第10話 クーちゃん

 目を覚ますと、ふわふわとした感触に微睡む。この白くてふわふわな感触は、クーちゃん……ではない。


「クーちゃん……?」

「オハヨウ、ルーセス王子サマ! クーチャンダヨ!」


 突如、クーちゃんが目の前に現れる。


「あぁ……クーちゃん」


 腕を伸ばし、クーちゃんを抱きしめる。ふわふわのクーちゃんを抱きしめると、気持ちが落ち着く。


 耳を澄ましてみるけれど、今朝は小鳥の鳴き声が聞こえない。それに部屋の中が暗い。雨でも降っているのだろうか。周囲を確認するために目を擦りながら起き上がると、ふっと湧いたように、アイキがオレを覗き込み、視界を遮った。


「おはよう! ルーセス♪ そのぬいぐるみは目覚めるときに必要なものだったんだな。覚えておくよ」

「ああ、おはよう……アイキが朝から来るなんて……」

「ルーセス? 寝呆けてるのか?」

「ふぇ……?」


 背後から視線を感じて振り返ると、軽蔑するような眼差しでリューナがこっちを見ていた。


「クーちゃんってなんなのよ……ルーセスってほんと……」

「なっ! なんでリューナが?!」


 周囲を見渡して思い出す。そうだった。オレは昨日、洞窟の中で話しているうちに、眠ってしまったんだ。クーちゃんはアイキが城から持って来ていたのか……?


 アイキがひょいとオレの横にしゃがみ込むと、クーちゃんの腕をぱたぱたと動かす。


「オネエチャンコワイヨ! ボクのルーくんをイジメナイでッ!」

「――――ぶっ! もう、アイキ! 朝から笑わせないでよぉ!」

「あははははっ、あはっ、ああもう……ルーセス最高!」


 リューナとアイキが笑い転げているのを見て、思い出した。アイキは話しているうちに怒りだし、ふて寝してしまったのだ。けれど、寝れば忘れると言うのか……どうやら機嫌は戻っているようだ。


 天井を見上げると、夜には見えなかったけれど、ぽっかりと穴が空いているようで、そこから柔らかな光が射している。


「騒がしいな……」


 二人の笑い声でルフが目覚めたようだ。ムクッと起き上がると、寝ぼけ眼のまま大きく伸びをしている。


 再び、アイキがオレの横に素早くやってくると、いたずらっぽく笑いながら、次はルフに向けてクーちゃんの腕をぱたぱたと動かした。


「オハヨウ! ルッフるん、クーちゃんだお!」

「あははっ、やめてよアイキ……笑いすぎて死んじゃうっ!」

「あのなぁ…………」


 オレがムスッとしていても、二人は笑い続けている。けれど、ルフは笑うこともなくオレの抱いているクーちゃんを、真顔のままじっと見つめていた。


「おはよう。クーちゃんというのか……かわいいな」


 そう言うと、ルフは驚くほど爽やかに微笑んだ。なぜか、アイキとリューナが笑うのを止めて二人で顔を見合わせている。


「あっ、クーちゃんっっ!!」


 アイキがオレからクーちゃんを奪うと、ルフの元へ歩み寄り、ササッとクーちゃんを手渡した。


 ルフはクーちゃんを抱き上げると、膝の上にぽんと置いて、優しい眼差しで見つめながら頭を撫でた。なぜか、いつもの三倍くらいクーちゃんが可愛く見える。


「えっ……。ねぇ、リューナ。なんでルフが抱いてるとキモくないんだろう?」

「わ、ほんとだ……てゆーか、普通にかっこいいし、爽やか!」

「ルーセスぅ。もうルフるんにあげちゃいなよ。ちょっとルーセスしゅうがするけど……]


 アイキはオレをチラ見しておきながら、リューナと顔を見合わせて目を丸くしている。なんというか……こいつらオレに対して、ものすごく失礼じゃないか?!


