笑むことも……オレの名を呼ぶこともないのだ。
忌々しい碧い魔法使いが王妃を、オレではなく王妃を殺した。何故だ……何故、オレではなく王妃を襲ったのだ……!
王妃はオレの全てだった。王妃のためにオレは……
「許さん……許さん! 許さん!! 何度殺しても、殺し足りない。何度でも何度でも……必ずオレが殺してやる!」
「ルーセス様、ラピスはずっと御傍におります……ずっとお守りします」
背後でラピスが呟く。
「わらわも……ルーセス様のためにあの魔法使いを討つことを誓います。何度でも……」
何度でも……?
それで、いつまでこの殺し合いは続くのだ……?
なんのために……繰り返すんだ。
オレは、あの魔法使いを許さない。
リューナを殺した……アイキを許さない!!
そのためにオレは生きて――――
――――――――――
「ルーセス! このバカ王子!!」
ハッとして目蓋を開く。
目の前で、クーちゃんを振り上げたまま、リューナがオレを見つめている。
「リューナ……? 生きている……のか?」
「なに寝ぼけてんのよ。あたしがそう簡単に死ぬと思う?」
リューナはベッドの脇の椅子にクーちゃんを座らせて、自分はオレが横たわるベッドに座った。ふわりとベッドが揺れると同時に、リューナの表情がほころぶ。
「なぁに? 今度はあたしが死ぬ夢でも見たの?」
夢……そうだ、あれは夢……なのか?
「アイキがリューナを殺した。オレの目の前で……リューナを……」
「バカ言ってんじゃないわよ。それはアイキではないでしょ?」
「いや……あれは、あの魔法は……アイキだ」
オレは体を起こすと、リューナをまじまじと見つめた。夢の中でそうしたように、頬へと手を伸ばす。
「なぜオレではなくリューナを殺したんだ……? リューナだけを殺した理由はなんだ?」
やわらかい頬に触れた感触を思い出す。動かなくなった王妃と違い、リューナはムッとした表情を見せる。
「知るわけ無いでしょ? そんなこと……って、ちょっと!」
そのままオレは、両手を伸ばしてリューナを抱きしめた。やはり、夢の中で抱いた記憶と相違ない……リューナは、最愛の……オレのすべてだった王妃の生まれ変わりなんだ。
「もう、二度と失いたくない……」
「ルーセス?! ちょっ……とっ!」
「魔法を消してやれなかったから、苦しませてしまった。守ってやれなかったから……」
光の魔法で消すはずだった魔法。それが残ったまま生まれ変わり……リューナは……
「寝ぼけるのも……っ、いい加減にしなさいっ!」
夢……?
「夢じゃない、あれは記憶だ。オレが愛した王妃の……んガッ!」
顔に酷い痛みを感じて、思わずリューナを解放する。じんじんと頬が痛む。
「な、何をするっ……」
「バカ王子が……! 記憶だか夢だかなんだか知らないけど、あたしはそんなの知らないわよ!」
リューナは、鬼の形相で固く握った拳に、赤い炎を宿している。
「お、おまえ、グーでパンチすることないだろ?! しかも魔法まで使って!」
「悲劇の王子様にでもなったつもり? まーだ、目が覚めないようね……?」
「う、うわっ! や、やめろっ!!」
「くらえっ! リューナ様の必殺! 炎の平手打ち!!」
「うごっ……!」
咄嗟に、手を重ねて顔を庇うけれど、リューナの熱い炎の拳が腹に直撃する。その勢いでオレは、ベッドから転げ落ちた。それは平手打ちではなく、ボディブローだ……! まさか、平手打ちと言ったのはフェイントだったのか?!
「バカ王子。少し頭を冷やしなさい。なぁにが"オレの王妃"よ、気持ちわるっ」
「リューナ……おまえっ!」
「間違っても、あんたと結婚なんてしないわよ。前はどうだったか知らないけど、今のあたしはあたしなの。やだやだ、王族なんて大変そうだし、めんどくさいわ」
「オレは……リューナを愛して……」
「あぁん――?!」
リューナはオレをじっと睨みつける。何がそんなに気に入らないと言うんだ……?
「過去のあんたが過去のあたしを愛していたとしても、それは今のあんたが今のあたしを愛する理由にはならないわ。今のあんたは夢に溺れてるだけ。さっさと目を覚ましなさいよ」
夢に溺れる……リューナの言葉が胸に刺さる。
「そうだ……オレは……アイキを殺したくなんてない。誰も殺したくない……」
ベッドの脇に尻もちをついたまま、オレは情けなく呟いた。リューナにやられた頬が酷く痛む気がして、頬に手を当てた。
「ラピスは……どこにいる……? もう、弱くなったオレの傍にはいてくれないのか……」
しばらく黙っていたリューナが、はぁ……とため息を吐いた。
どうして、こんな夢を見続けなければいけないのだろう。どうして思い出してしまうのだろう。何も知らずにいれば、アイキと今でも一緒に居られたかもしれないというのに。
アイキを疑うことも無かったのに……。
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