第6話 地の精霊ジル

 黄色い光がふわふわと浮かび、キラリと瞬くと、形を成していく。岩の前に、大きなふわふわの白い獣と、頭の上に獣のような耳のついている女の子が現れた。女の子は、めずらしいものを見るように、まじまじとあたしを見つめている。


「……は、はじめまして」


 あたしは沈黙に耐えかねて挨拶をした。すると、女の子はニコッと笑った。


「じゃーん! ジルだよっ。ヨロシクね、リューナたん!」


 突然、名前を呼ばれて驚く。思わずルフの顔を見ると、ルフは真顔のまま、ちらりとあたしを見た。


「……これは地の精霊だ。地面に響いてくる音は、だいたい聞こえている」

「そうなんだぁ、すごいでしょっ!」

「すごい……。よろしくね、ジル」


 ジルは両手を腰に当てて胸を張っている。背丈はあたしの胸くらいまでしかなくて、見た目は人の子どもそのものだ。腰のあたりまである、淡い土灰色のふわふわの髪が揺れて、耳がひょこっと動くのがとても可愛い。あたしはジルに、にっこりと笑った。


 ジルの横にいる大きな白い獣は、前脚をペロペロ舐めて顔を洗っている。ジルの乗り物のような獣さん……なのかな。


「少し遅くなっちゃったね、ルフるん! でも、リューナちゃんの魔法を消せたから、もう大丈夫だねっ!」

「まぁ、リューナが出てきてくれたのは運が良かったとしか言いようがないな」


 "精霊"というものは、もっと神々しいものなのかと思っていたけれど、とても親しみやすくて、可愛らしい子だった。ミストーリの森に、こんな精霊が住んでいたなんて、夢のようだ。


「うぅーん、運が良かったっていうかぁ……あっ、それより!」


 ジルは嬉しそうにその場でくるりと回って、あたしの方へと向き直る。


「リューナちゃん、お友達が探してるよ。仲良しな男の子のルーセスくんとアイキくん!」

「……えっ?!」


 あたしは、驚いてルフの顔を見た。


「いちいち……オレの顔を見るな」

「だって……」


 ルフは面倒くさそうにしている。その様子を見ていた大きな獣さんが、ルフの横にのしのしと歩いて来て座りなおすと、あたしをじっと見つめた。


「その人間たちは、森の先にある町の宿におるな。大衆の前で歌を披露しておるぞ」

「わっ、しゃべった……!」


 あたしは驚いて目を丸くすると同時に、全ての行動を見透かされた気がして恥ずかしさで赤くなる。きっと、あたしが門を飛び出したことも全部知ってるんだ。


「リューナちゃんのいたところに、キラキラの結界があるでしょ。アレがすごーく邪魔なの! あの中の音は聞こえないの!」

「まぁ、この森の先にある町の音は、筒抜けじゃがの」

「そ、そうなんですか……」


 ジルは元気よくウンウンと頷くと、ルフに向き直る。


「ルフるん。リューナちゃんを連れて行きたいのはわかるけど、その子たちに会わせてあげたほうがいいよぉ。すごぉっくリューナたんのことを心配してるぴかぴかでつやつやな子たちだよっ!」

「ルフがあたしを連れて行きたい……?」


 ルフの顔を見ると目が合った。けれど、すぐにルフは少し赤い顔をして、そっぽを向いた。


「べつに、連れて行きたいわけじゃない……ジルはひとこと多いんだ」

「ジルはホントのこと言ってるだけだもん! さっ、男の子たちのところに行こうね、ルフるん!!」

「だから、ひとこと多いんだと言ってるだろ?!」

「ルフるんかわいいっ!!」


 ジルは、ぱっと笑うと、すごく嬉しそうに獣さんに飛びついた。モフモフしてて気持ちよさそう……。


 ルーセスとアイキがあたしを探しに来てくれていたなんて。でも……いつもそうだった。いつも、二人はあたしのことを気にかけてくれていた。それなのにあたしは、勝手なことばかりして二人を困らせて……。


「オレはその町の場所を知らない。乗せてくれるか?」


 ルフが獣さんを撫でながら話しかけた。獣さんが大きな体を起こすと、ルフは慣れた様子でその背に乗る。


「ジルもリューナちゃんとオハナシしたい!」


 ジルはぴょんと、獣さんの頭の上に飛び乗る。すごく身軽だ。あたしも乗って良いのかわからずに戸惑っていると、ルフが手を伸ばす。


「行くぞ。おまえの仲間なんだろう?」

「うん――」


 ルフの手を握り、獣さんに乗る。ふわふわしていて、思ったよりもずっと乗り心地がいい。


「落ちるなよ、つかまってろ」


 ルフはあたしの手を自分の腰に当てる。あたしは当然、こんな獣さんに乗ったことは無いので、心が踊る反面、少しビクビクしながらルフにくっついた。


 ルフは、温かい。その手も、心も……とても温かい。


 ―――――――


 獣さんはあたしたちを乗せて、木々の間をのしのしと歩いている。自分の足で歩くよりもずっと早いから、あっという間に森を抜けられそうだ。とはいえ、こんな森の奥から隣り町に行ったことはないから、あとどのくらいかかるのかは、想像も出来ない。


