第16話 碧い魔法

 やがて、リューナが視線を逸らし、オレを掴んでいた手を離した。アイキも同じようにオレたちを掴んでいた手を離す。


「……確かに、アイキの言う通り、あたしたちは何も知らなかった。何もわかってない……」


 リューナは、椅子に座り直すと、机に肘を付いて塞ぎ込んでしまった。オレは、複雑な顔をするアイキを見つめる。アイキのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。


「アイキ……せめて、アイキの知っていることを教えてくれないか?」


 アイキは少し考えるような顔をしてから、こくんと頷いた。


「ルーセス……もしも、この世界の仕組みを変えられるほどの強い魔法を使えるとしたら、どうする……?」


 意外な質問に、首を傾げる。


「何が言いたいんだ……わからない」


 アイキはオレから少し離れると、手を伸ばしてくるりと手掌を上に向ける。次第に碧い光がぼんやりと見えてきて周囲に水飛沫が舞うと、アイキの瞳が碧く輝いた。


 ……息を呑む。


 碧い瞳と同じ色の雫が、アイキを囲むようにキラキラと宙を舞う。美しく碧い光に包まれたアイキが、言葉にならないくらいに……すごく……綺麗だ。


 リューナがはっとしたように顔を上げると、その瞳がアイキの魔法に反応するように紅く揺れる。


「ルーセスは、そんなすごい魔法が使えるんだ」


 アイキは、碧い眼でオレを見つめた。その美しさにオレは何も言えず、ただ黙っていた。


「……ルーセスの奪われた魔力を取り戻すためには、星族の光の魔法よりも強力な魔法で上書きするか、全ての星族から魔力を取り返して、あの結界を消すしかない。ただ……そのためにはたくさんの人が死ぬ。たくさんの人を殺しても、ルーセスはその力を取り戻したいと思うのか?」


 アイキの言っていることがわからず、困惑して、視点が定まらなくなる……。たくさんの人が死ぬ……? オレのせいで誰かが死ぬということか……?


 リューナが立ち上がり、アイキを睨みつける。


「結界が魔力を奪っているなら、結界を消せばいいだけなんじゃないの? 誰かを殺す必要なんて……」


 アイキが振り向きながら微笑むと、リューナは黙り込んでしまった。


「結界を消せばどうなる? 結界の蓄えた魔力を一気に解放すると、周囲には恐ろしく夥しい魔物があふれかえる。それが何を意味するか……?」

「……国が、滅ぶ……ということか?」


 アイキが伏せ目がちにその手をぱっと広げると、たくさんの雫が弾け飛んだ。


「そうだね……。滅ばなくとも、たくさんの人が死ぬだろうね」


 アイキが目の前で美しい魔法を使っている。これがアイキの碧い魔法……。見るものを虜にしてしまうようなキラキラと光る雫に、つい見入ってしまう。


「それじゃ、星族から取り返せばいいじゃない……どうにかして、星族の持つ魔力を取り返せば!」

「そのためには、星族の命ごと魔力を奪うことになる。星族が消えれば結界も消える……どちらにしても同じことなんだよ」


 結界を壊すことも、星族を殺すことも……どちらも間違っている気がする。


「星族の光の魔法よりも強力な魔法というのは……?」

「光の魔法は、他の魔法とは少し違う。オレやルフの魔法とも違い、別格なんだ。もしかしたら、星族から取り返したルーセス自身の魔法なら、消せるかもしれない。けど、そのためにはある程度の星族の犠牲が必要ってことだよね」


 アイキは、にっこりと微笑む。


「ルーセスが決めることだよ。どうする……?」


 オレが魔法を使えるようになるためには、たくさんの犠牲が必要だということか……だからアイキは、どうすることも出来ないと言っていたんだ。


 俯くと、自分の手のひらを広げ、じっと見つめる。どんなに願っても、この手で火を灯すことも、水を飲むことも出来なかった。けれど……星族から奪い返すことができれば、それができるようになるんだ。


