第16話 森の中でのヒスイ
「このアオバミ草は解熱作用があるの。今は冬だから見れないけれど、夏に綺麗な青い花を咲かすのよ」
「そうか、それは是非一度見て見たいな」
森に着いた二人はずんずんと森の奥へと進み、薬草を採取していた。ヒスイは本当に薬草が好きなのか、いつもより口数がかなり多い。といってもほとんど薬草の話で、アルゴにはそれを一度で全て覚えきるなんて不可能だったが、それでも楽しそうなヒスイにうんうんと頷いきながら相づちを打っていた。
「あ、これはスノードロップの花ね。これは薬草じゃないのだけれど、この小さくて可愛らしい花が人気らしいわ」
「ほう、ずいぶんと小さい花だが、たしかに綺麗だな」
アルゴがヒスイの指差す方を見ると、そこには雫のような形をした三枚の白い花弁が花の内側を覆うようにして地面に向け垂れ下がったなんとも可憐な花があった。こんな小さな花にまで全て名前があるのかと感心しながらアルゴはその花をまじまじと見た。
ヒスイは薬師なだけあって森に慣れているのかずいぶんと早いペースで先へと進んで行くので、慣れない足下のアルゴはついて行くだけでも一苦労だった。
「ヒスイ、この赤い花にも名前があるのか?」
アルゴが歩きながらふと気になったことを前を歩くヒスイに尋ねる。ヒスイが振り返ってアルゴの視線の先を見ると、そこには大きくて目立つきつい赤色の花があった。先ほどのスノードロップのように垂れ下がってはいるが、大きさは広げた手のひらほどで、形はまるで教会などにある鐘のようだった。花の匂いも強く、あたりに甘ったるい香りを漂わせている。
「うーん、私が子供の頃住んでいたところでは見たことないから分からないなー。図鑑でもこんな派手な花見た覚えがないし。この辺り特有の花か、もしかしたら新種かもね」
「そうなのか」
小さい花にまで名前があるならこんな大きくて派手な花には一体どんな大層な名前があるのかと期待して訊いたアルゴは少し残念そうにしながら答えた。
二人は再び歩き出す。
「それにしても冬だからもっと枯れ葉だらけかと思ったがそうでもないんだな。薬草ももっと暖かい時に取れるものかと思っていた」
アルゴは今度は歩いたままの状態でヒスイに声をかける。
「この辺は常緑樹の森だから落ち葉があまり出ないんだよね。それに薬草って言ったって冬にしか取れないものもたくさんあるんだよ。あ、ほらここにちょうど花が咲いてるツワブキなんかもそうだよ。茎は打撲に効く薬になるし、根と葉は魚の中毒に効くんだよ」
「その年でよくそんなに知っているな。素直に感心する」
花の名前はともかく、薬草の知識は次から次へと際限なく出してくるヒスイにアルゴは驚きをや交えながらも言葉を発する。しかし、その言葉がヒスイの何かよくない琴線に触れたのか、彼女は急に立ち止まって横を向く。その横顔に見える表情は先ほどの楽しそうなものから一転、影の見える寂しそうなものへと変わっていた。
「この珍しい金色の髪のせいで子供の頃は周りから気味悪がられて、ずっと森の中で一人で遊んでいたんだ。それに一緒に住んでたお婆ちゃんが薬師だったから余計に皆構ってくれなくて。仕方がないからお婆ちゃんに薬草のことを聞きながら過ごしていたらこうなちゃったんだ」
悲しみの色を乗せた声で少女はとぼとぼと語り、最後は自嘲気味に笑って話した。
「そ、そうか。まぁ俺も似たようなものだからなんて言葉をかけていいのか分からんが、でもな、その金色の髪は綺麗だと思うぞ。子供は珍しいものとか、羨ましがられるようなものを持つ相手をバカにしたくなるもんなんだ。子供の戯言と思ってそんなこと気にするなよ。なんせヒスイは大人なんだろう」
「えっ、そ、そう。この髪綺麗?」
「あぁ、美しい髪だと思うぞ」
「美しい……」
ヒスイの先ほどまでどんよりと沈んでいた表情がパァッと明るく返り咲いた。嬉々として薬草採取していた時よりもうっとりとした幸せそうな表情にも見える。アルゴは髪を褒められただけでそんなに嬉しいのかと不思議に思ったが、藪蛇なので口には出さない。
元気を取り戻したヒスイはまたズンズン森の奥へと進む。
「あ、あそこにみかんがなっているわ。取りに行きましょ」
そう言って急に走り出したヒスイをアルゴは急いで追いかける。
「走ると危ないっ……うっ」
走り出したヒスイを危ないので呼び止めようとしたアルゴだったが、慣れた様子のヒスイは特に気にする様子はなく、むしろ慣れないアルゴ自身が木の根につまずいてドテッと転んでしまった。少ないとは言っても地面には多少の枯れ葉が敷かれているので幸いどこにも痛みはなかった。アルゴは起き上がると急いでみかんの木の方へ向かうと、その下でヒスイがたたずんでいた。
「うーん、ちょっと届かないわね。アルゴなら取れそう?」
「いや、俺にも届かんな」
みかんがなっているのは少し高い場所だったので二人とも届かない。アルゴが剣で叩き落とそうかと考えていると、ヒスイが驚きの提案をする。
「じゃあ、ちょっと肩車してくれない? アルゴなら私でも持ち上がるでしょ。町とかなら恥ずかしいけどここなら誰も見てないしね、お願い」
「肩車って……まぁいいか。しゃがめばいいか?」
剣でみかんを叩き落とす方法はみかんが痛むだろう。精神的にはよくないが、薬の材料を取りに来ているので出来るだけいい状態で採取できた方がいいかと考え、アルゴは渋々肩車を了承する。決してヒスイの上目遣いの懇願するような目に負けたわけではないはずだ。
アルゴが首を低くしてしゃがむと、ヒスイがアルゴの体をまたいで肩の上に後ろから乗って来た。アルゴは落とさないようにひすいの足首の部分を両手でしっかり掴むとそのままゆっくりと立ち上がる。
「うわーすごい。余裕で届くよ! 実はいらないから後で一緒に食べようね」
そう言いながら少女はみかんを掴み取ると、背中に背負うカゴに次々と入れていく。
アルゴは顔をギュッと挟み込むようにして当たるヒスイの太ももに少し悶々としたものを感じたが相手は子どもだと心の中で唱え続け、その危地をなんとか乗り切った。
普段は凛と済ましたようなところがあるヒスイだが、アルゴ以外に人目がないせいか、それとも森という彼女にとって特別な環境のせいか、いつもより幼げで明るいように感じる。このヒスイが本当のヒスイなのかもしれないなと思いながらアルゴは再び歩み始めたヒスイのあとを追う。
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