第13話
半月が夜空を上って、辺りが薄暗い闇の衣を纏った頃、肌を撫でていく風にさえ注意を払う俺は、森と平原の境目をこそこそと歩いていた。
いや、こそこそというと泥棒っぽいし、堂々と隠れてといった方が良いのか?
本来は囚人の身である俺は、こんな夜中に出歩くなど許されない。日の出と共にクエストに出かけ、日没と共にジェイルへと帰還する。これが俺の新たな日常であり、ジェイルの規則である。
ジェイルは『冒険者ギルド』であって『監獄』である。武器を片手に防具を身につけた荒くれがいても、そこがジェイルであれば、
囚人が武器を持って、青い空のもと自由に歩いているというだけでも、監獄として機能しているのか怪しいところだが、どういうわけか落ち着いた日々ばかりが過ぎていく。
捕まったら即死刑だと思っていた分拍子抜けだが、今回の偵察はそれなりに処罰らしさがあった。
何故かというと、俺1人だからだ。
「アリオのやつ、なんで俺1人だけ偵察に使うんだよ! これじゃあ逃げれないじゃないか」
仲間の代わりというか、監視魔道具が俺の周りを浮遊して監視しているらしく、今もこうして怖がる姿をアリオ監獄長は眺めているという。
頼みの綱と言えば、ルーベから渡されたこの筒状のアイテム。
ピンチの時に使ってほしいと言われたが、やはりというか、大事な部分である使い方は教えてくれなかった。
つまりは、不安しかない。
「帰りたい、あの檻のある部屋に帰りたい」
ちなみに、俺の部屋は広かった。元の世界での部屋以上は間違いなくある。
1人が使うには広すぎるため、別の目的があると考えている。
そういえば、元の世界で共同型の牢獄というものを聞いたことがある、もしかするとそれなのかもしれない。しかし、だとしてなぜ1人なのか分からない。
まあ、怖いのと一緒にされるよりマシか。
何となく自分にそう結論付けさせ、モンスターに勘づかれぬよう歩いていった。
しばらく歩き進めると、直線ばかりが続く原っぱに、ぽかんと隆起した丘が現れる。
それの発見は、単に目立っていたとか、夜目に慣れてすぐ見つかったとかそういったものではなく、
「なんだ、あれ?」
紫色に光るそれは、暗い夜空に波紋状の波を作り、蜘蛛の巣じみた領域を広げつつあった。
神秘的なオーロラ似のそれを見ていると、遠くの方で何かの遠吠えが聞こえる。それにそっと視線を送ると、モンスターが不思議な発光に向かって吠えていた。
かなり遠くで分かりづらいが、シルエット的に狼のようなモンスターで、また、その近くにもシルエットの異なるモンスターが数匹、夜空の蜘蛛の巣へ遠吠えを繰り返す。
確かに、丘に集結しているな。
正しくいうと、丘のふもとら辺だが、何分暗くてよく分からない。もっと近づけば良く見えるだろうが、そんな度胸もないためここで足を止める。
「これでも、中々良い仕事したんじゃないかな」
誰とも言えぬ誰かにそういって、偵察の仕事は無事終了だと言い聞かせる。
結局それは、自分に言い聞かせているだけなんだけど、何かしら言い訳しないと行動を起こせない。恐らくこうなったのは元の世界での影響だろう。
でも、だからって足はジェイルの方向へと曲がってはくれない。
あくまで、紫の発光と、モンスター数匹が遠吠えをあげていることしか分かっていない。
偵察役を無理矢理押し付けられ、駆り出されたというのに、俺は、何故だかやりきっていないと感じている。
「……」
もうここは帰ろう、攻撃力0の役目は終わった。これが更正の一環だったとしても、これ以上やる義務もない。
せいぜい情報の少なさに落ち込まれるだけだ。誰も俺を責めはしない、はずだ。
「……」
そ、それにだ。何よりここで死んだらアリオ監獄長やルーベが悲しむに決まってる。
監獄長は、囚人とはいえ良いやつを失ったな、とか、ルーベならオークの件まだ謝ってないッスとかいって泣くだろう。
そうこれはみんなのため、みんなのためなんだ。
今もこうして敵の情報を持って返る俺を今か今かと待ち望んでいるに違いない。ここで俺が倒れたら、みんなの期待――いや、希望が失われるんだ! だから、ここで引き返しても……
