決意

「……ばあさん、あんまり動くな。こっちが落ちてしまいそうだ」

「仕方ないだろう、あたしゃ、後ろに乗って顔を見ちまうようなことがあったら死んじまうんだよ」

 先ほどからルシールはまるでそこに誰かいるように、何もない空間としゃべっている。 マーティンは不気味でならなかった。

 結局、マーティンとマイケルは馬車に乗せられて王宮を目指していた。他にどうすることもできなかった。

「マーティー、ほんとにあのおばあさん、見えないの?」

 マイケルはマーティンの顔を覗き込む。

「見えないよ。マイケル、どうかしちゃったんじゃないのか」

 マーティンは俯き、横目でマイケルを見た。馬車に乗る時、グランスが独り言を言ったように思えた。ばあさん、先に乗れ、と。マーティンには何も見えていなかった。しかし、マイケルには、『おばあさん』が見えているという。これにはルシールとグランスも驚いた様子だった。君は、魔導士なのか? と聞いていた。マイケルは得意そうに、まあね、と答えていた。大の大人が、何の冗談だろう。もう、何もかもが意味不明でどうでもよかった。ただ、家に帰りたい、母さんやキャスに会いたい、それだけをずっと思っていた。マイケルは初めて乗った馬車にはしゃいでいる。どうしたら帰れるのか、考えても考えても、いい答えは得られなかった。

 通された部屋は意外に大きく、マーティンは入り口で立ちすくんだ。マイケルが、わあ、と声を上げる。床も、壁も、高い天井も、全て大理石だった。きらきらと光っていた。

 王宮の建物は、思っていたほど大きくはなかったのだ。マーティンもマイケルも、大きなお城を思い浮かべていた。王宮の前に降り立った時、マイケルは、小さいね、と躊躇わず口にし、ルシールが、もうこの国には、戦争もなければ襲ってくる敵もおらん。だから、高い城壁も塔も、無用なのさ、と説明した。

「陛下がお越しになられるまで、お待ちください」

 ルシールとグランスはそう言って謁見の間を出ていった。マーティンとマイケルは少しの間、顔を見合わせてから、ぼんやりと立っていた。マーティンは自分たちのいる場所と、自分たちの服装を交互に見比べた。スウェットのパーカにダウンベスト、ウォッシュドデニムに、履きつぶしたコンバース・オールスター。マイケルに至っては、キャスのニットワンピースだ。

 真っ赤な絨毯の上を歩き、玉座の前まで来て、目の前の壁に、分厚い織物が掛かっていて、この国のエンブレムか何かが描かれているのを見た。 紋章の上には、『Migrea Millregatti』と書いてある。

「ミグリア……マイルレガッティ。ミグリア? ここは、やっぱりセント・ミグリアなのか?」

 マーティンがマイケルに向かって叫んだとき、玉座の後ろから声がして、女性が現れた。

「はあ? なんて汚い発音なのよ」

 小学生くらいの、女の子だった。女の子に続いて、ルシールとグランスも顔を出した。

「ミッレア=ミルレガッティ。この国の名前よ。そして、この国を作った大魔導士の名前。覚えてて」

 ミッレア? その発音の方がどうかしてる。それじゃイタリア語みたいじゃないか、と思いながら、マーティンは、はあ、とだけ答えた。

 女の子は、美しいドレスの裾を蹴りながら、ずかずかとマーティンたちの前を歩いて、玉座に腰掛けた。頭には金色の、沢山の宝石を付けたティアラを載せている。

「あなたたちは、この国のこと、まだ何にも知らないのでしょう」

 そう言って彼女は二人に手招きした。二人はほんの少しだけ、女の子のそばに寄った。

「もっと寄りなさいよ、シケてるわね」

 彼女は顔をしかめて手をぶんぶん振った。

「私はケイト・ジャムステッド。このミッレア=ミルレガッティの、第10代国王です」

 国王?この子が?