「……ルーセス臭ッ……くッ!」

「うぐっ……やめてよアイキ! ルーセス臭はヤバいって!!」

「おまえらァァ――言わせておけば!!」

「きゃぁー! ルーセスが怒ったぁ!」

「逃げろ逃げろっ♪」


 オレが怒鳴り声をあげると、アイキとリューナはそそくさとルフの陰に隠れた。オレはズンズンと歩いて行き、ルフの前で立ち止まった。


 つぶらな瞳でクーちゃんがオレを見つめている……。ルフはきょとんとしていたけれど、クーちゃんを抱き直すと、フッと微笑んだ。


「妹に……見せてやりたいな」

「……妹? ルフには妹がいるのか?」

「ああ。こういうものを作るのが上手いんだ。こんなに大きなものは見たことがないと喜ぶだろうな」


 ルフは座ったまま、クーちゃんをオレに差し出した。昨日は直視できなかった紅い瞳が、今日はやけに優しく見えた。クーちゃんを受け取ると、オレはようやく、はっとする。


「アイキ! クーちゃんまで持ち出すこと無いだろっ。いつの間にこんなものまで持ってきていたんだ?!」

「だって……ルーセス、もうお城には戻れないんだぜ? クーちゃんを置き去りにしてもいいのか?」

「それは困る……」

「だろ? だから昨夜、森の中を歩きながら荷物を全部まとめたんだ。こんなこともあろうかと、あらかじめルーセスのものは、いつどこでも自由に仕舞って取り出せるようにしておいたんだ♪」


 アイキが得意げに、ニカッと笑う。


 アイキが使っているのは空間魔法と呼ばれる魔法だ。ミストーリでは多くの人が習得している魔法で、リューナも使うことができるが、もちろんオレは使えない。アイキに言わせると、見えない鞄を持ち歩いているようなもの、らしい。人によってその鞄の大きさには大小があり、アイキの場合は底知れぬほど大きいが、リューナは小さめだと言っていた。普段からオレの私物はほとんどアイキが持っていて、必要に応じて取り出してくれる。まぁ……そのお陰でオレは、アイキに隠し事ができない。


「ま、それよりルーセス♪ 朝なんだし顔でも洗ってこようぜ」

「ああ……」


 アイキはオレからクーちゃんを取り上げると空間魔法を使い、見えない鞄の中へと仕舞った。そのまま外に出るために狭い通路へと向かう。


「あっ、あたしも行く!」


 リューナがルフの陰からひょいっと出て来ると、オレたちを追いかけてきた。


 ――――――――――


 アイキが水の魔法を使い、水を溜めてくれる。城では当たり前にいつもしていたことだけれど、森の中で樹木の香りに包まれていると、それだけでも目が覚める気がした。アイキは、オレの髪型や服装もチェックして整えてくれる。その後で、リューナとアイキは互いに髪型や服装をチェックし合っていた。


「ありがとう、アイキ」

「気にすんなよ♪ 残念ながら食事は無いから、木の実でも拾って食べるか♪」

「いやいや……それよりも、魔物退治をしなくちゃいけないだろ?」


 足音が聞こえてきて振り返ると、もふもふとルフが洞窟から出てきた。ふと、リューナを見ると、いつも肌身離さずに持ち歩いていた杖を持っていないことに今さらながら気が付く。


「そういえばリューナ、オレが買ってやった杖はどうしたんだ?」


 リューナはビクッとして、斜め上を見ながら頬に手を当てている。まさか……失くしてしまったのだろうか。


「ぅぁっ……ぁ、風の魔法が使えなくなったから、仕舞って・・・・あるのよ!」

「そうか……まぁ、いいけど」

「ルーセスは心配しすぎなのよっ、あははっ」


 リューナは笑いながらオレの背中をバンバンと叩いた。わざとらしい仕草に疑問が残る……失くしたなら隠さずにそう言えばいいものを。


「ねぇ、もふもふさん。魔物退治したら良いところに連れて行ってくれるんでしょ? それならオレがんばるよっ!」

「そうじゃの。おまえさんたちならあの黒い魔物も朝飯前じゃろうて」


 もふもふは目を細くして、アイキに擦り寄る。アイキは、にっこりと微笑んで、もふもふと会話せずに何か意思疎通しているようにも見えた。


 ルフが再び、大きく伸びをしている。魔族と言っても、普通の人間と何も変わらないように見える。人間と魔族の違いとは、何なのだろう。


「ルフ、その魔物がどこにいるのか、わかるのか?」

「簡単なことだ、リューナが魔法を使えばすぐに飛んでくるだろう。ただ、ここでは戦いにくい。もう少し広いところに移動してからだな」

「……わしが案内しよう。さほど遠くないところに、いい場所がある」


 もふもふがオレたちを先導するように歩き出すと、その後をアイキとリューナが追いかける。出遅れたオレは、ルフの少し後を追いかけた。

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