第9話

 逃げる、ただ逃げる、果てしなく逃げる。

 迫る木々を避け、邪魔する木枝を押し退け、根の張る地を見極め的確に足を踏み入れる。


 元の世界でも、似たような場所で逃げ回った。

 人の林を避け、階段という丘を飛び降り、教師という監視の目を掻い潜った。

 しかし、この状況を学校と同じにして良いものだろうか?

 ふと後ろを見やる。


 細長い腕がこちらに伸び、巨大な体を揺らし、激突した障害物を薙ぎ倒す。

 速度は減速せず、むしろ樹を薙ぎ倒す度に加速しているように見える。

 化け物どもの目は、狂気に満ちていた。

 

 変わって俺は、加速も出来ず、体当たりしても樹は倒れない。ジリジリと縮む距離感が俺の実力を物語っている。


「……いつも通り、か」


 そう、複数人に追いかけられるのも、足の早い奴に距離を縮められるのも、嫌な目を向けられるのも、いつも通りだ。

 元の世界と、一切変わらない。


 変わらない故に、安心した。


「ああいう奴らほど、頭って使わないよな」


 劣勢にいながら、どこか涼しい気持ちになる。

 だから、俺はオークの波に向かって走ることにも、何も想わなかった。


「ブヒヒィィィィイッーーー!」


 俺の勝ち、とでも思ったのか、オーク達は揃って雄叫びを上げ細長い腕を俺に向けて伸ばした。

 バカが。


「よっ!」


 オーク達の腕に捕らわれるその直前、俺は後ろに飛んで回避した。

 俺を捕まえようとしたオークは獲物を見失い、そのまま勢いに乗って倒れる。さらにそのオークの後ろを走っていた奴も、ブレーキが間に合わず、前のめりになっている仲間が障害物となって見事に頭から地面に衝突した。


「ブヒィィィイ!!」


 残った4体が我先にと俺に手を伸ばす。それをギリギリのところで回避しつつ、後方に移動する。

 そして、期待した感触が背に伝わり、予想通りの巨大な手のひらが俺に向かって迫る。


「残念!」


 俺はひらりと身を横に飛ばした。結果。


「ブ、ブヒィ!?」


 俺に迫っていた腕は、見事に樹の幹にスッポリと収まっていた。

 オークは慌てて腕を抜こうと足掻くが、生憎待つつもりはない。


「さて、残り3体は……」


 と思った矢先、後ろから勢い良く捕まれ、体の自由を奪われた。


「ブヒィ……」

 3体のオークが、手の中の俺を囲んで見下ろしている。

 やってくれたなと言わんばかりの形相(だと思う)を浮かべ、殺気のこもった視線を容赦なく浴びせる。


 ここまでは良かったんだけどな。とまあまあの行動を自分で褒めつつ、絶体絶命のこの状況をどうするか考えていると、


「ブヒヒィィィィイッ!!」「ブヒブヒィィィィイッ!!」


 見ると、先程まで倒れていたオーク2体と、樹の幹に腕が挟まった状態で、根っ子ごと持ち上げて迫るオークの姿。

 どちらも怒り狂ってるらしく、鼻息を荒くして、俺のところに向かって突進してくる。

 しかも、仲間がいるのに速度を緩める気はないらしい。


「あっ! これって、チャンスか!!」


 それを悟った瞬間、苦しいながらも体から力を抜き、前後に大きくを体を揺らした。

 そんな抵抗をオークが見逃すはずもなく、握る力をさらに加える。


「くっ! 苦しいッ!」


 迫るオーク3体、圧力をかけるオーク、抜け出そうとする俺。


 早く、早くッ!

 迫るピンチに冷静でいられなくなる気持ちを必死に抑える。右に、左にと体を大きく揺らすが、その度に圧力が加わる。


 もうだめなのかッ!?


 その時だ。


「ブヒヒィィィィイッ!!」


 30メートル前後にいる2体のオークが、鼓膜を痺れさせる雄叫びを上げた。

 それに、オーク3体が反応し、今気付いたとばかりにそちらに振り向く。

 刹那、俺にかかる圧力が緩む。


「いけるッ!」


 手の中から這い出し、それを飛び台にして大きく飛んだ。

 

