第10話
オークの溜まり場に戻った俺達。
ルーべはがさごそと鞄を探り、俺は役に立ちそうなものを探していた。
「ルーべ、本当にオークのボスがいるのか、もしかしたらいないかもよ」
「何度も言ってるッスけど、ボスはここら辺にいるッス。ちゃんと下調べもしたッスから」
あった。といって良く分からない道具を鞄から取り出す彼女。
俺はというと、心の底からいないことを祈っている。
経験値の獲得はモンスターを倒すか、クエストをこなすことで得られる。
経験を積めば当然強くなるのだが、生憎倒す力を持っていない俺は、オーク1匹仕留めてることさえできない。
故にレベルは1のまま、しかも次に相手するのはオーク達のボス。
これほど震えることはあるだろうか。
「そういえば、シノブのレベルはどのくらいッスか?」
一番聞かれたくない質問を投げ掛けるルーべ。
背に氷を当てられたように身がすくみ、僅かなプライドがそれだけはよせと口を閉ざそうとする。
この世界にはレベルがおよそ3つ存在する。
1つは基礎レベル。モンスター等を倒すことで経験を積んでいくもので、こなすことで身体の強化が得られる。
1つは職業レベル、特定の職業をこなしていくことでレベルが上がり、その職業に見あった特技や技を得られる。
1つは所属レベル。主に所属しているギルドのクエストをこなすことでレベルが上がり、身体の強化、特技などを得られる。
そして、その3つを総合したものを総合レベル、通称『レベル』と呼ぶらしい。
前ギルドでレベルが上がった際に受け嬢に教えてもらったことだ。
ただし、所属レベルはあくまで所属している者にしか恩恵を与えないため、レプラコーンから離れた俺は当然身体強化も特技も授かってはいない。
パンチラビットを倒せなかったことを彼女に告げているので基礎レベルが1だということは予想しているだろう。しかも、『ジェイル』でのクエストはこれが初めて、となると、彼女が聞こうとしているのは職業レベルか。
でも、何の職業にも就いてないぞ……。
「聞いてるッスか?」
ルーべがこちらに顔を向けた。
あー! ここに良さそうな道具が、といってなんとか視線を回避する。
「……まあいいッス、よし、これで準備完了ッス」
何とかはぐらかすことに成功し、プライドを死守した事にホッと安心する。
笑い話のネタにされるのはごめんだ。
「さあ、ボスはこの先ッスよ」
というと、ルーべは溜まり場の先、つまり森の奥を指差して言った。
「ここら辺じゃないのかよ!」
「ここら辺ッスよ! 間違いないッス!」
俺と彼女ではどうやら空間認識に差があるらしい。そこは普通あっちと呼ぶのだろうが、突っ込む気はしなかった。
ここで訂正を求めても、オークの元へ向かうのは変わらない。
ああー、これがゲームなら、画面に映る頼もしい勇者が戦ってくれるのに。
落ち込んでいく気持ちも程ほどに、生い茂る草を掻き分け、渋々彼女の後を追った。
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鬱陶しい草木を越えた先にあったのは、綺麗な小川。
透明で一切の濁りが無く、木々を避けてやって来た光りを、川の表面で受け止め照らし、神秘的な光りの反射を繰り返していた。
色々あって忘れていたが、この世界はとても綺麗だ。
排気ガスや化学物質が浮遊していないせいか、何となく空気も美味しい。また自然が多く、都会とは違う幻想的な光景を度々目にする。
まともに冒険出来るようになったら、自然を巡るのもありだな……。と考えていた頃、ルーべの肘が脇腹を突っつく。
「いたッスよ、あれッス」
言われて彼女の視線、川沿いを下流に進んでいくと。
「マジかよ!?」
「シィ! 声が大きいッス」
慌てる俺を彼女の左手が制す。
大きく垂れた耳に肥えた腹、鋭く長い牙、丸太のような腕を持ったオークが横になって寝ている。
まさにボス、RPGに出ても可笑しく無いほど強者の風格が表れている。
「……なあルーべ」
「なんスか?」
「帰りたい」
「駄目ッス」
真顔で駄目と言われた。
この鬼! 帰ったって良いじゃないか!
