第9話 何も知らない
岩の裂け目は、入り口こそ人がひとり通れる程度しかなくて狭かったけれど、奥に進むにつれて徐々に広くなっていく。やがて行き止まりと思われる場所に着くと、ルフが慣れた様子で数ヶ所に明かりを灯した。もふもふが部屋いっぱいになるくらい大きくその姿を変えて、中央に丸くなる。ルフがリューナに微笑みかける。
「さあ、休むか」
「えっ……?」
リューナがルフの顔を驚いた様子で見上げている。当たり前の反応だ。いったいどこで休めと言うのだ……?
「あっ! わかった♪」
そう言うとアイキがもふもふにバサッと倒れ込む。ルフも、もふもふにもたれかかるように座った。どうしたものかと思い視線を泳がせると、もふもふと目が合う。
「悪いな……やり残したことがあってな。陽が昇り、それを済ませたら早めに、ここよりはずっと良い場所を案内できると思うが」
「いや、オレは……」
言いかけて戸惑う。出来ることならミストーリに戻り、今日の事――――国王がなぜオレを強制的に連行するような命令を下したのかを、確かめたいと思っていた。けれど、それをここで話すのはオレの勝手が過ぎる。当たり前だが、先ずは恩人である二人の話を聞かなくてはならない。
「やり残したこと……とは?」
「黒い魔物の討伐だ。お主らも見たじゃろう? この森の上空に飛び去った魔物の姿を」
「あいつを倒すの……?」
アイキが話に割って入る。そうだ――アイキはあの魔物に異常な反応を示していた。
「おまえにも声が聞こえたか?」
「うん……できればあいつには会いたくないな」
ルフが話しながら、自分の横にリューナを座らせた。オレはリューナに並んで座る。オレたちのリューナを、ルフに横取りされたような気分がしたけれど……ここでそんなことを言うと、またリューナにウザがられるに決まっている。でも、横に座るくらいなら許してもらえるだろう……たぶん。
「アイキにしてはめずらしいことを言うのね。その声って、あの魔物の呻き声のこと……?」
リューナが話すとアイキがもふもふの上をごろごろと転がり、オレたちの傍らにやってきた。
「リューナたん。あいつはね……"寂しい、助けて、誰もわかってくれない"って、啼いてたんだ」
「えっ…………」
「うん……リューナの魔法だからね」
アイキが苦笑いしながら呟いた。オレにはただの啼き声にしか聞こえなかったけれど、アイキやルフには意味のある言葉に聞こえていたのだろうか。しかし、なぜそんな言葉を……?
リューナはルフの顔を見る。もはや、困ったときにルフを見上げるのがリューナの癖になりかけている気がして、複雑な気分になる。ルフはオレのそんな気も知らず、リューナを優しく見つめた。
「リューナ、あの魔物におまえの炎を見せてやれ。おまえにはもう、あの風は必要ない。オレの火があるのだからな」
リューナは複雑な顔をしながら、コクンと頷く。すると、突然アイキが立ち上がった。そのまま、足早にルフの前へと歩み寄る。
「どういうことだ……? オレの火って……おまえがリューナに魔法をあげたの?」
「そうだ。あんな風の魔法は必要ないだろう? 使い続ければ、あの魔物が増えるのだからな」
「違う――! 問題はそっちじゃないっ!!」
突然、アイキが大きな声を出して、怒りとも焦りとも思える表情をしたままルフの肩を掴む。何を言い出したのか訳が分からずに、オレもリューナも……驚いて二人で顔を見合わせた。ルフは真顔でアイキをじっと見上げている。
「なんでおまえが魔法をあげるんだよ!!」
「そうしなければ、風の魔法を追い出せないだろう? 他に何か方法があったのか?」
「そうだけど……そうだけどさっ!!」
アイキは何かを言いかけてやめるように、ルフから手を離した。アイキが声を荒らげるようなことは、滅多にない。いったい何を怒っているのか、オレにはアイキとルフの話していることの意味すらわからない。と、その時、もふもふがごそごそと動いた。
「ふぉふぉ……おまえさんは、物知りなようじゃの……」
「……もふもふさん、ごめんね。内緒にしてくれてるのに……」
明日のことはわからない、というアイキの言葉を思い出した。アイキは、何かを知っている。今日あったことをいろいろと思い出すと……直感だけで行動しているとは思えない。それに"内緒"とは何なんだ……もふもふはそれを知っていてあえて黙っているということか?
