第19話 精霊の魔法

「ルーセス、ルーセス!」


 誰かがオレを呼んでいる……この声は?


「ルーセスっ……」

「ジル……?」


 ジルが涙目でオレを覗き込んでいる。その奥にサラの姿が見える……目の前が赤い。サラが横たわるオレの体に魔法を使っているようだ。


「これは、サラの魔法……?」

「ルーセス、まだ動かないで」

「ごめんね。ルーセスぅぅ、ジル間違っちゃったぁ……ルーセス死んじゃうかと思ったぁぁ!」


 ジルはそう言うとポロポロと涙をこぼしてオレの胸の上に倒れこんできた。どうやら、間違っちゃってオレは死にかけたらしい……。


「ジルね、アイキくんとルフるんを止めようと思ったの……そしたら前にいたルーセスが土に埋もれちゃった……」

「は……はは、そうか。誰にだって間違いはあるさ……」


 土に埋もれた? あの一瞬でオレは生き埋めにされたのか……?


「ジルはこれでも精霊だからね。生身の人間では到底、敵わないよ」

「そうなのか……」

「ごめんね、ルーセスぅ……」


 精霊の怒りを買うことは即刻、死に繋がるのだということを身を持って体験してしまったということか……怒りを買ったのはオレではないのに。


「ジル……アイキとルフは?」

「あそこに居るよ。二人はなんとか埋もれずに済んだみたいだけどね」


 サラがにやりと笑いながら視線を向けた方に頭を動かす。二人は傷だらけで土まみれのまま不貞腐れて座っている。その姿があまりにも滑稽で笑いが込み上げる。体を動かそうと思うけれど、ぴくりとも動かない。


「ごめんよ、もう少しだから辛抱しておくれ。ほら、ジルも泣いてないで手伝う!」

「うん! ジル頑張るからねっ!!」

「ありがとう、ジル」


 赤い光に黄色い光が混ざる。温かくて落ち着く光だ……精霊の魔法というのは、とても気持ちがいいものなんだ。


―――――――――――――――――


「傷は大丈夫だろうけど、今日は無理しないほうがいいかな」


 痛みも傷跡も残ってはいない。むしろ、疲れまで癒やされたような気がする。


「すごい……前より身体が軽くなったようだ」

「精霊は治療が得意分野だからね」


 サラは自信たっぷりの笑顔を見せる。ジルがオレの腰にふわっと飛びついてきた。


「ルーセス……ほんとにごめんねぇ」


 ジルは獣の耳をペタンと折り曲げて、上目遣いでオレを見上げる。なんと言うか……めちゃくちゃ可愛いじゃないかっ! オレはジルの頭をやさしく撫でた。……うわっ、耳がふわふわじゃないかぁぁっ!!


「これからは気をつけるんだぞっ!」

「うんっ!」


 撫で撫で、撫で撫で……。これは……手が離せなくなる!!


「……ルーセス、いつまで撫でているつもりだ? 鼻の下が伸びてるぞ」

「ルーセスぅ、くすぐったいぃ」

「あっ……す、すまない」


 サラの軽蔑するような眼差しに、急いで手を引っ込めた。危ない……生き埋めの次は、丸焼きにされてしまう……。


――――――――――――――――――


「さて、次はこの二人ね」


 サラは、アイキとルフを順に眺めて、ため息を吐く。


「なんでこんなことになったの?」

「……ルフが悪いんだ」

「アイキがリューナを眠らせたんだろ?」

「違う! オレは、何もしてない」

「じゃあ、どうしてリューナから魔法が返ってきたんだ?」

「ルフの魔法が不安定なんだろ、ルフが悪いんだよ」


 サラは再びため息を吐くとリューナに歩み寄り、癒やしの魔法と思われる光でリューナを照らした。……だが、リューナは全く反応しない。ジルも続いて同じことをするが、結果も同じだ。