心の中で悪態を何度も吐く。今を逃げずしていつ逃げるのか、強いモンスターを前にしてぶるぶると震える足がそう訴える。
2度目の人生だが、命は1つしかない。殺されればそこでゲームオーバー、リトライ出来ない。死んだ事を偉そうに文句を垂れる神父の前で復活なんて無い。それが現実だ。
なのに、横にいる少女は悪戯好きな子供のような表情を浮かべ、川沿いの岸から岸へと静かに着地する。
相手は自分達よりも格上だというのに、どうしてこうも楽しそうなのだろう。
仕方ない、行くか。
覚悟を決め、ルーベの後をそっと追いかける。背のある草に隠れるようにして、そっとボスオークの側に寄る。
そして、まあ当然というか、オーク達を追い払う際に使った悪臭も、段々と強さを増していく。
こんな臭いを放っておきながら、臭いをかぎ分けるというのだから、不思議なものだ。
これから決戦というわけか、どのみち戦えないけど、彼女に任せれば何とかなるかもな……。
今まで見せてきた発明? を使って、この強敵さえ退治してくれる、そう思った。だが……。
「……シノブ、これを渡すッス」
といって、硬い殻を付けた実を何個かと、手紙を渡された。
「作戦はさっきと同じッス、それは途中で読むッスよ。で、あっしが合図したら、走るッス」
手短な説明が終わると共に、ビシッと親指を立てる銀髪の少女。
そして、その表情は、何かを任せる者の表情であり、先程回収した正方形のアイテムを、ボタンを押してボスオークの側に転がし、ちょっとずつ離れる。そして、これまた見覚えのある物に口を近づけ――。
「ちょっ! それだめ――」
「おきろーーッスッ!!」
条件反射で背の高い草から頭を飛び上がり、ルーベを制止しようと手を伸ばすも、遅すぎた。
「ブゥ~……、ブヒィ~」
豚頭の怪物は、寝起き悪そうに欠伸をし、辺りを見渡す。
そして、自然と俺の方に目が止まる。
だらだらと零れる
近くに置いてあった棍棒を手に取ったボスオークは、軽くそれを振った後、
「ブヒィィィィイッッ!!」
眠りを妨げた者に対して怒りの咆哮を上げる。
「あの女どういう神経してるんだッー!!」
本日2度目のリアル鬼ごっこが幕を開けたのだった。
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森というのは走りづらい。枝や草が時に邪魔をして視界を悪くするからだ。
また、地面などがぬかるんでいる場合もあって、自分の思うようなスピードが出せないのが難点だ。
しかし、1つだけ救いがあるとするならば、魔物が一切襲って来ないことだろう。
なぜなら……。
「ブヒィィイ、ブッヒィィイ!!」
手を出したら命はないと、直感してるからだ。
オークの集団に追われたとき同様、逃げやすいとはいえぬ道を、知恵と勘を使って捌いて切り開く。
流石に2度目だからか、何となくだが森の特徴を掴んでいた。
草の生い茂ったところが多く、枝などが逃走の邪魔になることは少ない、たまにぬかるみがある。ということだ。
茸を取りに人が切って開いた道なのだろう、親切とはいえないが、それでも枝などに邪魔されず走れるのは良い。また、背の高い草が多いおかげで身を隠せる場所が多いのも得だ。
もっとも、相手にしてるボスオークからすれば、目眩ましすらならないだろうが。
「くそっ! どうしろって言うんだよ」
成り行きで任されたが、倒す術など持ち合わせていない。
せいぜい相手を転げさせるか、疲れさせるかのどれかだ。
通用するかどうかは分からないが。
チラリ、と後ろを見ると、自慢の棍棒を振り回して木々を薙ぎ倒すボスオークの姿が目に映る。
眠りの邪魔をされたのが、相当気に食わなかったことが窺える。
そして、不幸中の幸いというか、ボスオークの特徴もしっかりと掴めた。
「なるほど、あのオーク達とあまり代わり無いな」
オーク達もそうであったように、ボスオークもまた、走るスピードが遅い。
短い脚は走るのに向いていないのだ。その分、力に傾いた筋肉や脂肪やらが、よりスピードを損なっているのだろう。
とすれば、逃げることはそう難しくない。しかし、目的はあくまで追い払うこと。現在追われてる自分が果たせるかどうか、かなりの問題である。
そういえば、手紙を見ろって……。
ふと、ルーベに渡された手紙を思い出した。
近くに溝がないか探し、見つけたあと、滑るように身を隠し手紙を広げる。
~作戦内容~
まず最初にシノブがオークの囮になること。その間あっしが泉の周りに罠を仕掛け、入れないようにする。
オークが疲れ出したら、泉の方に誘導する。
注意
シノブが倒れたら意味無いので、木の実をプレゼント!