「女王様は何歳ですか?」マイケルが無邪気に聞く。

「11歳です。お前は、いくつ?」

「…7歳だよ」

「7歳…子供だわね。お前は?」お前、と言われてムッとしながら、マーティンは18です、と答えた。ケイトは天井を仰ぎ見て、子供にオッサン、まともなのいないじゃない、と吐き捨てた。

「せっかく『救世主』と結ばれると期待していたのに。話になんないわ。まあ、いい。どうせ長生きしたいなんて、思ってなかったのよ。しっかり48歳まで、政務を果たすとするわ」

「どういうことですか?長生きとか、救世主とかって」マーティンは今まで疑問に思っていたことを全部聞いてみることにした。ケイトはルシールに目配せし、話をさせた。それは、一度聞いただけでは信じられないような、真実の歴史だった。

 15世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパ中で起こっていた魔女狩りの事実。そしてそれが、ただ民衆の不安による迫害だっただけではなく、本当に存在した魔法使いを掃討するためのものであったこと。1535年、イギリス・イングランドで起こった大規模な魔女狩り。そして、その時もっとも力のある魔導士と言われたミッレア=ミルレガッティが周辺の魔導士たちを集め、ロンドンの郊外の森で強力な結界を張り、外とは隔絶された別の世界を作り上げ、そこに追われた数多くの魔導士を逃げ込ませたこと。8000人を超える魔導士がその結界の中の世界に入り、魔導士の国を建国したこと。

「そこまではね、良かったのよ」ルシールの話を遮るように、ケイトが話を始めた。

「大魔導士ミッレア=ミルレガッティは、その時すべての力を使い果たして、命を落としたわ。それが、48歳。そして、この国には呪い

がかけられた。ミッレア=ミルレガッティのよ。この国の女性は全て、48歳の誕生日を迎えると同時に、死ぬの。どんなに、元気でもね、死ぬのよ。そして、男は48歳ですべての記憶を失う。この国には47歳以下の女性しかいないし、48歳以上の男は皆、過去のことを忘れて生きてる。そうやって、480年間、この国は続いてきたわ」

 マーティンもマイケルも、ただ茫然として、二人の話を聞いた。これが本当のことだとは、いつまでも信じられなかった。ただ一つだけ、確信したことがあった。ここは、やはり、ミグリアなのだ。ミグリアで、480年前、魔女狩りがあり、ミッレア=ミルレガッティが結界を張ったのだ。そして、別の世界が作られた。セント・ミグリアという地名は、その名残なのだろう。

「救世主、ってのは、何ですか」マーティンはさらに質問を続けた。

「それは、我々にもまだよくわからないのよ」ケイトは首を横に振る。

「1535年から、48年ごとに、『救世主』は現れる。例の、『すずかけの樹』と一緒にね。そして、現れた『救世主』が、この国を呪いから解き放ってくれるって、言い伝えとしてはあるんだけど。あなたたちで、10回目よ。それなのに、呪いはいまだに解かれてないわ」

「みんな、失敗したんですか」

「知らない。『救世主』たちの呪いへのアプローチはいろいろあったみたいだけど。私は興味ないわ。それぞれが、どう生きたのか、なんてね。ただ、みんな、この国で生きて、この国で死んだわ。そして、『救世主』に愛された女性だけが、長生きするのよ。クレア=ジルロレンスを見たでしょう?彼女は、48年前に来た救世主と結ばれて、今も生きてるのよ」マーティンは、ああ、あの見えないばあさんのことか、と合点した。

「最初に『救世主』と結ばれた女は、頭文字がC・Jだった。それ以来、この国では女は必ず頭文字をC・Jにするのが習わしだ。苗字まで変えてしまった。結婚して苗字を変えるのは、男の頭文字がJのときだけだ。やはり、自分の子供には長生きしてほしいからな。親心さ」ルシールが付け加える。

 C・J。

 キャス!愛しい、C・J!今頃どうしてる?

 いつまで経っても帰らない僕たちを、心配してるに違いない!

「やっぱり、ここからは戻れないんですか?僕たちは」急に胸がどきどきして、聞いた。

「それも、知らないわ。けれど、どの『救世主』たちも、帰る方法を模索はしたと思う。でも無理だったんでしょう。皆、ここで死んでいるのだから」

「そんな…!」

もう、会えないのか?C・J!母さん!父さん!

 マーティンが俯いたその時、ポケットからビートルズのキャント・バイ・ミー・ラヴがけたたましく鳴った。

 電話だ!

 電話が通じる!

 なぜ気づかなかったのだろう!マーティンは急いで電話をとる。

「もしもし?僕だけど!」

(マーティー?どこにいるの?)母さんだ。ひどく懐かしい気がした。マーティンは胸が熱くなって、涙が出そうになるのをこらえた。

「ちょっと…道に迷っちゃってさ、うん、マイケルも一緒だよ。大丈夫。うん、ピンピンしてるよ」

(C・Jが怒ってるわよ、パーティーが始まるのに、って。ちょっと、代わるわね)

 

 ああ、C・J!