「――ああもうッ!」
良心に負けた。帰るよりも丘に向かう方が足は軽かった。
俺はまんまとアリオ監獄長の思惑通り動いてしまった。
普段なら逃げることに躊躇なんてしないのに、こんな時だけ俺は逃げられずにいた。
まるで、こうなることを知っていたみたいで、気弱な監獄長に恐ろしさを感じる。
丘に近づくにつれ、足音にも注意を払っていく。モンスターのシルエットが大分分かるようになってきたら、森の茂みに隠れ、物音をたてないようにそっと動くことに専念し始める。
まさか、いじめから避けるために磨き上げた技術がこんな風にいかされるなんて、誰が予想したんだろうな。
何となくもの悲しい気持ちを抑えて、そっと丘の方を見やる。
紫の発光、それをぐるりと取り囲むように眺めるモンスター。
そのなかには
さてほかにどんなモンスターがいるかな、なんて見ていたら、ふと視界に気になるものが映った。
丘の天辺に刺さった細長い何か。その先端は
あれは一体……。
もっと近付けば分かるかな、好奇心で身を乗り出す。生憎モンスターには気付かれなかった。
いや、気付かなかったというより、気にもしていないという方があってるかもしれない。
モンスターたちは、まるで青い蛍光灯へと誘われる虫のようにその光に釘付けという感じだ。
ただひとつ不思議なのは、丘の周りにしか集まらないということ。
平らな線から傾斜へと変わる境で、モンスターたちは足を止めている。
まるで見えない壁でもあるかのように、綺麗な円状になっている。
「……とりあえず、これで良いか」
眼中にないというのなら、それはそれで良い。
意味もなく襲われるより、意味もなくぼーっとされている方がマシだ。
離れる時も、やはり興味なしという風に、周りを警戒することを忘れたモンスターたちがただ呆然と光を眺めているだけだった。
丘から離れること数分、特にこれといってモンスターに襲われることもなかった。
あんな大量のモンスターを目にしておいて腕の1本も取られていないことに奇跡さえ感じる。
例えるなら、飢えた獅子のいる檻で1日過ごすようなもの。
けど、それが偶然なんかではないのは分かっている。
「これって、やっぱりあの子の仕業なのか……」
魔王幹部を名乗る小さな女の子、その後ろに大量のモンスターを従えている構図が嫌でも思い浮かぶ。
いや、思うじゃない、思い出してるんだ。
あの日、彼女の後ろには正真正銘モンスターが、彼女の指示に従って俺を襲った。
悲しいけれど、それが事実だった。
明日は、彼女に出会うかもしれない。
「……あー嫌だな! 女の子と戦うとか絶対嫌だ」
「……シノブ?」
振り返る。
モンスターが襲ってこなかったから少々気が抜けていた。この世界は人間同士戦うこともあるんだと、レプラコーン在籍中に言われたことがある。
流石に、こんな夜遅くに1人で歩いてたらターゲットにされるよな。
なんて思っていたらだ。
「やっぱり、シノブだよね」
ゆっくりと視線を上げると、信じられない人物がそこに立っていた。
「……デール?」
「うん、久しぶりだね。シノブ」
爽やかな笑顔を浮かべる少年は、やはりデールだった。
しかし、記憶と少々異なる部分があった。
はっきりと違うのは、身に纏っている防具だ。前は皮の防具一式だったのに、金属製の胸当てや、靴の爪先、手袋の甲などに金属が使用されている。
この短期間で多くのクエストをこなしたことが窺える。きっとレベルも2桁は越えているだろうな。
「こんなところで偶然だね、もしかしてクエストかい?」
「お、おう! そう、クエストなんだ。いやー俺って今みんなから期待されてるから、こんな遅くにも冒険に出てるんだ。デールこそなんでこんなところに?」
あながち間違いではないので嘘にはならないだろうと内心言い訳をする。
デールは少し悩む素振りを見せてから、僕もクエストなんだと答えた。
「へぇー、デールもクエストか。どうせ昼間もクエストなんだろ、その内過労死しちゃうぜ」