「だからそういうの先に言えよ! てか泉ってどこだよ!」
色々と説明不足な作戦で、おまけに人をオークに追わせるようなあの女を信用して良いのか、と半信半疑になる。
それこそ、見方を変えれば、遊ばれてるともとれる状況。また囚人でもある彼女。
そう、もしかしたら、彼女は人殺しの殺人犯だって可能性としてあるのだ。
こんな風に一緒にクエストをして良いのだろうか? 命は1つしか無いのだ。
こうしているよりも、隙を見て、逃げ出すことの方が良いのではないか。
疑心と不安が渦巻く。さらにボスオークが木々を薙ぎ倒す音が近づく。
こんな状況で、一体何を信じれば良いんだ!
そう叫びたくなった瞬間、脳裏にとある言葉が浮かんだ。
ありがとうッス
彼女の言葉、屈託も疑念もない、素直な笑顔。
元の世界では感じることもなかった、感謝されるという気持ち。
それは、曇った空から日差しが差すような、そんなもやもやを払う言葉。
元の世界でも感謝されることはあった。けれどそれは、建前であったり、表面上だったりと、心のこもったものではない。
当然、俺も真に受けずにいた。
オークに追われた後の、疲れきって、感情が整理できていない、そんな不意討ちの、感謝の言葉。
彼女は、嬉しそうだった。
「……そういえば、あいつら泥を体に塗ってたな」
ふとそんなことを思い出す。よく考えると、オークの集団も、体に泥を塗っていた。なぜ塗っているとか分からないが。
そして、ルーベがいつ泉があると知ったのか、そこまで考え至り、1つの可能性が閃いた。
「なら、試すしかないな」
もらった木の実の殻を破り、中の身を奥歯で噛み締める。酸っぱい味であったが、何となく疲れが取れていく気がした。
近くで大地の唸る音がする。見るとボスオークが追い付いて、自慢の鼻をひくひくさせている。
それと同時に、ボスオークの体に塗られた泥が乾き、剥がれていること、そして、鼻息が荒いことも見て取れた。
どうやら奴らは、ペース配分というものを知らないらしい。
あの巨体を動かすのにも、随分と体力を使うはずだ。
一方の俺は、体力はまだ残っており、また、木の実のおかげで回復している。
ならばと立ち上がり、ボスオークの後ろに立ち。
「おいまぬけ! 俺はここだ!」
挑発をかまして、再び逃走する。
幸い、戻る道はボスオークが木々を薙ぎ倒したおかげで迷わず、また視界も開けて逃げやすくなった。
このまま一直線で向かえば、相棒が待っている。
倒れた樹を飛んで避け、年輪の見える切り株を脚蹴りして跳び、樹の枝を掴み、それを軸にして飛ぶ。
そうやって逃げていると、目的の場所が見えてきた。
「溜まり場か、とすればもうす――うおっ!?」
ドン! 大きく後ろが揺れる。チラと後ろをみる、ボスオークが先程よりも近づいていた。
「なっ!? マジかよ!」
体全体が真っ赤になり、泥は完全に乾いて砕け、自慢の平たい鼻から蒸気のような鼻息を吹いている。
どうやらボスオークは全力を出してきたようだ。
体の数ヶ所に樹が棘のように刺さっていることから、もう痛みなど分からぬ様だ。
つまりは本気、ここからが本当の決戦。
溜まり場を通過し、それを踏み砕く音がその後に過る。
だんだん加速するそれに、負けじとこちらも加速する。
そして、とうとう目的の泉が見えた。
「シノブ! そのまま飛び込むッス!」
ルーベの声、目の前には大きな泉と、その手前に杭と杭を繋ぐ縄。恐らく仕掛けであろうそれを跨ぎ、頭から泉へと飛び込んだその時!
