第10話 アルゴの苦難



 アルゴがまるで奇術師のような芸当で馬を呼び寄せたことに魔術師少女が呆然としている間にも馬は段々と近づいてきた。真っ黒な馬であるゼノは力強く走り、主人の元へと向かってくる。

 そしてアルゴの目の前で立ち止まるとゼノはぶるんと鼻を鳴らす。立ち止まった瞬間アルゴの傍にいる少女をチラリと流し見たように見えたが気のせいであろう。


「よしよし、無事だったか。よく来てくれた。助かったぞ」


 アルゴが目の前の大きな馬を撫で回してスキンシップを取っている間、少女はまたしてもフリーズ状態に陥っていた。目の前には二メートル近い大男とその大男のための馬としか思えないほどの大きな馬。いったいどこの巨人の世界へ迷い込んでしまったのだろうと現実から目を背けていた。


「ゼノ、お前俺とこの子の二人乗せて町まで行けるか?」


 アルゴの問いを理解しているのか、ゼノはまたしてもぶるんと鼻を鳴らし、まるで余裕だと言わんばかりに尻尾を高く上げている。

 少女は言葉で意思疎通をはかる珍妙な人間と馬を前に意識をしっかり保って言葉を発する。


「時間がないので馬が無事だったなら手早く出発しましょう。それと私が馬の手綱を握りますからからあなたは私の後ろに乗ってくださいね」


 少女のいきなりの爆弾発言に今度はアルゴがフリーズする。アルゴからすると小さな目の前の少女が、かつてアルゴも手を焼いたじゃじゃ馬であるゼノを乗りこなせるとは見えない。


「お、お嬢ちゃんそれはちょっと無理があると思うぞ。この馬は気性が荒いから流石に危険だ」

「誰がお嬢ちゃんですか! 私はもう十分にひとり立ちしてます。それと私の名前はヒスイです。お嬢ちゃんと呼ぶぐらいなら名前で読んでください。だいたい危ないのはあなたの方じゃないですか。そんな体で馬を操れるわけがないでしょう。さっきから一人で歩くだけで精一杯に見えますよ」


 アルゴの発言に気を悪くした少女はいささか早口でまくしたてるように声をあげた。何もお嬢ちゃんと呼ばれたからという理由だけではない。彼女からすれば確実に死へと近づいているような状態のアルゴが無駄に体力を消耗する真似は絶対に容認できなかったのだ。その強い意志を言葉に乗せた結果、このようなきつい口調になり、その上決まりの悪いタイミングで名を名乗ることとなった。

 アルゴはまさかここで名乗られるとは思っておらず驚いたが、ヒスイという少女の派手な金髪からは想像もつかない東方の雰囲気のある名をしっかりと心に刻む。体調に関しては薬のおかげで良くなったとごまかしきっているつもりだったが、本業が薬師という少女もといヒスイの目の鋭さには勝てなかったようだ。


「あー俺も名乗りがまだだったな。俺の名前はアルゴだ。よろしくなヒスイちゃん」

「……魔物のような顔をした人にヒスイちゃんと呼ばれるのは気持ちわ、いえ、寒気がするので呼び捨てでお願いします。アルゴというのですか。よろしくお願いしますねアルゴ!」


 アルゴの慣れないちゃん付けを冷たい目であっさりと切り捨てるヒスイ。しかし、その後アルゴの名前を呼ぶ時にはなぜかすでに上機嫌なように見えた。

 アルゴはヒスイの切り替えのあまりの早さに驚くも、これが噂に聞く女という生き物かと考えることを諦める。しかし、あまりの驚きに子供と思っている相手から呼び捨てにされたことにまで気が回らなかった。


「あ、あぁよろしくなヒスイ。ヒスイの考えている通り正直かなり体はきつんいんだが……、馬は乗れるのか? こいつ、ゼノっていうんだけどゼノはさっきも言った通りこう見えて気が荒いからそんなすぐに乗りこなせないと思うぞ」


 アルゴはひねり出すように発した言葉で改めてヒスイに挨拶をし、気になることを尋ねた。


「この大きさの馬は初めてですが、馬には自信があるのでたぶん大丈夫ですよ。試しに一人で乗ってみましょうか? ちょっと背が届かないので乗せてください」


 ヒスイはアルゴを少し手を上げたような状態で見上げ、抱き上げるようにいう。

 アルゴはそんな子供とはいえ大人に近づいている体つきの少女を意識しないようにヒョイっと持ち上げ素早くゼノの上に乗せる。


「よろしくねゼノ」


 乗せられたヒスイはアルゴを真似てゼノの首元をさすりながら声をかけた後、手綱を握り、足でゼノのお腹あたりをポンっと蹴って合図を出すとそのまま颯爽と走り去っていった。

 ヒスイが足を蹴り出した瞬間ゼノが暴れて、ヒスイは振り落とされるだろうと信じて疑わなかったアルゴはその時のために身構えていた。

 しかし、予想とは逆に軽々とゼノに乗りこなすのを見て目を丸くする。アルゴが小さい頃から育て上げて信頼を気づいた上で、なんとか成し遂げたことを目の前の少女が楽々と行ったのでそれも無理はない。

 ヒスイといると驚くことばかりだ、と軽く笑い声を上げながら楽しそうにアルゴは彼女が戻ってくるのを待つ。



 ヒスイはすぐに帰ってきた。ゼノも特に機嫌が悪いといったことはなさそうだ。


「ね、大丈夫だったでしょう。じゃあ私の後ろに乗ってね」


 戻ってくるや否や彼女はそういっ放った。美しい少女の後ろに乗ることは男としてかなり恥ずかしかったが、自分の身のためにそうも言ってられないので済ました顔でさっと馬にまたがる。

 そしてそのまま動き出すのを待つがいっこうに走り出す様子はない。

 不意にヒスイから声が上がる。


「何してるの。ちゃんと捕まらないと危ないでしょう」


 すぐに言葉の意味が理解できなかったアルゴだが、どうやらヒスイは自分の腰に捕まれと言っているようだった。流石にそれはできないとアルゴは言葉を探そうとするが、後ろを振り返るヒスイに睨みつけられてしまう。人に睨みつけられることが全くと言っていいほどなかったアルゴはひんやりとしたものを背中に感じながら、渋々ヒスイの腰に手を当てる。

 だが、すぐにもっとしっかり捕まれとの叱責の声が前からかかり、もうどうにでもなれとアルゴは目の前の少女に後ろから抱きつく。

 それを確認したヒスイは世話がかかるとでも言うように小さくため息をついた後、馬を走らせ、あっという間に地の彼方までかけていく。


 こうして早くもヒスイの尻にしかれるアルゴの、ある意味苦痛な時間が始まるのだった。

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