(ちょっと、マーティー?いったいどこをほっつき歩いてんのよ?サーモンのムニエル、食べちゃうわよ?それと、おばさんのプレゼント、ちゃんと買ったんでしょうね?)

「ああ、買った。…買ったさ、ちゃんと。君への、餞別も買ったんだ」

(餞別?大げさね。三週間だけなのに、もう永遠に会えないみたいじゃないの)その言葉に、マーティンはついに涙をこぼしてしまった。涙が出て、止まらなかった。

「C・J。…C・J。もうすぐ、戻るから。戻るからさ。待ってて。…マイケルに代わるよ」

(マーティン?あなた…、マイケル?アンタ、またあたしの服着てない?クローゼットが開いてたわよ?)

「お姉ちゃん?お姉ちゃん…」今まで元気だったマイケルは、姉の声を聞くや否やホームシックにかかって泣き出してしまった。

(こら!男の子が泣いちゃダメよ?早く、帰っておいで。叱らないから)

「うん。わかったよ」

 電話を切り、すぐに電池残量を確かめた。半分も残っていなかった。

 けれど、電話が通じる!

 だとしたら、メールもインターネットも使えるのだ。少し、希望が湧いた。

「今のは、何?」ケイトが訝しげに聞く。マーティンは急に現実に引き戻された。

「これは、電話です。今、母さんと…恋人と、話をした」

「それで、話ができるの?外界と」ケイトは顔をしかめる。

「そうだよ。限りはあるんだけど」

「…すごい魔法ね」彼女はケータイを睨みながら言った。

「魔法じゃない、科学です」とマーティンは答えた。

 女王は何か考え込んだ様子で、科学?なにそれ?と言った。


 次の日、結局二人は王宮の一室にいた。

 昨日の夜、母とキャスにはメールを打った。帰りたいけど、どうしても帰れない場所にいる、パーティーも見送りもできなくて、本当にごめん。 

 今日はルシールの奥さんの、48歳の誕生パーティーだという。

 この国では、女性の48歳の誕生日を、盛大に祝う風習があるらしい。そりゃそうだ。もう、二度と会えなくなるのだから。死んでしまうのだから。

「済まないな、マクドナルド殿。呼びつけてしまって」

「いや…。だって、大切な会じゃないですか」

「ありがとう。君の母さんの誕生日は祝えなかったというのに、本当にすまん。君の母親は、いくつになる?」

「奥さんと同じ、48歳です」

「なに?それじゃ、もう…」

「いや、ルシールさん、僕の世界じゃ女性は48歳で死んだりなんか、しません」

「…そうか。ならいいが。本当にそうなのか?」

 そう言われてみると、なんだか胸騒ぎがする。そう言えば、昨日送ったメールに、まだ返信がない。…まさか、な、と自分を戒めた。

 ルシールの家には、沢山の人が集まっていた。皆、奥さんに最後の別れをしに来ているのだ。

「カタリー。こちらは、マーティン・マクドナルド殿だ。10人目の、『救世主』だよ」

「まあ…。『救世主』様が、わざわざ私に会いに…。近衛兵の妻をやっていて、良かったわ。あなたのような方に、お会いできるなんて。この人ったら、毎日毎日、疲れた疲れた、酒はないのかって、もうそれはそれはうるさくて偉そうでね、兵隊なんかに嫁ぐんじゃなかったって思ってましたけど、冥途のいいお土産を頂きましたわ。あちらの世界で自慢しなくっちゃ」カタリーは元気で、明るく笑った。

「どうも、…」

カタリーを前にしてマーティンは、言葉に詰まった。何と言ってあげればいいのだろう。お誕生日おめでとう、などとは言えない。さよなら、もおかしい。こんなに元気に立ち振る舞っている女性が、今日の終わりとともに死んでしまうなんて、考えられなかった。母も、同じ年だ。母親が、この歳で死んでしまうなんて。ルシールには二人の娘がいた。

 家の入り口のほうでどよめきが起こった。歓声が響く。誰か来たのだろうか。

「ルシール。奥様はどちら?」ケイト=ジャムステッド女王だった。

「うわ、陛下!こんな街の方まで来られてはいけません、お戻りを。お一人で来られたのですか」

「まさか。外に近衛兵が取り巻いてるわ。ルシール、今日みたいな大切な日に私を呼ばないとは何ごと?早く奥様に会わせなさい」ルシールは慌ててカタリーを連れてくる。カタリーは、それはそれは恐縮しながら女王に謁見した。