「ブヒィィィィイィィッ!!」
「これで止めッス!!」
杭が背を伸ばし、縄がボスオークに巻き付く。
「ブ!? ブッヒィィイ!!」
その後縄が炎上し、ボスオークを豚の丸焼きにしたのは、泉から陸に上がって少ししてのことだった。
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ギルドにボスオーク(というか豚の丸焼き)を運んでもらい、他の冒険者からオーク(というよりほぼほぼ乱入した)の討伐報告が上がり、正式にギルドからクエストクリアの申請が受理された。
何故ボスオークを倒せたのか、自称天才の少女に尋ねたところ、奴らオークは家畜の豚同様に温度調節が上手くないらしく、過剰に上がった熱を更に上げれば自滅する、というのがルーベの作戦だったらしい。
しかし、俺はというと散々こきつかわれたことの方が印象に残っていたため、彼女の自信満々な表情にパンチの1つでも喰らわせたい衝動を抑えるのに必死だった。
後日、ルーベから付いてきて欲しいと頼まれ、受付嬢と監獄長から許可をもらい、依頼主との面会を果たした。
「おばあちゃん! オーク倒したッスよ! これでもう茸採るのも困らないッスよね!」
「ええ~そうだね、ありがとう、これで茸のシチューを作れるよ、本当にありがとうね」
と、人の良さそうなおばあちゃんがありがとうありがとうと何度も頭を下げたのだった。
その光景は、鉄の棒が張った小さな小窓からのものだったが、依頼主の感謝の気持ちが、そこを通して、冷たい部屋を暖かい何かでいっぱいにしてくれたような気がした。
依頼主が帰り、今日のクエストを決めるため、依頼書が貼られた作業場へと赴く。
強面の囚人がクエストボードに群がっているのを見てゾッとしていると、ルーベから声を掛けられる。
「シノブは、今日の依頼主、どう思ったッスか?」
あまりに唐突だが、答えは簡単だった。
「嬉しそうだったな、あのおばちゃん」
暖かで、嬉しそうに何度も感謝の言葉を掛ける老人の姿が、良い意味で頭から離れなかった。
人に感謝されるというのが、こんなにも暖かで、嬉しいものだったなんて思わなかった。
「あと、あっしのこと、信用してくれてありがとうッス」
「はあ? いきなりなんだよ」
「突然パーティー組まされた上に、散々こき使ったのに信じてくれたことっす」
自覚はあるのかと苦笑しつつも、共に戦った仲間の素直な気持ちに、何だか照れ臭さを覚える。
俺も信じてくれてありがとう、とはやっぱり言えず、でも、全部言わなくても良いと、勝手に納得し、省略して、ありがとうならと思い、頬を掻きながら呟く。
「ああ、その、あれだよ。俺からも、あ、あり……がとう」
「なにやってるッスか? 早くしないと難しいクエストばかりになるッスよ」
気付くと、ルーベは囚人の群れなす波に混ざっていた。
肩透かしにあったような気分で、しかし信じてくれた相棒に、そっと感謝して、今日の
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