第5話 黒から紅へ

 火の魔法の熱に耐えられず、あたしはその場にうずくまった。


 ……普通の魔法とは違う炎。身体の中から何かが溶け出す感覚が消えていくと、胸に温かい熱を感じ始めた。


 何故かその熱が、とても心地いい……。


 胸に手を押し当てると、目蓋を開く。あたしを包み込む紅い炎の向こう側に、ルフと名乗った魔族の男の人が、にやりと笑っているのが見えた。


「これは……どういうこと?」

「おまえの使っていた"風の魔法"というのは、実に、厄介なものでな。オレが消し去った。代わりにオレの炎を使わせてやる。ありがたく思え!」

「えっ――?!」


 紅い炎がすうっと消えていくと、辺りには静けさが戻った。あたしは立ち上がると、確認するように自分の身体を見てみた。火傷なんてどこにも無く、足の傷も消えていて、何より身体が軽い。


「あたしを消すんじゃなくて……あたしの風の魔法・・・・を消したってこと……?」

「案外、素直なんだな」

「なっ……!」


 素直なんて言われる意味もわからず、だんだん腹が立ってくる。ほんの一瞬でも死を覚悟したというのに、この人は最初からあたしを殺すつもりは無かった訳だ。


「それならそうと先に言ってくれればいいじゃない、死ぬかと思ったでしょ!」

「オレは最初からおまえを助けてやっているだけだろ?」


 あたしはルフを睨みつけるけれど、ルフはそれを面白がるように笑い出した。


「いや、でも拒絶すれば燃えて消えたかもしれないな。素直にオレの魔力を受け取っておきながら、怒り出す……変な奴だな。ククッ……!」

「もう、何よ……! 魔法の杖まで消しちゃって!」

「あんなものは、必要ないだろう?」

「あんなものって……あれ高価だったのよ? 自分で買った訳じゃないけどさ」

「高価……? あ、もう用は済んだから帰っていいぞ」

「何言ってるのよっ! あたしの用は済んでない、ちゃんと説明してっ!!」


 あたしが怒る顔を見て、ルフは少し困ったような顔をした。


「……オレは説明が苦手なんだ」

「はぁ?」

「まぁ……とにかく、もうおまえの魔法が魔物を造り出すことはない、安心しろ」

「バカでしょ? あんたバカでしょ?! "安心しろ"じゃないわよっ!! あたしの仕事は第二王子護衛兵なの! 勝手に国を飛び出して、変な男に騙されて、風の魔法が使えなくなりましたぁ〜えへっ♪ では済まないのよぉ……もう国では生きていけないわ!」

「あのなぁ……魔法は本来、精霊にその魔力を借りるものだ。あんな厄介な黒い魔法を自分の魔力だと勘違いしていたのはおまえだろ? それを消してやった上にオレの魔法を分けてやったんだから、有り難いと思え」

「助けてもらってるのか、騙されてるのかわからないわ……」

「まぁ、先に話さなかったのは、悪かった……だが、騙したつもりはない」


 あたしは、ルフの濃い紅色の瞳をじっと見つめた。確かにウソをついている訳ではなさそうだ……それに、よく見ると整った顔立ちをしていて、わりと格好いい。


 ――じゃなくて! まだ他にも訳の分からないことを言っていたはず……ええっと……。


 なぜか胸が火照り、ほぼ無意識に手を当てる。胸が熱い。体の中に火が灯っている様な感覚がする。ルフの紅い瞳を直視出来ずに視線をそらすと、ルフが近づいてきた。


「……痛むのか?」

「なに……?」


 顔を上げると、ルフがあたしの手の上にその手を重ねた。


「ひゃっ……!」


 あたしは反射的にその手を払い除ける。この人は、なんというか……。

 

「気安く触らないでよっ」

「……なんだ? 痛いわけじゃないのか?」

「な、何でもない……それより、これでもうあの黒い魔物は現れないんでしょうね?」

「いや。今までに結界が取り込んだ魔法を全て魔物に変えるまでには、まだ時間がかかる」


 ルフはそう言いながら、あたしの顔を覗き込んできた。この人の行動パターンは、よくわからない。


「さっきより、いい顔をしているな」

「な、なに。まだ説明が足りてないわ、ちゃんと説明してくれないと……」


 言葉を遮るようにルフが優しく微笑む。ちょっと意味が分からないけれど、とても綺麗に微笑むのだと……少し見惚れてしまう。


 ……ずるい、ずるい、ずるい!!


 あたしは言葉を失う。肝心な話を有耶無耶にされたと思ったけれどもその先が聞けない。


「今、すべてを教えるのはつまらないな。少しは自分に与えられるものを疑え」

「えっ……」

「どうする……? 結界の中に帰るのか?」


 与えられるものを疑う? 勝手なことをしておいて、ほんと意味がわからない。けれど、あたしはあの魔物を知っていたような気もする。……ずっと、ずっと前から。


 見入る程に惹かれていく紅い瞳から目が離せなくなる。それこそ勘違いのような気もするけれど……あたしは、ルフに出会うために門を飛び出したのかもしれない。

 

「帰らない……」


 今日のあたしは、たぶん、どうかしてる。けど、妙に軽くなった体に火照る熱は本当で、あたしの手は、当たり前のようにルフが差し出した手を握っていた。


「どこに行くの……?」

「行けばわかる」


 綺麗に微笑むルフを見つめて、こくんと頷いた。そのまま手を引かれて、森のさらに奥へと進んでいく。


 ―――――――


 こんなに森の奥まで来たことはない。木々の間から見える空はとても小さくて、木と土の匂いばかりがとても濃く感じた。一番高いところを通り過ぎた陽が、黄色く傾きかける頃なのだろう。けれど、鬱蒼とした森の中には陽の光が届かないので、よくわからない。


 結界の中で培ってきた知識は、結界の外に出た途端、まるで役に立たない。ルフの言ってることは知らないことばかりだし、あたしの自信の源であった風の力は、今はもう……無い。


「この辺りか……」


 辿り着いたのは、森の奥にある岩の塊の前だった。大きな岩には人がひとりくらい通れそうな裂け目があり、その奥は暗闇で、どこまで続くのか見えない。


「おい……ジル、いるんだろう?」


 暗闇に向かって、ルフが何かを呼んだ。大きな岩のあたりをキョロキョロしながら眺めていると、次第に地面から黄色い光がポウッと浮かび上がってきた。

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