「今まで48年間、この国を支えて頂き、感謝します。ありがとう。私も、あと37年、しっかり役目を果たして奥様を追いかけるよ」女王は優しく笑った。カタリーもルシールも、涙が止まらなかった。

 マーティンは、じゃあ、私はこれで、と言って出ていくまだ幼い女王に、感心のあまり言葉が出なかった。

「女王様、優しいんだね」マイケルも遠くからその様子を見て言う。

「ああいう人が女王なら、国は良くなるんだろうな」マーティンは胸が温かくなるのを感じながら言った。

 晩餐は続いた。

 この世界に、正確な時計はなかった。マーティンが腕時計を見る。23時46分。

 カタリーが、急に青ざめた様子になり、倒れ込むようにして籐の椅子に腰掛けた。

「カタリー?カタリー」ルシールが、察したようにそばにしゃがんだ。二人の娘も駆け寄った。

 沢山の街の人が、固唾を飲んで家族の様子を見守った。


 …これが、この国の習わし。


 一人の、48歳という年齢と、死を迎える女性を、家族と街の人とで、見送る。

 この国の人たちは、480年の間、そうやって生きてきたのだ。


「カタリー。ここで、いいのか?」

「ええ。いいわ…。今、とっても晴れやかな気分よ…。こうして、みんなに見守られて、私は本当に幸せだわ。これも、あなたのおかげよ、エディ」

「ママ!死なないで!ママあ!」子供たちはやはり現実を受け止められないのだ。徐々に力なくぐったりとしてゆくカタリーを揺さぶって叫び続ける。

「カタリー…。ううっ。うおっ」ルシールが泣いた。

「泣かないで、あなた…。笑って、見送ってください」

「カタリー。今まで、迷惑ばかりかけた。済まない。本当にありがとう。ありがとう」ルシールは何度も何度もカタリーの頬をさすった。家族の周りで、沢山の泣き声が起こった。

 マーティンもマイケルも泣いていた。こんな悲しいことが、何で起こるのだろう。

「マクドナルド殿、何とか、なんとかなりませんか」泣き崩れながら、ルシールが叫ぶ。

「救世主よ!なんとか…してくれまいか?」

 人々が一斉にマーティンを見る。皆、『救世主』の存在に目を輝かせた。

「な…なんとかって。…どうすれば…」不安にマイケルを見る。マイケルは顔を強張らせたまま、ゆっくりと首を横に振った。

 

 そう、無理なのだ。


 マーティンはカタリーの頬を手でさすった。

 …神様。

 いったい、どうすれば?

 今、目の前で死んでゆくこの人を、僕はどうやったら助けられるのですか。

 カタリーが泣いている。涙のわけは?マーティンは涙が出て止まらなかった。

「ねえ!あなた『救世主』なんでしょ?ママを、ママを助けてよ!助けて!」娘たちが肩を揺さぶる。どうしようも、ない。助けたい。どうすればいい?教えてくれたら、何だってやる。神様!


「…いいのよ。みんな。もう、いいの」カタリーが口を開いた。

「私は…じゅうぶん生きました。もう、思い残すことは、ないわ」マーティンの頭を撫で、あなたのお母さんは、元気?と聞いた。

「はい、元気です」

「よかった。お母さんを、家族を、大切にするのよ」

 マーティンは、もう、何も言えなかった。ただ、涙が止まらなかった。

 そしてカタリーは目を閉じ、そのまま息を引き取った。

 安らかな顔だった。


 王宮に戻ってから、マイケルは、ママに会いたい、お姉ちゃんに会いたい、家に帰りたい、と言って泣いた。マーティンは眠れなかった。打ちひしがれて、ずっと、考えていた。何もできなかった。救世主などと呼ばれて、なんの力もない自分が情けなかった。


…救世主って、なんだ?

 僕は、何をしたらいい?

 どうしたら、この国を、この悲しい習わしから、救い出すことができるのだろう?

 僕がもし本当に、選ばれた人間で、何かの力があるのなら。

 僕は、この国を、街のみんなを、救いたい。

 家に帰るのは、そのあとでもいい。


 朝になり、マーティンはあることを決めた。

 僕は、この国の呪いを解く。

 親愛なる、ミッレア=ミルレガッティ。僕は、扉を通じてあなたの世界に来た。

 憂いの民を、救いたい。

 どうか、導いてくれ。


 窓から日の光が差し込んだ。

 街の周りには森が広がり、その向こうには海が見えた。

 マーティンは眩しそうに空を見詰め、決意に強く頷いた。

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すずかけの扉と死の呪い 射矢らた @iruya_rata

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