 魔法を使えるようになりたい。……けれど、たくさんの犠牲を出してまで魔法を使えるようになることに、何か意味があるのだろうか。アイキがオレを守ってくれる……リューナがオレのことで怒ってくれる……。


 オレは今のままでも……十分に幸せだ。


「オレひとりが魔法を使えないだけで、多くの命が守られているのなら……それは、それでいいと思う……」

「ルーセス?! バカじゃないの! あんた何考えてんのよ!!」


 リューナが怒鳴る。紅く色付いている瞳が、ルフに重なる。


「あんたの知らないところで、勝手にそんなことになってるのよ? そんなの許せるわけないじゃない! ほんとアンタってウザい! キモい! めんどくさい! 星族があんたを騙してるってことなのよ?!」


 リューナがやるせないといった顔でオレを見つめた。アイキは悲しそうな表情をして手を降ろすと、碧い魔法を消し去った。キラキラと光りながら、雫が消えていく。


「ルーセスはすごくいい奴なんだ……そう言うと思っていた。自分のために、人を殺すことなんて選ばない……」


 アイキは、横に佇むリューナを見つめて微笑んだ。


「ルーセスのことも、リューナのことも、オレが守るよ。そのためにオレはここにいるんだ」

「でもそんなの絶対におかしい。何かが間違ってる! 何も知らない人たちのためにルーセスがひとりで辛い思いをしてるなんて……勝手にルーセスの魔力を枯渇させるほど奪うなんて、そんなの……あたしは許せない! 何か他にも、ルーセスと結界を繋ぐ魔法を絶つ方法があるかもしれないじゃない!」


 アイキの言葉と、リューナの言葉が心に染みる。


「ひとりじゃない……。二人がいてくれるなら、オレは今のままで十分だ。他には何も必要ない」


 オレはベッドに座り、そのまま、ばたりと転がって腕で目を覆った。二人の顔を見られなかった。目を閉じると、小川のせせらぎが聞こえてきた。


「疲れただろ……休んだほうがいい」


 二人に、部屋へ帰るように促した。少しの沈黙の後、ベッドの上にばさっ、と何かを置く音が聞こえて、二人が部屋から出て行く音が聞こえた。


 ……訳がわからない。結局、何がなんだかわからない。

 誰がいつ、オレにそんな魔法を……?


 アイキは、いつから知っていたんだ……

 オレを守るための碧い魔法使い……?


 どうして……


 前にも、こんな気持ちになったことがある。


 子供の頃、魔法の練習をしている兄を見て、見よう見まねでオレも魔法を使おうとした。でも、オレがいくら何をやっても魔法を使えないことに疑問を持った兄がオレを母さんのところに連れて行った。


 オレが魔法を使えないことを知った母さんは酷く困惑して、部屋を飛び出すと何処かに行ってしまった。子供ながらに、明らかにおかしい母さんの様子を見て、あぁ、オレは魔法を使うことができないんだと、理解したんだ。


『大丈夫だ、兄ちゃんがルーセスに魔法を分けてやるからな』


 兄さんは、いつもそう言ってくれた。書物を読み漁り、魔法のことを研究してくれていた。けれど、その願いは叶わなかった。


 結界がオレの魔力を奪っているなんて……考えたことも無かった。兄さんも知らないのだろう……。今、兄さんと母さんはどうしているだろう。オレを探してくれているのだろうか。


 父さんは……星族の頼みを聞き入れてオレを城に連れ戻そうとしたのか? 何故か……父さんは知っていたような気がする。いつも何かを知っていながら、オレや兄さんには肝心な話をしない。オレに王子らしい仕事をさせずに、城の中に閉じ込めておくようにしていたのも、きっと……。


 まぶたを開き、横を見るとベッドの上にクーちゃんが座っていた。アイキが置いていってくれたのだろう。クーちゃんを抱きしめると、心を落ち着かせる。


 これからどうするつもりなのか……それは、オレが決めることだ。アイキ依存症ではダメだ。また、リューナに怒られてしまう。


 明日のことは明日になってみなければわからない……か。アイキの言葉の意味をようやく理解した気がした。

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