 後に見たものは、3体のオークに激突し、無様に倒れるオーク2体と、巻き添えをくらい動けなくなったオークに、止めと言わんばかりの突進を浴びせにかかるオーク。

 流石に持ちこたえられなかったらしく、オーク3体はついに地面へ倒れ伏せ、その上に突進したオークが覆い被さり、おまけと言わんばかりに樹がオーク達へのし掛かった。


「流石にもう、追いかけてこ――」

 来ないな、とは言えなかった。

 理由は、正面の樹にぶち当たったからだ。


「……樹とか、反則、だろ……」


 意識が途絶える瞬間まで愚痴った。



 □■□■□■□■□■□■□■□■□



「……きろ、……おきろ……ッス!」

「痛ッ!」

 頬が痛い。とっさに起き上がるとそこには口をへの字にしたルーべがいた。


「……おはよう」

「おはよう――じゃないッスよ!!」


 彼女の茜色の瞳は、何とも知らぬ感情を燃やし、炎を宿らせていた。


「調べものが終わって、足跡を追ってきてみれば、どういうことッスか!」

 まるで、毛を逆立てた猫のように食って掛かるルーべ。

 訳が分からず、ただただ彼女の怒りを身に受けた。


「何か、すまん」

「謝ったら済む問題でも無いッス!」

「心配掛けてすいませんでした」

「全くッス! 大事な実験台が倒されてなくて良かったッス」


 そっちかよ!


 今さらながら辺りを見ると、まだ森の中であった。

 陽光も元気に森を照らしている。


 となると、地獄の逃走劇からまだ間もないと言うわけだ。


 そこでふと、重大な事を思い出す。


「オーク達は!?」

「あっちッス」

 彼女が指差した方向に、樹の下敷きとなっているオークの山が存在していた。どのオークも気絶しているらしく、全く起きる様子が無い。


 その光景を見てしばらく大丈夫そうだと胸を撫で下ろした辺り、ふと違和感に気付く。


「……なあ、ルーべ」

「なんスか?」

「俺、ここに倒れてた?」


 ルーべは不思議そうな表情で、「そうッスよ」と肯定する。


 夢中で逃げていたからこそ気付いていなかったが、飛んだオークの山からここまで、6~7メートル程の距離感があった。

 

 人間必死になれば6~7メートルもの距離を飛べるのだろうか……。


「……まあいっか」

 考えたって分からないので後回しにした。


「ところで、調べものって?」

「ん? あー、これを調べてたッス」


 すると、彼女は鞄から小瓶を1つ取り出し、ひょいっと俺に投げた。

 唐突だったのでキャッチに慌ててしまったが、しっかりと手に取った。


「あのオーク達のボスの臭いッス。これでザコオーク達は追い払えるッスよ」


 フフン! っと小ぶりな胸を張るルーべ。

 それに対して俺はすかさず突っ込む。


「ちょっと待て。何でこの小瓶だけであのオーク達が追い払えるって分かるんだよ。大体ボス何て見てないだろ、どうやって臭いを回収したんだ」


 それに、死に物狂いで逃げたのにこの小瓶で解決とは、俺の存在を否定されているようで気に食わない。


「知らないッスか? オークは鼻がいいッスよ。その証拠に今回の依頼者だって証言してるッス」


 そういわれ、今回の依頼文を思い返す。

 

 あの森にはたくさんの木の実やキノコがなるの。

 食い尽くされたらたまったものじゃないわ、早く追い出してちょうだい。

 という内容だったはずだ。


 でも、それが何だというのだろうか……。


「その顔、辛気臭いッスね」

「は? え?」

「間違えたッス、分からない見たいッスね」

 どうやったらそう間違えるのか、聞いてやりたい。

「依頼文にも書いてたッスよね。茸を食べるって」


 確かに、木の実や茸を食いつくされるという心配事が書かれていた気がする。


「この森にはたくさん茸がなってるッス。でも全部が食べられる訳じゃないッス。そう、毒茸だってあるッス」


 そこまで言われてようやく俺も理解した。

 そうだ! 茸を食べるのに一体どうやって見分けたんだ。


「オークだって毒茸を食べれば死ぬッス。でも、オークはある部分が発達していて、それで見極めることが出来るッスよ」


「それが、豚鼻って訳か……」


 ここでようやく、ルーべが何を言いたいのか理解した。

 今考えてみると、オーク達が俺を追うとき、何の躊躇いもなく突進してきたのは、俺の臭いがしていたっていうことか。


「で、臭いの回収ッスけどね……よっと」

 そういって、鞄を漁りながら出したのは、長い筒が透明な瓶に刺さっていて、そして瓶の上にこれまた小さな瓶に緑黄色に輝く光の玉が入っていた。


 形で言うのなら、ジョーロに近いものだった。


「これで臭いを吸い上げ、瓶の中に詰めたッス。瓶の口には三重にフィルターをつけてるッスから、臭いしか通らないッス」

 手品を明かすように、1つ1つ丁寧に教えてくれるルーべ。


 しかし、俺には1つだけ分からなかった。


「その光ってる玉、なに?」

「ああーこれッスか? これは吸引と送風が出来る魔法が込められた玉、呪言玉じゅごんだまッス」


 いやー、実はこれ作るのにかなりかかったッスよね~、とか言っているが、俺の耳には入らない。

 魔法が込められた玉、つまりそれは、魔法が使えない者でも使える道具アイテムの一種ではないか?