――ばふっ。
アイキはふてくされて、オレの横で再びもふもふに倒れ込んだ。
「ねぇ、ルーセス」
リューナに呼ばれて振り返る。
「あたしはあんたのことも気がかりなんだけど。このまま王子でなくなったら、あんた、ただのイイ奴になっちゃうじゃない」
ただのイイ奴……。リューナにはオレはそんな男に見えていたのか……というか、そういう問題ではない気がするのだが。とはいえ、リューナが話を振ってくれたので、今しかないと思い、話を切り出す。
「いや、オレはできれば、その魔物を倒した後、事の真相を確かめるために……」
「城に戻って国王様と話でもしたら解決するとか思ってるんだろ?」
アイキが言葉を被せて、オレの腕を掴んだ。オレを睨みつけるアイキの眼差しは、苛立ちにも似た怒りを含んでいる。けれど、オレだってここで引き下がる訳にはいかない。戸惑いながらも負けじとアイキを睨み返す。
「そうだ。オレが追われる理由など何も無いじゃないか……!」
アイキは、何も言わずオレをじっと見つめていた。やがて「はぁ……」と小さくため息を吐くと、オレの腕を離した。
「オレね……今朝、王妃様に歌ってほしいと部屋にお呼ばれしたんだ。そのときに王妃様は何て言ったと思う?
『歌いながら独り言を聞いてちょうだい。これから先の近い未来に、変わったことが起こるかもしれない。その時は、ルーセスをお願いね。あの子だけは守りたいのです』ってさ……ルーセスには、その意味がわかるか?」
そんなこと、オレは知らない。オレを守る……って、何からオレを守るというのだ?
「アイキ……落ち着いて?」
リューナがオレとアイキの間に割って入る。アイキはリューナの顔を見てから溜め息を吐いて、その場に力なくすとんと座った。
「全く、ルーセスは何も知らなさすぎなんだよ」
「ごめんね、アイキ。あたしも知らないことばっかりなのに、勝手なことばっかりして……」
「リューナは悪くないよ、何も……悪くない」
アイキはリューナになだめられて寝転がると、もうオレにも噛みついては来なかった。
ルフは終始、めずらしいものを見る目でオレたちのやり取りを見ていた。オレたちを見つめる深紅の瞳に戸惑う。魔族というものは皆、こんな眼をしているのだろうか。
「アイキは変わった魔力を持っているようだな。だが、ルーセスもかなり特殊に見えるぞ……他の人間とは違うな」
他の人間とは違う……? 特殊だって?
まさか……オレにはアイキみたいに不思議な魔力もないし、リューナのようにうまく魔法も使えない。勘も鈍いし、必死に学んだ剣術以外に自慢できることは何も無い。
「……オレは魔法が使えないんだ。いくら練習してもダメだった」
「それが、ルーセスが特殊に見える理由か?」
「……いや、それはわからない」
ルフは少し微笑んだまま、オレをじっと見つめてくる。心の中まで見透かすような眼差しに耐えられず、首に手を当てて斜め下を見るように視線をそらした。
「確かに、おまえは守られているな」
「よくわからないな……」
ルフの方を見ないままで返事をして、もふもふの上に転がり、話を誤魔化した。それならば何故オレが自国の兵に追われることになるのか、説明してもらいたいところだ。
……けれど、今はこうしてケガひとつ無く、アイキとリューナと一緒に居られる。それはある意味、守られているからなのかもしれない。それでいても、安心などできる筈も無く、昼に感じていた不安がじわじわとよみがえってくる。いつまでも三人一緒で、平和な日常が続いていくものだと思っていた。明日も、これからも、ずっと、ずっと……。
オレは今、非日常に在りながらも、自分の身に起きていることさえ理解できずにいる。否、認めたくないだけかもしれない。オレには、知らないことが山ほどあるということを、知らなかった。知らないことをいくら考えても意味がない。
つまり――――知らなくてはいけないんだ、オレはそのためにきっとここにいる。そうなのだろう……きっと。
もふもふは、とても気持ちがいい……。
そこからは思考が進まなくなり、目蓋を閉じた。
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