「過労死ってのが良くわからないけど、うん気を付けるよ」
久々の談笑。囚人となってからは振り回されるだけで笑えるほど余裕もなかった。しかし、こうして冒険者と笑って話すのは心地良い。
もし、あんな事件がなければ、あのままレプラコーンの冒険者として、1人の冒険者として、上手くやってこれたのだろうか。
こうやって気の合う仲間と共に笑って旅をすることもあったのだろうか。
「シノブ? どうしたの、気分でも悪いのかい」
どうやら顔に出ていたようだ。気を取り直そう。
「ところでさ、最近はどんなクエスト受けた」
「え? う~ん、
「はは、会ったときと同じじゃん」
「そうかな、これでも最近は
やっぱり、デールは凄い。この世界で最初に出会った青年であり、道を示した恩人でもある。
俺が描いたRPGの主人公そのものだ。
そこで、ふと思う。
レプラコーンから追放されて一週間程がたつ。
さすがに、デールも俺が捕まったことを知っているんではないか。
「なあ、その……デールは俺が――」
「ごめん、そろそろ行くよ。今日中に終わらせないといけないクエストなんだ。また話そう」
いうやいなや、デールは急ぎ気味に走り去っていった。
どんなクエストなのか分からないけれど、頑張れよ、デール。
俺も、報告のために再び歩み始める。明日の
紫の発光に向かって走るデールの背中を、不思議だとも思わずに。
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不思議な浮遊感にも慣れ、見えない地面に手を置いて半身を起こす。
当然、そこにいるのはシスター服を着込んだ小さな少女。
大袈裟なぐらい手を広げ、目を閉じている。
「おおーニートよ、働いてしまうなんて情けない」
「もう趣旨が分からないよ」
言いたいだけだろう、この少女神。
「良いですか、ニートは働いたら負けというスローガンをあげています。つまり、働いたニートは負ける、イコール死です」
「働いたら社会人だよ、そして神様が死ぬとか軽く言うな」
つくづく子供だなと思いつつ、ここに来た理由を確認する。
「あのさ、ミコはあの紫色の発光のこと、知ってるか?」
「知らないです」
はっきりと知らないって言われた。
「ほ、ほら。神様って地上を見てるものなんだろ」
「見ていても、全てを知っているわけではありません。魔王だって、こんな脅威になるのなら早めに処置をとっています」
正論を言われたためにこれ以上言う言葉が浮かばなかった。
「う~ん、シノちゃんはミコのこと勘違いしてると思います。ミコはお喋り専門であって、あっちのことはほとんど介入しませんよ」
「じゃあ、何かヒントだけでもくれよ。俺、明日は戦場にいるんだぞ。お願いします女神様!」
顔の前で両手を合わせてお願いするも、やっぱりミコは首を横に振る。
こういうところだけは頑固だな。
ミコは、テコテコとこちらに歩み寄っていき、俺の頭を撫でた。
「シノちゃんはやればできる子です。オークだって倒したじゃないですか」
「あれは、俺というよりルーベの力であって――」
「いいえ、シノちゃんの力もあります!」
幼い女神の迫力に圧倒される。
「シノちゃんは後ろ向きだから分かってないかもしれないですけど、十分、シノちゃんには戦う力があるんです。転生させたミコがいうんだから絶対です!」
そういって、何故かミコは平たい胸を張る。
本当、この自信はどこから出てくるのだろう。
幼い女神は1本後ろに下がると、俺の顔を見てにっこりと笑った。
それはとても暖かい、向日葵のような笑顔。
結局、何も教えてくれないのか。
でも、残念な気持ちよりは、逃げ切ってやるぞという気持ちの方が強くなった。
なんだかんだ女神に励まされた俺は、おぼろげになる視界のなかで、明日のクエストへ挑む覚悟を固めていった。
この世界において俺は『逃げる』しか選択肢が無い。 無頼 チャイ @186412274710
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