 きらりと輝く玉の表面には、何やら良く分からない暗号のようなものが書かれている。

 この手のアイテムは1度使えば無くなるはずだが、今もぷかぷかと瓶の中を浮いている。

 そうなるとこれはキーアイテムなのではないか? こんな短期間で間近にするなんて幸運じゃないか。もしかして、これを使えば魔法使いたい放題なんてことも……。


「なにジロジロ見てるッスか、というか聞いてるッスか」

 気付くと、ルーべがジョーロもどきを上に持ち上げ、ふて腐れた表情でこちらをジィーっと見つめていた。

 何気に可愛いので怒られてる気がしない。


「ともかくッス、これは開発に苦労したッスから人には触らせる事が出来ないッス」

 そういうと、ジョーロもどきを鞄に押し込んだ。

 魔法使いたい放題の夢が蜜柑の薄皮のようにペロッと空気に流されるのを感じた。


「で、臭いの場所ッスけど、それはその小瓶をオーク達に投げつけたほうが早いと思うッス」


 そういうと、彼女は俺の手から小瓶を手に取り、小瓶の栓を取った後、すぐさま鼻を摘まんだ。


「えっ……? うおっ!? ぐおっ!?」


 強烈な悪臭が鼻を襲った。例えるなら洗ってない靴下と強烈に臭いチーズを足したような、何とも言えない激臭である。


 それをルーべは、ひょいっとオークの山目掛け投げ放つ。

 小瓶はオーク達の側に転がり、見えない状態異常を着々と進行させていった。


「よしっ! これでザコオーク達は終了ッス。シノブも早くここから離れるッスよ」

「でも、大丈夫か? もしオークが村の方へ行ったりしたら……」

「大丈夫ッス。村もオーク達への対処は知ってるッスから、心配いらないッス」


 ニコニコと笑う彼女を見て、とても頼もしく感じる。

 反面、逃げ出す事しか考えていない俺は自分の情けなさと無力さが嫌に感じてしまう。


 せめて、モンスターを倒せる力があれば、俺だって。


 そう考えるのは何度目か、もう分からない。


「さて、近くの樹に隠れるッスよ」


 彼女は埃の被った笑顔を俺に向ける。

 力を持っている者は余裕だから、そんな笑顔を向けられるのだろうか。

 俺には、分からない。


「さあ、見ててくださいッスよ。あっしの新発明を!」


 そういうと、彼女は鞄から正方形の何かを取り出し、それをオークの山に向ける。

 正方形のそれには、半分に小さい穴が無数に空いていて、もう半分にはボタンが1つ。

 しかもこれまた見たことがある形のもの、確かこれは、無線機……、


「起きろーーッス!!」


 彼女の大きな声は、オーク達のいる方で盛大に弾けた。

 どういうことだ!?


「ブヒィッ!?」


 見るとオーク達は目を覚まし、途端に慌てて逃げ出した。

 しかし、1~2体程が足を崩すが、何かに怯えてるようで、立て直すよりも四つん這いで逃げる事を選んだ。

 その格好と形相は、もはや豚そのものだった。


「フッフッフ、どうッスかこの発明は!!」

「すまん、全然分かんない」


 仕方ないッスね、といって彼女は人差し指を先程投げた小瓶に指し示す。


「あれに、ちょー小型の発声機を付けたッス。それをこの端末越しで送ると、発声機からあっしの声が出る仕組みッス!」


 どうッスか! 凄いッスよね! と俺に共感を求めるルーべ。

 こんな子供の悪戯みたいな発明に、どうリアクションを取ればいいのだろう……。


 しかし、オーク達を退けたのはルーべだった。

 俺はそんな彼女に感心と、劣等感を感じずにはいられなかった。

 逃げるしか取り柄のない人間は、何をやっても役立たずなのだと、教えられた気がしてなら無い。


「あ、後ッスね」


 何だよ、とそっけなく返事をする。

 こんな人間のクズに何のようだと思っていたら、

「ありがとうッス」


 感謝された。


「あっしは体力無いッスから、オーク達を相手してくれてありがたいッス。ぶっちゃけパンチラビットに負けた奴だから心配してたっすけど、オーク達が倒れてるのを見て見直したッスよ」


 そんな風に言われるとは思わなかった。自分はただ逃げただけなのに、感謝されるなんて……。


「ほら、次行くッスよ。まだ仕事の途中ッス」


 ほら、っと肩を押されるが、それをどこか俺は嬉しく想っていた。

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