「まるで、リューナが此処に居ないようだ」


 ルフが捨て台詞のように呟いた。その言葉に反応するようにサラが目を細める。


「あ……リューナは、どういう状態なんだ? ただ眠っているだけ……ではないんだろ?」


 怒りにも似た表情を見せたサラの気を逸らすように、オレは疑問を投げかけた。サラはオレの方へ視線を移すと、その表情を少し和らげたけれど、困惑した様子は拭えない。


「リューナの意識が無いんだ。言わば、魂の無い抜け殻だけが此処にあるようなもの。この状態が長く続けば、この体はいずれ呼吸することも止めてしまうだろう」

「そんな……それじゃ、リューナの意識はどこに……?」

「黒い魔法に囚われてしまっている。おそらくだが……出口のない迷路のようなところを彷徨っているかもしれない」

 

 サラは視線を戻し、アイキとルフを眺めて、ため息をついた。


「アイキ、何があったのか……詳しく聞かせてくれないか」


 アイキはサラの方を見ると表情を曇らせて頷いた。


「リューナが魔法を見せて欲しいって言ったんだ。だからオレ……魔法を見せてあげた。ほんの一瞬……目を逸らしたら、リューナが倒れてた」

「アイキの魔法に反応した……?」

「今までだって僅かだけど魔法は使ってたんだけどな……どうしてだろう」


 サラはアイキを見つめたまま、じっと何かを考えていた。


「紅い魔法や碧い魔法は普通の人間には強すぎる魔法だ。リューナに掛けられた魔法の効果を強めてしまったのかもしれない。ということは……この厄介な魔法を消さない限り、リューナは目覚めないかもしれないね」


 アイキはぎゅっと唇を噛み締めて俯いている。ルフも呆然として、ずっと一点を見つめたまま動かない。


 サラが、リューナの顔にかかる髪を整える。


「リューナを部屋に運んであげて、ルーセス」

「……わかった」


 リューナを抱きかかえると、思ったよりも軽かった。


 オレは……リューナのそばにいたのに、何もしてやれなかった。これでは、リューナが城を飛び出した時と同じじゃないか。


「ルフ、話がある」


 サラの声を聞き流し、リューナをぎゅっと抱きしめると部屋に向かった。


 ――――――――――――――――


 ベッドにリューナを降ろすと、その脇に座った。本当にただ眠っているだけのようだ。頬にかかる髪を、そっと整えてやる。


 アイキがあんなに感情的になっているところを初めて見た。ルフもかなり怒っていた……。


『オレがあげたかったのに!』


 アイキはそう言っていた。いつか、リューナに碧い魔法を使わせるつもりだったのだろうか。それがルフに横取りされたと……アイキはそう思っているのだろうか。


 アイキの碧い眼を思い出す。普通の水の魔法とは違う。惹き付けられるようなあの色は、一度見たら忘れられない。リューナもあの瞳の輝きを忘れられないでいるのかもしれない。


 リューナには不思議な何かがある。他の人と違い、決定的に何かが欠けているのに、他の人には無い何かがある。オレは、そんなリューナの風の魔法が好きだった。中身はあんな黒い魔物だったけれど、それでも、風の魔法を使うときのリューナは、自信に満ち溢れた顔をしていた。いつも一生懸命なリューナを見ていたから、オレも頑張ろうと思えたんだ。


 だが、ルフに魔法をもらってからリューナは変わった。いつも不機嫌だったのに、よく笑うようになった。それは良いことなんだろうが……オレが思い出せるのは不機嫌なリューナの顔だけだ。


『あんたが魔法を使えないことを辛いと思ってるのは、あんただけじゃないのよ!』


 リューナの言葉が脳裏を過ぎる……リューナと話がしたい。何を思って、何を考えているのか知りたい。


 そっとリューナの手を握る。当たり前だが、リューナは眠ったままでなんの反応も示さなかった。そのとき初めて、今現実に起きていることを認識した気がして、酷く心が締め付けられた。


「いつもみたいにキモいって……ウザいって怒鳴れよ……」


 柔らかくてほんのりと温かいその手が、握り返されることもなく、振り払われることもなく……時間だけが過ぎていった。

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