「リューナ、風の魔法はどこで手に入れたんだ?」

「手に入れたっていうか……」


 ルフに話しかけられて、あたしはルフの背中を見上げる。ルーセスみたいにがっしりとした体型ではないけれど、男の人の背中は広い……。


「なんだ?」

「あっ、ううん……気が付いた時には、言葉と同じように魔法を使っていたわ。子供の頃は失敗してしまうこともあったけれど……」


 誰もが当たり前に使う魔法。きっとお母さんやお父さんが教えてくれたんだと思うけれど、いつからと聞かれても覚えていない。


「あたしは子供の頃から、風の魔法が得意だったの。喧嘩しても負けたこともなかったし……でも、それはあたしの魔力が強かったというわけではなかったのよね」

「リューナちゃんっ!」


 ジルがあたしを呼ぶと、獣さんの背を滑り降りてくる。ルフの向こう側から、ひょこっと顔をのぞかせた。


「あの結界の中にもお城があるの? どのくらいの人が住んでるの?」

「うん、お城があるわ。どのくらいかわからないけれど……たくさんの人が住んでる」

「そっかぁ。他のところと同じなんだね!」

「他のところ?」

「うん! 他にもたーっくさん人間の結界はあるけどね、リューナちゃんがいたところだけは地面に音が響かなかったの。だから、他のところと違う人がいるのかなぁ〜と思ってた!」

「あの結界は、他の国のものとは違うのかもな。この辺りの魔物は他の国に比べて強力なものが多いしな」


 ジルやルフには結界が視えるのだろうか。あたしは他の国に行ったこともないし、結界を視ることができるわけでもない。


「結界を管理している星族なら何か知っているのかもしれないけれど、あたしは何も知らない……ごめんね、ジル」

「違うのっ! リューナちゃんが知ってることを教えて欲しかっただけだから謝らないでね?」


 ジルは頭の上の耳をぺたんこにして、しゅんとしてしまった。その仕草がすっごく可愛くて、ついあたしはジルの頭を撫でた。ジルは嬉しそうに目を細くする。ジルの耳は、ふわふわしていて気持ちがいい。


「リューナは魔族も精霊も知らなかったが、他の人間の国では"魔族が魔物を造り出す"とか言いながら、襲いかかってくるぞ」

「そんな……どうして?」

「それはオレのほうが知りたい」


 ルフがあたしに次いでジルの頭をぽんぽんと撫でる。ジルは嬉しそうにルフを見上げてぱっと笑った。


「ジルねぇ、隠れてるからさっ、人間にはあんまり会ったことないんだ」

「会わなくてもいいさ。ジルはまだ精霊としては若い」

「うんっ、そうだねぇ。あと100年くらいしたらジルも人間と暮らせるようになるかなっ?」

「さぁな。その頃にはオレは死んでるな」


 あたしはジルとルフの会話についていけず、ただ二人の会話を聞いていた。大きな獣さんは何も言わずに、ひたすら森の中の道なき道を、のしのしと歩いてくれている。

 

 なんだか……結界の外に出たら魔物より人間のほうが悪者みたいだ。


 あたしは魔物を倒すために風の魔法を使い続けてきた。魔物がなぜ存在するのか、魔法の源が何なのか。そんなことは考えなかった。ただ誰よりもうまく魔法を使ってたくさんの魔物を倒し、活躍して、認められたかった。


 でも、いったい誰に認められたかったのだろう。あたしは何を欲していたのだろう。


 ルーセスとアイキが、隣り町にいる。そんなことは知らない、二人が勝手にしてることだから放っておけばいい……今までのあたしなら、そう言っていた気がする。あたしを心配してくれているというのに。


 今まで何をやっても、誰も心配なんかしないと思っていた……?


 ――違う。


 あたしは誰のことも考えていなかったんだ。あたしがいなくなったら二人がどう思うのか、そんな単純なことも考えなかった。


『もう少しまわりをよく見て、考えて行動しろ』

『口に出して言う前に、一度よく考えるんだぞ♪』


 二人がいつもあたしに言ってくれてた、その言葉の意味が、やっと少しわかった気がする。二人は、いつもあたしのことを考えてくれていたんだ。それなのにあたしは自分のことばっかりで、すごく自分勝手だ。わがままだ。そんなの知らなかったし、気が付かなかった。


 だから、もっとあたしはいろんなことを知らなければいけない。いろんなことに、気が付かなければいけない。知らないうちに、誰かを傷つけたり困らせたりしたくないから。


「見えてきたよぅ、リューナちゃん」


 ジルの声に頭を上げると、木々の間からぼんやりと夕闇に浮かぶ町の明かりが見えた。ジルは獣さんからぴょんと飛び降りると、獣さんの顔のあたりを撫で撫でしている。ルフも獣さんからするりと降りるのを見て、あたしも同じように降りた。


 少し歩くと、いくつもの明かりがぽつぽつと町の外れに並んでいるのが見えた。目を凝らして見てみると、数十人のミストーリ兵がぞろぞろと並んでいるようだ。まさか、あたしを捕まえに来た……なんてことはないか。あたしは王子の護衛兵とはいえ、ただの一般人に過ぎない。


 それにしても、あれだけの兵士を動かすとなると、よほど腕の立つ要人でも捕らえたのだろうか……?


「あれは……何だ?」

「兵士が集まっているみたいだけど……なんだろう?」


 ルフの質問に答えようにも、あたしにもわからない。ジルが耳をピクピクと動かすと、表情を曇らせた。


「リューナちゃん、大変……!」

「えっ……?」


 思わずあたしはルフの顔を見上げる。ルフは困ったような顔をしてあたしを見下ろした。


「だから……いちいちオレの顔を見るな」

「だって……」

「ふぉふぉ……。まだわしの出番かのぅ」


 獣さんがあたしの横に、のしのしと歩いて来た。


「ルフ、リューナ。もう一度わしの背に乗れ」

「うん」


 あたしは獣さんに言われるまま、ルフと共に獣さんに乗った。ジルは獣さんに乗らず、じっと聞き耳を立てているようだった。

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